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咸寧3年(401年)に第3代天王の呂纂が呂隆の弟の呂超らによって暗殺されると、呂超らに擁立されて即位した。しかしこのように不安定な地位のために天王としての力は無く、神鼎3年(403年)に後秦の文桓帝姚興による侵攻を受けて後涼は滅亡し、呂隆は文桓帝に降伏して長安に連行された。
弘始18年(416年)、文桓帝の次男であった広平公姚弼の謀反に巻き込まれて、病床にあった文桓帝の命令で殺害された。
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呂光386-399 / 呂紹399 / 呂纂399-401 / 呂隆401-403
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