
朝の散歩から始まる、通知のこない優しい繋がり
「誰かと繋がること」は、自分をすり減らすことだと思い込んでいた。
画面を開けば、いつでも誰かと繋がれる時代。スマートフォンの向こう側では、友達の「いま」がリアルタイムで更新され、メッセージが届けば「早く返さなきゃ」と見えない義務感に追われる。
他人の人生を覗き見しては焦り、自分の心をすり減らす毎日に、わたしは消耗していた。
むやみに人と関わらないことだけが、自分を守る唯一の方法だ。そんな頑なだったわたしの心を解いてくれたのは、名前も、連絡先も、年齢すらも知らない、ある「パンのおじさん」との10分足らずの温かな時間だった。
その日常にたどり着くまでの道のりは、いまから5年前の春にさかのぼる。
当時のわたしは、朝が大の苦手だった。それでも早起きを決意したのは、教員採用試験のため。「先生になる」という夢のために膨大な勉強時間を捻出するには、朝しかなかった。けれど、ただ起きるだけで机に向かっても頭が働かない。
見かねた母が「朝、散歩しに行こうよ」と言った。それがすべての始まりだった。
・*・*・*・
家から片道20分ほど歩いた場所にある池まで歩き、ローソンで淹れたてのコーヒーを一杯買って、池を一周して帰る。それがわたしのささやかな「ご褒美」であり、日課になった。
毎日同じルートを歩いていると、不思議なことに気づいた。同じ時間に、同じ場所で、同じ人とすれ違うのだ。母は驚くほど気さくな人で、道行く見知らぬ人にも「おはようございます」と声をかけ、ローソンの店員さんや犬の飼い主さんとも気付けば楽しげに世間話をしている。
人間関係に消耗していたわたしには、その振る舞いが窮屈で仕方なかった。せめて不機嫌な朝くらい、誰とも関わりたくない。一度顔見知りになってしまったら、明日から会うたびに愛想よく挨拶し続けなければならない。何も考えず、知らない人のまま、静かにすれ違っていたかった。
「お母さん、お願いだからこれ以上、知らない人と交流を広げないで」と、わたしはよく釘を刺していた。
その池のほとりには、いつも鳥たちに食パンの耳を投げてにこにこしている、一人のおじさんがいた。案の定、母はそのおじさんといつの間にか仲良くなっていた。「ああ、また面倒なことになったな」とわたしは心の中でため息をついた。もう「挨拶をしないわけにはいかない距離」になってしまったからだ。
当時のわたしは「年配の大人」に対して少し尖った苦手意識を持っていた。若さや立場の弱さにつけ込んで、無遠慮な言葉を投げつけてくる大人を経験してきたからだ。「どうせこの人も、わたしの素性を詮索して、説教くさいことを言うに決まってる」
そんな歪んだ偏見で値踏みしていたわたしを、おじさんは静かに裏切った。
「いい天気だね」「珍しい鳥がいたよ」
それだけだった。
おじさんは、わたしの名前も、年齢も、何をしているのかも、何一つ聞いてこなかった。その日の天気と見えている景色だけを言葉にする。
その「詮索しない優しさ」に触れた時、わたしの心に小さなゆらぎがうまれた。会社を退職したあと、健康のために毎朝歩いているのだと、おじさんはさらりと話してくれた。詮索されない会話が、じわじわと心地よくなっていった。
・*・*・*・
季節は巡り、新緑が眩しい5月になった。
試験勉強が思うように進まず、焦りと不安で胸が押しつぶされそうな朝があった。模試の点数が伸びない。努力が結果に結びつかない。重い足取りで視線を地面に落としたまま歩いていたわたしに、池のおじさんがふと言った。
「おねえちゃんも手伝ってよ」
差し出されたのは、半分に割った食パン。
池を覗くと、いつの間にかカモの親子がやってきていた。生まれたばかりの小さな赤ちゃんをたくさん連れて、一斉にこちらを見上げている。言われるがままにパンをちぎり、水面に投げてみる。小さな雛たちが一生懸命に首を振って、健気にパンをつつき始めた。
「可愛い」
どんよりしていた気持ちが、すっと和らぐのを感じた。必死にパンを食べている姿が愛おしくて、自然と笑みが溢れていた。
それと同時に、はっとした。わたしはずっと「関わったら傷つけられる」と勝手に他者を敵視し、勝手に孤独の殻に閉じこもっていただけではないか。
パンをあげているほんの10分足らずの時間。そこには既読スルーも、消耗する承認欲求も存在しない。ただ朝の澄んだ空気と、ちぎったパンと、優しい時間だけがある。
それからわたしは、会うたびにおじさんと一緒にパンをあげるようになった。名前も知らない。連絡先も交換していない。それでも、おじさんと話す時間が何よりの楽しみになっていた。
SNSの通知に追われていたあの頃、わたしはずっと誰かに縛られているような息苦しさを感じていた。つながっているのに、どこか孤独だった。池のおじさんとの関係は、それと正反対だった。
会っている間だけ話す。別れたら、それきり。また明日会えたら話す。それだけ。なのに、その軽やかさの中に確かな温かさがあった。偶然同じ時間に同じ場所にいる。ただそれだけで生まれた関係が、こんなにも豊かだとは思っていなかった。
そんなおじさんとのささやかな時間に支えられながら、その年、わたしは教員採用試験に合格した。念願だった「先生」として教壇に立つことができた。試験勉強の朝も、不安な朝も、池のそばで過ごしたあの10分間に、わたしは何度も救われたのだ。
・*・*・*・
あれから、5年が経った。
今でも朝、家を出る時に「今日もおじさんいるかな」と自然と探している自分に気付くと、少しだけ苦笑いしてしまう。おじさんは変わらず食パンを持って鳥たちを待っていて、わたしはコーヒーを片手に「おはようございます」と言う。
5年前と少しだけ違うのは、お互いの距離だ。相変わらず連絡先は知らないし、名前だって知らない。けれど、どこかへ旅行へ行ったときには「いつもお世話になっているから」とお土産を買い、朝の池で手渡すようになった。おじさんは嬉しそうに目を細め、近所の美味しいご飯屋さんをたくさん教えてくれる。
「暮らす」ということは、きっと、自分が安心できる身内だけの場所で世界を埋め尽くすことではない。
名前も、年齢も、肩書も剥ぎ取られた場所で、ただ「同じ時間に、そこにいる」という事実だけで肯定し合える他者がいること。それだけで、日々の暮らしの手触りは、驚くほど温かく、確かなものになる。
SNSの通知に追われ、誰かの「いいね」を掠め取るように生きていたあの頃のわたしに、この池のほとりの景色を教えてあげたい。
まぶしい朝の光のなか、わたしは今日もお気に入りのスニーカーの紐を結ぶ。
名前も知らない、あの「パンのおじさん」に会いにいくために。