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ショートショート「一万円」

     コーヒーを溢した手は一瞬だけ冷たかった。温くすらなってきた茶色の泥が、机の上の真っ白な自己啓発本を角から侵食する。慌てて店員が雑巾を持ってきたが、こんな間抜けな僕をみないでほしい。ただ、僕はこのカフェのタバコの煙が羨ましい。そう思う。

    熱かった。僕は赤くなった手の甲に切った風をブンブン当てるように、新宿の人混みに混ざる。この一瞬、人の中にいる時だけ僕はまともな気がする。
     新宿駅のコインロッカーから、送られた番号を入力する。中には一眼レフカメラが入ってる。それを埼京線に乗って池袋のクラブに届ける。僕は正気だ。僕は働く。それはスーツを着たサラリーマンが汗を飛ばしながら、子どもと奥さんを暖かい部屋に閉じ込めるように、秋葉原のオタクが美少女のフィギュアをガラス張りに監禁するように、歌舞伎町のホステスが頑張って烏龍茶を胃に入れ、彼女と同じクズの幸せを願っているように、僕は幸せのために動くのだ。暗いだけの路地に入ってチャイムを鳴らした。扉が開いた。思ったよりも明かりが少ない。刺青が入ったいかにもな人が出てきたので、少し吹き出しそうになった。ごちゃごちゃ言っているが、専門用語か分からない言葉ばかりで、「わかりません」としか言えない。わざとらしく強引に、カメラを奪い去ると、鼻をかんだ後の1万円を貰えた。タスクが終わった高揚感と脱力感で僕は生きているのはこのためであると悟る。ふと、足元を見ると茶ばんだ鼠が白目に入って台無しになる。

    僕は気になっていた、マリオギャラクシーをバルト9で観る。前作は金曜ロードショーで観たから、マリオの顔はずっと90度傾いていた。煌びやかな映写機の反射光が、網膜を刺激する。覚えていたのはペプシコーラの冷たさが僕の手の甲を冷やしてくれてた事だ。ペプシコーラだけが大きなスクリーンで僕の事だけを見てた。本当は僕は感極まりっていたが、隣のJKに見られたら侮蔑の眼で見られるようで、コッソリとトイレに行く。個室のトイレに入ると、ディオールの紙袋と目が合った。中には黒くて四角い箱が入っている。携帯の電源を入れると、LINEが「ティロン」と鳴った。

     
     
    ショートショートを書きます。投稿内容は全てフィクションであり、実在の人物・団体とは関係ありません

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