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Photo byhoshizoramochi

「罪悪感をスライドさせて、自分を幸せにする『10円サークル』という仕組み」



    第一章 私は、自分を幸せにすることが怖かった

    「自分を大切にしましょう。」

    そんな言葉を目にするたび、私は少し苦しくなった。

    その言葉が間違っているとは思わない。

    でも、私にはどうしてもできなかった。

    ご飯を食べること。

    お風呂に入ること。

    好きな本を買うこと。

    映画を観に行くこと。

    少し遠くへ出かけること。

    そんな何でもないことをするたびに、胸の奥がざわついた。

    「こんなことをして、本当にいいの?」

    「私だけ楽しんでいいの?」

    そんな声が、自分の中から聞こえてくる。

    それは怠けているからでも、わがままだからでもなかった。

    もっと深いところにある、名前のつけられない感覚だった。

    あとから気づいた。

    あれは罪悪感だったのだ。

    私は長い間、「母親より幸せになってはいけない」と思いながら生きてきた。

    誰かにそう言われたわけではない。

    でも、その空気の中で生きてきた。

    私が笑えば、どこか落ち着かない。

    楽しそうにしていると、心のどこかでブレーキがかかる。

    「それでいいの?」

    「お母さんは?」

    そんな言葉にならない問いが、いつも心の奥にあった。

    だから私は、自分を幸せにすることが怖かった。

    自分を大切にしようとすると、苦しくなる。

    休もうとすると、後ろめたい。

    好きなものを買うだけでも、「贅沢なんじゃないか」と責めてしまう。

    自己肯定感を上げる方法もたくさん試した。

    「私は価値がある。」

    「私は幸せになっていい。」

    そんな言葉も何度も見た。

    だけど、私には届かなかった。

    頭では理解できる。

    でも、心はまったく納得してくれない。

    「そう思えたら苦労しない。」

    それが正直な気持ちだった。

    だから私は、自分を責めることをやめられなかった。

    今日できなかったこと。

    動けなかったこと。

    休んでしまったこと。

    そんなことばかり数えて、一日が終わる。

    そして眠る前に、

    「今日も何もできなかった。」

    そう言って、自分を裁く。

    そんな毎日を何年も繰り返していた。

    本当は、誰かに言ってほしかった。

    「あなたが幸せなら、それでいい。」

    「あなたが笑っていると、私も嬉しい。」

    その一言があれば、きっと私はもっと早く、自分の幸せを選べたのだと思う。

    でも、その言葉を待ち続けても、現実は変わらなかった。

    親は変えられない。

    過去も変えられない。

    それなら私は、この罪悪感と一緒に生きていく方法を探すしかなかった。

    罪悪感を消す方法ではない。

    罪悪感を抱えたままでも、一歩だけ前に進める方法。

    そんなものは、本当にあるのだろうか。

    何年も探し続けた末に、ある日、小さな思いつきが頭をよぎった。

    「罪悪感って、消さなくてもいいんじゃない?」

    その瞬間、私の中で何かが静かに動き始めた。




    第二章 罪悪感は消えなかった

    罪悪感をなくそうとしたことは、何度もあった。

    本を読んだ。

    動画を見た。

    「過去は過去。」

    「自分を許しましょう。」

    「あなたは悪くない。」

    そんな言葉にも、たくさん出会った。

    きっと、その言葉に救われる人もいるのだと思う。

    でも、私は救われなかった。

    「許していい」と言われても、心のどこかが拒否してしまう。

    「幸せになっていい」と言われても、「本当に?」と疑ってしまう。

    言葉は頭には届くのに、胸の奥までは届かない。

    そんな感覚だった。

    だから私は、「自分を変えられない自分」を責めるようになった。

    みんなはできるのに、私はできない。

    また今日も、自分を大切にできなかった。

    また今日も、何も進めなかった。

    責める理由だけが増えていった。

    そして気づいた。

    私が苦しんでいるのは、「自分を大切にできないこと」だけではなかった。

    自分を大切にしようとすると、罪悪感が湧いてくることが苦しかったのだ。

    例えば、おいしいものを食べる。

    それだけで、「贅沢じゃない?」という声が聞こえる。

    映画を観る。

    「そんなことしている場合?」

    少し高い服を買う。

    「そのお金、本当に自分に使っていいの?」

    休む。

    「もっと頑張れるんじゃない?」

    何をしても、罪悪感が先に立つ。

    だから行動する前から疲れてしまう。

    頑張ることよりも、自分に優しくすることのほうが、ずっと難しかった。

    あるとき、ふと思った。

    私はずっと、「罪悪感を消そう」としている。

    でも、罪悪感って、本当に消えるものなんだろうか。

    何十年も一緒に生きてきた感覚が、今日からなくなります、なんてことがあるだろうか。

    少なくとも、私にはできなかった。

    だったら。

    消せないなら、違う方法はないだろうか。

    なくすことはできない。

    でも、向きを変えることならできるかもしれない。

    その瞬間、今まで考えたこともない発想が浮かんだ。

    私はずっと、母への後ろめたさに罪悪感を向けていた。

    「私だけ幸せになってはいけない。」

    その気持ちが、私の行動を止めていた。

    だったら、その罪悪感を、少しだけ別の方向へ向けられないだろうか。

    例えば、自分を大切にした分、世界のどこかの誰かの役にも立つ仕組みがあったら。

    「私だけが幸せになる。」

    ではなく、

    「私が少し幸せになることで、誰かも少し助かる。」

    そう思えたら、この重たい罪悪感は、少しだけ形を変えてくれるんじゃないか。

    もちろん、罪悪感が消えるわけではない。

    でも、自分を傷つけるために使われていた力が、誰かを支える方向へ流れていく。

    そんな仕組みがあったら、私はもう少し生きやすくなるかもしれない。

    そうして生まれたのが、「10円サークル」の始まりだった。

    最初から立派なメソッドを作ろうと思ったわけではない。

    ただ、自分を責め続けてきた一人の人間が、明日も生きるために思いついた、小さな工夫だった。
     

    ⸻


    第三章 10円には、大きな意味がある

    最初から「10円サークル」という名前だったわけではない。

    ただ、自分を責める毎日に、小さな印をつけたかった。

    今日は何ができただろう。

    そう考えたとき、私はいつも「できなかったこと」しか思い浮かばなかった。

    部屋を片付けられなかった。

    散歩に行けなかった。

    料理ができなかった。

    人に連絡できなかった。

    そんなふうに、一日を減点方式で終わらせることが当たり前になっていた。

    でも、本当に何もできなかった日なんて、あるのだろうか。

    ご飯は食べた。

    薬も飲んだ。

    顔も洗えた。

    カーテンを開けた。

    ソファから立ち上がった。

    犬を撫でた。

    外の空を見た。

    そうやって一つひとつ拾ってみると、「できたこと」はちゃんと存在していた。

    ただ、私は何十年も、それを数えたことがなかっただけだった。

    だから私は、「できたこと」を数えることにした。

    でも、「よく頑張ったね」と言われても、どこかふわっとしていて、私には実感が持てなかった。

    アファメーションも同じだった。

    「私は価値がある。」

    「私は大丈夫。」

    その言葉を何度唱えても、心は動かなかった。

    だから、もっと現実に触れられるものが欲しかった。

    目で見えるもの。

    数えられるもの。

    積み重なっていくもの。

    そこで思いついたのが、「10円」だった。

    100円では少し大きい。

    1円では軽すぎる。

    10円は、小さな一歩にちょうどいい大きさだった。

    ソファから立ち上がれた。

    10円。

    薬を飲めた。

    10円。

    お風呂に入れた。

    10円。

    今日は泣きながらでも、ご飯を食べられた。

    10円。

    誰かと比べたら当たり前のことかもしれない。

    でも、私にとっては、その一つひとつが前に進むための大仕事だった。

    だから、その一歩を「なかったこと」にしたくなかった。

    私は、自分だけのグループLINEを作った。

    そこに、その日できたことを書いていく。

    今日は散歩できた。

    今日は眠れた。

    今日は病院へ行けた。

    今日は笑えた。

    そして、できたことだけではなく、感じたことも書いた。

    怖かった。

    寂しかった。

    悲しかった。

    苦しかった。

    誰にも見せない場所だからこそ、本音を書けた。

    すると、不思議なことが起きた。

    頭の中で暴れていた感情が、少し静かになる。

    「こんなことを思っちゃいけない。」

    そう押し込めていた気持ちが、

    「そう感じていたんだね。」

    という記録に変わっていく。

    感情は消えない。

    でも、受け止めてもらえると少し落ち着く。

    その「受け止める役」を、私は自分でやることにした。

    夜になると、その日の10円を数える。

    合計は30円の日もあれば、100円を超える日もある。

    10円しかない日もある。

    0円の日もある。

    でも、不思議と0円の日を責めなくなった。

    動けない日もある。

    そんな日は、「今日は休ませてあげた日」と決めた。

    無理に10円をつけなくていい。

    記録もしなくていい。

    そして、次の日。

    「また始められた。」

    それだけで10円。

    「休ませてあげられた。」

    それも10円。

    続けることよりも、戻ってこられることのほうが、ずっと大切だと気づいたからだ。

    こうして少しずつ、「できたこと」が積み重なっていった。

    その積み重ねは、お金を貯めることが目的ではなかった。

    「私は今日も、自分を見捨てなかった。」

    その証拠を、一つずつ集めていく作業だった。


    ⸻


    第四章 罪悪感は、消えなかった。でも、向きを変えることはできた。

    10円サークルには、もう一つ大切な約束がある。

    集まった10円を数えたら、その合計の10%を、世界のどこかへの支援に使う。

    災害支援でもいい。

    保護犬や保護猫でもいい。

    子どもたちへの支援でもいい。

    自分が「ここを応援したい」と思えた場所なら、どこでもいい。

    そして、残りの90%は、自分のために使う。

    本を買ってもいい。

    映画を観てもいい。

    旅行のために積み立ててもいい。

    私は、この形にたどり着くまでに、とても時間がかかった。

    最初から「寄付をしよう」と思っていたわけではない。

    私が考えていたのは、どうしたら自分を幸せにすることへの罪悪感が少しでも軽くなるのか、それだけだった。

    私は、自分にお金を使うことにも後ろめたさがあった。

    楽しむこと。

    休むこと。

    好きなものを買うこと。

    そのたびに、「本当にそんなことをしていいの?」という声が聞こえてくる。

    その声の正体は、ずっと母への罪悪感だった。

    「私だけ幸せになってはいけない。」

    その思いは、何十年たっても消えなかった。

    だから、ある日、考えた。

    もし私が少し幸せになることで、世界のどこかの誰かも少し幸せになるなら。

    それなら、私は少しだけ、自分を許せるんじゃないだろうか。

    私はそこで、あることに気づいた。

    罪悪感は、なくならない。

    でも、向きを変えることはできる。

    今まで母に向いていた罪悪感を、世界のどこかで助けを必要としている誰かへ向ける。

    もちろん、その人たちに罪悪感をぶつけるという意味ではない。

    「誰かの役に立ちたい」という形へ、流れを変える。

    自分を責めるために使っていた力を、誰かを支える力へ変えてみる。

    私はそれを、**「罪悪感をスライドさせる」**と呼ぶようになった。

    罪悪感そのものは変わらない。

    でも、その行き先は選べるかもしれない。

    この考え方は、私の心を少しだけ自由にしてくれた。

    そして、もう一つ、大切にしていることがある。

    私は、できるだけ遠い誰かへ寄付をする。

    それは冷たいからではない。

    近い人だと、人はどうしても期待してしまうからだ。

    「ありがとう」と言ってほしい。

    「喜んでほしい。」

    「分かってほしい。」

    そんな気持ちが生まれるのは、とても自然なことだと思う。

    でも、それが叶わなかったとき、人は「やってあげたのに」という苦しさを抱えてしまうことがある。

    だから私は、できるだけ遠い誰かを選ぶ。

    顔も知らない。

    会うこともない。

    それでも、どこかで誰かの役に立てたら、それで十分。

    見返りを求めなくていい距離が、私にはちょうどよかった。

    寄付先を探す時間も、私にとっては大切な時間になった。

    今日はどこで困っている人がいるんだろう。

    どんな活動をしている団体があるんだろう。

    そうやって社会へ目を向けることで、自分の世界が少しだけ広がっていった。

    家の中だけで、自分の苦しさだけを見つめていた私は、

    「私も社会の一員なんだ。」

    そう思えるようになった。

    そして、この10%には、もう一つ意味がある。

    私はずっと、「人生は全部、自分の責任なんだ」と思って生きてきた。

    苦しいのも、自分のせい。

    動けないのも、自分のせい。

    幸せになれないのも、自分のせい。

    そうやって、自分を裁き続けてきた。

    でも、人は100%自己責任だと思えば思うほど、苦しくなることがある。

    だから私は、10%だけ、その責任を手放すことにした。

    「この10%は、誰かの幸せのため。」

    そう決めることで、自分一人で人生を背負っている感覚が少しだけ軽くなった。

    責任を放棄するのではない。

    全部を抱え込まないという選択だった。

    そして不思議なことに、その10%を手放したことで、残りの90%は以前よりも大切に使えるようになった。

    「自分のために使っていい。」

    そう思える日が、少しずつ増えていった。

    たった10%。

    でも、その小さな割合が、私の心の向きを変えてくれた。
     


    ⸻


    第五章 安心できたから、ようやく過去を見に行けた

    私はずっと、「過去と向き合いましょう」という言葉が苦手だった。

    向き合えるくらいなら、とっくに向き合っている。

    向き合えないから苦しいのだ。

    そう思っていた。

    何十年も、自分の中にある罪悪感を見ないように生きてきた。

    見たら壊れてしまう気がしたから。

    だから、忘れようとした。

    考えないようにした。

    前を向こうとした。

    でも、見ないようにしても、罪悪感は消えなかった。

    むしろ、見ないようにするほど、形を変えて私を苦しめた。

    自分を責める。

    自分を後回しにする。

    幸せになることを怖がる。

    それは全部、同じ根っこから伸びていた。

    私は長い間、「原因を見つければ楽になれる」と思っていた。

    でも、本当は逆だった。

    安心できたから、初めて原因を見に行けたのだ。

    10円サークルを続けているうちに、少しずつ自分を責める時間が減っていった。

    毎日、自分にしてあげられたことを数える。

    感情を書き出す。

    できなかった日も責めずに休む。

    また始められた日は、それを喜ぶ。

    そんな小さな積み重ねが、「私は私の味方でいてもいい」という感覚を育ててくれた。

    その安心感は、ある日突然生まれたものではない。

    10円、20円、30円……

    本当に少しずつ積み重なってできたものだった。

    そしてある日、ふと気づいた。

    「あの頃のことを、少し見てみようかな。」

    そう思えた自分がいた。

    驚いた。

    今までなら、考えるだけで苦しくなっていたことだった。

    でも、その日は違った。

    怖さはあった。

    悲しさもあった。

    それでも、「見ても大丈夫かもしれない」と思えた。

    私が必要だったのは、「勇気」ではなかった。

    「安心」だった。

    安心できる場所があるから、人は怖い場所へ行ける。

    安心できる人がいるから、過去を話せる。

    子どもが親の手を握って初めて一歩踏み出せるように、大人になった私にも、安心できる何かが必要だった。

    本当なら、その役目は親が担ってくれたのかもしれない。

    「あなたが幸せなら、私はうれしい。」

    「大丈夫。」

    「失敗しても帰っておいで。」

    そんな安心を、私は十分に受け取れなかった。

    だから私は、その安心を自分で育てることにした。

    10円サークルは、そのための仕組みだった。

    自分を甘やかすためではない。

    自分を変えるためでもない。

    傷ついた自分に、「もう大丈夫だよ」と伝え続けるための、小さな習慣だった。

    私は今でも、罪悪感がなくなったとは言えない。

    今でも、自分を後回しにしたくなる日がある。

    動けない日もある。

    それでも、昔と違うことが一つある。

    そんな自分を、前ほど嫌いにならなくなった。

    「今日は休もう。」

    「また始めればいい。」

    そう思える日が増えた。

    それだけで、生きることは少し楽になった。

    10円サークルが変えたのは、私の人生ではない。

    私が私を見る目だった。

    そして、それが変わり始めたからこそ、私はようやく、自分の過去を責めるのではなく、理解しようと思えるようになった。


    ⸻


    第六章 幸せになるためではなく、幸せを許すために

    今でも、ときどき考える。

    もし子どもの頃、

    「あなたが幸せなら、お母さんもうれしい。」

    そう言ってもらえていたら、私は10円サークルを思いつかなかったかもしれない。

    自分を大切にすることに、こんなにも苦労しなかったかもしれない。

    でも、過去は変えられない。

    だから私は、「なかったもの」を嘆え続ける代わりに、自分で作ることを選んだ。

    安心できる場所。

    自分を責めない時間。

    小さな成功を数える習慣。

    そして、自分の幸せと、世界のどこかにいる誰かの幸せが、ほんの少しだけつながる仕組み。

    それが、私にとっての10円サークルだった。

    この仕組みを作っても、人生から苦しみが消えたわけではない。

    落ち込む日もある。

    何もできない日もある。

    罪悪感が顔を出す日もある。

    それでも、以前の私とは少し違う。

    「また始めればいい。」

    そう思える場所が、私の中にできた。

    それだけで、生きることはずいぶん楽になった。

    10円サークルは、特別な才能も、お金も、強い意志も必要ない。

    必要なのは、自分の小さな一歩を「なかったこと」にしないことだけだ。

    ソファから立ち上がれた。

    10円。

    ご飯を食べられた。

    10円。

    泣きながらでも、お風呂に入れた。

    10円。

    休むことを自分に許せた。

    それも10円。

    その10円は、誰かと比べたら、本当に小さなものかもしれない。

    でも、自分の人生を立て直そうとしている人にとっては、とても大きな一歩だ。

    そして、積み重ねた10円の一部が、世界のどこかで誰かを支える。

    残ったお金で、自分も少し幸せになる。

    その幸せが、また次の10円になる。

    私は、この循環が好きだ。

    誰かを大切にすることと、自分を大切にすることを、どちらか一方にしなくていいから。

    どちらも大切にしていいと思えるから。

    「自分を大切にしましょう。」

    その言葉は、今でも少し難しい。

    でも、

    「今日は10円だけ、自分にいいことをしてあげよう。」

    そう思うことなら、私にもできる。

    私は、人は安心感があって初めて、自分を幸せにする行動ができるのだと思っている。

    その安心感は、本来なら誰かから受け取れるものだったのかもしれない。

    でも、受け取れなかった人もいる。

    私も、その一人だった。

    だから私は、自分で安心感を育てることにした。

    10円という、とても小さな単位で。

    今日も、自分を責める代わりに、自分に10円を渡してみる。

    その10円は、お金の価値ではない。

    「今日も、自分を見捨てなかった。」

    その証だ。

    もし今、自分を幸せにすることが怖い人がいるなら。

    もし、自分を大切にすると罪悪感が湧いてしまう人がいるなら。

    その人にも、10円だけ渡してあげてほしい。

    人生を変えるためではなく。

    今日を少しだけ生きやすくするために。

    その小さな10円が、いつか自分にも、世界のどこかの誰かにも、静かにつながっていくことを願っている。



    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    「自分を幸せにする罪悪感」をほどく『10円サークル』を提唱しています。息苦しさやセルフネグレクトを乗り越え、安心感を育てて生きやすくなる体験談を綴ります。 ✉️ご感想などはお気軽にどうぞ 10yen.circle@gmail.com

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