
まだ字の読めない2歳児が図書館で見せた“究極のブラウジング”?
図書館における“ブラウジング”。
それは“特定の目的を持たず書架の本を眺め歩き、興味のある本を探してみること”といったところだろうか。
学生時代に司書課程の授業で教わった先生の中で「ブラウジングを“ぶらぶらブラウジング”と呼んでいる」と話していた先生がいた。
おかげで今も、ことばの意味を忘れていない。
おととい、2歳8か月の我が子を公立図書館に連れて行ってみた時のこと。
我が子は絵本コーナーの書架を自分で歩き回り、本の背を見て「この絵本よんでみたい!」と取り出し、律儀に近くの椅子に座って読み始めた。読むといってもまだ文字は読めない。なので「読もうか?」と聞くも「自分でよむ!」と首を横に振る。そしてページを好きにパラパラとめくり、絵や写真を眺めて閉じ、その本をまた元の場所に戻して次を探す。
その姿を見て、不意に「これは“究極のブラウジング”なのかもしれない」という思いが湧いた。
まだ文字を読めない中で、書架にずらりと並ぶ本の背を見て「この本にする!」と決めるために、我が子は一体どういった情報を受け取っているのか。
おそらくは文字のフォントや色から受ける雰囲気、たまに背に描いてある小さな絵を見て決めているのだろう。
一度「しんかんせんの本よむ!」と見事に新幹線の図鑑を引き当てて来た時には、驚いて「なんでこの本が新幹線の本だってわかったの?」と聞いた。答えは「ここ(背)に“はやぶさ”が書いてある!」だった。よく見たら本のタイトルの下に新幹線のE5系“はやぶさ”が描かれていた。
文字が読める自分は、タイトルを読んで「新幹線の図鑑だ」と認識するに留まっており、その下に描かれた新幹線の絵に気がついていなかった。我が子はきっと、文字が読めないがゆえに、その絵に気がついた。
もしかしたら、文字が読めない状態だからこそできるブラウジングがあるのではないか。
まだ文字が読めない2歳児の目に映る書架には、一緒に自分が見ている書架とは全く違う情報が溢れているのではないか。
そう感じた時、我が子のブラウジングがあまりにも尊いものに見えてきた。
感慨に耽る親をよそに、我が子は次々と気になる絵本を探した。じきに図書館の絵本コーナー内にお気に入りの席を見つけ、わざわざ最寄りの席を通過してまでその席に向かうようになった。ちびっこにとっては本棚の迷路のような道筋を迷わず辿り、抱えてきた本をその席の机に置き、椅子によいしょっと座り、ワクワクとページをめくる。
その様子を眺める親が絵本の話の全容をまるで理解しないうちに、満足気に本を閉じる。そしてまた本を返しに、てちてちと歩いていく。
お気に入りの席と少し遠くの書架とを行き来する過程と、絵本の文章を知ることなく絵だけを見る行為も含めて、きっと我が子は大冒険をしていた。
文字を読めるようになったら出来ない大冒険。
それを無邪気に楽しむ姿が、大人にはあまりにも眩しかった。