
逢魔伝(おうまでん) 2-14
十四
どうにも妙な席である。
加害者と被害者が一つ屋根の下で、向かい合って茶をすすっているのは、なんだかおかしい。
僕の座っている場所から、向かって左側に木下が座り、その向いにカラスが座っている。
八枯れは、木下と僕の間で寝そべっており、錦は池の水面から顔を出して、こちらの様子をうかがっていた。正確には、カラスを見張っているのだろうが。
木下は緊張した面持ちで、さっき淹れたばかりの茶を、湯呑の中でくゆらせ、ちら、と僕の方を盗み見た。僕はそれに視線を合わせて、微笑すると、カラスの方を向いた。
「お前の意識がない時に、どうやら、木下の花が枯れていたが、なぜだ?」
カラスは、黒いコートのポケットに手をつっこんだまま、片膝を立てた。もちろん、こいつは茶など飲まない。
「さっきの猫ちゃんの理屈は、当たってるけど、外れだね」
八枯れは、ムッとして尻尾を一度振り上げたが、畳をぱたん、と叩いて終わった。カラスは細い目で、木下の顔を見つめた。
「養殖だが、成長の促進など、うながせる訳ないだろう。そんなことができたら、わざわざ様子を見に行って、手入れなんかする必要がない」
「やっぱり、手入れはしているのか」僕が呆れた声でそう言うと、カラスは、肩をすくめて、首を振った。やはり、動作が胡散臭い。
「俺の花はデリケートなんですよ。しばらく様子を見ていないだけでね、枯れちまうんです。ちょっとのきっかけでね」
「まさか、誰かが手折る訳でもないだろ」
「ええ、そうじゃなくてね。
例えば、負の感情で欲望が増進し、花が成長するとですね、良の感情は毒になるんです。と、言っても人間に、喜ぶな、と言う方が難しい。
それがバランスですからね。良なら良で育てなくてはならないし、負なら負で育てないといけないんだ。
つまり、どちらにせよ人間のメンタルバランスを取らないといけない。俺は、負なら負の状態が長く続くよう、環境を整えてやらないといけないんですわ。それを怠れば、すぐに枯れます。木下社の花は、刈り入れ時期を過ぎたので、自然に枯れたんです」
ふむ、と僕は一度うなずいて、木下の方を軽く顎でしゃくって見せた。
「じゃあ、黄色い花は負の花か」
カラスは、笑みを濃くして「その通りです。赤也さんは察しがいいですね」と、世辞を言う。それに対して、八枯れが小さく鼻を鳴らした。
「良の花は、どんな色をしているんだ?」
「白ですよ。黄と白の二色だけです。わかりやすいでしょう」
ただ、とカラスは、僕の顔を見ると、不思議そうに首を傾げた。
「赤也さんの花の色だけ、違う色をしていた」
「君は」ここで初めて、木下が声を発した。湯呑をテーブルの上に置いて、机を叩くと、カラスを睨んだ。「坂島くんにまで、種を植えていたのか。じゃあ、あの時、」
カラスは、にやにやと笑いながら、木下を見つめる。
どうせ、「土壌に花を植えて何が悪い」とでも言うつもりなのだろう。また、木下の怒りに触れても面倒だ。僕はさりげなく、話題を逸らすことにした。
「さて、お前を飼うにあたって、気になることがあるんだが」
そう言って、無表情にカラスを見ると、細い目をさらに細くしてうなずき、先をうながしてきた。
木下は不服そうにしていたが、僕の方を一度見てから、大人しくなる。八枯れは気だるそうに、大きくあくびをもらしていた。
「お前の食糧は花なんだろ?僕の知らない人間が、知らないところで、昏倒するのは困るよ。飼い主の責任になるからね」
「じゃあ、俺に餓死しろってんですか。ひどいなあ」
だから、と腕を組んで、微笑した。カラスは、びくり、と肩を震わせる。そんなに脅えることはないじゃないか。
「お前が死なない程度に、人が倒れない程度に、抑えられるか?お前の言うように、バランスだよ」
カラスは不満そうな顔をして、抗議しようと口を開いたが、それより早く、八枯れが口をはさんだ。めずらしく、僕の言いたいことを汲み取ったようだ。
「口応えは許されんぞ。お前はもう赤也の式じゃ。主の命令は絶対だ。赤也の言うことを聞き、赤也のために働く。よもや、言いつけを破ったら、どうなるか。わかってるな?その背中の痛みが、今後のお前の行く末を、物語っとる」
八枯れは体を起こし、黄色い目を細めて笑う。舌舐めずりをして、カラスを見つめた。
「まあ、わしは、お前が言うことを破ってくれた方が、都合がいい」
カラスは、ひ、と短い悲鳴を上げて、あわてて僕の方に向き直ると、「お願いします。なんでも言うことを聞きますから。その鬼だけは、俺に近づけないでっ」と、泣きそうな顔で懇願してきた。
深いため息をついて、八枯れの尻尾をつかむと、「あまり、いじめるなよ」と、注意した。八枯れは不満そうに顔を歪めて、畳に爪を立てた。僕は、木下の方を向いて、微笑んだ。
「まあ、こういう事だから。こいつもだいぶ痛めつけられて、反省しているようだし、許してやってくれ。幸い、姉さんもお前にも、もう花はないし。これからは、僕の監視下に入れるから、悪いことはさせない。安心してくれ」
木下は困惑した様子だったが、まっすぐ僕を見つめ、頭を下げた。
「すまない」と、言って、しばらく黙りこんだ。僕は目を見開いて、「え」と、声をもらした。しばらく思考が止まる。
「花の所為とは言え、君には失礼なことばかりした」
ああ、なるほど。と、僕は病院でのもめ事を思い出して、顎をかく。
しかし、妖怪や鬼にならともかく、人間に頭を下げさせるのは、どうにも気分が悪い。
「あの、だから」まだ、うだうだと謝罪の言葉を述べようとしていた木下の前に手をつきだして、止めた。僕は苦笑を浮かべる。
「頼むから、それ以上なにも言わないでくれないか。どうも、こういうのは苦手なんだ」
「しかし、」
眉間に皺をよせて、難しそうな顔をつくった木下を見て、ため息をついた。頭をぼりぼりとかいて、胡坐をかいていた足を崩した。
「良いじゃないか、もう終わったことなんだから。混ぜっ返すから、心象が悪くなるんだ。いま、お前はここで一緒に茶を飲んでいる。
そして、また時々、顔を出しに来るんだろ?それだけで十分じゃないか。あとの瑣末なことは、考えるだけ面倒くさい。感傷なら、勘弁してくれ」
木下は僕の言葉にしばらく、口を開けて放心した後、眉間に皺をよせて、一つ大きなため息をついた。「うん、そうだな」と、小さくうなずき、額をおさえていた。そして、「君は、やっぱり坂島赤也だなあ」と、当たり前のことを言った。それまで、黙って聞いていたカラスが突然、笑いだした。
「あんた、やっぱり面白いなあ」
僕は訳がわからず、首を傾げたが、「まあ、いいや」と、もう冷めてしまった茶を飲もうと、湯呑をくゆらせた。
木下も僕にならって茶をすすり、八枯れは丸くなって、すでにいびきをかいていた。
第二章 了