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【#創作大賞2026 #恋愛小説部門】紫水晶(アメシスト)25章、エピローグ(最終章)

     【#創作大賞2026 #恋愛小説部門 】紫水晶(アメシスト)

      25章、エピローグ(最終章)

            25章

     もし、このままコトがすんなりと運んだなら、俺と奴とはこれほど親密になることもなかっただろう。しかし、事件は起った。五月三十日を数日後に控えた日、奴にとっては人生そのものを恨みたくなるような事件が……

     はて、前方のホールにスーツ姿の若い男女が大勢いる。何かの集会らしい。全員整然と椅子にかけ、誰かの訓辞でも拝聴しているけしきだ。
     耳を傾けると、「新入社員の諸君」という声が響く。その方に歩を進めてみると、なんと訓辞を垂れているのは、遊園地の朝礼といったふぜいの、兎の頭部を持った痩身の男。面白そうなので、俺もつい後ろの空いた席に腰を落とし、兎男の話に耳を傾けることにした。

    「……兎に角、私は彼の娘が『花嫁人形』を口遊みながら廊下を歩いているのを見た瞬間、思わずふうちゃんだと思った。私は一気に忘れていた少年時代へと引き戻されたのだ。
     私は吹き溜まりような場末の長屋生まれで、極貧の環境に育った。大人どもからは常日頃悪童と罵られ、貝独楽だけが上手かった。ふうちゃんの家も負けず劣らず貧乏だった。皆より小さくて、何時も苛められていた。色の白い、悲しそうな大きな目をしていた。私はふうちゃんが好きだった。私の飲んだくれの親父は、ふうちゃんに近づくなと戒めた。そう。ふうちゃんは胸を患っていたのだ。私は、ふうちゃんの誕生日のプレゼントに、貝独楽を箱に詰めて全部あげた。其れは、私の全財産だった。そんなものでも、薬の足しになるかと子供心に思ったのだ。それでも、ふうちゃんは血を吐いた。同じ病気の地主の息子は、血なんか吐きはしなかったのに。私の憤りに対し、親父は吐き捨てた。貧乏人は死ぬだけだ、と。私は小金を貯めていると噂の骨董屋に忍び込み、金を盗もうとした。勿論、すぐに見つかり殴られた。親父からも散々殴られた。
     暫らく後に、ふうちゃんは死んだ。金さえあればふうちゃんは死なずに済んだんだと、私は泣いた。私は、金持ちになろうと決心した。
     斯くして、私は今の地位を得た。一流モデルを囲い、美人女優ともベッドを共にした。私は、人生の勝利者だった。然し、彼の娘のせいで、私はふうちゃんのことを思い出してしまったのだ。私のお嫁さんになることだけが夢だと言って、何時も『花嫁人形』を口遊んでいたふうちゃんだった。私が真に欲しかったのは、朝露の金でも、うつせみの権力でもない、紫のにほへる妹、ふうちゃんだったんだと気がついた。
     私は、彼の娘こそ、ふうちゃんの生まれ変わりだと信じた。其れでも、彼の娘は私を上司として以外一顧だにもしなかった。
     私は卑劣になった。緊急の仕事を装い、彼の娘を私のマンションの部屋に連れ込んだ。然し、彼の娘は直ぐに不安を顔に表し、逃れようとしたのだ。私はつい彼の娘の腕を捕らえ、この億ションを君にあげようと口走った。けれども、彼の娘は聞く耳持たぬ風情で、自分には好きな人がいると言って泣き、信じられぬ程の力もて私を振りほどいた。そして、過剰の力に勢い余り、自ら家具に頭を打って気を失った。
     私は慌てて娘をベッドに運んだ。目を閉じた娘の顔を見ながら、私はふうちゃんの事を思った。ふうちゃんが危ないというので、私は急いでふうちゃんの家に駆けつけた。ふうちゃんは粗末な蒲団の上、青白い顔をして横たわっていた。其れでも私を認めると、精一杯の笑顔を作ってくれたのだ。綺麗だった。私はふうちゃんの手を握った。ふうちゃんは目を閉じると、小さく呟いた。お嫁さんにしてね、と。私は、うんと答えた。ふうちゃんは二度と目を開けてくれなかった。
     目の前の娘を、私はふうちゃんだと信じた。約束どおり私の花嫁になったんだと思った。私は、娘の服を脱がせた。真っ白なシュミーズは、私の目には新床のふうちゃんの着る純白の長襦袢に見えた。ふうちゃん、ふうちゃん。そう呼び掛けながら、私は娘の未だ子供っぽい唇に口付けをし、掌に納まるほどの乳房を壊れ物のように愛撫した。其れから、其の固い恥じらいを宥め……嗚呼、然し、その時私はあまりにも少年でありすぎたのだ。私の聖なる欲望は、天女の羽衣に触れただけで虚しく散り……次の瞬間、娘は眉を寄せ、我に返った。そして、濡れた薄衣をもって、身に起った非常を誤解したのだ。娘は獣を見るように私を睨むや、ベッドから飛び降り、躊躇う気色だになくベランダまで走り、身を投じようとしたのだ。私は背後から娘を抱きとめ、妻になってくれと哀願した。女王にしてやるとも誓った。娘はちょうど苛められた直後のふうちゃんのような顔つきで、冷たく、いやですと言下に答えた。嗚呼。そんな馬鹿な事があるものか。其れとも、他に言うべき言葉があったのだろうか。然し、言葉は見つからない。私は苛立ち、無意識の裡に近くのネクタイを掴み、暴れる娘の首に巻き付けるや、キリキリと絞めていた。
     言葉なんかに出さなくても、ふうちゃんは判ってくれるはずなのに。ふうちゃんは何時も寂しい顔をしていたけれども、笑顔だけは明るかった。私も釣られて笑った。其れだけで、言葉なんかはいらなかった。
     やがて、娘の身体から急激に力が抜け、じっとりとした重さだけが残った。娘の頭がカクンと、操りさながらに仰け反った。大きな目は呪咀に見開かれ、既に言葉なく私を見据えている。これほどまでに美しく、それでいて憎しみに満ちた顔を私は知らない。私は娘をベッドに横たえると、拒絶の証たる口尻の赤い糸を拭い、目を閉じてやった。そして最後に、湿布に荒れたふうちゃんの喉のような絞痕をネッカチーフで隠し、速やかに地獄への踏み切り板たるベランダに向かった……」

     兎男はそこまで話すと、その赤い目が火を点けたように燃え上がり、涕泗(ていし)押さえがたく、嗚咽(おえつ)を始めた。そのまましばし耳を垂れていたのが、やがて気を取り直すけしきに顔を持ち上げると、口調を一変させて語り継ぐには、

    「……要するに、過去の感傷が私を犯罪者に追い込んだということだ。諸君。何故、私が斯かる醜態を披瀝したのか。私のような破滅の道を、諸君には進んで欲しくないからだ。現代は欲望の時代だ。蓋し、欲望は火山のエネルギーにも譬えられる。小さな噴火を繰り返している方が、其の山は一生を全う出来る。桁外れの大噴火をしてしまえば、其の山は一瞬にして跡形もなくなる。私のようにだ。
     いや、私にして小さな噴火を効率良く続けてきたはずだった。然し、知らぬ間に過去の感傷が柵となって、夥しいエネルギーが蓄積されてしまったのだ。但し、諸君の中には私程の貧苦を嘗めた者はいまい。誠に幸せの時代に諸君は生まれたわけだ。旨いものを鱈腹食い、好きな装いで気取り、大学という高級遊園地に遊び、愛のないスマートな交尾を楽しみ、痛みのないしなやかな恋に笑い、そうやって欲望の垂れ流し……もとい、欲望の賢い消費を続けてきた。
     そして今、諸君は社会人としての一歩を歩み始めたわけだ。諸君に与えられた欲望のクレジットカードを是非とも、上手に使ってもらいたい。其の為には、彼の忌まわしきイデオロギー、即ち『掛け替えのない』という気違い沙汰を一切かなぐり捨てるべきだ。いや、諸君は賢明だから、そんな事は百も承知だろう。百円の値の物に、百万を投ずるような愚行だからだ。
     デスクのみならず、心の中にもコンピュータを持つべきだ。人間が機械に成り下がってゆくのが嘆かわしいなぞとほざく、時代に逆らった愚昧なる文明批評に惑わされては断じてならない。最後に言おう。破滅に向かう弱い人間であるよりは、強かに生き残れる優秀なる機械たれ!」

     万雷の拍手が轟き渡る。兎男は恭しく一礼すると、演壇から降りた。ついで、傾聴していた新入社員どもも立ち上がり始める。
     とたんに、笛の音。見れば、社旗を手にした男が呼び子を口に手を上げ、小学生を引率する教師さながらに集合を命じている。新入社員どもは素直に先導され、整然と行進に移る。そのさきを目で辿ると、地上への上り階段が見える。
     俺はほっと胸を撫で下ろしつつ、新入社員どもの隊列の最後尾に少し距離をおいてついた。じきに、隊列の全員が地上の光の中に消え、後についた俺がようやく階段に足をかけようとした瞬間、何者かが俺の襟髪を掴んだ。驚いて首をねじると、ついそこにガードマンの制服に身を固めた屈強な老人が立った。ムッと口を閉じた赤ら顔の、てっきり赤鬼のふぜいながら、その横柄な態度に業を煮やし、
    「何しゃがる!」
     俺の強い口調に臆することもなく、赤鬼が答えて、
    「きさまはこの階段を上ってはいかん」
    「どういうことだ。俺は地上に出たいんだ」
     抗弁しつつ階段の上方を見上げると、新入社員どもの姿はなく、知らぬ間に夕暮と思われる鈍い光が淀んでいる。
    「そうか。きさまはまだ新米だな」
     赤鬼が若干手の力をゆるめて語りかけるのに、その意味するところを計りかねて、
    「新米だと……?」
    「今に判る。きさまが行くのは、こっちの道だ」
     赤鬼はそれなりに表情を和らげて、指を差した。
     その方は、どこまで続くとも知れない地下街の廊下であった。すべての店舗はすでにシャッターを下ろしていて、あたりに人影はなく薄暗い。

     俺がしばしその方に気を取られていると、不意にガラガラという音が背後に鳴った。振り向くと、かの赤鬼のやつ、階段の上がり口にシャッターを下ろし、手際良く鍵を閉めている。なんてことだ。しかし、俺が食って掛かるよりも早く、赤鬼はスウッと壁の中に掻き消えた。
     そこには大きなポスターが貼ってあり、虎皮の褌(ふんどし)いかめしい地獄の獄卒が腕を組んでこちらを見下ろしている。むき出した牙の隙間からはどす黒い血が滴り、足下には食いちぎられた兎の耳とおぼしき肉片がよじれている。
     炎を模した文字に目を走らせると、

        中有商会 仲介その他 秘密厳守

     俺は止むを得ず、階段を諦め、がらんとした廊下を進み始めた。

     実を言うと、俺が奴と昵懇の間柄になったのは、大神専務とりん子との無理心中の後、しばらくたってからのことだ。
     奴は毎日、自ら綴った手記を手に、りん子との出会いから死に至るまでの経緯を細々と俺に聞かせるのだ。悔恨の念に打ち震えながらも、奴の目の焦点は雲の彼方を見やるにも似て、まるで日常からずれている。からだ付きも以前の猫背に戻ってしまい、いっそ老人に近い。りん子の写真はもう見るのがつらいせいか、抽斗の奥に仕舞ったきりだそうだ。それでも、時々追慕痛々しく、ハーモニカを吹いたりする。

     とにかく、奴は図々しく、いつだって俺の部屋の洋服箪笥の鏡の中にいて、動こうとしないのだ。俺が右手を挙げれば奴は左手を、俺が左手を挙げれば奴は右手を阿呆のように挙げる。まさしく正反対のタイプとはいえ、今では一卵性双生児の弟を見るようにも思える奴のことだ。その心痛を配慮すればこそ、俺とて時間を割いて奴に付き合い続けてきたわけだが、如何せん慰める言葉も尽きたようだ。しかも、近々リストラの煽り理不尽にも、唯一残っている地方のアナログ玩具の下請け工場に左遷の憂き目という。
     ところが、その奴がここ二、三日のうち、一つの悟りでもひらいたよう決然たる相貌に一変したのだ。そう。懺悔し、悔悛した、死せる者への奉仕者として。力及ばす、どうやら、俺の出番も終わったらしい……

     俯きながらぼんやりと歩いていたのだが、ふと水の流れる音を耳に我に返り、何気なく頭を持ち上げてみると、あたりはいつの間にかすっかりと暗くなっている。
     やがて、前方に、針の穴からでも覗いたようなほんのりとした光が揺れた。その方に向かって歩度を早めると、しだいに闇が散り、光が広がるにつれ、切り抜かれた影絵にも似た森が迫った。空はベールで覆われたように薄暗い。日没なのだろうか、それとも明け方なのだろうか。
     じきに、豁然とけしきが開け、森の手前を流れる小川が目に入った。川面は砕いた宝石を撒き散らしたようにキラキラと光っている。遠くに小鳥の囀りが聞こえ、乳白色の靄が少しづづ晴れてゆく。川の手前には一本のうつろな丸太がさながらベンチのように置かれ、しかもそこに一人の浴衣掛けの娘が後ろを向いて、てっきりデートの相手でも待つようちんまりと座っているのだ。
     清潔に結い上げた長い黒髪……細い首筋にもやっている後れ毛……その窄んだ肩……胸苦しくなるほど、懐かしい……

            ※ エピローグ

     開けっ放しの扉。空っぽのリングケース。部屋には誰もいない。夜の吐息のような風が窓のカーテンを揺らし、放り出されたノートの頁をあおる。
     鏡は、そんな静けさを背景に、カレンダーの懸かった壁ぎわにまで広がる床の上の、まだ生々しい血溜まりをただ無表情に映している。

                    (了)

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    左脳デジタルの時代ながら、基本、右脳アナログ人間です。 シンギュラリティーが目睫に迫ってるとはいえ、いっそ迫っているからこそ言葉に魂を込めて、文章を綴ってゆく所存です。 雑文、エッセーから小説まで……綴ることしか能のない身ですが……

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