また、明日。|第2話「最後の一行」
←📖はじめ(第1話)から読む
📖前の話 ← 第1話「十年ぶりの部屋」
制作担当の男は、すぐには質問できなかった。
「……どういう意味ですか」
佳乃は答えず、現在の台本を閉じた。
「初演の台本、誰か持ってる?」
「データならある」
圭介が言う。
「今のじゃなくて、一番最初の正式稿」
沙織が顔を上げた。
「私、ある」
直哉が笑う。
「あるんだ」
「捨てる理由がないから」
「10年前だぞ」
「10年前だから何?」
「いや、何も」
沙織が自宅の保存データを探している間、佳乃も鞄の奥から古い台本を出した。
表紙の角が丸くなっている。
「持ってるじゃん」
直哉が言う。
「これは私の書き込み用。途中で直してるから、正式稿と同じか確認したいの」
「相変わらず面倒くさいね」
「脚本家に言ってる?」
「褒めてる」
「聞こえない」
30分後。
沙織から送られてきたPDFがプリンターから吐き出された。
佳乃は最後のページを開く。
男が部屋を出る。
女がひとり残る。
合鍵を木皿へ置く。
短い間。
そして。
『女 また、明日。』
その下。
『暗転。』
直哉が横から覗く。
「あるな」
「あるよ」
佳乃が言った。
「書いたんだから」
制作担当は現在の台本を開く。
そこにはない。
『合鍵を置く。』
その次は、
『暗転。』
男はゆっくり圭介を見る。
「じゃあ、やっぱり三田村さんが……」
圭介は答えない。
佳乃が横目で見る。
「そうやって黙るからでしょ」
「何が」
「10年こうなってんの」
「俺が記事書いたわけじゃない」
「訂正もしなかった」
電気ポットが沸騰した。
直哉が立つ。
「コーヒー飲む人」
誰も返事をしない。
「そういう空気ね」
自分の分だけ作り、一口飲んで顔をしかめた。
誰も見ていなかった。
*
佳乃の私物の台本は、正式稿よりずっと汚れていた。
折れた角。
書き込み。
消した跡。
赤、青、黒。
「これ」
静香が言う。
最後の一行。
『また、明日。』
そこに一本、赤い線。
少し揺れている。
途中で筆圧が強くなり、最後だけ薄い。
圭介が佳乃を見る。
「佳乃」
「私の字」
「覚えてる?」
「覚えてる」
直哉が紙コップを持ち直した。
佳乃は赤線の端に指を置いた。
「消したかっただけ」
顔を上げる。
「消してなんかいない」
📖次の話 → 第3話「振り返った男」
📚『また、明日。』全10話一覧
