手記01_音楽と信条_シャニマス , fhána
3月末。あらためてここ7,8年の自分について書き記したいと思い、手記を書き始めた。だから実はこの文の作成日は3月30日になっている。(半年以上経っている……)
振り返った時、強く影響を受けた音楽や作品、人のことが思い浮かんだ。何について書くかが決まった。
今の私のあり方は、2019年前後に触れた音楽や作品をきっかけに芽生えていったように思う。
その大きなきっかけが、私の好きなバンド、fhánaの音楽と、ゲーム「アイドルマスターシャイニーカラーズ」だ。
シャイニーカラーズ
「アイドルマスターシャイニーカラーズ」を簡単に紹介するなら、アイドルプロデュースゲームだ。プレイを通じて、アイドルと一緒に歩んでいく。物語(作中では「コミュ」と呼ばれる)を通じて、彼女たちの活動や内面を知っていける。
この作品に最初に強く心動かされたのが、作中に登場するユニット「イルミネーションスターズ」のお話、「Star n' dew by me」だ。
少し、内容について書こう。
イルミネーションスターズのメンバーの1人、八宮めぐるさん。彼女は太陽のように明るく快活で、学校でも複数の部活の助っ人に加わるような人。一方で、内側の深いところに孤独を抱えていて、それが彼女の優しさや絶妙な距離感の寄り添いに繋がっているような、そんな人。
ユニットで出演した番組の企画でオニごっこをした際、めぐるさんはオニになり、ユニットメンバー2人を追う立場になる。普段隣にいる2人から逃げられ、企画の都合上、休憩も別々に過ごす……そんなうちに、彼女は孤独を感じていく。
そんな彼女にメンバーがかけた言葉を、私は鮮烈に覚えている。
「すごいめぐるちゃんじゃなくて、めぐるちゃんが好きだから。意味はなくても、そばにいたいなって。」
彼女が部活の助っ人を積極的に引き受けていたのは、潜在的に「役に立てる→友達になれる」という意識のはたらきがあったよう。お母さんがアメリカの方で、その髪と目から、なかなか馴染めなかった時期もあったのかもしれない。
そんな彼女の隣にいる2人は、ありのままの彼女を好きだと、そばにいたいと言ってくれている。それがどれだけ嬉しいことか。そう思うと、涙が止まらなかった。私も、そんな人になりたい。そう伝えられるような人でありたい。そう感じた瞬間だった。
この企画のあと、「太陽みたいでした!」という感想を受けた彼女は、メンバーにこう話す。
「できればなんだけどね……?」
「夜の太陽にもなりたいなぁって思うんだけど、どうかな?」
「太陽の光は元気が出るけど、たまにそれだけが正しいようにも見えるから」
「夜のすみっこに置いてもらえるようなやさしい光にもなりたいなーって」
夜の闇に深く深く潜っていきたいような、そんな時にも、月や星はそっと光を灯している。太陽が眩しすぎて痛い時でも、そっと照らせるような、そんな光。
ああ、この人は。
「よみちのみちしるべ」になってくれる人なんだ。
私も、そんな寄り添いができるようになりたい。そういう人でいたい。そう思うようになった。2019年から2020年にかけてのことだった。
ここで好きな八宮めぐるさんピクチャを4枚発表……(急に??)




日々を、紡いでいくんですよね……
fhána
fhánaは、私が毎日何曲も音楽を聴くようになるきっかけをくれたバンド。Twitterを始めた2016年頃から曲は知っていて、MVを見たり、某レンタル店でCDを借りたりしていた。
ライブアレンジが素晴らしい、という友人の話から、ライブにも興味を抱きはじめた。前日の夜、仕事を終え、名古屋まで夜行バスに乗って行ったのが2019年11月17日。もう6年近く前になる。この2019年のライブは、私が初めてライブハウスに行った日。仕事を終えてすぐに夜行バスに乗り込み、名古屋へ。思い出深い日だ。
これを機に、このバンドの存在は、私の中で非常に大きなものになっていった。コロナ禍で心が折れかけていた私を支えてくれたのも、fhánaの音楽だった。それは今も。
私はこのバンドの描く「他者との距離感」が好きだ。特に好きな、アルバム「What a Wonderful World Line」について挙げたい。少し長いけれど、インタビューを引用する。
今回は"人と人はわかり合えない"とか、"人生に意味はない"とか、そういうものをアルバムのテーマにしてるけど、"もしかしてほんの一瞬だけわかり合える瞬間もあるのかもしれない"という内容にしたかったんです。
わかり合えないという前提があるからこそ、わかり合えたような気がした瞬間は輝くし、奇跡みたいな瞬間だし、ギフトみたいなものなんだよと。
それは、ふいに訪れることもあるけど、その状態をキープしておくのは難しくて、気づくと消えてしまうもので。でもたしかにあのときわかり合ったような気がするなあ......みたいな。
最後の"君と僕はそうただ独りのまま/分かり合うのさ"で、泣けるなぁって。
思えばこの頃まで私は「心の深いところまで話しても、"どうせ"わかり合えないしな……」と諦め、人と深く接そうとしていなかった。
でも、それは違っていた。
わかり合えないのは、当たり前で。
その前提があるからこそ、「わかり合えた気がした瞬間」は輝くんだと、そう思えるようになった。
なら、その前提を受け入れて努力したい、その輝きをつかみたいと、そう考えを改めた。
この思いをさらに強めたのが、2021年のNHK朝ドラ「おかえり、モネ」だった。
手記02へつづく。
(下書きに03くらいまである)
