
逢魔伝(おうまでん) 2-5
五
表情の固まった木下をじっと見つめながら、自分の頬を軽くかいた。
「植えたのか、植えられたのか。お前の背中から植物の芽が出てる。それも、いくつかはもう蕾にまで、成長しているんだ。黄色い花の芽のようだけど、これ花かな?」
木下は、「そ、それは、どういう」ともごもご言って、黙りこんだ。信じられない、と言った顔で、動揺している。
いつの間に、木下の後ろに、近づいていた八枯れが鼻を鳴らして、彼の背中の匂いを嗅いでいた。
「これは、普通の花ではないな」
「やっぱり、花か」
僕は八枯れの尻尾をつかんで、こちらへ引きずった。八枯れは、畳に爪を立てて、苦しそうにうめく。
「普通の花は、土の上に芽を出す。これも、何か鬼や妖怪の仕業か?」
八枯れを膝の上に置いて、顔をのぞき込んだ。八枯れは、ひげをひくつかせながら、黄色い目を細めた。
「わしもこんなものは、初めて見たな」
「どういう意味だ?」
八枯れは、にやにやと笑った。
「この花はこの世のものじゃ。だが、可憐な植物ではない」
この世のものじゃない、と言いたいようだ。八枯れの挑発的な視線に、薄く笑みを浮かべた。
「なんか知ってるのか」
「知らん」
「嘘の下手な奴だ」
もういいよ、と顔を上げると、木下が「ちょっと、待ってくれ」と、低くうめいた。
「僕の背中に、花が咲いているのか?」
「そうだ。しかし、今のところ、お前に害を与えるということもなさそうだ」
「そうなのか。さっき、そこの猫が、花をむしって喰っていなかったか?それは、大丈夫か?」
木下は震えながら、八枯れを指さした。彼の指先で、あくびをした八枯れは、僕の膝の上で、丸くなった。
「ああ、すまない」僕は、八枯れの背中をひっかくと、苦笑を浮かべた。
「こいつは、命を枯らすのが、生きがいなのさ。お前、得体の知れないものを喰うな。腹壊すぞ」
「それはむしらん方が良いぞ」
八枯れは尻尾を振って、木下をじっと見つめた。
「どういう意味だ?」
木下は喉を鳴らして、はじめて八枯れと言葉を交わした。八枯れは、にやにやしながら、黄色い目を細めた。
「何を養分にしているかは知らん。だが、それは恐らく、小僧の生命維持に必要なものじゃ」
「じゃあ、寿命を養分にしてるってことか。お前、そんな重要なことを、喰った後から言いやがって」
僕は、眉間に皺をよせて、八枯れのひげを引っ張る。八枯れは、僕の指に爪を立てて、わずらわしそうに首を振った。
「寿命など早々、吸い取れるものか。だから、狐狸妖怪の類が、お前らを騙したり、試したりして、彼岸へ連れて行こうとする。そもそも、お前らは、妖怪、鬼、幽霊の違いがわかってるのか?お前は、人に見えるか見えないかで、わしらを区別してるだろ」
八枯れは眉間に皺をよせて、僕と木下の顔を交互に見つめ、最後に僕を見つめて、鼻を鳴らした。
不機嫌に黙っていたが、八枯れの背中をひっかいたり、ひげを引っ張ることだけは、やめなかった。化け物の違いなんか知るか。
調子を取り戻した木下が、眼鏡のフレームを指で押し上げて、得意げにしゃべりだした。
「妖怪は、具体的な形を持って、語り継がれている場合が多い。
獣や人が変化したものとして、よく描かれているね。毎回、同じ川で溺死するのは河童が、子供を水の中に誘ったからだ、とか。まあ、逸話はいろいろだ。しかし、河童の元は、山に捨てられた子供だったという話もある。
鬼は神だとか、祭りだとか、儀式に関わっていることが多いね。本来は、怨霊や悪霊の類を指す。邪悪なものから、邪悪なものをこらしめにくるものまで、様々だね。あと、童話にも描かれているだろ」
「『泣いた赤鬼』だっけ?」僕が相の手を入れると、木下はそれに小さくうなずいた。
「所説あるだろうが、僕は風俗に即して、古くから語り継がれているものが、妖怪や鬼ではないかと思う。そして、それの正体は大体、当時の歴史的背景を描き出してもいる。捨てられた子供を妖怪として、語り継げば、倫理的な問題を問われない。
でも、幽霊はそうじゃない。ひどく不確かなものだ。
そして、動物より、圧倒的に人である場合が多い。簡単に言えば、都会のものだと思うよ。だって、妖怪は古くから、いろいろな人間が見たと言うが、赤い服を着たうらめしそうな女を、昔から見ることはないじゃないか。多くの人が見ると言うよりは、むしろ、個人的な設定さえあるように思うね」
僕は、一昨年の盆に、妙な幽霊に軒下に引きずり落とされたのを思い出した。たしかに、まず縁側のある家に住んでいて、尚且つ、それらが見えないと、そんな体験はしないだろう。
「執念を持つのが、動物よりも人間の方が多いからじゃないか?化け物は、わあ、と脅かして終いらしいが、百メートル先までくっついてくるのは、人の形を模した霊だけだろ。それに、動物の化け物ってのは、都会だとリアリティーがないね。出たって、怖くないよ」
僕が苦笑をもらすと、木下は、それはそうだろうね、と無表情にうなずいた。
「だって、都会に獣はいないだろう。
人間のための人間だけの人工社会なんだから。幽霊は、人でない方が不自然なんだ。まあ、霊という概念事態、日常的なものでもないけどね。まったく、僕だってそこの猫さえ、しゃべらなければ、幽霊だの、妖怪だの、鬼だの、信じる訳ない」
「それで?」僕は、八枯れの耳をぴん、と引っ張った。「お前は、そんなことを聞いて、どうしたかったんだ?」
八枯れは、小刻みに耳を振って、僕の指から逃れると、大きなあくびをした。
「訳のわからん話を長々と。馬鹿め。良いか。妖怪と鬼は彼岸を生きているものだ。その境を越えて、貴様らを誘惑する。だが、霊はこっちのものだ。わかるか?」
猫に馬鹿と言われ、木下はムッとしたのか、八枯れを睨む。
「幽霊だって、彼岸のものでしょう。だから、姿が見えないんだ。ただ、妖怪や鬼よりも、歴史が浅いだけだよ」
「そこの頭でっかちの頭を割れ。そういうことを、言ってるんじゃない」
八枯れは僕の膝から降りると、伸びをして、まっすぐに木下を見つめた。
「貴様の肉体はどうやって生まれた?母親の血肉を、栄養をむさぼってだろう。わしらもそうじゃ。まあ、親などおらんが。彼岸のものを喰い、彼岸の空気を吸って、生まれている。
だが、霊はちがう。こちらの世界で生まれたものが、こちらで死んで、実体を無くしたが、姿を現している。つまり、魂はこっちで生まれている。だが、わしらは違う。わしは、彼岸で、魂も肉体も得て、こちらに来たのだ」
八枯れは、じっと僕を見すえて、黙った。
ざわり、と背中に鳥肌が立つ。もちろん、寒気や、恐怖からくるものではない。
木下は、しばらく怪訝そうにしてはいたが、すぐに話を元へと戻した。