かつて視覚文化論の専門家であるアン・フリードバーグは、映画観客のことを「移動する視線」と「仮想的な視線」が重なり合った視覚を持つ存在だと定義しました。
前者は鉄道旅行やウインドウショッピングのように、実際の身体を移動させながら、さまざまな対象を気散じ的に消費していく人びとのあり方を指し示しています。後者は絵画や写真のように、いま-ここではないイメージをまなざす鑑賞者的な人びとのあり方を示しています。
そして映画は、それまでは静止的だった後者のまなざしのなかに、可動的なカメラによって撮られた動画とその編集物を差し出すことで、仮想的であり(いまーここではない動画)しかも移動的でもある経験を可能にしたというわけです。身体は不動であるにもかかわらず、視線は移動的で、しかも身体が位置するいまーここから乖離したイメージを見ることができるという状況は、インターネットや小型デバイスが発達し、移動中のあらゆる待ち時間を手元のスクリーンへと投げ出す現代社会において、一層徹底しているといえるでしょう。
本書は上記のようなフリードバーグの議論を、近代化を遂げつつあった上海での映画館およびそれをめぐる移動経験を対象に援用したものです。というよりも、フリードバーグやその参照者たちの議論が、どちらかといえば実証性には欠け、理論的な提示に留まっていたとするならば(それが問題だというわけではないのですが)、本書は文学者の日記のなかに表れた移動経路と映画経験の記述をたどりながら、時には古地図を手に実際に現地を練り歩き、また大量の言説を渉猟し、ありありとしたリアリティをもって「移動する視線」と「仮想的な視線」がまさに融合する瞬間を描き出しています。
正直にいえば、ここまで高解像度な歴史記述を日本語で読めるというのは完全に想定外でした。しかも上海を事例としているので、参照されている資料のほとんどは中国語です。中国語か英語で出版されていても全くおかしくないし、むしろそうされるべき本だと思います。