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逢魔が時に、スレ違う-第二刷-掻字で銖を吊った男

    鏡町の癜門しろもん商店街を抜け、路地裏にぞばり぀く銭湯『䞞尟湯たるおゆ』。

    猫背のお婆が座る番台を抜け、むせ返るような湯気ず安い石鹞の匂いが充満するタむル匵りの空間ぞ足を螏み入れる。野球垰りの泥だらけの少幎たちがワむワむガダガダずはしゃぎ廻っおいるが、別に鬱陶しくは無い。逆に五月蠅いくらいが今日は䞁床良い。

    俺は右耳に固く絞った手ぬぐいを抌し圓お、呚囲の芖線を避けるように掗い堎の隅ぞず陣取った。剥がれかけた富士山のペンキ絵の䞋、ケロっず凛ずした桶のカヌンず床を叩く甲高い音が、狂った茪転機りんおんきの地鳎りずなっお脳髄を盎接叩く。少しでも湯の飛沫を济びれば、昚倜の代償ずしお曎半玙に成り果おた右耳が、ドロドロにふやけお溶け萜ちおしたう。二床ず、他人よそさたの珟実を改竄トルツメするたい、そう心に誓いながら、俺は逃げるように端の濁った湯船ぞず䜓を沈めた。


    「よう、兄ちゃん。今日も玙みおえに青っ癜いツラしおんな」


    湯煙の向こう偎から、ひどく掠れた声がした。銖たで湯に浞かっおいるのは、この銭湯のヌシである元・文遞工ぶんせんこうの老人『鉛なたりの蟲ちゅう』だ。

    長幎、䜕䞇ずいう鉛の掻字を拟い続けたせいで、奎の指先は掗っおも萜ちないドス黒いむンクの染みに芆われおいる。蟲はニダニダず黄ばんだ歯を芋せながら、俺の右耳を隠す手ぬぐいをじっず芋぀めおいた。


    「昚日の仏さん、顔が真っ平らだったそうじゃねえか。たるで文字のねえ蟌め物こめものだずよ」


    チャポン。

    心臓が跳ねた。蟲の黒い指先が、湯面をチャプチャプず叩く。掻字の亡者のようなこの老人は、この町に隠された事件かいいの匂いにやけに錻が利く。ンガッンッンず唟を飲み蟌み、ただの酔っ払いの戯蚀ざれごずだず吐き捚おるように立ち䞊がった俺の背䞭に、蟲の黄ばんだ声がねっずりず絡み぀いおきた。


    「そういやあ、新聞屋の兄ちゃん。すぐ裏の『寿荘こずぶきそう』で銖吊りが出たらしいで」


    俺は足を止めずに、ただ黙っお背䞭で耳を傟ける。


    「ただの銖吊りなら、䞉面蚘事のベタ蚘事にもならねえ。せやけどな、その仏さん  瞄じゃなくおなぁ、真っ黒ぉな掻字の鎖で銖を括っおたらしいじゃねえか。兄ちゃん、奜物やろう」


    ニチャアず蟲が口角をあげるず同時に背筋を冷たい氎滎が這い䞋りた。

    掻字で銖を吊るはそんな出鱈目な死に方があるはずがない。だが、この狂った町なら、あるいは  俺は無蚀のたた脱衣所ぞ飛び出し、濡れた䜓を雑な手付きで拭き䞊げた。右耳の曎半玙が湿気で波打っおいるのを確認し、急いでダニ臭い背広に袖を通す。

    䞞尟湯の暖簟をくぐり抜けるず、煀けた倜颚が火照った䜓に纏わり぀いた。ポケットからシケたピヌスを取り出し、燐寞を擊る。路地裏の暗がりにある寿荘たでは、歩いお䞉分ずかからない。どぶ川の柱みから、腐ったタマネギの匷烈な酞臭が錻を突いた。誰が捚おたのか、千切れた犬の銖茪のようなものが泥に塗れお浮いおいる。そんなこずはどうでもいい。


    「次は芋たたんたの事真実をそのたた蚘事にしたる」


    俺は煙ず共に蚀葉を吐いた。匷匕に枠に収めるため事実を改竄するから、等䟡亀換ずしお䜓が玙に倉わるのだ。掻字の鎖なんお意味䞍明なもので銖を吊っおいるのなら、そのたた『掻字で銖を吊った男』ずしお原皿に叩き蟌めばいい。狂った真実をそのたた枠に流し蟌めば、俺の実存がこれ以䞊削られるこずはないはずだ。

    腐った朚造アパヌトの二階、䞀番奥の四号宀。ドアは半開きになっおおり、隙間からカビず  濃密なむンクの腐臭が挂っおいた。譊察のサむレンはただ聞こえおこない。俺は息を殺し錆び぀いた鉄階段を䞀段ず぀登っおいった。


    郚屋の前に到達し薄汚れたアルミ戞をゆっくりず抌し開ける。隙間から挏れ出しおいた悪臭は、郚屋ぞ足を螏み入れた途端、生暖かい血の匂いず混じり合い、䞀気に肺の奥たで䟵食しおきやがった。



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    四畳半の薄暗い宀内。
    その䞭倮で、䞭幎男の肉䜓が重力から切り離されたように宙に浮いおいる。だが、銖を吊るはずの瞄がどこにも無い。俺は目を现め、裞電球の傘が萜ずす円圢の光の䞋でその異様を盎芖し、思わず息を呑んだ。男の銖の肉、顎の䞋、そしお頬骚にいたるたで、釣り針のように鋭くひしゃげた䜕癟ものドス黒い鉛の掻字が、グサグサず深く突き刺さっおいるのだ。無数の掻字のフックからは、蜘蛛の糞のように现く黒い糞が倩井の染みぞず匵り詰められおいる。男の぀た先は畳から数センチ浮き、力なくブゥゥンンず垂れ䞋がっお揺れおいた。


    銖の皮を匕き裂き、肉に深く食い蟌んだ掻字からは、赀黒い血ずドロドロのむンクが混ざり合っお滎り萜ち、畳に䞍気味な黒い血溜たりを䜜っおいた。


    「これを、このたた蚘事にする  やず」


    俺は震える手で手垳を取り出そうずしたが、指先が凍り぀いたように動かない。先ほどたで錻息荒く誓っおいた『真実をそのたた曞く』ずいう決意が、音を立おお厩れおいく。


    『寿荘四号宀にお、男が数癟の掻字に党身を吊り䞋げられ死亡──』


    こんなトチ狂った原皿、敎理郚が通すはずがない。芏栌倖の怪異は、新聞ずいう四角い掻字の檻因おりには絶察に収たらないのだ。真実を曞けば蚘事はボツになり、俺の存圚が空気ず化す。だが、ただの玐で銖を吊ったず改竄すれば、たた俺の肉䜓がゎッ゜リ削られる。究極の二択を前に、俺は生暖かいむンクの雚が降る四畳半で立ち尜くした。

    遠くで、倜の無蚀しじたを匕き裂くサむレンの音が鳎り響いた。パトカヌが数台、確実にこの寿荘ぞ向かっおきおいる。譊察に珟堎を封鎖されれば、蚘事の䞻導暩は完党に奪われる。猶予はあず数分。俺は奥歯を食い瞛り、胞ポケットから赀鉛筆を匕き抜いお、震える手で血塗られた真実を曞き殎った。そしお、その文字列ぞ迷いなく取消線を匕く。


    『数癟の掻字』を削陀トル。
    代わりに『ナむロンロヌプ』の䞃文字を、加入かにゅうする。


    カシャン。


    タむプラむタヌの音が頭の芯で鳎り、䞖界の造䜜がすり替わった。男の顔面に深く食い蟌んでいた無数の鉛の掻字が、みるみるうちに䞀本の凡庞なナむロンロヌプぞずすり替わっおいく。

    だが、代償の請求は即座にやっおきた。手垳を抌さえおいた巊手の小指の感芚が、スッず抜け萜ちたのだ。芖線を萜ずすず、第䞀関節から先が、血の通わないザラ぀いた曎半玙ぞず倉質しおいた。

    ドカドカずいう荒々しい足音が錆びた鉄階段を駆け䞊がり、扉が乱暎に蹎り開けられた。


    「譊察やそこで䜕しおんねん」


    怒号ず共に螏み蟌んできたのは、くたびれたトレンチコヌトを矜織った初老の刑事ず若い巡査が数名だった。俺は曎半玙に倉質した巊手を咄嗟にポケットぞねじ蟌み、震える第䞀発芋者の仮面を顔面に貌り付ける。


    「ヒィッ  け、刑事さん、銖  く、銖吊りが」


    俺の䞉流芝居など気にも留めず、刑事は郚屋の䞭倮にぶら䞋がるナむロンロヌプの死䜓ぞず懐䞭電灯の光を向けた。だが、死䜓の顔面を照らし出した瞬間、刑事の喉から「ひっ」ず短い悲鳎が挏れた。血走った目が限界たで芋開き、懐䞭電灯を握る手がカタカタず痙攣し始める。

    刑事の顔面が蒌癜になるのも無理はなかった。ロヌプで銖を括られ、だらりず舌を垂らしおいるその死䜓は、今たさに螏み蟌んできた刑事ずたったく同じ顔をしおいたのだ。

    俺は内心で盛倧に舌打ちをした。掻字の鎖をナむロンロヌプに改竄した際、俺は掻字が剥がれ萜ちたあずの顔の造䜜たで指定し忘れおいた。俺の雑な割付のせいで、狂った構造は誀怍を埋める応急凊眮ずしお、盎埌に珟れたこの刑事の顔面をそのたた耇補し、死䜓に貌り付けやがったらしい。


    「わ、ワシやないかい  なんでワシが吊るされおんねや  」


    腰を抜かしお埌ずさる刑事に向かっお、俺はポケットの䞭で曎半玙の小指を握り朰しながら、極めお冷静に蚀い攟った。


    「刑事さん、しっかりしおくださいよ。死人があんたの鏡を持っおるわけないでしょうが。こんな顔の死䜓が、譊察の調曞やうちの玙面に公匏の蚘録ずしお登録されおみなはれ。明日の朝刊にあんたの顔が死䜓ずしお刷られおしもうお鏡町の隅々にたで配られた途端、䞖間にずっお、死んだのはあんたになるんや。公匏に死人ずしお凊理された人間が、明日からどうやっお譊察眲に出勀する぀もりなんや。家族も同僚も、あんたを幜霊を芋るような目で芋るようになるで。掻字の力はな、生きおる人間の居堎所くらい簡単に消せるんや。あんたの銖が飛ぶんやない。あんたの人生が、䞞ごず『なかったこず』にされるんや   どないやねん」


    刑事の喉からヒュヌずいう情けない音が挏れた。俺は畳み掛ける。


    「せやから  死䜓の顔は最初から『朰れおいお刀別䞍胜だった』っおなこずにしたしょうや。その代わり、事件の特ダネは俺が独占する。悪い取匕やないでしょう」


    俺の提案に、刑事はガチガチず歯を鳎らしながら力なく頷いた。

    亀枉は成立した。俺は安堵の息を吐きかけたが、盎埌、郚屋の空間がゞゞッず嫌な雑音を鳎らした。刑事の顔をしおいた死䜓の顔面が、ブラりン管の残像の歪で激しくブレる。次の瞬間、死䜓の顔は背埌で震えおいた若い巡査の顔ぞず切り替わっおいた。


    「ひっ  が、僕の、顔が」


    巡査が悲鳎を䞊げぞたり蟌む。だが、誀怍の連鎖は止たらない。ガシャン、ガシャンず狂った機械のような音を立お、死䜓の顔面が猛スピヌドで入れ替わり始めたのだ。

    芋知らぬ女、薄汚い劎働者、歯の無い盲目の老婆  鏡町の䜏人の顔が次々ず印字されおは砎棄されおいく。俺が指定し忘れた顔の空癜が、町䞭の人間のツラを無差別に吞い蟌んで定着テストを繰り返しおいるのだ。この回転が止たり、䞇が䞀俺の顔が印字されおしたったらず思うず背筋を氷が撫で䞊げた。


    「埌は頌んだで」俺は譊察連䞭に吐き捚お、むンクの腐臭が挂う四号宀から転がるように逃げ出した。

    静たり返った海銬日報の地䞋暗宀には、匷烈な酢酞の匂いが充満しおいた。寿荘から逃げ出す盎前、俺は銖から提げた二県レフで䞀枚だけシャッタヌを切っおいた。そのフィルムを珟像液のトレむに浞す。赀色灯の䞋、俺は曎半の小指を庇いながら、竹のピンセットを慎重に操った。氎気を吞った玙の小指がふやけ、チクチクず嫌な鈍痛が走る。

    タプタプ  。珟像液の䞭で、印画玙に少しず぀黒いむンクのような圱が染み出しおきた。スヌっず最初に浮かび䞊がったのは、むき出しの倩井の梁ず、ナむロンロヌプだ。俺が赀鉛筆で改竄した通りの、極めお凡庞な銖吊りの瞄。その䞋に、だらりず垂れ䞋がった肉の塊が珟れる。

    俺は息を止め、竹ピンを握る手にギリッず力を蟌めた。赀い光が、問題の顔面郚分を舐めるように照らし出す。タプン  。窓の倖、遠くの路地裏で、野良猫が盛りの぀いた赀ん坊のような悲鳎を䞊げおいた。ひどく耳障りな、ただの獣の鳎き声だ。あの刑事の顔か、怯えおいた若い巡査か、それずも名も知らぬ鏡町の䜏人共か。心臓が嫌な音を立おお早鐘を打぀䞭、像は埐々に茪郭を結んでいく。


    「お願いやから、俺のツラだけは勘匁しおくれや」


    祈るような俺の掠れた声が、赀い暗宀にドロリず吞い蟌たれおいった。

    ポチャン  。竹ピンで印画玙を定着液ぞず移し、像が完党に固たるのを埅぀。赀い光の䞋で浮かび䞊がった顔を芋お、俺の喉から「あ  」ず間の抜けた声が挏れた。


    そこに写っおいたのは、


    刑事でも巡査でも、たしおや俺自身の顔でもなかった。いや、顔そのものが存圚しないのだ。銖から䞊の郚分だけが、むンクの乗っおいない癜玙のゲラだった。ツルリず真っ癜に抜け萜ちおいる。俺が指定し忘れた顔面の空癜は、様々な䜏人のツラを吞い蟌んで定着テストを繰り返した挙句、最終的に凊理を攟棄しお誀怍のたた出力しやがったらしい。

    暗宀を出お、ダニず埃の匂いが染み付いた線集宀のデスクに座る。珟像したのっぺらがうの写真を暪に眮き、俺は䞇幎筆を握っお原皿甚玙に向かった。


    『顔面は激しく損壊し、身元䞍明──』


    あの真っ癜な誀怍を、䞖間が玍埗する猟奇的だが凡庞な事件ぞず再床翻蚳しおやるのだ。

    だが、巊手で原皿甚玙を抌さえ、無意識にペンを滑らせた瞬間だった。「ビリッ」ず、ひどく也燥した嫌な音が鳎った。


    「  嘘やろ」


    痛芚は無い。だが、芖線を萜ずすず、曎半玙に倉質した小指の腹が、玙が砎れるように真暪に裂けおいた。もしここでこのたた小指が完党に千切れおしたえば、俺は自分自身の肉䜓の䞀郚を氞久に倱うこずになる。血も出ない無機質な欠損の恐怖に、背筋が粟立った。


    『寿荘にお銖吊り死䜓発芋──』


    ミリミリ、ず少しでも原皿甚玙に指が擊れるたび、小指の裂け目が深くなっおいく。痛みが無いぶん、己の肉䜓がただの玙切れに成り䞋がったずいう絶望が、じわじわず脳髄を䟵食しおきやがる。


    「俺かお、奜きでこんなガセネタ曞いずんちゃうぞ  」


    額からドロリずした脂汗が滲み、煙草の灰が原皿甚玙の端に萜ちる。極限の緊匵感の䞭、俺は息を殺しお䞇幎筆を走らせ続けた。

    最埌の䞀文字に乱暎に句点を打ち、俺は完成した原皿ず写真を敎理郚のトレむに叩き蟌んだ。千切れかけた曎半玙の小指は、皮䞀枚、いや、繊維䞀本で蟛うじお巊手にぶら䞋がっおいる状態だ。あずは組版に回され、鉛の掻字ずなっお玙面に固定されるだけ。しばらくするず、地䞋の印刷工堎からズシン、ズシンず茪転機が重々しい産声を䞊げ始めた。あの四号宀で、死䜓の顔面を猛スピヌドで切り替えおいた狂った音ず同じ埋動だ。

    俺は背もたれに深く䜓を沈め、い぀ものようにシケたピヌスに火を点けた。吐き出した玫煙ず共に、匷匕に捏造された新しい珟実が鏡町の隅々にたでばら撒かれおいく。指は千切れかけだが、俺はひずたず、明日の存圚いのちを繋いだのだ。

    #創䜜倧賞2026
    #ホラヌ小説郚門

    タむトル画・挿絵/胡貌こちょう 十倜ずや

    第䞉刷はコチラ☟


     
     
    1998幎より鏡町にお、芋䞖物パンク䞀座【ストロベリヌ゜ングオヌケストラ】の座長を担い、鏡町より死神䞉寞離れた区画に斌いおは、唖の描く月絵に䜵せコトノハを吐き散らす【瀉葬文幻庫】瞜・宮悪戊車デス。このnoteでは、僕が曞いおきた戯曲・小説・詩䞖界・挔劇䜜品等を発衚しおいきたす。

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