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21㎡ユニットバスの1Kで、「何者」かを目指していた日々。

    はる

    26歳の時、瀬戸内海の小さな田舎町から上京した。

    当時付き合っていた人は、わたしにはもったいないくらい素敵な人だった。

    けど、クラスの真ん中にいた陽気な彼と、端っこで脳内にアニメソングを流しながら俯瞰していたわたしとは本来混じり合わないタイプだ。 

    その相性の違和感はじわじわと7年の交際の末に結婚の歯車を狂わせた。

    わたしは自分の人生を再生するために、地元から出る道を選択した。 

    ◇

    上京直後、わたしはすでに「何者」かになったつもりでいた。どうか滑稽だと指をさして笑ってほしい。

    長い間サナギでいたけれど、やっと羽化しては蝶になれたと思ったのだ。渋谷の街を駆け巡れば自分の羽根が虹色に輝いては、ビルの窓に反射して、わたしがこの街を煌びやかにさせていると本気で思っていた。

    勝利の女神がわたしに向かってウィンクしている姿さえ見えた。

    ーああ、やっと本領発揮だ。わたしのターンが来たぞってね。 

    勘違いも甚だしい。実際のところわたしは「蛾が」だった。田舎にぽつんと佇む外灯に群がる蛾が、今度は渋谷のネオンサインに群がっているだけ。

    そのまま光に吸い込まれるように上昇しては、スクランブルスクアの壁に必死にしがみいていたけれど、雨に打たれて、いつのまにか用水路に落ちては灰色の羽根は泥まみれ。


    つまり、仕事ができない人間だった。

     「ねぇ。きみ本当に7年目?」

    院長に言われてしまった。

    歯を削って被せ物ができるまで、粘土のような材料で仮の歯を作る際だ。

    他のスタッフは、軽やかな手つきで仮歯を仕上げていく。まるで、粘土細工で遊ぶ子どものように。当のわたしは1本の仮歯と格闘していた。本物の歯に近い形にならない。

    左手に小さな仮歯を持ちながら、右手には機械を持って震えながら削っていく。

    その時に手袋が機械に巻き込んでしまい、仮歯を落としてしまったのだ。 

    落とたものは作り直しだ。さいあく。

    情けなくて、消えたくなる。まさか、自分がここまでできない人間だなんて。

     帰宅して電気をつけた瞬間、「あれ、なんでわたし、東京にいるんだっけ」と呟いた。

    そんな日々を過ごしながらも、初めての桜の季節。ベランダから覗くと目黒川の桜は高層ビルと融合して綺麗だった。

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    三階のベランダから


    週末になれば外ではお祭り騒ぎ。 
    誰もが700円のベリーが入ったシャンパンを持つ姿を、爪を噛みながら見ていた。悲しいかな、わたしにはそのシャンパンが買えなかった。

    いや、正確にいうと買う小銭はあるけれど、700円のシャンパンを買うくらいなら、東急ストアの半額ではないお弁当を買いたかった。

    ─わたしも、あのシャンパンを迷いもせず、買えるようになりたい。

    東急ストアで店員さんが半額シールを貼るのを有機野菜を物色するフリをしながら待つのはもうこりごりでさ。

    やっとシールが貼られたと思って、お肉売り場に行くと、パンチパーマのおばさまが一つ残らずカゴに入れた時の絶望感。

    ─その為に、死ぬ気で仕事を頑張ろう

    翌日から、仮歯の練習に励む日々を送った。

    ◇

    上京して3年目の春。

    仕事では評価されるようになった。
    それなのに、ベランダで桜ではなく高層ビルの屋上をぼんやりと眺めていた。片手にはストロングを持ちながら。

    スマホの画面には元カレの結婚報告。
    それをみた瞬間、世界が止まった。

    次第に涙が頬をつたり、口の中がしょっぱさで充満する。その度にストロングを含んでは、安っぽいレモンの味でかき消した。

     ああ、わたしは呆れる程に愚かな人間だ。
    今さら大切な人の存在に気づいて、後悔するとは。

    「あの頃に戻りたい」なんてご都合主義もいいところ。地元では当たり前に時間が流れていて、それぞれの道を歩んでいた。 

    もう、ベリーが入ったシャンパンは永遠に買えなくていい。

    もし、この先誰かと人生を交じり合わすことができたのなら、卵の殻を割らないように、大切にし続けよう。

    歯車が狂う前に、くだらないことから大切なことまで話し合あおう。

    そんな決意をした矢先だ。

    アプリで夫と出会いトントン拍子に結婚がきまったのは。  

    わたしたちが初めて顔合わせしたのは、台風が迫っていた渋谷の誰もいないレストラン。
    悪天候によりリスケしようと思ったけど、少しの望みを捨てずに会うことにした。

    きっと人の温もりを枯渇していた2人が、嵐のような夜でも誰かに出会いたいと望んだ先に、誰もいないレストランに居合わせた。

    そんな寂しい者同士の行く末が、結婚だったのかもしれない。

    まぁ、簡潔にいうと、タイミングが一致したのだ。 


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    引っ越し業者がきて、すっからかん


    ◇


    今年の春。夫と息子で目黒川を歩きながら桜を見ていると、1人暮らししていたマンションを通り過ぎて胸がぎゅっと苦しくなった。

    あの頃を思い出す。ぼんやり遠くを見ながら1人花見をしていたこと。 

    そして、必死に何かを目指していたこと。何かを手に入れたかったこと。
    その為に、これまでに勝ち取った戦利品で武装をし続けたこと。

     今となっては、あの頃と正反対だ。

    その鎧を一枚ずつ剥がしては、せーのって自分を取り繕っていたものを脱いでいった。最終的には、「ありのまま」になり見栄までゴミ箱に捨てた。

    きっと、大切な人を失った後悔が、自分を取り繕わなくても生きていける強さになり、誰かを愛するための優しさに変化した。 

    そんな内なる優しさは、微弱でも自分自身を輝かせる光に変わるだろう。もう、ネオンサインに群がる蛾になる必要はない。

    わたしは、家族の手をしっかり握って温もりを感じながら歩き続けた。


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    ◇◇

    最後までありがとうございました。


     
     
     

    はる

     
     
    歯科衛生士をしながら、子育てエッセイを書いている主婦です。フォローフォロー外しはご自由に。

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