
NO.1 2011.11.13
<ネフェルティティなど聴きながら>マイルスはとにかく、新しい音楽がやりたかったのだろう。
今まで誰ひとりやったことのなかった音楽。
それがたとえジャズではなくなってもかまわなかった。
フォービートでスタンダードを演奏する、そういうスタイルがジャズなら既に飽きていた。
新しい音楽のスタイルを自分の手で作り出す。
誰にも文句は言わせない。
ここまで行くのにはさすがのマイルスにもそれなりの苦労があったに違いないが、とにかくそこを突破して自分の好きなことをやる権利を手にした。
ポップスの世界にはよくある話でも、それをジャズでなし得たマイルスは凄い。
プール付きの家に住んだ唯一のジャズマンと言われたマイルス・デイビス。
これは成功した者にのみ許された商業録音だ。
ただ、彼にとっては既にどうでも良い事であったにしろ、やはりこれはジャズから遠ざかっていく音楽だった。
この後のマイルスはその道をどんどん進んでいき、ついにはジャズメンですらなくなっていった。
当時のレコード会社ならびに関係者にそんな事を指摘できる訳はもちろんなく、言いたいこと(があったかどうかはわからないが)など言えないのは評論家も同じであり、一般のファンを巻き込んで有り難くマイルスの新しい音楽を拝聴していた。
今となってはマイルス・デイビスの新しかった音楽を聴く人はあまりいなくなった。
時間というろ過装置を通過した後、マイルス・デイビスはどこか滑稽で少しもの悲しい。

NO.2 2011.11.14
<サムシンエルスな出来事>大御所なのである。
マイルスが一音プッと吹くだけで周りの者どもは「まいりました・・」となるわけだ。
一番手でソロを取り、アッと言う間に自分の世界を作ってしまった。
これではいくらキャノンボール・アダレイがリーダーだと言ったところで誰も信じはしない。
マイルスはアルフレッド・ライオンに対して、借りがあるという意識がいくらかでもあっただろうか。
少しはあったのだろうと思う。
だが、これ一枚できれいに清算出来てしまうあたりがお坊ちゃんらしい。
そしてそこはやはり契約の国であり、ミュージシャンとプロデューサーの関係を如実に物語ってもいる。
ジャズとてビジネスなのである。
何はともあれ、多くを語る必要のない大名盤であることには一切異存ない。
B面を聴いている時地震があったようだ。
「ようだ」というのは体感がなかったからで、
しかし針が飛びまくり、スピーカーから身も凍るようなノイズを発生させたが、幸いにして盤も針もスピーカーも無事だった。
しかしながら、これがもっと大きなユレならどんなことになるのか。
桑原、桑原・・・
3.11では多くの人命、財産は言わずもがな、貴重なレコードも多数失われたことであろう。
実に不謹慎な物言いではあるが、それらも改めて弔われて然るべきであると思う。
レコードには何十年も前に演奏された「音」が吹きこまれてもいるが、同時に「魂」もまた記録されていたのだから。

NO.3 2011.11.15
<ゲッティン トゥゲザーの光と影>57年の「ミーツ・ザ・リズムセクション」に続き、マイルスのリムミセクションとの共演となった。
前作でのレッド・ガーランドからウィントン・ケリーへ、フィリージョー・ジョーンズからジミー・コブへの交代となっている。
「ミーツ・ザ・リズムセクション 2」とすればもっと有名になったかもしれないが、コンテ・カンドリが3曲参加しワンホーン物ではなくなったため、「・・・・2」とはいかなかったのか。
ジャケット写真は57年の方がずっと男前で、
3年後の本作ではなんだかトラックの運ちゃんのようだ。
久々にA7でペッパーを聴いた。
新スピーカー導入以来すっかり出番を失っているA7であるのだが、機嫌を悪くする事もなく朗々とアルテックは鳴った。
レンジの狭いカマボコ型の特性はJAZZという音楽、それも比較的古い音源に向いている。
アート・ペッパーは前期・後期に分けられ、前期のみ良しとする比較的多数派と、岩浪氏のような全期肯定派に分かれるが、私は未だに結論を出せずにいる。
彼を二分したものは間違いなく薬物である。
当時のジャズメンに蔓延したと思われる薬物であるが、現在のミュージシャンにそのような話はあまり聞かない。
だからなのか、近頃のジャズはとても健康的に響くのである。
かつてジャズは薬漬けで、不健康で、けしからん所だらけだったが、ブルー、それも薄汚れた濃いブルーが似合う夜の音楽だった。
今はどうだろう。
ジャズの舞台は白けるほどの真昼間かもしれない。
いや、それは多分先入観に過ぎないのだが、最早少なくともブルーではないとは思うのだ。
現在のジャズには影ができない。
それが薬抜き故のことなのかどうか、
それもまた私には結論を出せない事柄である。

NO.4 2011.11.16
〈グレート ジャズピアノ 静かなる狂気〉フィニアス・ニューボーンJr.を初めて聴いた時はその技巧に驚いた。
今日ではこれくらいのテクニックを持つピアニストならいくらでもいるし、過去にもいた。
しかし、彼のピアノはどこか人と違うのだ。
それぞれ別の人格を持つかの如き左右の手によって描き出されるところの、そのモザイク画のような彼のピアノに一時期ハマってしまった。
京都の安アパートに持ち込んだシンプルな装置で私はフィニアスを聴き続けた。
何度も繰り返し聴いたせいだろうか、
いつの間にかそれらのフレーズを自分が弾いているような錯覚すら覚えるほどだった。
言っておくがピアノはLET IT BEのイントロしか弾けない。
ヘビーローテーションで酷使され、真夏の西日に焙られて変形するのではないかと恐れたレコード盤は、意外と何のダメージもなく今も健在である。
フィニアスにあまり華やかなイメージはない。
どちらかと言えばツキのない人生ではなかったか。
彼は精神病を患い、そのため録音の機会は少なかっただろう。
また少し体調の良い時期でも、まとまった曲数を録るのは難しかったのかもしれない。
それ故か本作ではAB面のセッションが異なる。
B面は「ザ・ワールド・オブ・ピアノ」のB面と同一セッションであるとのことだが、それならば同一セッションで一枚を構成したら良かったのではないだろうか。
また、本作はB面の方が明らかに録音が良い。
同じスタジオで同じエンジニア(ロイ・デュナン)が録っても、日付が異なればその出来栄えも大きく異なるもののようだ。

NO.5 2011.11.17
<フィックル ソーナンス 移ろいゆくのはジャズだけではない>私にとってジャッキー・マクリーンがジャズを象徴していたあの頃のこと、ライブに行きトイレで本人とばったり会ったのである。
マクリーンは私をじろりと一瞥し、手など洗って立ち去った。
私は固まり、それを見送ったのだった。
その日予定されていたドラマーのビリー・ヒギンズが体調不良で無名の若者と代わり、前の男が不満を鳴らした。
だが、私はその時ビリー・ヒギンズを知らなかったので、この男は何を文句など言っているのか、ジャッキー・マクリーンさえ出れば問題ないではないか、などと思ったものである。
ドラムなど誰でも良かったのだ。
その頃ドラムという楽器そのものが嫌いだったというのもある。
触ったことがある人にはわかると思うがこの楽器、びっくりするくらい大きな音が出る。
これに比べたらピアノの音など小さい小さい。
そんなピアノであっても騒音問題で、時として殺人事件にまで発展することがある。
ドラムを一般家庭で叩こうものなら、
どんな大事件が起きるかわかったものではないのだ。
そのドラムをたとえば小さなライブ会場で、ここを先途と打擲する場面を想像出来るだろうか。
それはもう、たまったものではない。
それにあのドラムソロというやつが嫌いだった。
ライブでドラムソロが始まると舌打ちしたものだし、予定調和的拍手を送るお人好しが信じられなかった。
だが、その後私は改心し、熱心なドラム好きとなった。
ジャッキー・マクリーンも勿論ジャズを象徴する存在であるが、ビリー・ヒギンズとて負けてはいない。
本作ではソニー・クラークがピアノを弾いている。
なんという豪華メンバーであることか。
だが、当時はこれが普通だったのである。
皆ブルーノートの常連だった。
昔はよかった、と言いたくなるのも無理はない。
そして今ではみんな亡くなってしまった。

NO.6 2011.11.18
〈ケリー ダンサーズ 小さな巨人〉ジョニー・グリフィンの作品中これが一番好きだ。
ハッシャバイ、そしてロンドンデリー・エア(ダニーボーイ)もいい。
グリフィンの小柄なあの身体のどこから、あのようにぶっとい音が出てくるのか不思議だった。
蛙の子は蛙とはよく言ったもので、全ての生物はほぼDNAに既定された存在だ。
どんな顔に育ち、身体はどれくらいの大きさになるのか、どんな声を出すのか、指先はどれくらい器用に動かせるのか、それらは恐らく最初の細胞分裂が始まった時既に決まっている筈だ。
身体の大きさに従って扱える楽器も限定されてくる。
だからテナーサックスを吹くというDNAがあるのではないかと思えるほどである。
グリフィンと、たとえばロックジョー・デイビスが並んだ写真など見ても、とてもじゃないがこの二人が同じ楽器を操るとは思えない。
テナーサックスは相当重い。
小柄なグリフィンがなぜアルトではなくテナーにしたのか。
それは何事も大きさだけが全てではない、ということなのだろう。
そうでなくては面白くない。
ミシェル・ペトルチアーニのような天才ピアニストだっていたのである。
スポーツもそうだ。
大きな選手ばかりが活躍するようではつまらないではないか。
昔、ケン・ローズウォールという小柄なテニス選手がいた。
大男のロッド・レーバーを負かして涼しい顔をしていたものだ。
バルセロナのメッシ然り。
牛若丸は弁慶を手玉に取った。
小が大を退けるのはいつの世にも痛快だ。
グリフィンは2008年の7月、フランスの自宅で亡くなった。
享年80歳。長生きした。
70年代以降、グリフィンはどこで何をしていたのだろうか。

NO.7 2011.11.19
<バードランドの夜VOL.3 時を越え沸騰する夜>1954年冬、ニューヨークのライブ録音である。
ブルーノートの倉庫番マイケル・カスクーナが発掘した未発表集で、70年代に発売された。
音質は芳しくないが内容は充実していてる。
クリフォード・ブラウンはもちろん良いが、特にルー・ドナルドソンに驚かされる。
この人物、後年のイメージは別物だ。
終始炎のようなソロを繰り広げる。
ホレス・シルバーのピアノが遠い。
ライブ録音黎明期のこれが限界かと思ったら、ソロになったらちゃんと寄っている。
いったいマイクセッティングとかはどうなっていたのだろう。
ミキサーを使いマルチマイクで拾い、それらを最終的にモノラル録音にしたということか。
ハード・バップが生まれた夜と言われたり、いや、ハード・バップの前夜祭だと言われたりするがどうなんだろう。
「新しいジャズ」ということなら、本作を現代の新録、たとえばクリス・クロスあたりの同一編成バンドと比べてみれば、これはもう古臭くて問題にならないのであって、現代は既にハード・バップと決別している事にもなる訳だ。
本作を聴いて古さを感じるとすれば、原因はアート・ブレイキーのドラムにもあるだろう。
現代のドラマーとはエラい違いだ。
マイクセッティングも全然違う。
こればかりは残念だがどうしようもない。
アート・ブレイキーという人、ルックスで相当損をしている。
ニコニコと愛想が良いのは一般的に悪いことではない筈だ。
しかし、悪いがどうも知性が感じられない。
同じニコニコでもサッチモにはドスを呑んだ凄味がある。
ブレイキーときたら吉本の坂田利夫みたいだ。

NO.8 2011.11.20
〈マタドール ジャズメンに年金を〉ジャケットの割りに内容はまともだ。
ジャッキー・マクリーンとボビー・ティモンズの参加が大きい。
下手をすればフラメンコ、良くてフュージョンか何かにカン違いされそうだが、レッキとしたジャズである。
ジャケットの割りに内容がまともなレコードというものは時としてある。
「デモンズ・ダンス」なんかもそうだが、ジャケットと内容が身も蓋ないくらいピッタリな場合もある。
「ビッチェズ・ブリュー」なんかがそうだが、ジャケットはオドロオドロシイが中身は普通かそれ以下、というのは困りものだ。
日本の某CD会社が出した諸作。
ミュージシャン本人はもう大抵お爺ちゃんだが、ジャケットにヘアヌードがあしらわれている。
何を思っての採用なのかじっくり聞いてみたい気がする。
女の裸は何もジャズのジャケット写真で見なくても良いのではないのか。
こっそり一人でいくらでも見られるご時世だというのに。
週刊誌各社が競ってその手の写真を載せた頃であっても、表紙には使わなかった。
CDのジャケットとは表紙であろう。
あんなジャケット写真ではミュージシャンだって困るではないか。
だが、幸いにもジャズのCDなどというものは極少数しか売れず、世間の耳目を集めるような事もないので、実際にはあまり知られていないのだろう。
年金定期便とかいうものが来た。
現時点で想定すべき65歳時の年金額が140万とある。生活できるわけがない。
これは以前の会社がインチキした結果なのだが、それはもう思い出したくもない。
今後65歳まで働いたとして年金額を200万まで上積みできるだろうか。
その前に死ねば何の問題ももちろんないのであるが。
最近は年金問題で何かと騒がしいが、低負担の場合には低福祉だし中負担なら中福祉、これは当然なのであって低負担で高福祉などありえない事は子供にもわかる。
個人的には中福祉などと中途半端で貧乏臭いことを言わず、北欧型高負担・高福祉社会が良いと思っている。
そのためには消費税が20%を超えようとも致し方ない。
そうすれば月最低6万円の年金保証だとか、そんな人をバカにした話もしなくなるだろう。
月6万円でどうやって人並みの暮らしができるというのだ。
消費税というやり方はかなり公平な課税方法だと思う。
少なくとも所得税が高いのよりはマシであろう。
税金というやつは、国家を運営していく上で必要な経費の分担金である。
一人いくらの定額制(つまりバイ・ダッチ、割勘)が本来の姿なのであって、たくさん稼いだからたくさん負担するというのはどこかおかしい。
マンションの管理費を所得に応じて負担はしないのである。
まして累進課税などされては頑張って稼ぐ気がなくなるというものだ。
ジャズメンは今も昔も基本的に貧乏だ。
高名なミュージシャンが本業でさっぱり食えず、副業に精を出さざるを得なかった話はいくらでもある。
デューク・ジョーダンはタクシードライバーをしていたし、ジャッキー・マクリーンは教師をしていた。
これはやはり悲しい話だ。
経済的にもう少ししっかりしていれば彼らは、もっと多くの素晴らしい作品を残したかもしれなかった。
年金などというものもきっとなかっただろう。
それでも好きでやっていた事だから、たとえ金はなくとも満足感はあった事だろうが、彼らの暮らし向きが実際どうだったのか、大変気になるところだ。

NO.9 2011.11.21
〈ケリーブルーな常時通電〉ビバップとハードバップの違いは、要所でかっこいいキメアレンジが施されているか否かにもある。
名曲、名演として長く残るには、そこのところがあるなしで大きく違ってくる。
ケリー・ブルーのかっこよさも、ある意味ではアレンジの巧みさによるものであり、一概にジャズの本質をソロだけに求めるべきではないのがわかる。
つまり両方必要なのだし、双方かっこよく決まらなくてはならないのだ。
たいへんな事だと思う。
スーナーケーブルを入手してトランス>フォノイコライザー間に使用してみた。
これはいい。
もっと使うか思案しているところである。
現在フォノイコライザーは上杉研究所のU・BROS-20を使用中だ。
本機は遠路到着した時本体ケースを留めるネジが一本脱落していたのであるが、あわてて上杉研究所に電話して事なきを得た。
後日のこと、出し抜けに右スピーカーの音が出なくなり、青くなって色々調べたらU・BROS-20の右側端子が接触不良を起こしていた。
この時も電話で対処してもらった。
実は対応していただいたのは二度とも社長の上杉佳郎氏ご本人だったのだ。
雑誌STEREO SOUNDの執筆者もしておられたので、ご存知の方も多い事と思う。
この業界では有名人であるが、割りと気軽にオーディオの電話相談など受けておられたので、私もその後何度か相談に乗ってもらったものだった。
去年の夏頃だったろうか、「常時通電」についてご意見を伺った事があった。
U・BROS-20の電源を入れっぱなしにしたいが問題があるかないか、という質問に対し上杉さんはこうおっしゃったのである。
「電源入れっぱなしが良いなどというのは、都市伝説的オカルトに過ぎません。
電源を入れて10分もたてば、電気的には安定し、それ以上良くも悪くもなりません。
電源常時ONはパーツを劣化させるだけで何ひとつ良いことなどありはしません」
オーディオの世界には常時通電神話というものが確かにあり、そのように製作されている製品すらある。
私が現在使用中のプリアンプやチャンネルデバイダーやCDプレイヤーには、電源スイッチというものがそもそもない。
常時通電を原則として作られているのである。
節電もへったくれも、そこには一切ない。
であるから、夏場などはそれ相応の発熱をし、故にエアコンが活躍するという、神をも恐れぬ垂れ流し状態となっている。
言わば電気の源泉かけ流しである。
震災直後にはさすがに気が引けたものであった。
上杉さんの説が正しいかどうか、電気のデの字もわからない私には何とも言いようがないので困る。
その上杉さんが昨年の12月、肺がんのため他界された。
急なことであった。
尚、U・BROS-20に常時通電はしていない。

NO.10 2011.11.22
〈エレガント ジプシーと高速悪魔の戦い〉もちろん、これはジャズではない。
解説の野口久光氏が、そんな事を考えるのは了見が狭い由語っておられるが、幾分の疾しさを感じさせなくもない。
この時点ではまだ「フュージョン」ではなく「クロスオーバー」だった。
クロスオーバー・イレブンなどというFM番組があった頃だ。
マイルスがビッチェズ・ブリューなどをもって始めたものだが、ジャズがたとえばロックと合体したもの(ジャズロックとはまた違う)で、当時確かに新しく感じたし、それなりに魅力もあったのだ。
それがいつの間にかフュージョンとなり、今となってはほとんど誰も聴かなくなってしまった。
中古レコード店などに行けば、フュージョンは餌箱ではなく段ボールに入れて隅っこの床に置いてある。
たいてい一枚500円だ。
だが、それでも売れないのだろう。
ある時京都で見たのだが、クルセイダースのレコードは「タダ」だった。
店の外に置かれ、どうぞご自由にお持ちください、となっているのであった。
音楽をこんな風に扱ってはいけない。
アル・ディ・メオラを初めて聴いたのは多分チック・コリア(リターン・トゥ・フォーエバー)のアルバムでのことだったと思う。
最初から上手かった。
とにかくひたすらに上手いが「スペイン高速悪魔との死闘」とはまた凄いことだ。
だが、アルのイメージかもしれない、この高速悪魔というのは。
他にはパコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリンとのライブ盤一曲目でやっていた「地中海の舞踏」をパコとのデュオで演奏している。
かつて私もギターを弾いたことなどあったが、同じ人間だというのにこれ程も違えばいっそ清々しい。
私と同年輩のアル・ディ・メオラだが、今頃どうしているのだろう。
元気で活躍し、昔のように指はまだ動くのだろうか。
一聴それと判るヤン・ハマーが、過ぎ去った時の大きさを感じさせる。

NO.11 2011.11.23
<Fried Pride & Fried Buildings>2001年の録音。
9.11からもう随分たったのだ。
だが、そんな気はしない。
私はあの時、場末の居酒屋で飲んでいた。
カウンターで焼き鳥など頼んで、誰かを待っていたような気がするが、もう覚えてはいない。
割烹着を着たおばちゃんが少し熱すぎる燗酒を、時折思い出してはお酌してくれた。
私は放っといてくれればいいのに、と思いながら仕方なくおばちゃんにも酒をついでいた。
そんな店だから10インチくらいのテレビがつきっぱなしで、手持無沙汰な男達が時折なんとなく画面を名眺めていたのだと思う。
そのうち誰彼となく店内がザワつきだしたのだ。
はじめは何か悪ふざけの類だと思って見ていた。
いきすぎたジョークをイギリスなどのテレビは平気でやる時がある。
だが、それはどうも違っていた。
何かとんでもないことが起きている。
異常な緊迫感が少し酔いの回った頭に警報を鳴らし始め、次の瞬間大きな旅客機が青空を背景にして巨大な摩天楼に突き刺さっていった。
男のギターと女のボーカル、こういうのは大抵デキてる。
たしか寺島師匠の言であった。
SHIHO(VO)と横田明紀男(g)の関係がはたしてどうだったのか。
残念ながらそれについては確認できないが、10年後の今も一緒にやっているのなら、案外良好な関係であろうという点については特に異論はない。
この世界、CDデビューするというのはもう夢のような話である。
フライド・プライドがだから全力投球しているのがわかる。
SHIHO嬢がどのような人物か私は知らない。
しかしもしかしたらこのようなドレスを着てジャケットに写るのは嫌だったのかもしれないのだが、たとえそうであったとしても、この際プロデューサーの言う通りにした。
でも胸は小さい。
買ったのはこの一枚きりで、買い足す予定も今はない。
このでデビュー作、結構良く出来ている。
ただもうこれで充分という感じだった。
次も聴いてみたいという気にはなれなかったのだ。

NO.12 2011.11.24
<ビューティフル ラブなあの日の通天閣>澤野作品である。
タイトル曲「ビューティフル・ラブ」「インビテーション」「ララバイ・オブ・リーブス」と馴染みの曲が並ぶ。
とんがったところなどミジンもない。
それはそれで確かに心地良い。
しかしジャズってそんなものだったか?
ぬるい。
それが言い過ぎなら、冷静だと、終始冷静と言っておく。
今年9月、澤野商会を訪ねた。
澤野商会は大阪、通天閣界隈の商店街で履物屋さんを営んでおられる。
そこへなぜ?とジャズに興味のない人は思うだろう。
澤野さんは商店街で履物屋をやりながら、ジャズのCDを作り販売しているのである。
では、そこへ何を求めて行ったのだろう。
物見遊山というわけでもなく、ジャズファンの間で有名な澤野由明さんに一度お目に掛かり、話がしたかった訳でもない。
実際私は基本的に人と話すのが苦手である。
何を話せば良いやら困ってしまうのだ。
え?あなたもそう?
では何だったのだろう。
旅の勢い、とでも言えばいいのかもしれない。
遠方から来たと言えば、そうそう手荒には扱われまい、というのもあった事だろう。
ただ、訪ねてみれば案の定、話すことなど特になかった。
御社のCDをたくさん持ってます、ハーそうでっか・・・これで終わりで後はどうして良いやらわからなかった。
こんな客では澤野氏も困ったのではないだろうか。
仕方がないのでスキーの話や、震災以降観光客が来ない話やらを無理にして、CDを一枚買い逃げ出すように帰ってきた。
人とのコミュニケーション能力に問題がある。
人を楽しませることも、自分が楽しむことも難しい。
だから人といるのが苦痛だ。
そんなこんなで、こんなに酒浸りの人生となった。

NO.13 2011.11.25
<When Your Lover Has Gone 恋去りしとき>1994年の録音で、これがオリジナルジャケットだ。
ビーナスから再発されたわけのわからないジャケットとどちらが良いだろう。
非常に微妙である。
この後エディ・ヒギンズはビーナス原氏によって日本でのカムバックを果たしてゆく。
本作はそれら諸作よりも若い分タッチにキレがある。
だが、彼はほとんど無名であり、フロリダのホテルラウンジなどで細々と活動を続けていたようだ。
自分のアーチスト人生も先が見えたと感じた日もあっただろう。
それが後日、日本で突然売れたのだから、本人も驚いたに違いない。
人生わからないものだ。
テナーのジョン・ドーテンという人は本職がコンピューター関係の仕事だそうで、そうした事はジャズの世界では特別珍しい話ではない。
そして様々な意味で気分の良い話ではないのもまた事実である。
なろうと思えば楽に成れたというテニスコーチを選ばず、スーツを着て仕事がしたかったと語った知人を思い出した。
思えばこれを買った当時私はCDのヘビー・リスナー(というかヘビー・バイヤー)だったが、棚が満タンになったとの理由により購入をためらうというのもいかがなものか。
気分の良い話ではない、という意見も当然聞こえてきそうな感じだ。
これを聴きながら島田荘司氏のエッセイ集「ポルシェ911の誘惑」を読んでいる。
エディ・ヒギンズは読書の邪魔をしないのが美点である。
この本が書かれたのはプラザ合意(85年)の頃で、本作よりもさらに時代が遡っている。
その頃日本は今よりもずっと楽天的で元気があり、ベルリンは西と東に分かれていたし、北京市民の主たる交通手段は自転車であった。
四半世紀の時を経て、いまや冷戦はとうの昔に終わり、日本は中国の後塵を拝しかねない有様となっている。
時代というもの、時の流れというものの凄さをつくづく感じさせる。
中国繁栄のきっかけを作ったのは鄧小平による市場経済化であった。
そして日本不調の始まりは総量規制や金融引き締めによる急激な信用収縮によったのであるが、どちらもやってみるまで結果など分かりはしなかった。
物事は理屈通りにゆくものばかりではない。
その点では今のEU問題も同様で、どのような方向へ行き、どう収束するのか今の段階では誰にも分らないといった方が早い。
それはTPPも同じことだ。
さあ、どうする?

NO.14 2011.11.26
<ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ VOL.1 美貌はプライスレス>ドイツ人美形ピアニスト、ユタ・ヒップによる幻の名盤ということになっている。
美人、美人というがそれほどのものか。
ピアノもいたって普通だ。
評論家レナード・フェザーがわざわざドイツから連れてきて録音させるほどのものにはとても聴こえてこない。
今なら大西順子や山中千尋、三輪洋子といったもっと良い「美人」ピアニストがこの日本にも大勢いる。
時代が違うと言えばそれまでの話になるが、後から考えれば本作がブルーノート栄光の1500番台に存在しなければならない理由もない。
まあ、そうは言っても1500番台も始めの方は、SP音源や10インチの寄せ集めで構成され、内容的にも必ずしも納得のいくものばかりではないのだが。
12インチLPの時代到来により、ブルーノートとしても早期にカタログを充実させる必要があった。
本作もそういったものの一枚なのかもしれない。
「ドイツ人」「女性」「若い」「(比較的)美人」ジャケットの行間にそういったキーワードが隠れている。
当時アメリカのジャズファンは、そんな彼女をどのように聴いたのだろう。
異国の地で心細気な若い女性がいれば、応援したくはなる。
多分それだけだ。
スィングジャーナルの1993年5月臨時増刊号「新・幻の名盤読本」によれば本作の幻度相当高く、それをRVGリマスターで安く入手できるというのは、良い時代に、あるいは味気ない時代になった。
ところで何故本作の幻度が高いのかといえば、それは当時売れなかったからなのである。
どれくらい売れなかったのか。
これは想像になるが、ブルーノートが当時売った総数といえば多分良くて千の単位だ。
つまり、そもそも市場に出回らなかったから、その後何十年と年月を経てのち健在な玉数が絶対的に少なく、今や程度の良いオリジナル盤などには滅多にお目にかかれない事態となっている、という話に過ぎない。
それ故目の玉が飛び出るようなプライスタグが付けられるのであって、必ずしもそれが内容の充実ぶりを保証するものでない事は、多くの高額オリジナル盤と同様である。
その後のユタ、インフレ気味の声援も次第に小さくなり、失意のうちに帰国したようだ。
我が国におけるベッツィ&クリスのようなものかもしれない。

NO.15 2011.11.27
<ベイシーの大爆発>原爆のキノコ雲を使ったこのアルバムのジャケットに違和感を持っていた。
アメリカの傲慢がキノコ雲の向こうに見える。
ベイシー本人を含め関係者は日本国と日本人などに殆ど関心がなく、従って配慮の必要性を一切意識していない。
たとえば日本人ミュージシャンがいて、レコードジャケットに旅客機が貿易センタービルに突入し爆発する写真、いや、そうではないな、ゼロ戦が戦艦アリゾナに魚雷をぶち込む写真を使ったとする。
それを彼らが看過するだろうか。
日本人は少しばかりお人好しに、あるいは卑屈になり過ぎてやしないか。
彼らがどのように開き直ろうとも、あれは戦争犯罪である。
しかしながら残念な事ではあるが、この人類史上稀に見る残虐な犯罪行為を裁くには、次の戦争で彼らに完勝するまでその機会を待たねばならず、それはそう簡単な話ではない。
だが、どれほど時間が経とうとも、いつか必ず白黒着けずには置かない。
日本人ならこの事を忘れてはなるまい。
今はただ、明確な謝罪を要求する。
カウント・ベイシーという人がどんな人物であったか、それは残念ながら私には全くわからないが、少なくともこれを見る限り思慮深い人物であった筈はない。
もっともジャズメンであるのだから、それでオッケーだとも言えるのだが。
しかし、そのような扱いの同じ日本人でありながら、ニックネームなど賜って嬉しがっているのはどうかと思う。
アゴアシ付きで日本に呼び、下にも置かない対応を取ればニックネーム(それも何やらなさけないものだが)の一つくらい付けてくれるであろうが、それを家宝でもあるかの如く有難がっているというのでは、あまりにも矜持というものがなさ過ぎやしないか。
気前のいいタニマチに少しシニカルなあだ名を付けただけの話だろう。
自分の名を冠した店を営む店主に。
今年は冬の訪れがやけに遅い東北地方だという。
一度はその音を聴いてみたいと思っていた店があるのだが、有名人をとても大切にする店主なるも、無名の日本人に対してはエラく尊大な態度らしいからな。
やめておいた方がよさそうだ。

NO.16 2011.11.28
<イタリア流合理主義>カルロ・ウボルディ、イタリア人ピアニスト。
かっこいい曲を書く。
今もっともジャズが盛んなのはイタリアであるという。
アメリカはジャズを発明したが、もはや所有はしていないと言われる。
しかし、それにしてもイタリアとジャズは何かピンと来ない。
大丈夫だろうか、イタリア人といえば陽気で明るいというイメージだ。
陽気で明るいジャズもあるにはあるが、全部そうなら辛い。
しかし、行ったこともない私には良くわからないのであるが、イタリア人というのは本当にそうなのか。
「そうなのか」とはつまり、陽気で明るいか、ということだけれど、
セリエAのサッカーなど見て疑問に思ったものだ。
堅いのである。守備が。
それはカテナチオ(カンヌキをかける)と自ら言うほどで、徹底的に耐えて何はともあれ失点を避け、相手の隙を突いて得点し、1-0で勝つのが彼らの美学だという。
これが陽気で明るいサッカーだろうか。
いや、セリエAには外国人選手も多く、必ずしもイタリアの国民性を反映したものではないかもしれない。
だが、彼らのナショナルチームが青いゲームシャツを着て戦う対外試合は、さらに堅実なものとなっていたのである。
イタリア人というのが陽気で明るいかどうか、それは知らないが、非常に合理的なのはとりあえず間違いない。
目的に向かって遠回りしない人たちなのだ。
サッカーという極めて得点の入り辛い競技を合理的に戦うには、先ずは失点しないことだ。
失点しなければ負けることはない。
得点が目的ではない。
負けないこと。
勝つことはその次だ。
それがイタリア流合理主義サッカーという事なのではないか。
イタリア人と超守備的サッカーとジャズは依然としてどうも結びつき辛いが、優れた芸術にはまず先に、完璧なプランがあると考えれば多少納得もいく。
ジャズのソロは何も場当たり的に出鱈目に演るものである筈はなく、少なくとも頭の中に譜面が浮かんでいなければ、とてもこのような美しい音楽になどならないだろう。
そしてサッカーの試合というのは彼らにとってやはり芸術であり、最も美しい1-0への勝利へ向けて用意された完璧なプランが、カテナチオという譜面だろうか。
かつてマカロニ・ウエスタンとかいうゲテモノがあった。
本物のウエスタンには到底太刀打ち出来るものではなかったように思う。
だが、このマカロニ・ジャズは違う。負けていない。
少し分かりやすく作ってある。
ひとりよがりな辛気臭いオリジナル曲を並べて苦行を強いるようなことはしない。
これは意図的なものだろう。
加えて本作の収録時間、55分とコンパクトにまとめられている。
これも美点。
もう少し聴きたいと思うほどだ。
商業音楽CDのツボを押さえて合理的にまとめた秀作である。
2006年の録音。

NO.17 2011.11.29
<アルトゥーロ・オファリル 時を越えるパーフィディア>30年以上素姓のわからなかった「パーフィディア」を含む。
「青い麦」「青春の館」・・・知っている人もいるだろうが、私も中身はすべて忘れた。
ディスコ以前、「おどり場」とか言っていた場所でバンドが演っていた曲だった。
わけもわからないまま大人の世界に抱いた憧憬は、幻としておいた方が良かったのか。
「B♭」「モンク」「ドッコ」「アクト」「モジョ」「ミルク」みんな時の彼方へ消えていった。
レコードというメディアは耐久力があるが故、そうして全てが消えた後ですらそれがウソのようにリアルな残像を再現して見せる。
言って見ればヤボですらある物体である。
楽々と一世紀はもつであろうレコードに比べれば、このCDというやつは30年もつかどうかわからない。
出始めの頃3000円以上もした古いタイトルを陽にかざして見ると、物によっては細かな孔が穿たれている。
酸化によるものだという。
本作は2002年の録音であり、すでに10年が経過している以上、30年後にきちんと再生できるかどうか怪しいものなのだ。
その頃多分既に私は生きていないが、これらを引き継いだ子や孫やそれ以外の人達がどのような気持で聴くにせよ、実体験を伴わない音楽は時に空虚なものになる。
音楽は自分が生きた時代とともにあるべきものなのかもしれない。
だからCDは30年もてばそれでいい、そのような達観をもって作られたのであれば驚く他ない。

NO.18 2011.11.30
<PASODOBLE>ベース(Lars)とピアノ(Leszek)のデュオ。
坦々と進行する。
決して熱くなることなく、北欧の風のように。
しかも微風。
今これを二階の六畳間で聴いている。
エアロバイクの退屈を紛らわせるために、使っていない機材を持ち込んだのである。
フィリップス製スィングアームの800R、アキュフェーズA30、それにシンプルなボリュームボックスである。
スピーカーはモニターオーディオの極安いトールボーイをオークションにて入手した。
とてもコンパクトなシステムなのだが、これが良い音なのだ。
もう、これで充分と思えてくるほどだ。
大袈裟な装置でなくても十分楽しいではないか。
私は今までいったい何をやっていたのか・・・
などとため息交じりでワインなど飲みながら。
2007年スウェーデン録音の輸入盤。

NO.19 2011.12.1
<シュガー ジャズとコーヒーはシュガーレスで>アンディ・スニーツァー。
どこか軟弱で口先だけの心ない音がする。
明快に指摘するのが難しいがどこか違和感がある、そうした音楽やミュージシャンは特に珍しくないし、音楽に過剰な精神性を求めるのもどうかとは思う。
しかし、どうもプレーが軽いのではないか。
口先でこねくりまわすような吹き方で個性を出そうとするが、プラスに作用していない。
現代のミュージシャンは昔の誰かに似ないようにと、そればかりを考えているのかもしれない。
だとすれば厳しい話だ。
ジャズに限らずあるジャンルにあるスタイルが流行すると、短期間に優れた才能が寄ってたかってすべてやりつくしてしまう。
商業音楽はそこでほぼ終了となるしかない。
アンディ・スニーツァーはジャズの人ではなく、基本的にスタジオミュージシャンだ。
スタジオミュージシャンが作ったジャズっぽい音楽である。
こんなものかもしれない。
そして今となっては録音の現場そのものがジャズ的ではなくなりつつあるようだ。
楽器ごとに別々のブースに入り、ヘッドホンでモニターしながらマルチトラックで録音するというのが普通になっているみたいだ。
この方法で録ると、後で自分のトラックのみやり直すことが可能になる。
納得のいく演奏が出来るまで、何度でも録り直すことが出来る訳だ。
テイク終了後、エンジニアのところにミュージシャンが行列を作るのも珍しくないんだとか。
これではもうジャズとは言えないのではないか。

NO.20 2011.12.2
<アフリカン ワルツの咆哮>アンディ・スニーツァーの後でキャノンボール・アダレイを聴くのは良いやり方だ。
胸のつかえがとれる。
ならばアンディ・スニーツァーなど聴かなければ良いのでは、とお思いで?
その通りでございます・・・
音質的にも1962年録音のこちらが勝っている。
これではもうどうしようもない。
シュガーのライナーを書いた寺島氏「アルトかと思った」と思わず(?)失言しておられた。
原稿のマス目を埋めるのに苦労されたのではないかと思わず同情した。
それに比べればキャノンボールは、実に野太いアルトを吹く人だった。
屈託がないとも言える。
それでアダレイは少し損をしているかもしれない。
日本でのジャズは、幾分かの暗さがないと安く見積もられてしまいがちだ。
ジャズ喫茶がどこも薄暗かったのは多分そんな事情もあったのだろう。
昔バイト先の某ジャズ喫茶で、あまりの薄暗さで良く見えず、間違ってコーラにミルクを入れて出したことがあった。
なぜ分かったかというと、アイスコーヒーの客がミルクを入れてくれとクレームをつけてきたからだ。
その店ではアイスコーヒーにはあらかじめミルクを入れて出していた。
あれ、おかしいな・・・と思ったが直ぐには気付かなかった。
同時に同じ型のグラスで出したコーラの方にミルクを入れたとしか考えられない。
それらの客が皆帰ってから気づいたが既に遅かった。
30年以上も前の事でもう時効だと思うが、コーラのお客さんごめんなさい。
翳りの不足しがちなキャノンボールであるが、アルトではジャッキー・マクリーンの次くらいに私は好きだ。
リバーサイドの9377番、新品CDで1100円。
これでいいのか?
申し訳なく、また、有り難く聴かせて頂いている。

NO.21 2011.12.3
<ブルー・ムーンといえばあなたは探偵社?>1000円だ。
たまげるではないか。
3000円も払ったのにクソみたいな内容のCDがあるかと思えば、これではあまりに気の毒という限定盤もたまにある。
そうかと思えば同一内容の商品をジャケットだけ変えて再発したり。
あれは本当にやめて頂きたい。
承知の上であえて買う奇特なコレクターなら文句も言わないだろうが、知らずに買えば罵りたくもなる。
自らをも罵らずにはいられないのは、そうした事実を何年も気付かずにいるような場合だ。
ロクに聴いてもいないという事だから。
買って聴いて気に入らなくてお蔵入り。
きっとどこか心惹かれるところがあるのだろうけど、後日となり違うジャケットの同じブツにまた引っかかる。
そして同じようにお蔵入り。
しかもその時はまだ一連の間抜けな出来ごとに気付いてもいないのであるから、まったく何をやっているのかわからない。
もしも敵がまたジャケットを変えて再発してくれば、またまた引っかかることだって充分考えられる。
こうした悲喜劇を避けるには、ライブラリーのリストを作成することで、何度も煮え湯を飲まされた私は数年前からこれを実行している。
しかし、それでも引っかかる。
中には会社を変え、タイトルも変更してくるツワモノがあるせいだ。
そこでもう一つの対抗手段がある。
それはせめて試聴してから買えば良いのである。
しかし、それはどうも気が進まないのだ。
特に新録の新譜を試聴するということを、私は昔からしなかった。
それは立ち読みで斜めに本の内容を確認してから購入するのと同じで、なにかもったいない気がするのである。
こっそり買って帰って封を切り、さてどんな内容だろうとおもむろに盤をセットする時のあのワクワク感が大分割引きされてしまう。
同じような理由だと思うが、車も試乗して買うというのをしなくなった。
少々乗ってみたところで分かるものか。
ここ4台は試乗なしで買ったものだ。
ある人に言ったら「処女崇拝みたいなもんだね」と言われた。
うーん、少し違うように思うが、明確に反論する屁理屈が見つからなかった。

NO.22 2011.12.4
<I'm Still Here >北川氏がベースを押してニューヨークと思しき街角をやってくる。
ウィムス・オブ・チェンバースのように。
だがあまり絵にならない。
日本人は損だなあ。
これだけのベース弾きなのである。
気の毒な話だが、ベースが弾けるだけマシというものだろう。
多くの日本人は才能があるのに絵にならないと嘆いているのではない。
才能がないのに絵にもならない、ときては存在そのものが殆ど意味のない落書きのようなものだ。
もちろん、私自身が落書きの一つである。
先日のこと、高校の先輩でテニス仲間のMさんと飲んだのである。
Mさんは大学卒業後オーストラリアへ渡り、会社を興して成功した。
そして55歳でリタイアして向こうの大学院に学士入学し、立派に卒業したという。
現在63歳、人生を楽しんでいる様子だ。
そんなMさんは今年、二つの地震を自分の目で見た。
まずニュージーランド地震の時、まさにクライスト・チャーチにいて、37歳の恋人(白人女性)とテニスをしていたらしい。
ほぼ一カ月後の東日本震災では素早く現地入りし、Mさんは自転車で野宿しながら三週間に渡り被災地を周った。
これで自信をつけたMさん、これから主に自転車で世界各地を巡る旅を始めるようだ。
羨ましい老後のありようだ。
もちろんMさんは努力されただろう。
だが誰もが努力すればプロ野球選手になれる訳ではなく、プロのミュージシャンになれる訳でもない。
Mさんの今日を作ったのは主に資質だ。
彼を間近に見ていると、それが良くわかる。
今更改めて言ってみても仕方のない話しだが、ではそういった資質を持ち合わせなかった者はいったいどうすれば良かったのか。
しみじみそう言いたくなる話ではあった。
I'm Still Here...

NO.23 2011.12.5
<クール ストラッティンはマクリーン名義で>この作品を評価できなかったアメリカという国をどのように評価すべきか。
どうでもよい事なのかもしれないし、看過できない事なのかもしれないが、むしろ本作を正当に評価した我が国のジャズ関係者をこそ褒めるべきだろう。
1958年の録音で最初に入ってきたのがいつの事かわからないが、60年頃だろうか。
当時私は小学校にも上がっていない。
日本はまだまだ貧しく、トイレはくみ取り、暖房は石炭ストーブ、道路は砂利道だった。
記憶にある舗装道路は国道だけで、そこから排ガスの臭いをまき散らすオンボロバスに揺られて行く街の中心部には、道端に傷痍軍人が並び物乞いしていた。
そんな時代に本国ですらまったく話題にもならないような、このレコードに注目する人たちがいたのである。
日本人はいつも腹を空かしていた。
コーヒー代に回す金があるのなら何か食べたくても、それをグッと我慢してジャズ喫茶へ行き本作をリクエストした人もいただろう。レコード、それもブルーノートの輸入盤を自分で買い、自宅の装置で聴くなどというのはまだまだ違う世界の話だ。
自分自身がそうだったせいもあるだろうが、ジャズファンが豊かである印象はその後も長く感じられなかった。
1975年頃私はジャズ喫茶でバイトしていた。
大学前の店で客の多くが学生だった。
貧しい身なりの彼らは栄養が行き届いている風には見えなかったが、それでもジャズを聴きに集まって来るのだった。
コーヒー代などに散財するのを嫌い、店の数少ない食物をメニューから選択する者も多く、トーストなどを頼んで彼らはそれを水で流しこみ、何時間も店にネバッた。
今の学生でジャズを聴く人などそういないという。
日本は少し豊かになり、ジャズが文化の一部だった時代はいつの間にか終わっていた。
洋風幕の内弁当というのがベントスのメニューにある。
あれこれたくさんの種類のオカズが入った幕の内弁当は、日本人の好むところだろう。
その洋食版が洋風幕の内弁当であるが、本作は洋風演歌とでもいうべき作品の一つだと思う。
ブルーノート諸作を始めとするハードバップ全盛期の作品には、意外と演歌調のメロディラインを持ったジャズメンのオリジナルが多数ある。
昭和の日本では随分それらを参考にした、はっきり言えばパクッた歌謡曲が作られた。
だからハードバップは昭和歌謡の源流とも考えられる。
日本人好みの、しっとりした哀愁を湛えたメロディの宝庫なのである。
もしかしたら、そういった所が発表当時この大名盤が本国で無視された原因なのだろうか。
日本人には分からないことであるが、もったいない事をした。
それは間違いない。
何故ならこのレコードについても、そのせいで程度の良いオリジナル盤が極めて品薄だからだ。
私が今聴いているのは20年以上前に買った輸入盤であるが、多分リバティ時代のものだ。
本作をマクリーン名義で整理した点について、ソニー・クラークに申し訳ないと多少なりとも感じているが、個人的にはどうしてもマクリーンのレコードになる。

NO.24 2011.12.6
〈ホット ハウス フラワーズ 優秀なジャズならざる者〉ウィズ・ストリングス、ヒモ付きである。
父であるピアニスト、エリス・マルサリス氏が、尊敬するウィントン・ケリーに因んで名付けたとされるが、長男ブランフォードの立場はどうなる。
しっかり者で出来の良い次男坊に、優秀ならざる長男は嫉妬するのである。
私はクラシックも出来るジャズミュージシャンであると本人が語ったというが、ウィントンについて良く言わない意見があるのは理解できる。
才能あるバーチュオーゾ(必ずしもジャズメンではない)が、ジャズを上手くやってみせる、という臭いが確かにあり、それが殊更巧妙になされている事に対する反発は当然あるだろう。
だが、それが悪いか?
音楽的に優れている場合には一定の評価を与え受け入れる、それくらいの度量がなくてどうするのだ。
フュージョン旋風ですっかり道を誤ったジャズを軌道修正し、正しく歩めと諭したのはこの男だったのだ。
今更ジャズに昔日の輝きが戻るとは誰も思ってはいまい。
熱かった日々はもう二度と戻らない。
ジャズは最早伝統芸能となったのである。
であれば、伝統芸能ジャズの正確な継承者ウィントン・マルサリスの存在には十分意味があるのであり、得難い貴重なミュージシャンであると尊重すべきだ。
さて、積年の懸案事項であったLP-12のターンテーブルシートを、このたびカーボン製の社外品に換装したのである。
LP-12付属のシートときたらペラペラした極軽いフェルト製品で、
冬になると静電気によってレコード盤と密着してしまい、
盤を上げると一緒にくっついて来るような情けないモノだ。
こんなシートはやめてしまいたいところであるが、
合金製のターンテーブル外縁が高くなって全体が盆地のようになっているものだから、外す訳にもいかず困っていた。
それと比べたらこのカーボン製シート、盆地にピタリと納まり非常に見栄えもよろしいと私は喜んだ。
しかしながら、レコード盤との接着状態を横から見てわかったのだが、レコードという物は中央のレーベル部分が微妙に一段盛り上がっているものだから、完全な平面に置けば接触するのはこのレーベル部分のみとならざるを得ない。
したがってどのように高価な材料を使用しようとも、
ただの平面では再生中盤とほとんど接触しない、という事態が起きるているのだ。
つまりレコードの溝部分は空中に浮いた状態で針が溝をなぞっている状態である。
本当なら、そうしたレコードの形状に合わせてセンターレーベル部分を削らなければならなかった筈だ。
志が低いと言おうか、これでは数万円もの投資に見合う効果があるとはとても思えず急に悲しくなった。

NO.25 2011.12.7
<トーチ 虚ろなEYE>この盤は新譜で買った。
何を思っての事かわからないが、多分気まぐれだろう。
デビッド・サンボーンやリー・リトナーが参加している。フィル・ウッズの名前まである。
それにマイケル・ブレッカーだ。
金に糸目はつけなかった。
だが、出来はいまひとつだ。
1981年の作品。
カーリー・サイモンといえば「虚ろな愛」である。
そっちでやっていれば良かったが、多分これも気まぐれでジャズに手を出したのだろう。
長年やっているとついやってみたくなるものらしいし。
そんな中ではロッド・スチュワートの一連の作品やアート・ガーファンクルなんかは見るべきものがあったが、リンダ・ロンシュタットは何を歌っても野生の歌姫で一緒だと思った。
ポップス系女性歌手には難しいのだろうか。
ジャズものをやったらきっと成功するのでは、と思う女性歌手が日本に二人。
一人は吉田美和さん。
あの歌唱力で是非一枚つくってもらいたい。
もう一人はエゴラッピンの中納良恵さん。
ピアノトリオをバックに、スタンダードなど歌ってもらいたい。
きっと良いものが出来るだろう。
ただ、これくらいの企画なら誰でも思いつくものであるから、
案外既に二人ともジャズボーカル物を出しているやもしれないけれど。

NO.26 2011.12.8
〈ハウス オブ ブルーライト横浜〉59年の録音であるが、私の手持ちは80年代に再発された国内盤である。
エディ・コスタというピアニストの、もの悲しい物語が油井正一氏によって綴られている。
ジャズメンは古今、そして東西を問わずいつだって恵まれぬ境遇を甘受してきた。
そしてそういった状況には今後も大きな変化など起きないだろう。
それでも尚彼らをして演奏に駆り立てるものがある。
それは女だ。
というのは冗談だが、ジャズメンがある種の女性にやたらとモテるのは事実である。
だが、ジャズメンを本当に奮い立たせるもの、それは彼らに出来て私には出来ない事、音楽を創造するという行為によってもたらされる歓喜だ。
自分の作り出す音楽が脳内に快感物質を分泌し、一たびそれに酔えば次はもっと強い刺激を欲するだろう。
彼らは遂にその快感に搦め捕られ、二度と離れられないでいる。
私には自ら音楽を作り出す才能はなかったが、なくて良かったかもしれないではないか。
良かった良かった、精々私は人様の作ったものを聴かせて頂く事としよう。
快感は酒に担当させて。

NO.27 2011.12.9
<アダムズ アップル ヤアヤアヤアがやって来た>66年の録音。
この年、あのビートルズが来日した。
ジャズは日増しに厳しい状況になっていった事だろう。
アメリカではサイケデリックやフラワームーブメントなどジャズと無縁の流れがうねり出し、誰もジャズなど相手にしなくなっていったのではないか。
少なくとも、そうした危機感がジャズメンにあったと思う。
そうして70年代の空洞化がやってくる。
食い詰めたジャズメンは仕方なくロックに擦り寄り、フュージョンとなった、そんな所か。
ショーターはどうも好きになれない。
だが、知り合いのアマチュアピアニストがショーター、ショーター言うのである。
ミュージシャンズ・ミュージシャンということか。
私は素面では辛い。
オーディオ用の電源を家庭用と分離し、契約を二本立てとする話が東京の某オーディオマニアから出ていた。
それはそれは効果があるというので、私の住む地域の電力会社に真似したい旨申し出たのである。
だが、この地域の売電を独占するその会社は、2本電気を引くというのは社内規定上出来ないという。
何もタダでやってくれと言っているのではないのだ。
基本料金だって二重に払うと言っているのだ。
商売なら悪い話ではないだろう。
それをダメってどんだけお役所体質なんだ?
話にならない。

NO.28 2011.12.10
<ワルツ フォー デビー 名盤の作り方①>これも大有名盤であるが、私は本作の存在を20年前まで知らなかった。
ジャズ喫茶でバイトしていてそれはないだろう、と言われるが事実だから仕方がない。
興味のあるタイトル、何かの理由で引っ掛かって来たレコードしか聴こうとせず、ジャズ本の類で系統立てて覚えるような事もしなかったからで、かくてはならじとそれ以来名盤紹介本等で研究するようになった。
本作を私に教えてくれたのは、同じテニスサークルに所属していた女性でアチョという名前だった。
もちろんあだ名である。
空手をやっていたとかで、それでアチョなのだが、いくらなんでも安直に過ぎる。
空手の腕前は知らない。多分あのテニスだから知れたものだろう。
取り立てて特別な関係があった訳ではないが、ワルツ・フォー・デビーを聴くたび彼女を思い出す。
その後どうしただろうな。
きっともういいおばちゃんになった事だろう。
そのアチョにこのレコードを聴かせた男が先日結婚した。
やはり同じサークル絡みの関係であり、私をオーディオ地獄に引きずり込んだ人物だ。
それまでの私は、ラジカセよりマシならそれでいいとうそぶいていたものだった。
なのにお節介にもいい音とは何かを、その男は教えてくれた。
だから私も結婚とは何かを、一回り年下の女性を妻としたその男に教えてやりたかった。
人は判断力の低下によって結婚し、忍耐力の不足によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚するのだと。
だが、もう全てが手遅れだった。
レコードというものはそれが商品である限りより多く売ろうと、売れるようにと作られている。
だからプロデューサーがA面一曲目に持って来たがるのはいつも、ドーンとキャッチーな曲である。
昔はレコードが高価だったから、買う前に試聴する客も多く、その場合たいていはA面一曲目を聴くものだからだ。
だが本作はそういったセオリーをまったく無視し、「マイ・フーリッシュ・ハート」を一曲目に持ってきた。
これが本作を他とは違う存在にし、大名盤にした。
ワルツ・フォー・デビーは1961年6月にニューヨークのジャズクラブ「ビレッジ・バンガード」で行われたライブ演奏を音源としており、同一音源からサンディ・アット・ザ・ビレッジバンガードというもう一枚別のレコードが出ている他、その時の全セットを収録したCDのボックス・セットも出ている。
そういった中で、タイトル曲ワルツ・フォー・デビー始め複数回のテイクがある曲が多い中、マイ・フーリッシュ・ハートには別テイクがない。
色々な見方が出来るだろうが、これ一発、完成度抜群なのである。
私はこのトラックが相当好きだ。
マイ・フーリッシュ・ハートで思い出すのが、源孝志監督の映画「大停電の夜に」である。
映画のテーマに使われていたし、豊川悦司がジャズバーのマスターを演じるそのバーが「フーリッシュ・ハート」だった。
まあまあの出来だったが、まあまあだった。
ベース奏者だった豊悦がニューヨークで勝負しようと決意して、恋人に一緒に来てくれないかと半プロポーズ的なお誘いをする。
女は迷ったがとうとう来なかった。
豊悦はその後ひとり日本に戻り、ジャズバー「フーリッシュ・ハート」を始めた。
だが、ご多聞にもれず閉店する事になる。
最後の営業日がクリスマス・イブで、店を閉める前に来てくれないかと嘗ての恋人に告げる。
その恋人というのが原田知世で、なんだか少し違う気がした。
あれは柴崎コウがよかったな。

NO.29 2011.12.11
〈ランプローラーと月の砂漠〉ジャズの花形は何と言ってもトランペッターである。
ロックバンドのリードギターのようなものだ。
キーボードやベースが主役になるバンドはまずない。
ジャズではトランペット。
他の楽器がどんなに頑張っても、トランペッターが一音吹いたら全部持っていかれる。
拍手も歓声も女も何もかも。
リー・モーガンはステージで恋人に射殺された。
あなたを他の女に渡さない、あなたは私だけのもの、と。
何という模範的なジャズメンなのだ。
これでなくてはジャズじゃない。
ジャズメンは女に撃たれるか(刺されるも可)薬か、最低酒で死ななくてはダメだ。
それも若くして。
本作には佐々木すぐる作曲「月の砂漠」が入っている。
その経緯はまったく知らない。
唐突と言えばその通り。
だが、ここでもジャズと哀愁の相性の良さが証明されている。
月の砂漠で思い出すのが和田誠監督作品「真夜中まで」だ。
真夜中まで、つまりラウンド・ミッドナイト。
ジャズをテーマにしている。
ジャズをテーマに日本で映画を撮ると、どうもまあまあ止りだ。
理由は様々あろうが、どうにもベタベタしている。
まるで安い日本酒の喉越しのようだ。
日本映画、日本人俳優・女優の限界なんだろうか。
もっとクールにドライに作ってもらいたい。
この映画でどうしても気になったのが「月の砂漠」だった。
主人公真田広之演じるトランペッターに客の大竹しのぶがリクエストする。
しかし、真田は「ジャズだからね、童謡はやらない」と受けない。
本作を知る者は不審に思う筈だ。
リー・モーガンが「月の砂漠」を演っていることは、少しジャズを知っている者なら知らない筈がない。
「真夜中まで」の関係者にも知っている人間が居たと思う。
でも、それを知っていてわざとそういう展開にしたようなヒネリは感じられないのである。
もしかしたら和田誠さんが知らなかったのか。
周りの人は知らない筈がないと思って言わなかった、言い出せなかったのか?
さらに、ヒロインのミシェル・リーがゴツ過ぎてダメだ。
助けてあげたい、支えたいと思わせるような儚な気な女優を、他に思いつかなかったのだろうか。
真田広之がどちらかと言えば小柄で華奢に見えるのだから、あれはミスキャストだと思う。
ヒロインがニューハーフに見えて仕方ない。

NO.30 2011.12.12
<ボサノバが蛍の光>このノートも30枚目となった。
ボサノバは日本のジャズファンにはウケが良くない。
シリアスさが微塵もないからだ。
昔バイト先で、切りのいいところでそういうものをかけたものだった。
私がバイトしていたジャズ喫茶は、女性の店主が一切客の前に出ない変わった店だった。
前線で働くのは二人組のバイトで、5チームくらいのローテーションだった。
全員が学生である。
客も学生が多いのだが、彼らは一杯のコーヒー、一枚のトーストでいつまでもネバる。
今では信じられないことだが、満席となり来た客が座れず帰っていくことも珍しくなかった。
そういう時、切りのいいところでボサノバなどをかけたのである。
アンドリュー・ヒルだとかアーチー・シェップだとかの後に聴くと、ホッとするものがあった。
だが、客の彼らは違った。
なんでこんなダサいのをかけるんだ、こんなものを聴きにきたのではないのだぞ、オレは筋金入りのジャズ者だ、ナメるなよ、そんな顔つきでゾロゾロ席を立つのである。
女店主の指示だった。
実際、その当時の客というものは相当滑稽なものだった。
手に手に小難しい本を持ち、サングラスなどかけてやってくる。
タバコはショートピースやゲルベゾルテなど両切りが多く、それを矢継ぎ早に吸うものだから、店内はまさしくスモークを焚いた状態である。
副流煙も受動喫煙も一切知ったことではなかった。
彼らは苦み走り、肩を揺すりコウベを垂れて、リクエストした後期コルトレーンなどに没頭するのだった。
段々興に乗ってくると、店内が共鳴したようなトランス状態となる。
まるで怪しい宗教の儀式を見る思いで我々バイトは彼らを見ていた。
もとよりこちらは仕事であるのだから、何やら切羽詰まった表情でテンパっている向こうとは相当の温度差がある。
はっきり言えば白けているのだ。
さあ、盛り上がるだけ盛り上がったところでボサノバである。
最後までイカせて頂だいと、文句を言う気持ちも分からないではないな。

NO.31 2011.12.13
<ウェイニングモーメンツとラーメンとテニスと>ウェイン・ショーターは苦手と言ったが本作は別。
黒いオルフェが入っているからだ。
ショーターも昔は良かった。
この曲、カーニバルの朝とも言うが、それだけ集めて車で聴いていたこともある。
オークションにて旭川の売人より購入する。
2800円は少し高かったかもしれない。
だが、10年来探していた盤だけに、思わず飛びついたのである。
このレコード、1981年に出た国内盤で、その時エディ・ヒギンズ先生、まだ全くの無名扱い。
この後のブレークなど解説の岡崎正通氏知る由もなし。
旭川といえば「みづの」というラーメン店が美味い。
生姜ラーメンがゼッピンである。
チャーシューはヒレ肉を使用、これがまた美味い。
私はもう20年以上通っているが、最近では滅多に食するチャンスもないため、行けば大盛りチャーシュー麺の注文となる。
汁まで飲み干し、大満足するが後で少し後悔もするのは言うまでもない。
こういう食事が高脂血症や高血圧を引き起こすのである。
でも、絶対のおすすめだ。
ラーメンで思い出したのだが、一時はまってしまい毎日のように通った店があった。
「ソルト・ピーナッツ」といい、店名からしてジャジーである。
実際店内にジャズ関係のポスターなど飾り、もちろんジャズが流れていた。
ラーメンは鰹節でしっかり出汁を取った中華ソバだった。
いやもう、美味いのなんの。
それがある時、移転を契機にすっかりメニューを変更してしまったのである。
スープにコクがなくなり只しょっぱいだけで、昔日の面影まったくなくなった。
行くと店主、なんとなく下を向き目を合わさない。
不味くなったことを自覚している様子なのだ。
前のラーメンはコストがかかり過ぎてもうからなかったのだと思う。
不本意ではあるが不味いラーメンを出すしかない店主。
商売の辛いところだ。
さて、本日はテニスの試合をして参りました。
二戦して二敗、スコア3-6と4-6。
段々飛んだり跳ねたりがシンドくなっているのが分かる。
いつまでテニス、それも競技テニスを続けられるかわからないが、やる以上は勝たねばならない。
今日の対戦相手は2チームとも若者だった。
中高年が主に若者に勝つには、もっと堅いテニスをしなければなるまい。
イタリア流合理主義サッカーは守備重視と言ったが、中高年のテニス、守備重視と言うのでなくミスを減らすことを重視したテニスにしたい。
ちょっと考えてみれば分かるが、これがサッカーであれば、10発シュートをミスしても11発目に入ればそれはそれでオーケーだ。
だが、テニスでそんな事をしていれば、あっという間に負けてしまうだろう。
テニスでは自分のミスは相手の得点となるのである。
一方、中高年はパワーダウンによって容易にエースが取れなくなっている。
エースを取りに行けばミスが増えるだけに成りがちだ。
テニスという競技はポイントの積み重ねによって勝敗が決まり、一発逆転という事がほぼない。
目の覚めるような素晴らしいノータッチエースも、コードで跳ねてまぐれで入ったトホホなショットも、同じポイント、一点である。
それらのポイントは全て、誰かのエースかミスで構成されており、それ以外のポイントはない。
一試合を通して決まった全てのポイントは、必ず誰かのエースかミスなのである。
そこで、エースが取れない以上ミスをしてはいけない、という方向が見えてくる。
エースが取れないのにミスまでしていたのでは、どんな風にやっても勝ちようがないのだ。
無理にエースを取ろうとせず、自分のミスを先ずは減らし、相手にはミスさせるテニス。
中高年が勝つ道はそれしかない。

NO.32 2011.12.14
〈エラ・フィッツジェラルド〉「フィッツ・」では切らない。
というのも高校生の時、「エラフィッツ・ジェラルド」だと思い込んでいたのだ。
なんぼなんでもエラフィッツはないだろう。
「エラ・フィッツジェラルド」の顔を想像せずに聴けば、つまり素性を知らずに聴けば案外悪くない。
逆に素性を知らなければ、このジャケットを手に取りレジまで持っていく人はあまりいないだろう。
エラは容姿で相当損をしている。
その点ではウィリアムズ姉妹と似ている。
日本人男性にウケは良くないことだろう。
土人の女に用はない、という訳だ。
にも関わらず、まるで無関係な写真だとか絵だとかでジャケットを誤魔化さなかったのはエラい。
今なら、特に日本なら絶対このジャケットでは出さないな。
ところで歌は下手でも綺麗な女、テニスは下手でも綺麗な女、世の中に無数にいるそれらの女たちと、エラやウィリアムズ姉妹ではどちらが幸せだろうか。
本人に聞いてみないと分からないが、多分エラやウィリアムズ姉妹は自分たちだと言いそうだ。
一芸に秀でる感覚を一度味わったら、きっとやめられるものではないのではないか。
それにどんな美人もいつか婆になるのだし。
そうなったら美人でもブスでも、あるいは土人でも大差はない。

NO.33 2011.12.15
<フライト トゥ デンマーク 思えば遠くへ来たものだ>今は亡きデューク・ジョーダン、1923年生まれというから相当古い人だったのだ。
62年から本作吹きこみの73年まで、彼はレコーディングから遠ざかりタクシー・ドライバーをしていた時もあった。
ジャズがマイナーな音楽なのは、一時を除けば今も昔もそんなに変わりはしない。
それはオーディオという趣味についても同じことが言える。
両方ともこんなに素晴らしい芸術だというのに嘆かわしい事である。
しかし思えば多くのビッグネームがこの世を去ったものだ。
スタン・ゲッツは死期が近いのを知り、演奏で燃え尽きたという。
ビル・エバンスなどは緩慢な自殺と言われた。
一切病気を治そうとしなかったかったからだというが、本当だろうか。
死人に口なし、それは誰にもわからない事だ。
世の中何一つとして確実な事などなく、分からない事だらけだが、たった一つ間違いのない事実は全ての生物がいつか必ず死ぬということだろう。
全ての人が死亡率100%なのである。
これ程分かり易い話もそうない。
コルトレーンは悟りに近づいたのか?
マイルスは死など恐れぬ男だったのか?
そんな事は本当はどうでも良い事で、皆偶然に生をうけ、なるようにしかならなかった人生の終わりに、ほとんど訳がわからなくなって死んでいったのだ。
ただ、自分の死期が近い事を知っていた人というのは確かにいるだろう。
状況にもよるだろうが、出来ればそうありたいものだ。
もうじき彼女の誕生日。
あれから20年、生きていれば還暦を過ぎていた筈の彼女は多分死を悟っていたと思う。
その時何を思ったか、出来ることならいつか聞いてみたいものだ。

NO.34 2011.12.16
<ゴー ウエスト,マンの疑惑>クインシー・ジョーンズはアレンジも作曲も、そして無論演奏もしていない。
何故クインシー名義なのか不明。
指揮者?音楽監督?バンマス?後年のスリラーなど実際はどうだったのかと、思わず余計な想像もしてしまう。
1957年の録音で、クインシーがロスアンジェルスへ赴いて作られている。
現地のミュージシャン、といってもベニー・カーター、チャーリー・マリアーノ、アート・ペッパー、コンテ・カンドリ、ペッパー・アダムス、レッド・ミッチェル、シェリー・マン他錚々たる有名ミュージシャンを集めている。
相当に気合の入った、つまり金の掛かったレコードなのだ。
そこへわざわざニューヨークからクインシーを呼び、しかも殆ど仕事らしい仕事をさせない、などという事があり得るだろうか。
実際にアレンジも作曲もしないのであれば、一体何をしに行くというのだ。
当時のウエストコーストでは映画産業が繁栄しており、映画のサウンド・トラックを演奏する譜面に強いミュージシャンが大量に必要だった。そこでニューヨーク辺りで食い詰めたジャズメン、なかでもそうした楽理に長けた連中が集まって、現地で盛んに演奏されたのがウエストコーストジャズである。
彼らに指揮者だとか監督だとか、そんなものは全く必要ない。
アレンジもしないクインシーがやる事と言えば、選曲とキャスティングくらいのものだろう。
それくらいなら文書や電話だけで充分なのであり、いくつか録ったテイクを送らせたテープから選んで一丁上がりだ。
これは全く証拠のない憶測に過ぎないが、この時クインシー・ジョーンズ、名前だけ貸した可能性がある。
実際にはロスへなど、一度も行っていないのではないだろうか。

NO.35 2011.12.17
<2011年のビッチェズ・ブリュー>言わずと知れたビッチェズ・ブリュー。
本作のタイトル、というか読み方は本当に「ビッチェズ・ブリュー」でいいのか。
これは長年胸につかえた疑問だった。
ビッチの複数形なんだからビッチズ。
「ビッチズ・ブリュー」ではないのかと。
いつかネイティブに聞いてみたいと思っている。
今や本作を聴く機会、年に一度あるかどうかというところだ。
延々と続く。
発売された70年代初頭、この音楽は確かに新しかった。
それを今聴くとどうか。
多くの懐かしい出来事を引き摺りながら、多少の痛々しさを内包したタイムカプセルの蓋が開く。
私は今ではすっかり治りきった傷跡を指でなぞりながらそれを聴く。
深い感慨は特に湧いてこない。
時間が経ちすぎたのか。
多くの時を経てのちに冷凍保存された音楽を解凍した時、フレッシュな切り口がそのまま再現されるものもあれば、保存状態が悪くミイラ化している音楽もある。
残念だがこれは後者だ。
レコード片面約20分一曲、というのは思い付きやすい発想かもしれない。
CD一枚約80分一曲はまだ聴いた事がないが、あったら怖い類のものだろう。
マイルスが生きていたらやったかもしれない。
いや、多分やる。
これは力がないと出来ないことだから、それを承知でマイルスはやる。
そして誰も止められない。
並みはずれたミュージシャンがいつの間にかいなくなってしまい、CDも売れなくなった。
音楽産業は死にかけている。
ないしは全く別の形態になろうとしている。
ダウンロードとかいうやつ。
パッケージメディアの終焉である。
そうなったらあなたはどうする?
それを買うか?
というより、既にそのようになりつつある訳だが、多分私は一生そうしたモノに縁がないだろう。
音楽はレコードで聴く、ジャケットを手に取り、眺めながら聴くものであろう。
だから最低でもCDだ。
ダウンロード?そんなモノは願い下げである。

NO.36 2011.12.17
<エリック ドルフィー イン ヨーロッパ VOL.1 さらば4344>1961年コペンハーゲンでのライブである。
ちなみに我が家を「ジャズバー ドルフィー」と称している。
このレコードをJBL4344mk2最後の夜にかけた。
10年間の苦労を思いながら。
このスピーカーのお陰でずい分と考え、勉強させられたのだ。
思い通りの音が出ないので、試行錯誤を繰り返した。
それはもう、この10年ずっとだ。
そもそも4344がダメだから良い音が出なかったのだが、そのようには考えなかった。
アンプを替えてみる。
それでも納得が行かず、チャンネル・デバイダーを導入してマルチ・アンプ駆動となる。
それでも不足でチャンネル・デバイダーをデジタルに替え、タイム・アライメントに手を出す。
そしてとうとう4344に見切りをつける事となった。
思えばずい分と金を使い、遠回りもしたのである。
結局、今我家のオーディオがこうなっているのは4344があったからだ。
だからと言って特別感謝する心算もない替わり、今更悪態をつく心算もない。
ただありのままを書いているだけである。
ダメな所を書けばキリがなく、良い所は少ししかなかった。
身も蓋もない話ではあるが事実だ。
では良いところは何だ。
それは本気でオーディオに取り組むきっかけを与えられたこと。
そしてJBLの大型スピーカーを所有するという、一定の満足感をもたらしたこと。
そんな所だろう。
音は良くなかった。さらばだ4344、達者で暮らせよ。

NO.37 2011.12.18
<ブルースエット アフターダーク>1958年録音。
ファイブ・スポット・アフター・ダーク、ベニー・ゴルソン作のこの名曲とトミー・フラナガン参加で本作の価値は高い。
思えばジャズ、1953年から63年までの10年間に、名盤と言われる殆どのレコードが録音されている事実をどう考えればいいのだろうか。
たった10年である。
今なら無風状態で何事も起きないままに経過してしまいかねない年数だ。
実際、2001年からの10年でジャズに何があったか。
本作に匹敵する名盤が一枚でも登場したか。
残念ながら思い当たる節はないのである。
これについてよく言われるのがロック以前、以後という説だ。
つまり黄金の10年間、ジャズはまだロックの侵攻に耐えていたというものだ。
特に前半の5年、ジャズはナンバーワンポピュラーミュージックだったと。
だから最高の才能がジャズに集中した結果であるというのであるが、
それはある程度当たっている気がする。
そして最高の才能が全てやり尽くした頃、ビートルズが登場して全部持って行った。
これも事実だろう。
更にその後の10年でロックも全てをやり尽くした。
そこで不思議に思うのだ。
最高の才能達は今、どこで何をしているのかと。
今は何もない時代だ。
アフターダークである。
そしてこの音楽空洞時代となって、既に30年以上が経過している。
人類にはもう、新たな芸術を生み出す力がないのだろうか。
そんな事はないと思う。
まったく新しい芸術作品は、たった一人の天才の出現によってもたらされるだろう。
今はじっとそれを待っているのだ。
しかし長いな。

NO.38 2011.12.19
<ザ・スリー スピーカー、アンプ、それにプレイヤー>新譜で購入。
35年後、中古レコード店で1000円程度で売られている。
ピアニストがジョー・サンプル、日本製作(イースト・ウィンド)、そしてジャケットも冴えないからだろうか。
本作はダイレクト・カッティング盤だ。
当時は何かそれがとても素晴らしい特別のレコードであるかのように思った。
売る側、FMレコパルなどのメディアもそういった扱いをしていたからでもあるだろう。
だが、実際の内容は特にどうと言うこともない。
ジャズである以上、編集なしの一発録りというのも、考えてみれば当たり前の話に過ぎない。
この手のまやかしは良くある。
レコードのもつ保存性の高さが、長い時間の経過後もしっかりと証拠能力を発揮するが、それ以外の多くが風化してうやむやになっているだけだ。
都合の良い事を言い、それだけを覚えている事が多い。
だが、時には都合の悪かった事も覚えていて、そうして少しずつではあるが進歩して来たのである。
当時私は相当背伸びをして、最初のオーディオを手に入れた。
それは自分で買った、という意味で、実際には中学生の時に叔父が日立のステレオを買い与えてくれたのである。
今から考えると、あの時何故叔父は突然ステレオを買ってくれたものだろう。
まったくの謎なのだが、そして既に故人となりそのわけを聞くことも出来ないのだが、全てがその時始まったと言っていい。
医者だったその叔父は、酒を飲み過ぎて肝臓をやられ、比較的早くに亡くなった。
医者の不養生というのは本当だ。
叔父が買ってくれたステレオは安物ではあったが、私はとても大切に使っていた。
しかし、余りにもノイズが多く、私は段々それが不満になっていった。
そこでついに自分で選択したオーディオを、大阪の日本橋で購入したのである。
当然予算がひどく限られたものであるから、本当に欲しかったスピーカー、ダイヤトーンのDS-28Bは買えず、下の機種であるDS-251MK2を選んだ。
それでも踊りだすほどに嬉しく、それは大事に扱ったものであった。
一緒に選んだアンプがデンオン(デノンにあらず)のPMA-500Zで、このアンプは時々壊れはしたが、明るく乾いた音で251をドライブしたものであった。
プレーヤーもデンオンのダイレクト・ドライブに、シュアーの安いカートリッジを着けていた。
私は震える手で針を置き、たくさんのレコードを聴いた。
総額で30万そこそこのセットだったと思うが、今仮に100万のアンプを買ったとしても、あの時ほどの感激はやってこないだろうな。

NO.39 2011.12.20
<バグス&トレーン>40年前、高校生だった私は朝日新聞の配達をしていた。
それで家計を助けていたとかの美談ではもちろんなく、ギター欲しさにバイトをしていただけだ。
その新聞販売店にいた美大浪人崩れの男から二枚のレコードを貰った。
一枚がオイゲン・キケロのロココ式ジャズであり、もう一枚が本作だった。
両方ともガチャガチャに傷んでいたが、あれが初めてのジャズのレコードだったのである。
その後本作は買い直し、キケロの方は買わずにいる。
多分、この先も買うことはないと思う。
比較的無名ではあるが、本作は黒々とした良いレコードだ。
ガレスピーのビ・バップが入っているのがいい。
好きな曲だが、あまり演奏されていないので、その点でも貴重盤となっている。
二人ともアトランティックの専属だったから、案外安易な企画として出てきた事は充分考えられるが、ミルトに駄作なし、と言われる通りただのルーチン・ワークにはなっていない。
金字塔ジャイアント・ステップスをコルトレーンが吹きこむのは、この後すぐであった。

NO.40 2011.12.21
<サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム>実はこのNOTEには元ネタがある。
レコードやCDをずい分買ったが、時として「こんなのあったっけ」などという情けない症状を呈している。
そこで手持ちのライブラリーを一度端から全て聴き通すこととし、聴いたタイトルや感想をノートに記す作業を始めた。
2008年春のことであった。
3年半経って、現在四分の一くらいのところまで来ているが、しかし、このペースでは生きているうちに終わらない可能性すらある。
これが非常に根気のいる仕事で、時には面倒になってタイトルと演奏者しか書いていない。
このままでは継続すら危ぶまれてきたので、モチベーションを維持する為にと始めたのがこのNOTEだ。
元ネタのノートを振り返ってみると重複して同じ盤が出てくる事があり、それをすっかり忘れてまた聴き、書いている。
それがおかしなもので、だいたい同じような事を書いていたりする。
にも関わらず、聴いた事、書いたという事実は忘れている。
1年も経つと多くの事を忘れるのだ。
レコードを聴くという、比較的印象に残るであろう事柄ですらこの有様である。
忘れていい事と悪い事はあるが、嫌な事はさっさと忘れてしまえば良いのだ。
だが、嫌な事というのは深く印象に残るものらしく、いつまでたってもなかなか忘れるものではない。
本作には二人のテナーマンが参加している。
ハンク・モブレイとジョン・コルトレーンで、さすがに二人の音色の違いは分かる。
あまり良いと思うことのないコルトレーンだが、モブレイのテナーがあまりにモッサリしているので、ここではすっかり得をしている。
参加ミュージシャンの中で唯一生存していると思われるのがジミー・コブだ。
ジミー・コブハムというドラマーがいたように思われて、しかし曖昧なままになっていた。
ビリー・コブハムなら、マッコイ・タイナーの「フライ・ウィズ・ザ・ウィンド」の派手なドラマーなのだが、ジミー・コブハムはロック系のドラマーだったかもしれない。
ずっと昔から気になっている事なのに、そのまま放置してきた個人的な宿題がある。
解決できた事もあるが、いつの間にか忘れてしまった事も相当数あっただろうな。
本作のジャケットは何人目かのマイルスの奥さんだったと思うが、
これだけはなんとかならなかったものか。

NO.41 2011.12.22
<クレッセントの修業>「至上の愛」の半年前、同一メンバーによる録音である。
マッコイ・タイナーの音楽が、今にも始まりそうな感じがする。
マッコイはコルトレーンから大きな影響を受けた。
同一メンバーで活動する、つまり自分のバンドを持つ、これはコルトレーンがマイルスから学んだ手法である。
特にピアノトリオにおいて、「ビル・チャーラップ・トリオ」とは言うものの、毎回ドラムとベースが異なる、というやり方にはいささか居心地の悪さを感じる。主導権がレコード会社側、あるいは主催者側にあるのが明らかだ。
そのような現場では、看板ピアニストを含めてミュージシャンの側は、用意された企画の中で相手方の意図通りに演奏するスタジオミュージシャンなのである。
グループとしてまとまったピアノ・トリオというものは、ビル・エバンスやオスカーピーターソン、それにキース・ジャレットなどの僅かなケースしかない。
コルトレーンはどうだったか。
演奏能力が高いが故、その場で誰とでも合わす事ができる、従って器用貧乏にもなりがちな多くのジャズメンのやり方を嫌い、自分のグループサウンドを追求した。
求める音楽の方向性が明確にあったからだ。
自らの内面と向きあい、心の声に耳を傾け、そこから湧き出るインパルスを音で表現していった。
それはまさに触れれば切れるほど真剣であり熱い。
だから今それを聴くと、少し鬱陶しくまた暑苦しい。
これは音楽の形をした修行である。
苦悩をわざわざ金で買っているようなものである。
だが音楽には時としてそういった部分がジャズに限らず確かにあるのだ。
ハッピーなら良いと言うつもりはない。
では、何だ。つまり、聴きたいならそれを聴けば良いだけだ。
評論家は仕事としてそれを聴かねばならない。
だが、私は違う。
聴くことに生活はかかっていないのだ。
それなのに何故今これを聴かねばならないのか。
すべてを聴くと自分で決めたからであった。
自分のささやかなライブラリーを聴き通すという試みも、やってみればなかなかにシンドいものではないか。

NO.42 2011.12.23
<ファイブスポットのいななき>半世紀前、この場に立ち会った聴衆がいた。
幸運な人達だった。
私はやっと小学校に上がったところだ。
ビートルズが来日した時ですら、まだ小学生である。
テレビで彼らの特集を放送したが、母はそんなものを見てはいけません、と言った。
私は生まれて来るのが少し遅すぎたようだ。
せめてあと10年早かったなら、もっと音楽の色々な場面を見る事もできただろう。
だが、オーディオのお陰で今こうしてその時の空気を再現できる。
これはこれで幸運と言って差し支えない筈だ。
改めて思うのだが、ブッカー・リトルは言われている程のトランペッターだろうか。
ここでの彼はドルフィーに煽られて相当無理をしている。
タイム盤での姿が本当のリトルだ。
冬の足音が忍び寄ってくる。
ついこの間まで、連日夏日が続いていたというのに。
今年の夏は暑かった。これからこういう夏が多くなっていくのだろうか。
エアコンをつけっぱなしとは言え、電気代2万5千円は凄い。
冬は冬でロードヒーティングやらボイラーのポンプやらで、同じくらいの料金を払っているのだから、つまりは殆ど通年2万なにがしの電気消費者なのである。
電力会社にとっては結構なお得意様と言って良いのではあるまいか。
オーディオ用に別系統のメーターを使わせるくらい、何ほどの事でもないではないか。
競争のない業界というものは、このようにバカげた対応をして平気でいられる呑気な市場である。
だが、いつまでもこのままで済むと思わない事だ。
太陽光発電はどんどん普及するに違いない。
そしてそれだけではなく、高性能の燃料電池が早晩開発され、電気は各家庭で自給するものとなるだろう。
独占市場に胡坐をかいて、企業努力のカケラもしようとしなかった電力会社が時代の変化について行けず、舞台を降りる日はそんなに遠い話ではないと思っている。
オーディオ専用電気回路を拒否されたあるオーディオマニアの、これは祟りである。

NO.43 2011.12.24
<ジュニアの鳥肌>この盤をバイト先で見た記憶がある。
当時同僚だった彼らは、どこでこういった音楽の情報を入手し、実際に聴いたものであろう。
所有しなければ身につかない、というものでもないのか。
皆、よくジャズの事を知っていた。
そして私がかけようとするレコードを、ヒットメドレーばかりだな、と言って批判した。
彼らは今も音楽を聴いているだろうか。
4344で本作を聴いた10日後の事だった。
友人宅で再びこれを聴いたのである。
それはCDだった。
目の前で演奏しているようだった。次元の異なる音が出ていた。
私は信じられないものを聴いた気がした。
そこで、このCDは最近リマスターされたものかと聞いてみた。
友人は1000円そこそこの廉価盤だと言うのではないか。
私はその時、4344と決別する日が来るような気がした。
ところが、「気がした」どころではなかった。
次の日にはもう、オーディオショップを訪ねていたのである。
これまで付き合いのあったO店ではなく、何度か行き真空管など買ったことのあるA店であった。
それには理由があり、4344を私にすすめたO店を最早信頼できなかったからだ。
社長のK氏と初めて話をした。
実はK氏、O店の出身であり、独立されて16年目だということだった。
スピーカーを入れ替えようと思っている、とズバッと切りだした。
それもツルシの既製品ではなく、特注を考えていると。
K氏はこれまでの私のオーディオ経験を聞き、次のような提案をしたのである。
タテマツ音響にウーファー(低音用スピーカーユニット)ボックスを製作させる。
これは縦のダブルウーファーとしたい。
ユニットはJBLの1500AL。
それに山本音工の木製ホーン(ラッパ)、2インチのドライバー(高音用ユニット)を組み合わせ、さらにエール音響のツィーター(超高音用ユニット)を加えるという構成がいいのでは、と言われた。
鳥肌が立つような音がでますよ、と。
空耳だったのか、私にはその音が聞こえたのだ。
早くも全身に鳥肌が立っていた。

NO.44 2011.12.25
<ページワン 十勇士>ジョーヘン節炸裂。
曲名は嫌いだが「JINRIKISHA」は名曲だと思う。
本作ではブルー・ボッサよりこちらの方が好きだ。
個人的に十指に入るジャズメンオリジナルである。
では、残り9曲は何か。
ウィスパー・ノット、アイ・リメンバー・クリフォードは入るな。
これで3曲。
ナーディスも入れたい。ビ・バップとジョードゥーも。
これで6曲。
バードランドの子守唄は入れたい。7曲目。
残り3曲か、難しくなって来た。
仕方ない、ワルツ・フォー・デビーはパスだ。
クレオパトラ、処女航海、ミスティもパス。モーニンも入れない。
モンクを1曲入れるなら何だろう。
ラウンド・ミッドナイトは耳タコ過ぎる。ストレート・ノーチェイサーだ。
8曲目。
ストールン・モーメンツを入れておきたい。
あと1曲か・・・
ソニー・クラークのブルー・マイナー?
ホレス・シルバーは入れないのか?ニカズ・ドリームは入れたいぞ。
うーむ・・・
では2曲入ったベニー・ゴルソンから、アイ・リメンバー・クリフォードを落として、ブルー・マイナーとニカズ・ドリームを入れ、これにて10曲。
何か忘れている気がする。

NO.45 2011.12.26
<クッキン 名盤の作り方②>マラソン・セッションをして驚異的な作品群だとする気はない。
これはやはりやっつけ仕事だ。
ただし、質の高いやっつけ仕事なのである。
これがジャズの本質であり、衰退した原因でもあると思う。
レコード一枚作るのがあまりにも簡単なのだ。
マイルス本人がそれを一番感じていたのではないだろうか。
優秀なジャズメンにスタジオを与えれば、質の高いジャズのレコードがポンポン生まれてくる。
マラソンセッションはそれを証明したに過ぎない。
録音現場を見たことがないから、書かれたものから推察して憶測で語るしかないのだが、ジャズの録音というものは、簡単なアレンジがあり簡単な打ち合わせがあるだけで、あとは好きにやってくれというものだろう。
ブルーノートこそ録音前にリハーサルをやったというが、それはあくまでも例外であった。
それ以外のレコード会社ではまったくのぶっつけ本番であり、一日スタジオを押さえたら午前中に一枚、午後にもう一枚という具合に一日で二枚分のレコードを録音したというのである。
しかし、それは驚異でも何でもない。
まさしく、それがジャズなのだ。
こんな調子だから、ジャズのレコードというものは恐ろしく数が多い。
ジャズ喫茶の有名店はどこも大量のレコードを所有していたが、たいてい「万」の位の数であったと思う。
中には三万枚などという店が実際あり、その店は今も営業している。
札幌の「ジャマイカ」である。
ジャマイカへ行ってリクエストなどしてみると分かるが、店の人は所有するタイトルのうち、半分も把握していないのではないだろうか。
それはそうだろう、この数は既に人知の及ぶところではない。
私はジャズと名の付くレコードが全部で何枚あるものか知らない。
だが、ジャマイカにあるものが全てだとは思わない。
何故ならジャマイカのレコードはほとんどがアナログ盤で比較的古い年代のものであるし、現在も世にジャズのレコードが、CDという形態で日々増え続けているのである。
私はマイルスのした仕事に批判的な事も言いはするが、もちろん大好きであり、彼の作品をそれなりの数手元に置いている。
それを数えてみたら、60枚ほどの数だった。多いと思われるだろうか。
しかし、中山康樹氏著「マイルスを聴け!」には562枚のマイルス作品が掲載され、その本は手元の国語辞典よりぶ厚い。
ビートルズは何枚のレコードを残したか。
12枚である。
イーグルスは9枚に過ぎない。
中山本の562枚は海賊盤を含んでいるが、それにしてもこの差がジャズという音楽の本質を見事に示唆していると思う。
私はジャズ喫茶を営んでいる訳ではないので、一音楽ファンとして所有する60枚のマイルスが、少なくとも過少だとは思わない。
それらは意図して必死に集めたものではなかった。
気が付けばいつの間にか集まっていたのだ。
そして、それらのどれ一つとして内容的に質の悪いものはないが、これは演奏のクオリティの問題でも作品としての出来栄えの問題でもない。
需給バランスの問題である。
作り過ぎてはいけない、という事だ。
ジャズは自らの持つ本質(能力と言ってもいいが)によって、自分の首を絞めたのだ。

NO.46 2011.12.27
<ホーム カミング 新スピーカーが家に?>70年台初頭の録音。
フリー旋風に嫌気がさしてヨーロッパへ落ち延びたアート・ファーマーがようやく帰国。
直後に録音されたのが本作、というわけだ。
この後、今度はフュージョンブームの煽りで、CTIへ「クロール・スペース」など吹きこむが、本当にやりたかったのは普通のフォー・ビートだと思う。
だが、そういった普通をやれる期間というものは実は短かった。
アート・ファーマーが主にフリューゲルホーンを選んだのは何故だったのだろう。
人と違う楽器を持ちたかったのか。
いや、多分そうではなく、フリューゲルホーンの音色が好きだったのだと思う。
生理的に好きな音というものは実際あるものだ。そ
れはオーディオを選ぶ時の大きな要素でもある。
A店のKさんが勧める新スピーカーのあらましが大体まとまってきた。
ウーファーボックスは間口80センチ奥行き60センチ高さ110センチほどの大きさで、細部は製作するタテマツがコンピューターで最適化する。
ホーンは山本最大のF280Aをどうしても使いたいとおっしゃる。情報量が違うと。
その上にエール音響のツィーターを乗せるのだが、これが大変重い。だが、F280Aは作りがしっかりしていて、びくともしないそうだ。
ドライバーはA店にたまたまJBL2441の在庫があり、それをF280Aに装着する方向である。
この段階で問題が二つ出てきた。
使用を考えていたJBLのウーファー1500ALが既に生産終了で、店頭在庫を探したが見つからないのである。
代わりにとKさんが勧めるのが、エール音響の15インチウーファーなのだが、これが1500の倍以上の値段で、しかも重量が一発40キロ以上になる。
それを片側二発、それだけで私の体重を軽々と超えるのだ。
ざっと全体を計算してみると、片側300キロもの重さになってくる。
値段も重いが重量も相当なものだ。
恐る恐る、Kさんに聞いてみる。
どうしてもダブルウーファーにしないとダメなんでしょうか。
Kさん、どうしてもダメだとおっしゃるのだ。
そうしないと2インチドライバーとうまくバランスしないと。
そうは言っても金を払うのは私なんだがなあ。
思わず喉元まで出かかり、言葉を飲み込む。
もう一点は色の問題で、ウーファーボックスとホーンの製作先が異なるので、カタログの色がまるで違うのである。
特に山本のホーンはやけに赤く、どうも好きではない。色を合わせる特注は可能だが、一割程度は値段が上がるし、どこまで実際の色が揃うかわからない。
そして、実はこれこそが最大の問題と言って良いだろうが、これらのものを組み上げると高級自動車一台分に匹敵する金額となるのである。
この不景気にそんな買い物をして良いのか。
音も聴かないで。
生理的に嫌いな音がもし出たら、一体どうする。

NO.47 2011.12.28
<FOUR! タテマツ、山本、エール、そしてJBL>コンテンポラリーの音が良いというのは本当だ。
JBLのイメージはコンテンポラリーなのであり、断じてブルーノートではない。
カリフォルニアの青い空なのである。
それは温かく乾いているのだ。
イーストコーストはもう少しジメついている。
これは廉価盤のCDだ。
1100円。
ユニバーサルミュージックであるが、ソニーだったろうか。
CDの出始めにはこうした物を3000円以上で売っていた。
ソニーはずい分儲かった筈だ。
そのCDが三分の一の値段になっただけでなく、ソニーは相当厳しい事になっているように思う。
こんな日が来るとは思わなかった事だろう。
人生ほんとうに分からないものだ。
私は人生最大級の決断を迫られていた。
こんな日が来るとは思わなかったのである。
昔から音楽は好きだった。
それは本当だ。
だが、こんなにとんでもないオーディオマニアになるつもりなど更々なかった。
A店Kさんより提示された見積もりを見て、思わず声が出た。
な、な、・・なんだとー。
耳を疑うような金額のスピーカーである。
それを音も聞かずに買えと言うのか。
きっととんでもない(素晴らしい)音が出るのであろうが、もしも、もしもである、(いや、そんな事がある筈はないが)万一、万マン一にも良い音が出なかった日には、いったいどうすりゃいいのか。
だが、私は買うことにした。
どうしようもなかった人生の最後に、一つだけ最高の到達点を目指してみたい。
むろん、最高の音が出るとは限らない。
いや、多分それは出ないだろう。
何となくわかるのだ。
私の知るオーディオというものは、そんなに甘いものではなかった。
しかし、このまま4344で終わるわけにはいかなかった。
出来る限りのことはした、そうだ、そのように納得出来るものは、テニスとオーディオくらいのものではないか。
もう一人の私が強く背中を押した。
かくして私は新スピーカーを発注したのである。
製作に最低3カ月はかかるとの事であった。

NO.48 2011.12.29
<アレックス・カラオ>アレックス・カラオは生まれつき目が不自由であったようだ。
少々クラシックなスタイルのピアノで、アル・ヘイグを思わせるところがある。
昔ならパウエル派と言われたのだろう。
誰が言い出したか知らないが、このナニナニ派というやつ、思えば失礼な言い方だ。
来日したトミー・フラナガンがパウエル派に括られていると聞き、なにそれ、オレはフラナガン派である、と言ったとか。
日本特有の分類だったのか。
もしもそうなら、そのオリジナリティには少し感心する。
だが、今はもうそんな事は誰も言わなくなった。
その辺の無名新人ならいざ知らず、大ピアニストをつかまえてパウエル派はないだろう。
本作はカナダのオタワ大学でライブ録音されている。
バードランドの子守唄、ラブ・フォー・セール、イッツ・オールライト・ウィズ・ミー、ラバーマン等々馴染みの曲が続く。
ジャケット写真の眼鏡に写る鍵盤と彼の手が印象的だ。
偶然ではあるまい。バート・ゴールドブラットによるものである。
スタジオでの作品があれば聴いてみたい。

NO.49 2011.12.30
<ウィントン・ケリー>手元の盤は、マスターテープの状態がかなり悪くなってからのプレスだ。
再発の輸入盤。
大阪辺りの安レコード屋のバーゲンで買った記憶がある。
昔のアナログ録音はオープンリールのテープレコーダーを使ったもので、時間が経つほどテープが物理的に劣化する。
音が揺れたり飛んだり、これはもうどうする事もできない。
そうなってからCD化したところで、この点は何ら変わるところがない。
オリジナル盤の価値が高い理由はここにある。
出来たての状態の良いマスターテープを使って作られているからだ。
だからと言って、レコード一枚何十万もするのはさすがにどうかしているけれど。
この盤はそもそもプレスが良くないようで、絶えずイヤなノイズを発生させる。
傷があるわけではない。
とにかく仕事が雑な印象。
裏ジャケットを見る。
印刷の字がワクからはみだしている。
見えても見えなくても、どのみち理解できる訳ではないから構わないものの、作り手の愛情とか拘りとかの類は微塵も感じられない。
アメリカの工業製品らしい、と言ってしまえばそれまでだが、そもそも、このジャズという音楽自体がアメリカ発生のものなのだ。
神聖視することはない。

NO.50 2011.12.31
<オープン セサミ 開け裏蓋>フレディ・ハバードは2年ほど前、70才で亡くなった。
もう過去の人になっていたが、そして少しコマーシャルな所を批判されていたようだけれど、また一つ巨星が落ちたとその時思った。
これが彼の初リーダー作だった。
極東の田舎町で、こうやって故人の遺作を聴いている。
世界はそれなりに広いが私の世界はまことに狭く、たとえそうではあっても、やはりそれなりにいくつかの問題を抱えている。
しかしそんな事にはまったくお構いなく、フレディ死後の世界は来年も先へ進んでいくだろう。
人は誰も自分の世界で、自分なりに歩いて行くしかない。
すでにだいぶ前の話となるが、ステレオ・サウンドの菅野沖彦氏が「音のヌケ」について語っておられた。
後面解放型スピーカーは音のヌケが良い、との話に膝を打った。
我4344の裏面三分の一はメンテ用に蓋となっていて、ネジで留めてある。
それを外してみたのだ。
当然逆位相の低音が出てくるだろう。
だが、それがどうした。
長年の不満が一挙に解消されたのだ。
モヤモヤがなくなり、4344mk2は正しく解放された。
これなら、未知数の新スピーカーなんか要らないのではないか?