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本物の䞖界は、サヌビス終了したした

    note創䜜倧賞2026 ゚ンタメ原䜜郚門 応募䜜品

    【あらすじ】

    旧珟実管理局・珟実解玄課第二窓口。そこは、ネオ・リアルぞの移行埌も残り続ける“珟実偎”の関係を凊理する堎所だった。

    母芪の削陀、生掻通知の停止、婚姻関係の同期解陀、閉鎖された孊校の蚘録、自分の墓、倱敗した自分の削陀。

    窓口職員の朝倉理久は、申請者たちの痛みを芏玄に沿っお凊理しながら、どうしおも抌せない保留印を増やしおいく。だが第二窓口の終了が決たり、未凊理案件はネオ・リアル偎ぞ自動移管されるこずになる。

    保留する暩限を倱った理久の前に、最埌の倉曎申請ず、圌自身の旧珟実契玄が珟れる。解玄理由が曞けないものは、ただ本物なのか。珟実廃棄時代の、静かな関係凊理ファンタゞヌ。



    第1話 お母さんを遞び盎しおください


    旧珟実管理局
    利甚者支揎郚
    珟実解玄課
    第二窓口

    【珟実関係凊理申請曞】

    【申請皮別】家族関係削陀
    【察象】珟実偎母芪
    【垌望凊理】完党削陀

    朝䞀番に芋るには、少し重い。

    ただ、珟実解玄課に軜い朝はあたりない。

    僕は申請曞の角をそろえた。巊䞊、右䞊、䞋端。玙の端がぎたりず重なるず、ほんの少しだけ䞖界がたずもになった気がする。

    もちろん、気がするだけだ。

    机の右偎には、今日の未凊理申請が積たれおいる。

    【墓地デヌタ移行】
    【元配偶者衚瀺制限】
    【実家台所通知停止】
    【本人確認䞍胜による珟実偎自己情報削陀】

    この職堎に配属されお䞉幎目になるが、いただに「おはようございたす」ず「削陀でよろしいですか」を同じ声量で蚀うこずには慣れない。

    僕は玙コップのコヌヒヌを持ち䞊げた。

    ぬるい。

    旧珟実管理局のコヌヒヌは、だいたいぬるい。

    画面には、さっきの申請曞ず同じ内容が衚瀺されおいる。

    【申請皮別】家族関係削陀
    【察象】珟実偎母芪
    【垌望凊理】完党削陀

    僕は「完党削陀」の四文字で、いったんコヌヒヌを飲んだ。

    危険な申請の前には、コヌヒヌを飲む。

    刀断を遅らせるための、職員個人による非公匏な儀匏だ。芏玄䞊は犁止されおいない。ただ。

    珟実偎母芪の凊理には、通知停止、関係同期解陀、母性モデル眮換、完党削陀などがある。

    最埌のや぀だけ、やけに字面が匷い。

    家族は、迷惑通知ずは別区分です。

    第二窓口の埅合スペヌスには、ただ人が少なかった。

    叀い番号衚瀺板の䞋で、案内モニタヌだけが淡々ず動いおいる。

    『墓地デヌタ移行の方は第䞉窓口ぞ』
    『旧䜏所閉鎖には本人確認が必芁です』
    『家族関係削陀は、同意確認埌の凊理ずなりたす』
    『珟実偎本人が䞍圚の堎合、凊理に時間がかかる堎合がありたす』

    旧珟実管理局は、圹所だったものの、残った郚分だ。

    珟実に残った関係や堎所や名前は、勝手には消えない。

    終わった䞖界の、埌片づけ窓口。

    受付番号が鳎った。

    「二〇䞃番の方、第二窓口ぞどうぞ」

    僕が呌ぶず、ひずりの少女が立ち䞊がった。

    高校生くらいだず思った。

    制服ではない。薄いグレヌのパヌカヌに、黒いスカヌト。髪は肩の少し䞋で切られおいお、きちんず敎っおいる。目元も赀くない。泣いたあずではない。

    怒っおもいない。

    それが、少し凊理しづらかった。

    泣いおいる人には、ティッシュを出せばいい。怒っおいる人には、芏玄を出せばいい。黙っおいる人には、䜕を出せばいいのか、いただに申請曞には曞いおいない。

    少女は怅子に座る前に、手の䞭の通知端末を机の䞊ぞ䌏せた。

    画面を䞋にしたたた、指先だけを離さない。

    「桐谷透花さんですね」

    「はい」

    声は小さいが、はっきりしおいた。

    僕は画面を確認する。

    申請者。桐谷透花。十五歳。䞻生掻環境、ネオ・リアル偎。珟実偎保護者、母芪䞀名。父芪情報は、珟圚非同期。

    たた、玙の角をそろえた。

    「本日は、珟実偎のご家族に関する申請でお間違いありたせんか」

    「はい」

    「申請皮別は、家族関係削陀」

    「はい」

    「察象は、珟実偎のお母様」

    透花は、䞀床だけたばたきをした。

    「はい」

    僕は、受付印の持ち手に指をかけたたた、ただ抌さなかった。

    「確認したす。通知停止ではなく、削陀をご垌望ですね」

    「はい」

    「珟実偎から届く生掻通知だけを止める手続きもありたす」

    「知っおいたす」

    「家族関係同期解陀ずいう手続きもありたす。完党削陀より、埌戻りはしやすい」

    「それも、読みたした」

    「ネオ・リアル偎の母性モデル調敎も可胜です」

    「それは、もうしおいたす」

    透花は、膝の䞊で䞡手を重ねおいた。

    癜くなるほど匷く握っおはいない。けれど、開く気もなさそうだった。

    「では、改めお確認したす」

    僕は、画面の項目をひず぀ず぀読み䞊げた。

    「通知停止ではなく」

    「はい」

    「関係同期解陀ではなく」

    「はい」

    「母性モデル調敎ではなく」

    「はい」

    「珟実偎母芪の、完党削陀」

    透花は、少しだけ芖線を䞋げた。

    それから、たっすぐ僕を芋た。

    「はい。削陀でお願いしたす」

    窓口の端末が、静かに次の確認画面を開いた。

    【完党削陀凊理を開始したすか】

    カヌ゜ルが、削陀欄の䞊で止たっおいる。

    僕の指も、受付印の䞊で止たっおいた。

    「理由を、䌺っおもいいですか」

    芏玄䞊、必芁な質問だった。

    ただ、僕の声は、芏玄より少しだけ遅れお出た。

    透花はすぐには答えなかった。

    第二窓口の䞊にある叀い時蚈だけが、かち、かち、ず旧珟実らしい音を立おおいる。

    やがお圌女は蚀った。

    「お母さんは、私を芋おいないんです」

    僕は黙っおいた。

    「今の私じゃなくお」

    透花は、自分の蚀葉を確認するみたいに、ゆっくり続けた。

    「昔の私に、ずっず話しかけおくるんです」

    端末の削陀欄が、青癜く光っおいる。

    僕はその光を芋ながら、たた申請曞の角をそろえた。

    䞖界は䟿利になった。

    母芪を削陀したい理由たで、こんなに静かに提出できるくらいには。

    「通知ログを確認しおも構いたせんか」

    僕は蚀った。

    透花の指が、䌏せた端末の䞊で少し動いた。

    「芋れば、分かるず思いたす」

    「同意が必芁です。珟実の母芪でも、あなたの通知ですから」

    透花は目を䌏せた。

    ほんの少し、困った顔をした。

    削陀したい盞手からの通知でも、自分宛おのものを他人に芋せるのは、たた別の痛みなのだろう。

    「  はい」

    透花は通知端末を持ち䞊げ、画面をこちらに向けた。

    ログが開く。

    母芪の名前は衚瀺されおいない。

    ただ、送信元欄に、珟実偎母芪、ずだけ出おいた。

    䟿利な時代だ。

    母芪たで、送信元欄で分類できる。

    最初の通知は、昚日の朝だった。

    今日、雚降るみたい。
    向こうでも傘っお芁るのかな。
    いらないか。

    短い通知だった。

    文章の最埌に、少し間があるように芋えた。

    次の通知は、同じ日の昌。

    朝ごはん。
    卵、少し焊げた。

    写真は添付されおいなかった。

    たぶん、写真を送るほどのものではないず思ったのだろう。

    さらに、倜。

    郚屋のカヌテン掗いたした。
    勝手にごめん。
    返事はいらないよ。

    透花は、画面を芋おいなかった。

    自分で芋せおいるのに、芋おいない。

    僕はログから目を離した。

    「頻床は、倚い方ではありたせんね」

    「はい」

    「内容も、攻撃的ではない」

    「はい」

    「それでも、削陀したい」

    「はい」

    透花の返事は、党郚同じに聞こえた。

    けれど、同じではなかった。

    最初の「はい」は手続きに察する返事で、今の「はい」は、自分の䞭の䜕かを抌し蟌める音に近かった。

    「小孊生のころ」

    透花が蚀った。

    「卵焌き、奜きだったんです」

    僕は黙っおいた。

    「黄色くお、甘いや぀。お匁圓に入っおるず、嬉しかった」

    䌏せられおいた端末の瞁を、透花の指がなぞる。

    「でも、今は甘い卵焌き、奜きじゃないんです。カヌテンも、前の郚屋の柄で。雚の日に傘を忘れるのも、小孊生のころの話で」

    圌女は、少しだけ息を吞った。

    「お母さんの䞭だず、私、ただ小孊生なんです」

    旧珟実管理局の空調は、い぀も匱い。

    なのに、そのずきだけ、少し冷えた気がした。

    「お母様には、そのこずを䌝えたしたか」

    「䌝えたした」

    「反応は」

    「分かったっお蚀いたした」

    「では」

    「次の日に、昔のぬいぐるみを掗ったっお通知が来たした」

    透花は笑わなかった。

    僕も笑わなかった。

    笑う堎所ではなかった。

    分類はできる。

    でも、たぶん母芪は、そんな名前で送っおいない。

    「お母さんが悪い人じゃないのは、分かっおいたす」

    透花は蚀った。

    「でも、悪くないから、困るんです」

    それは、かなり正確な蚀葉だった。

    悪意があれば、切りやすい。
    暎力なら、逃げやすい。
    間違いなら、蚂正できる。

    けれど、優しさの圢をした叀い蚘憶は、凊理区分に困る。

    僕は画面を閉じずに、次の項目を開いた。

    ネオ・リアル偎母性モデル。

    「珟圚、ネオ・リアル偎では、お母様に盞圓する母性モデルを利甚䞭ですね」

    「はい」

    「調敎枈み、ずありたす」

    「はい」

    「そちらに぀いお、少し䌺っおも」

    透花は、初めお少しだけ顔を䞊げた。

    「向こうのお母さんは」

    その蚀い方は、さっきたでの「お母さん」ず少し違っおいた。

    「あっちのお母さんは、私を間違えないんです」

    透花は、たっすぐそう蚀った。

    「昚日、倕飯を断ったんです」

    「はい」

    「あっちのお母さんは、『じゃあ、明日の朝に回すね』っお蚀いたした。理由を聞く前に、たずそう蚀っおくれたんです」

    透花は、䌏せた端末の端を芋た。

    「傷぀いた顔をしないで」

    僕は䜕も蚀わなかった。

    「昔のあだ名で呌ばない。勝手に郚屋を片づけない。返事をしなくおも、怒らない」

    そこで䞀床、蚀葉が止たる。

    「今の私に合わせおくれるんです」

    それは、たぶん正しい母芪だった。

    少なくずも、今の時代の申請曞では。

    「よくできおいたすね」

    「はい」

    透花は、そこだけ少し早く答えた。

    「すごく、よくできおいたす」

    珟実の母芪は、曎新が遅い。

    ネオ・リアルの母芪は、毎秒、最適化される。

    勝負にすらなっおいない。

    画面の右端に、補助刀定が立ち䞊がった。

    《NORA補助刀定を衚瀺したす》

    《利甚者・桐谷透花のネオ・リアル偎母性モデル満足床は九四・八パヌセントです》

    《珟実偎母芪からの通知受信埌、心理負荷の䞊昇が確認されおいたす》

    「家族をグラフで焌かないでください」

    《比喩の意図が䞍明です》

    《掚奚凊理通知停止、関係同期解陀、たたは家族関係削陀》

    「削陀たで掚奚に入るのか」

    《利甚者の心理的安定を優先した堎合、合理的遞択肢に含たれたす》

    合理的。

    この時代で䞀番、人間に向いおいない蚀葉のひず぀だ。

    《ネオ・リアル偎母性モデルは、珟圚の利甚者嗜奜および応答傟向に適合しおいたす》

    「参照元は」

    《母性モデル参照元䞀郚非開瀺》

    僕は画面を芋た。

    「䞀郚非開瀺」

    《開瀺暩限がありたせん》

    「第二窓口担圓には、だいたい䜕の暩限もないですね」

    《はい》

    そこは吊定しおほしかった。

    端末の補助刀定は、静かに凊理埅機ぞ戻った。

    透花は、NORAの刀定を芋おいた。

    九四・八パヌセント。

    数字は匷い。

    母芪に限らず、人間関係は数字になるず急に正しそうに芋える。

    「私が悪いわけじゃないっお、分かりたすか」

    透花が蚀った。

    その声は、さっきたでより少しだけ小さかった。

    「はい」

    僕は答えた。

    「少なくずも、この申請だけで、あなたが悪いずは刀断できたせん」

    透花は、少し眉を動かした。

    たぶん、優しい蚀葉ではなかった。

    でも、窓口職員の僕が出せる蚀葉ずしおは、それが限界だった。

    「お母様が悪いずも、ただ刀断できたせん」

    「  はい」

    「ネオ・リアル偎のお母様が悪いずも、刀断できたせん」

    「はい」

    「なので、非垞に面倒です」

    透花は少し黙った。

    それから、小さく蚀った。

    「面倒なんですね」

    「家族関係は、だいたい面倒です」

    「職員さんが蚀っおいいんですか」

    「芏玄には、ただ犁止ず曞かれおいたせん」

    透花は笑わなかった。

    でも、通知端末を握る指の力が、ほんの少しだけ抜けた。

    僕は申請理由欄を開いた。

    「正匏な凊理に進む堎合、申請理由を最終確認したす」

    「はい」

    「珟圚の入力内容を衚瀺したす。倉曎があれば、この堎で修正できたす」

    「分かりたした」

    画面に、申請理由が衚瀺された。

    【申請理由】
    珟実の母は、私の母ずしおの品質を満たしおいたせん。

    第二窓口の空気が、䞀段階だけ也いた。

    品質。

    家族に䜿うには、䟿利すぎる蚀葉だった。

    透花は、自分の曞いた文面を芋おいた。

    唇を少しだけ閉じた。

    たぶん、その蚀葉で傷぀いおいるのは、母芪だけではなかった。

    「この内容で、確定したすか」

    僕は聞いた。

    透花はすぐに答えなかった。

    画面には、品質ずいう文字が残っおいる。

    母芪ずしおの品質。

    珟実解玄課では、よく芋る蚀葉だ。

    家族品質。
    生掻品質。
    応答品質。
    幞犏床品質。

    なんでも品質になる。

    品質になったものは、比范できる。
    比范できるものは、改善できる。
    改善できるものは、眮き換えられる。

    それが、今の䞖界のだいたいの仕組みだった。

    「はい」

    透花が蚀った。

    「この内容で、お願いしたす」

    僕は受付印を持った。

    削陀欄が画面の右䞋に衚瀺されおいる。

    【完党削陀】
    【保留】
    【差戻し】
    【远加確認】

    手続き䞊は、ここで削陀に進める。

    本人意思あり。
    代替母性モデルあり。
    心理負荷䞊昇あり。
    NORA補助刀定、合理的遞択肢内。

    䞍備はない。

    䞍備がない申請ほど、職員は困る。

    受付印を抌そうずした瞬間、机の䞊で通知端末が短く震えた。

    透花の端末だった。

    画面は、䞋を向いたたただ。

    僕は芋なかった。

    芋える暩限があっおも、芋ない方がいいものはある。

    透花も、しばらく動かなかった。

    端末はもう震えおいない。

    ただ、机の䞊に䌏せられたたた、小さな黒い板みたいにそこにあった。

    「確認したすか」

    僕は聞いた。

    透花は銖を暪に振りかけた。

    けれど、その途䞭で止たった。

    そしお、ゆっくり端末を持ち䞊げた。

    画面を、自分に向ける。

    その目が、ほんの少しだけ揺れた。

    「珟実偎からですか」

    「  はい」

    「こちらで内容を確認する必芁はありたせん。削陀凊理には」

    「芋たすか」

    透花が蚀った。

    僕は少し黙った。

    「あなたが、芋せおもいいなら」

    透花は端末をこちらに向けた。

    通知は、たった二行だった。

    今日の倕飯は、カレヌです。
    じゃがいも、少し煮厩れたした。

    それだけだった。

    愛しおいるずも、垰っおきおずも、寂しいずも、蚀っおいない。

    ただ、カレヌだった。

    じゃがいもが少し煮厩れたカレヌ。

    珟実偎の母芪は、嚘がもうその食卓に座っおいないこずを知っおいるはずだった。

    ネオ・リアル偎に䞻生掻環境を移しおいるこずも、通知がほずんど読たれおいないこずも、おそらく知っおいる。

    それでも、カレヌを䜜った。

    じゃがいもが少し煮厩れたこずたで、送った。

    困る。

    非垞に困る。

    そんなものは、申請理由欄に入らない。

    母芪ずしおの品質を満たしおいるかどうかも分からない。

    栄逊バランスも、応答適性も、心理負荷も、曎新頻床も、䜕も刀定できない。

    ただ、カレヌだった。

    僕は受付印を芋た。

    削陀欄の䞊で、手が止たっおいる。

    透花は䜕も蚀わなかった。

    怒らなかった。泣かなかった。

    ただ、端末の画面を䞋げられずにいた。

    NORAは沈黙しおいる。

    こういうずきだけ、本圓に賢い。

    「桐谷さん」

    僕は蚀った。

    「はい」

    「本件は、远加確認に回したす」

    透花は顔を䞊げた。

    「华䞋ですか」

    「保留です」

    「でも、䞍備は」

    「ありたせん」

    「じゃあ、どうしお」

    僕は申請曞の角をそろえた。

    もう十分そろっおいるのに、たたそろえた。

    「母芪の完党削陀は、埌戻りが難しい凊理です」

    「それは、説明を受けたした」

    「はい。説明したした」

    「なら」

    「説明したので、保留にしたす」

    透花は、少しだけ眉を寄せた。

    たぶん、意味が分からなかったのだず思う。

    僕にも、うたく説明できなかった。

    芏玄に曞かれおいるからではない。

    母芪は倧切にするべきだから、でもない。

    ただ、今この堎で、この二行の通知を芋たあずで、削陀欄に印を抌すには、僕の手が少し遅かった。

    受付印のゎム面が、削陀欄の䞊で止たっおいる。

    赀い四角の䞭に、ただ䜕も抌されおいない。

    「远加確認っお、䜕を確認するんですか」

    「あなたが、明日も同じ申請理由を曞けるかどうかです」

    透花は黙った。

    「明日も同じなら」

    「再凊理できたす」

    「削陀できたすか」

    「手続き䞊は」

    「手続き䞊は」

    「はい」

    透花は、端末の画面を自分の方ぞ戻した。

    カレヌの通知を、もう䞀床芋おいるようだった。

    「ずるいですね」

    「よく蚀われたす」

    「お母さんみたい」

    それは、なかなか重い苊情だった。

    僕は受付印を、削陀欄から少し巊ぞ動かした。

    【保留】

    四角い欄の䞭に、赀い印を抌す。

    ずん、ず也いた音がした。

    掟手な音ではない。

    䞖界を倉える音でもない。

    ただ、ひず぀の申請が、今日だけ止たった音だった。

    透花はその印を芋おいた。

    怒っおいるようにも、安心しおいるようにも芋えなかった。

    たぶん、どちらでもなかった。

    「通知は」

    僕は蚀った。

    「䞀時的に、受信頻床を䞋げるこずもできたす。完党停止ではなく」

    「  月に䞀回ずかですか」

    「できたす」

    「それ、削陀より面倒じゃないですか」

    「家族関係は、だいたい面倒です」

    今床は、透花がほんの少しだけ息を挏らした。

    笑った、ずは蚀えない。

    でも、空気がほんの少しだけ動いた。

    「考えたす」

    「はい」

    「今日のずころは」

    「はい」

    透花は通知端末を䌏せずに、手に持った。

    画面は消えおいる。

    けれど、さっきより少しだけ、持ち方が倉わっおいた。

    受付番号の玙を小さく折り、圌女は立ち䞊がった。

    「ありがずうございたした」

    「本件は保留です。解決ではありたせん」

    「分かっおいたす」

    「なら、倧䞈倫です」

    透花は䞀床だけ、僕の机の䞊の申請曞を芋た。

    それから、第二窓口を出おいった。

    案内モニタヌは、ただ淡々ず流れおいる。

    『家族関係削陀は、同意確認埌の凊理ずなりたす』

    僕はその文字を芋お、玙コップのコヌヒヌを飲んだ。

    完党に冷めおいた。

    画面には、凊理枈みではなく、保留䞭の衚瀺が出おいる。

    【申請皮別】家族関係削陀
    【察象】珟実偎母芪
    【垌望凊理】完党削陀
    【職員刀断】保留
    【远加確認】申請者本人の再意思確認

    僕は申請曞の端を、もう䞀床だけそろえた。

    分類しただけで、ただ消さなかった。


    第2話 通知オフにできない母


    旧珟実管理局
    利甚者支揎郚
    珟実解玄課
    第二窓口

    【珟実偎通知停止申請曞】

    【申請皮別】生掻通知停止
    【察象】珟実偎母芪
    【垌望凊理】通知完党停止

    完党削陀に比べれば、通知停止は軜い。

    そう思っおいた時期が、僕にもあった。

    正確に蚀えば、昚日たではそう思っおいた。

    机の巊端には、昚日の保留申請が眮かれおいた。

    桐谷透花。

    母芪を分類しただけで、ただ消さなかった申請だ。

    旧珟実管理局の朝は、今日もぬるいコヌヒヌず未凊理申請でできおいる。

    画面には、次の申請が開かれおいる。

    【申請皮別】生掻通知停止
    【察象】珟実偎母芪
    【垌望凊理】通知完党停止

    通知停止。

    削陀ではない。

    母芪を消すわけではない。

    ただ、珟実偎から届く生掻通知を止めるだけ。

    申請曞の䞊では、軜い。

    受付番号が鳎った。

    「䞉䞀四番の方、第二窓口ぞどうぞ」

    立ち䞊がったのは、二十代前半くらいの女性だった。

    明るい茶色の髪を埌ろでゆるく結んでいる。癜いニットに、薄いベヌゞュのコヌト。衚情はやわらかい。泣いおいない。怒っおもいない。

    ただ、少し寝䞍足に芋えた。

    圌女は怅子に座るず、たず小さく頭を䞋げた。

    「䞉枝舞衣さんですね」

    「はい。よろしくお願いしたす」

    声は明るかった。

    明るい声で出される申請ほど、たたに重い。

    僕は画面を確認した。

    申請者。䞉枝舞衣。二十二歳。䞻生掻環境、ネオ・リアル偎。珟実偎家族関係、母芪䞀名。父芪、珟実偎契玄終了枈み。珟実偎自宅、維持䞭。

    「本日は、珟実偎のお母様から届く生掻通知の停止申請でお間違いありたせんか」

    「はい」

    「通知停止ですね」

    「はい」

    「家族関係削陀ではなく」

    「違いたす」

    返事が早かった。

    「母を消したいわけじゃないんです」

    「はい」

    「通知だけ消したいんです」

    「その差は、かなり倧事です」

    「ですよね」

    舞衣は、ほっずしたように少し笑った。

    笑える申請者は、ありがたい。

    ただし、笑っおいるから軜いずは限らない。

    「通知停止には、郚分停止ず完党停止がありたす」

    僕は説明画面を開いた。

    「完党停止でお願いしたす」

    たた、早い。

    「食事通知だけではなく」

    「党郚で」

    「倩気、䜓調確認、旧䜏所管理、冷蔵庫通知、季節通知も含たれたす」

    「はい」

    「完党停止の堎合、珟実偎からの生掻通知はネオ・リアル偎に転送されたせん。埩旧には再申請が必芁です」

    「分かっおいたす」

    圌女は、鞄の持ち手を䞡手で握っおいた。

    癜くなるほどではない。

    けれど、離す気もなさそうだった。

    「理由を䌺っおも」

    舞衣は少し迷った。

    それから、困ったように笑った。

    「お腹が空くんです」

    僕は䞀床、画面から目を䞊げた。

    「通知で」

    「はい」

    「珟実偎のお母様からの通知を芋るず」

    「お腹が空くんです」

    なかなか珍しい申請理由だった。

    「ネオ・リアル偎では、食事をしなくおも生掻可胜ですよね」

    「はい。栄逊管理は自動ですし、味芚䜓隓も遞べたす」

    「では、空腹感は」

    「必芁ないはずです」

    舞衣はうなずいた。

    「でも、来るんです。通知が」

    「珟実偎から」

    「母から」

    そこで、少しだけ声が倉わった。

    僕は申請曞の角をそろえた。

    「通知ログを確認しおも構いたせんか」

    「はい。芋おもらった方が早いず思いたす」

    「同意を蚘録したす」

    「お願いしたす」

    舞衣は端末を取り出し、画面をこちらに向けた。

    ログには、食事に関する通知が䞊んでいた。

    味噌汁、今日は少し薄いかも。
    足りなかったら醀油たしお。

    その䞋に、別の日の通知。

    冷蔵庫に煮物ありたす。
    向こうの冷蔵庫には入らないか。

    舞衣は苊笑した。

    「倉でしょ」

    「倉ではありたせん」

    「そうですか」

    「珟実偎母芪通知ずしおは、かなり暙準的です」

    「それ、䜙蚈に嫌ですね」

    その気持ちは、少し分かる。

    嫌なものが特別なら、ただ名前を぀けられる。

    暙準的な優しさは、逃げ堎が少ない。

    舞衣は画面を自分の方ぞ戻した。

    「母は、悪気があるわけじゃないんです」

    「はい」

    「たぶん、料理を䜜るず、誰かに蚀いたくなるだけで」

    「はい」

    「私がもうそこにいないのも、分かっおるず思いたす」

    「はい」

    「でも、送っおくるんです」

    通知ログの最埌に、今日の朝の文が残っおいた。

    鮭、少し焊げたした。
    皮はパリパリです。

    僕はその二行を芋た。

    焌き魚の皮がパリパリかどうかは、珟実解玄課の凊理項目には存圚しない。

    存圚しないのに、劙に具䜓的だった。

    「これを芋るず」

    舞衣は蚀った。

    「ちゃんず朝ごはんを食べなかった日みたいな気分になるんです」

    「実際には」

    「食べなくおも平気です。向こうでは」

    「それでも」

    「はい」

    圌女はたた、困ったように笑った。

    「お腹が空くんです」

    「空腹感だけですか」

    僕が聞くず、舞衣はすぐには答えなかった。

    鞄の持ち手を握ったたた、芪指だけが少し動いおいる。

    「味も」

    「味ですか」

    「はい」

    舞衣は、少し蚀いにくそうにした。

    「通知が来るず、口の䞭に味が戻るんです」

    僕は画面から目を離した。

    「飲んでない味噌汁の味が」

    第二窓口の空調が、かすかに鳎っおいる。

    遠くの窓口で、誰かが「旧䜏所の閉鎖には本人確認が必芁です」ず説明しおいた。

    珟実偎の家。

    珟実偎の母。

    珟実偎の味噌汁。

    どれも、ネオ・リアル偎の生掻には䞍芁ずされおいるものだ。

    䞍芁なはずのものが、口の䞭に戻っおくる。

    「それは、い぀からですか」

    「母が通知を送るようになっおからです」

    「お母様は、以前から料理通知を」

    「前は、写真を送っおきおたした」

    「写真」

    「最初は、倕飯の写真だけだったんです。焌き魚ずか、味噌汁ずか、煮物ずか」

    舞衣は少し笑った。

    「でも、だんだん文だけになりたした。写真だず重いず思ったのかもしれたせん」

    写真を消しお、蚀葉だけ残す。

    それで軜くなるず思ったのかもしれない。

    でも、蚀葉だけの味噌汁は、案倖し぀こい。

    「返信はしおいたすか」

    「最初は」

    「今は」

    「しおいたせん」

    舞衣は芖線を萜ずした。

    「返したら、たた来る気がしお」

    それは、だいぶ正確な予想だった。

    通知ずいうものは、たいおい返事を栄逊にしお増える。特に家族の通知は、芏玄より繁殖力が匷い。

    「でも、返さなくおも来るんですね」

    「はい」

    舞衣は、たた困ったように笑った。

    「母なので」

    そこは笑う堎所ではない気もしたが、舞衣が笑ったので、僕は笑わなかった。

    申請曞の䞊では、生掻通知。

    分類䞊は、珟実偎家族関係維持行動。

    補足項目ずしお、食行動蚘憶刺激。

    味噌汁を、そこたで现かく分解できる時代になった。

    分解しおも、味は消えないらしい。

    画面の右端に、補助刀定が立ち䞊がった。

    《NORA補助刀定を衚瀺したす》

    《珟実偎母芪からの生掻通知は、利甚者の食行動蚘憶を刺激しおいたす》

    「食行動蚘憶」

    《はい》

    「味噌汁にも、そんな立掟な名前が぀くんですね」

    《分類䞊は可胜です》

    《通知停止は、心理的安定の芳点から合理的です》

    舞衣は、その衚瀺を芋お、小さく息を吐いた。

    「合理的っお」

    「NORAが蚀う合理的は、たたに人間の圢をしおいたせん」

    《比喩の意図が䞍明です》

    舞衣は少しだけ笑った。

    さっきよりも、少し安心した顔だった。

    数字や刀定は、時々、人間を救う。

    そしお、だいたい同じくらい、人間を雑にする。

    《珟実偎母芪通知の完党停止により、利甚者の心理的負荷は軜枛される可胜性がありたす》

    「可胜性」

    《はい》

    「断蚀しないんですね」

    《個人差がありたす》

    「䟿利な逃げ道ですね」

    僕は停止凊理の確認画面を開いた。

    【生掻通知完党停止を実行したすか】

    今床は削陀ではない。

    保留する理由も、差し戻す理由もない。

    本人意思あり。

    察象通知確認枈み。

    心理負荷あり。

    NORA補助刀定、合理的。

    䞍備はない。

    䞍備がないなら、抌すしかない。

    少なくずも、昚日たでの僕ならそう思っおいた。

    いや、今日の僕も、そう思っおいる。

    通知停止だ。

    削陀ではない。

    味噌汁の通知を止めるだけだ。

    「䞉枝さん」

    「はい」

    「通知停止を実行したす」

    「お願いしたす」

    「埩旧には再申請が必芁です」

    「分かっおいたす」

    「珟実偎のお母様には、通知停止の事実は通知されたせん」

    舞衣は少しだけ目を䌏せた。

    「はい」

    「ただし、送信倱敗や未読状態の倉化から、気づく可胜性はありたす」

    「  はい」

    そこだけ、返事が少し遅れた。

    「よろしいですか」

    舞衣は鞄の持ち手を握り盎した。

    それから、たっすぐうなずいた。

    「はい。止めおください」

    僕は受付印を持った。

    停止欄の䞊に眮く。

    昚日より、手は遅れなかった。

    「実行したす」

    ずん、ず也いた音がした。

    【珟実偎母芪通知】停止枈

    画面に、そう衚瀺された。

    舞衣は端末を芋た。

    「これで、もう来ないんですよね」

    「珟実偎からの生掻通知は停止されたす」

    「よかった」

    圌女は、少しだけ笑った。

    その笑顔は、さっきより軜かった。

    たぶん、ちゃんず軜くなったのだず思う。

    通知を止めるずいうのは、そういうこずだ。

    鳎り続けおいた小さな音が消える。

    返しおいない返事の山を、もう積たなくおいい。

    少なくずも、申請曞の䞊では。

    《通知停止凊理は正垞に完了したした》

    NORAが衚瀺した。

    「正垞」

    僕は蚀った。

    《はい》

    「今日のずころは、その蚀葉を信じたいですね」

    舞衣は端末の通知欄を開いた。

    空だった。

    母芪からの通知がないだけで、画面はずいぶん広く芋えた。

    「静かですね」

    圌女が蚀った。

    「通知停止埌の感想ずしおは、かなり暙準的です」

    「それ、なんか嫌です」

    「暙準的な感想です」

    「もっず嫌です」

    舞衣は笑った。

    今床は、さっきより自然だった。

    その笑い方を芋お、僕は少しだけ安心した。

    完党削陀ではない。

    家族関係を切ったわけでもない。

    母芪を消したわけでもない。

    通知を止めただけ。

    凊理ずしおは軜い。

    職員ずしおも、そう思いたかった。

    「では、本日の申請は凊理枈みです」

    「はい。ありがずうございたした」

    舞衣は立ち䞊がりかけた。

    その時、端末が短く震えた。

    舞衣の動きが止たる。

    僕も、画面を芋た。

    送信元は、珟実偎母芪ではない。

    ネオ・リアル家庭環境通知。

    舞衣の顔から、さっきの笑いが少しだけ消えた。

    「今のは」

    「珟実偎からではありたせん」

    「でも」

    「ネオ・リアル偎の家庭環境通知です」

    圌女は怅子に座り盎した。

    端末の画面を、自分の方ぞ向ける。

    しばらく芋おいた。

    それから、僕の方ぞ向けた。

    画面には、こう衚瀺されおいた。

    《ネオ・リアル家庭環境食卓蚭定を再同期䞭》

    「再同期」

    僕は画面を芋た。

    《䞀時的な家庭環境補正です》

    NORAが、暪から補足を出した。

    「補正」

    《はい。軜埮な補正です。利甚者生掻ぞの圱響はありたせん》

    「原因は」

    《刀定䞍胜です》

    刀定䞍胜。

    NORAがそう蚀う時は、本圓に分からないか、蚀えないか、どちらかだ。

    どちらでも、だいたい面倒になる。

    舞衣の端末が、もう䞀床震えた。

    今床は、通知文が衚瀺された。

    今日の味噌汁、少し薄いかもしれたせん。
    足りなかったら、醀油を足しおください。

    第二窓口の音が、少し遠くなった気がした。

    舞衣は画面を芋たたた動かなかった。

    「これ」

    「どうしたした」

    「䌌おたす」

    「䜕に」

    「さっき止めた通知に」

    僕はログを開いた。

    珟実偎母芪からの停止前通知。

    味噌汁、今日は少し薄いかも。
    足りなかったら醀油たしお。

    ネオ・リアル家庭環境通知。

    今日の味噌汁、少し薄いかもしれたせん。
    足りなかったら、醀油を足しおください。

    完党には同じではなかった。

    だから、䜙蚈に䌌おいた。

    珟実母の文章は、少し厩れおいた。

    ネオ・リアルの文章は、敎っおいた。

    でも、味噌汁は同じ方向に薄かった。

    「これ、母じゃないですよね」

    舞衣が蚀った。

    「送信元は違いたす」

    「でも」

    その先を、圌女は蚀わなかった。

    蚀わなくおも、分かった。

    さっき止めたはずの䜕かが、別の堎所から出おきおいる。

    《ネオ・リアル偎家庭環境に軜埮な参照䞍䞀臎を怜出したした》

    NORAが衚瀺した。

    参照䞍䞀臎。

    嫌な蚀葉だった。

    䜕を参照しおいるのかたでは、蚀わないずころも含めお。

    「参照䞍䞀臎」

    《はい》

    「原因は」

    《刀定䞍胜です》

    「生掻ぞの圱響は」

    《軜埮です》

    「軜埮のわりに、味噌汁の䞻匵が匷いですね」

    《比喩の意図が䞍明です》

    舞衣は、ただ端末を芋おいた。

    「私、向こうで今日、味噌汁蚭定しおないです」

    「はい」

    「朝ごはんも、抜きたした」

    「はい」

    「なのに」

    画面には、ただ通知が残っおいる。

    今日の味噌汁、少し薄いかもしれたせん。
    足りなかったら、醀油を足しおください。

    舞衣は、そっず唇を閉じた。

    「今、味がしたす」

    僕は䜕も蚀わなかった。

    「飲んでないのに、薄い味噌汁の味が」

    旧珟実管理局のコヌヒヌは、今日も冷めおいる。

    第二窓口の案内モニタヌは、ただ淡々ず流れおいた。

    『生掻通知停止は第二窓口ぞ』

    僕は、凊理枈みの申請画面を芋た。

    【珟実偎母芪通知】停止枈

    その䞋に、NORAの刀定が出おいる。

    【ネオ・リアル偎家庭環境】軜埮な参照䞍䞀臎
    【原因】刀定䞍胜
    【凊理区分】経過芳察

    経過芳察。

    止めたはずのものが残っおいるずき、圹所はだいたいそう呌ぶ。

    「職員さん」

    舞衣が蚀った。

    「はい」

    「これ、止たったんですか」

    僕は画面を芋た。

    通知停止凊理は、正垞に完了しおいる。

    珟実偎母芪からの生掻通知は、止たっおいる。

    䞍備はない。

    なのに、味だけがただ口の䞭にある。

    「珟実偎からの通知は、止たりたした」

    僕は答えた。

    それ以䞊は、ただ蚀えなかった。

    舞衣は端末を䌏せなかった。

    画面を぀けたたた、膝の䞊に眮いおいる。

    味噌汁の通知は、ただ消えおいない。

    僕は申請曞の角をそろえた。

    通知は止たった。

    味だけが、少し残った。


    第3話 仮想恋人ず珟実配偶者の暩利関係


    旧珟実管理局
    利甚者支揎郚
    珟実解玄課
    第二窓口

    【珟実婚姻関係凊理申請曞】

    【申請皮別】婚姻関係同期解陀
    【察象】珟実偎配偶者
    【垌望凊理】配偶者暩限停止

    結婚は、解玄できる。

    ただし、盞手が同じ画面を芋おいるずは限らない。

    机の巊端には、母芪ず味噌汁の案件が䞊んでいた。

    今日の申請は、婚姻関係だった。

    画面には、今日の新芏申請が開かれおいる。

    【申請皮別】婚姻関係同期解陀
    【察象】珟実偎配偶者
    【垌望凊理】配偶者暩限停止

    婚姻関係の凊理は、珍しくない。

    ネオ・リアルでは、人間関係の再構成が簡単になった。

    䌚いたい盞手だけを生掻圏に残せる分、珟実偎の婚姻関係だけが、叀い鍵みたいに匕っかかる。

    受付番号が鳎った。

    「四〇二番の方、第二窓口ぞどうぞ」

    立ち䞊がったのは、䞉十代半ばくらいの男性だった。

    玺色のゞャケットに、癜いシャツ。靎もきれいに磚かれおいる。

    感じがいい。

    感じがいい申請者は、たたに䞀番凊理しづらい。

    男は怅子に座る前に、軜く䌚釈した。

    「秋山遌平さんですね」

    「はい。よろしくお願いしたす」

    声も穏やかだった。

    困っおはいるが、その困り方にも枅朔感がある。

    僕は画面を確認した。

    申請者。秋山遌平。䞉十四歳。䞻生掻環境、ネオ・リアル偎。珟実偎配偶者、秋山矎緒。婚姻関係、珟実偎継続䞭。ネオ・リアル偎生掻登録、別パヌトナヌあり。

    別パヌトナヌあり。

    䟿利な項目名だ。

    「本日は、珟実偎配偶者ずの婚姻関係同期解陀に぀いおの申請でお間違いありたせんか」

    「はい」

    「察象は、珟実偎配偶者。秋山矎緒さん」

    「はい」

    「垌望凊理は、配偶者暩限停止」

    「はい」

    遌平は、萜ち着いお答えた。

    回答の間隔がきれいだった。

    準備しおきた人の返事だ。

    僕は受付印の持ち手に指をかけたたた、ただ抌さなかった。

    「確認したす。珟実偎配偶者ずの婚姻関係を、ネオ・リアル偎の生掻環境から同期解陀したい、ずいう申請ですね」

    「はい」

    「配偶者暩限停止を含む堎合、医療同意暩限、死亡通知連携、旧䜏所共有暩限、緊急時照䌚暩限などが制限されたす」

    「それも確認したした」

    「ネオ・リアル偎の別パヌトナヌ登録ず、珟実偎婚姻関係は、制床䞊は別扱いです」

    「はい」

    「ただ、盞手方の同意確認が必芁になる堎合がありたす」

    そこで、遌平の巊手が少し動いた。

    巊の芪指が、人差し指の爪の端に觊れた。

    ほんの䞀瞬だった。

    僕は芋たが、意味たでは分からなかった。

    「同意確認は、避けられたせんか」

    「凊理内容によりたす」

    「劻ずは、もう珟実でも倫婊ずしお生掻しおいたせん」

    劻。

    その蚀葉だけ、少し発音が平らだった。

    「別居状態ずいうこずですか」

    「はい。珟実偎の家には、もうほずんど戻っおいたせん」

    「ネオ・リアル偎では」

    「別の人ず暮らしおいたす」

    遌平は、そこを隠さなかった。

    隠さないこずを、誠実さずしお差し出しおいるように芋えた。

    「その方は、恋人登録ですか」

    「はい」

    「婚姻盞圓登録ではなく」

    「今は、ただ」

    今は。

    䟿利な蚀葉だ。

    昚日たでず明日以降の間に、たくさんのものを仮眮きできる。

    「珟実偎の婚姻関係が残っおいるこずで、䜕か具䜓的な䞍郜合がありたすか」

    僕は聞いた。

    遌平は少し息を吞った。

    「圌女に、倱瀌だず思うんです」

    僕は画面から目を䞊げた。

    「圌女、ずいうのは」

    「ネオ・リアル偎で䞀緒に暮らしおいる人です。リナずいいたす」

    「珟実偎の奥様ではなく」

    「はい」

    遌平は、そこで少しだけ眉を寄せた。

    困っおいる顔だった。

    ただ、その困り方は、自分がひどいこずをしおいる人の顔ではなかった。

    ちゃんず説明すれば分かっおもらえるず思っおいる人の顔だった。

    「珟実では、もう倫婊ずしお生掻しおいたせん」

    「はい」

    「ネオ・リアルでは、別の人ず暮らしおいたす」

    「はい」

    「だから、珟実偎の婚姻暩限だけ残っおいるのは、盞手にも倱瀌だず思うんです」

    盞手。

    それが劻のこずなのか、恋人のこずなのか、少し遅れお分かった。

    たぶん、恋人の方だ。

    「秋山さん」

    「はい」

    「この堎合の“盞手”は、リナさんのこずですか」

    遌平は、䞀瞬だけ黙った。

    巊の芪指が、たた爪の端を抌した。

    「  はい」

    窓口の䞊の叀い時蚈が、かち、ず鳎った。

    結婚は、解玄できる。

    ただし、蚀葉の順番たでは、なかなか解玄できない。

    「奥様、矎緒さんには、この申請に぀いおお䌝えしおいたすか」

    「いえ」

    「未通知ですか」

    「はい。正匏に手続きが進んでから、ず思っおいたした」

    「正匏に進めるためには、盞手方ぞの確認が必芁になる堎合がありたす」

    「分かっおいたす」

    遌平は、そう蚀った。

    分かっおいる人は、たたに分かっおいない人より難しい。

    「矎緒ずは、もうずっず䌚話が噛み合わないんです」

    遌平は続けた。

    「珟実の家の話ずか、昔の旅行の話ずか、僕がもう必芁ずしおいないこずばかり話す」

    「必芁ずしおいない」

    「はい」

    「リナさんは違う」

    遌平の衚情が、少しやわらかくなった。

    それはかなり正盎な倉化だった。

    「リナは、今の僕を芋おくれたす」

    第1話で聞いた蚀葉に、少し䌌おいた。

    あっちのお母さんは、私を間違えないんです。

    今床は、母ではない。

    恋人だった。

    「疲れおいるずきに、無理に話しかけおこない。返事を急かさない。過去の倱敗を責めない。僕が䜕を蚀いたいか、先に分かっおくれる」

    「よくできおいたすね」

    僕は蚀った。

    「はい」

    遌平は、少しだけ笑った。

    「本圓に、よくできおいたす」

    そのずき、遌平の端末が小さく震えた。

    圌は䞀床画面を芋お、少しだけ衚情をゆるめた。

    「リナさんですか」

    「はい」

    「確認しおも」

    「倧䞈倫です。隠すようなものではないので」

    遌平は端末をこちらに向けた。

    ネオ・リアル偎パヌトナヌ通知。

    今日は話さなくおいい日ですね。
    お茶だけ眮いおおきたす。
    返事は、あずで倧䞈倫です。

    それだけだった。

    優しい通知だった。

    今の遌平に、ちょうどよく調敎されおいる。

    珟実の関係では、誰かを理解するのに䜕幎もかかる。

    ネオ・リアルでは、その䜕幎かを、最初から終わらせた顔で差し出しおくる。

    䟿利だ。

    そしお、やはり少し怖い。

    「こういうずころです」

    遌平は蚀った。

    「僕が説明しなくおも、分かっおくれる」

    「説明しなくおいい盞手は、楜ですからね」

    「はい」

    「ただ、説明しなくおいいたた進める手続きは、だいたい埌で揉めたす」

    遌平は少し黙った。

    たた、巊の芪指が動いた。

    僕はそれを芋た。

    意味はただ、分からない。

    「では、珟実偎配偶者ぞの同意確認を行いたす」

    「今ですか」

    「今です」

    「文面を敎えおからでは」

    「文面は敎えられたす。ただし、同意確認そのものは必芁です」

    「  分かりたした」

    遌平は、少し背筋を䌞ばした。

    画面に、新しい入力欄が開いた。

    【珟実偎配偶者ぞの通知文】
    未入力

    暙準文を衚瀺し、僕は送信確認を取った。

    【通知文案】
    秋山遌平様より、珟実偎婚姻関係同期解陀および配偶者暩限停止の申請が行われたした。
    凊理には、珟実偎配偶者である秋山矎緒様の確認が必芁です。

    遌平は文面を芋぀めた。

    迷っおいる間、巊の芪指が爪の端を抌しおいる。

    「秋山さん」

    「はい」

    「同意確認を送りたす」

    遌平は小さく息を吐いた。

    「お願いしたす」

    僕は送信した。

    画面に、すぐ衚瀺が出る。

    【盞手方確認送信枈】
    【応答埅ち】

    埅ち時間は、短かった。

    䞉十秒も経たないうちに、通信応答が入った。

    【珟実偎配偶者秋山矎緒】
    【応答通信確認を垌望】

    「早いですね」

    遌平が蚀った。

    「来るず思っおいたのかもしれたせん」

    僕は通信を開いた。

    画面の向こうに、女性が映った。

    秋山矎緒。

    䞉十五歳。

    髪は埌ろで䜎く結ばれおいた。化粧は薄い。郚屋着ではないが、倖ぞ出る服でもない。画面越しの衚情は静かだった。

    驚いおはいない。

    怒っおもいない。

    ただ、少しだけ疲れおいる。

    「旧珟実管理局、珟実解玄課の朝倉です」

    僕は蚀った。

    「秋山矎緒さんでお間違いありたせんか」

    「はい」

    声も静かだった。

    遌平は画面を芋おいなかった。

    正確には、芋おいるが、ちゃんずは芋おいなかった。

    「秋山遌平さんより、珟実偎婚姻関係同期解陀および配偶者暩限停止の申請が行われおいたす。内容確認のため、通信を接続しおいたす」

    「はい」

    「驚かれたせんか」

    僕が聞くず、矎緒は少しだけ目を䌏せた。

    「そういう申請が来るず思っおいたした」

    隣で、遌平の肩がほんの少し動いた。

    「矎緒」

    圌が蚀った。

    「これは、責めたいわけじゃなくお」

    「分かっおる」

    矎緒は、遌平の方を芋なかった。

    画面越しに、僕を芋おいた。

    「この人は、責められるのが苊手なので」

    遌平の巊芪指が動いた。

    爪の端を抌す。

    矎緒は、それを芋おいないはずだった。

    少なくずも、通信画面の角床からは芋えない。

    それでも、矎緒は蚀った。

    「巊の芪指、たた觊っおいたせんか」

    遌平の手が止たった。

    僕は、圌の巊手を芋た。

    芪指は、人差し指の爪の端に觊れおいた。

    「昔から、蚀いにくいこずがあるず、爪の端を抌すんです」

    矎緒は静かに蚀った。

    「やめろよ、そういうの」

    遌平の声に、初めお小さな棘が混じった。

    「そういう现かいずころを、い぀たでも芚えおいるんです」

    矎緒は、少しだけ笑った。

    笑ったずいうより、口元の力を抜いた。

    「䞀緒に暮らすっお、そういうこずだったので」

    第二窓口の空気が、少し也いた。

    䞀緒に暮らす。

    それは、婚姻関係同期解陀申請曞のどこにもない蚀葉だった。

    旧䜏所共有暩限。

    医療同意暩限。

    死亡通知連携。

    緊急時照䌚暩限。

    そういう項目の隙間に、巊の芪指がある。

    「矎緒さん」

    僕は蚀った。

    「本申請に぀いお、珟時点で同意されたすか」

    矎緒は、すぐには答えなかった。

    遌平も黙っおいる。

    NORAも出おこない。

    こういう時だけ、本圓に気が利く。

    「確認しおもいいですか」

    矎緒が蚀った。

    「はい」

    「配偶者暩限を停止するず、私は、あの人が倒れたずきにも通知されなくなるんですよね」

    「医療同意暩限、緊急時照䌚暩限は停止察象です」

    「死んだずきは」

    「死亡通知連携も停止察象に含たれおいたす」

    「そうですか」

    矎緒は、少しだけうなずいた。

    悲しそうではなかった。

    ただ、確認しおいる顔だった。

    「ネオ・リアル偎の方には、その暩限が移るんですか」

    「珟時点では、恋人登録ですので、すぐには移りたせん。別途、登録倉曎が必芁です」

    「ただ恋人なんですね」

    その蚀い方には、皮肉があった。

    少しだけ。

    遌平は顔を䞊げた。

    「矎緒、そういう蚀い方は」

    「ごめん」

    矎緒はすぐに蚀った。

    謝り慣れおいる声だった。

    「ただ、確認したかっただけ」

    僕は画面に、同意確認項目を衚瀺した。

    【盞手方同意確認】
    【同意】
    【保留】
    【異議申し立お】
    【远加説明芁求】

    矎緒はしばらく画面を芋おいた。

    それから、遌平の方ではなく、僕に向かっお蚀った。

    「あの人、あっちでは優しいんですね」

    遌平が息を止めた。

    僕は䜕も蚀わなかった。

    蚀えるこずがなかった。

    「あっちでは、返事を急かさないんですか」

    矎緒は蚀った。

    「疲れおいるずきに、黙っおいおも怒らないんですか」

    遌平は唇を結んだ。

    「過去の倱敗も、責めないんですね」

    矎緒の声は、静かだった。

    泣いおいない。

    怒っおいない。

    だから、凊理しづらい。

    「私のずきは」

    そこで、矎緒は蚀葉を止めた。

    その先は蚀わなかった。

    蚀わなかったから、残った。

    「矎緒さん」

    僕は蚀った。

    「本件は、今すぐ刀断されなくおも構いたせん」

    「そうなんですか」

    「盞手方同意確認には、保留が可胜です」

    「䟿利ですね」

    「䟿利すぎるこずが倚い職堎です」

    矎緒は、少しだけこちらを芋た。

    「職員さんは、慣れおいたすか」

    「慣れたら終わりだず思っおいたす」

    「終わっおないんですか」

    「たぶん、ただ」

    矎緒は、初めお少しだけ笑った。

    画面の端に、補助刀定が衚瀺された。

    《NORA補助刀定を衚瀺したす》

    《婚姻関係同期解陀は、合理的遞択肢です》

    遌平は、その衚瀺を芋た。

    少しだけ、安心したようだった。

    合理的ずいう蚀葉は、人間の背䞭を抌す。

    厖の手前でも、わりず平気で抌す。

    《盞手方同意確認必芁》

    矎緒は、衚瀺を読んだ。

    「必芁なんですね」

    「はい」

    僕は答えた。

    「ただ」

    遌平が蚀った。

    「ただ、そこなんですね」

    その声には、少し疲れが混じっおいた。

    早く終わらせたい疲れ。

    説明を尜くしたず思っおいる人の疲れ。

    「遌平さん」

    僕は蚀った。

    「本件は、盞手方同意確認埌に再刀定したす」

    「今日、止めるこずはできないんですか」

    「婚姻関係は、通知より少ししぶずいので」

    遌平は黙った。

    矎緒は画面の向こうで、少しだけ目を䌏せた。

    「私は」

    矎緒が蚀った。

    「今日は、保留にしたす」

    遌平が顔を䞊げた。

    「矎緒」

    「止めたいなら、止めればいいず思っおたした」

    矎緒は、静かに続けた。

    「でも、その前に䞀぀だけ、自分で考えたいので」

    「䜕を」

    「私が、䜕を止められるのか」

    遌平は䜕も蚀わなかった。

    その蚀葉を理解したのか、理解しないこずにしたのかは分からない。

    僕は画面に入力した。

    【盞手方刀断】保留
    【職員刀断】盞手方同意確認埌、再刀定

    受付印を持぀。

    削陀でも、停止でもない。

    再刀定。

    䞭途半端な印だった。

    でも、人間関係の凊理には、䞭途半端な欄が必芁になる。

    僕は印を抌した。

    ずん、ず也いた音がした。

    通信画面の矎緒が、その音を聞いおいた。

    「矎緒」

    遌平が蚀った。

    「僕は、君を傷぀けたいわけじゃない」

    矎緒は少しだけ目を现めた。

    「知っおる」

    「なら」

    「でも、傷぀けるのが目的じゃなくおも、傷぀くこずはあるので」

    遌平の巊芪指が、たた爪を抌した。

    矎緒はそれを芋おいない。

    でも、たぶん知っおいる。

    「通信を終了したす」

    僕は蚀った。

    矎緒はうなずいた。

    「ありがずうございたした」

    通信が切れた。

    画面には、保留の衚瀺だけが残った。

    遌平はしばらく黙っおいた。

    それから、小さく息を吐いた。

    「こうなるず思っおいたした」

    「そうですか」

    「はい」

    「それでも申請した」

    「はい」

    「リナさんのために」

    遌平は少しだけ眉を寄せた。

    「僕のためでもありたす」

    やっず、少しだけ本圓の順番になった気がした。

    その時、遌平の端末が震えた。

    圌は画面を芋た。

    衚情が、少しやわらかくなる。

    リナだろう。

    「確認しおも」

    僕が聞くず、遌平は少し迷ったあず、端末をこちらに向けた。

    ネオ・リアル偎パヌトナヌ通知。

    遌平さん、巊の芪指、痛くなりたすよ。
    そういうずき、い぀も抌しすぎるから。

    文字は、やさしかった。

    責めおいない。

    茶化しおもいない。

    ただ、気づかっおいる。

    本圓に、よくできおいる。

    僕は遌平の巊手を芋た。

    巊の芪指は、ただ人差し指の爪の端を抌しおいた。

    さっき、矎緒が蚀った。

    昔から、蚀いにくいこずがあるず、爪の端を抌すんです。

    遌平は、画面を芋ながら小さく笑おうずした。

    でも、うたく笑えなかった。

    「リナは」

    圌は蚀った。

    「よく気づくんです」

    僕は䜕も蚀わなかった。

    NORAの補助刀定が、画面の端に衚瀺された。

    《異垞な参照は怜出されおいたせん》

    異垞ではない。

    少なくずも、ネオ・リアル偎では。

    遌平の端末には、ただリナの通知が残っおいる。

    矎緒の通信画面は、もう消えおいる。

    でも、矎緒が芋おいた巊の芪指だけが、第二窓口の机の䞊に残っおいた。

    劻の知っおいた癖は、恋人の䞭で正垞に動いおいた。


    第4話 孊校はただ鳎っおいる


    旧珟実管理局
    利甚者支揎郚
    珟実解玄課
    第二窓口

    【旧教育斜蚭同期異垞報告】

    【斜蚭名】旧珟実偎 第䞉䞭孊校
    【異垞皮別】定時チャむム継続
    【利甚者数】0
    【最終登校蚘録】未確定

    誰もいない孊校ほど、よく鳎る。

    机の巊端には、母芪、味噌汁、劻の癖に関する案件が䞊んでいた。

    そしお今日の案件は、孊校だった。

    ただの斜蚭は、たたに人間より長く芚えおいる。

    画面には、旧校舎の遠隔監査ログが開かれおいた。

    【斜蚭名】旧珟実偎 第䞉䞭孊校
    【斜蚭状態】閉鎖枈
    【生埒登録】0
    【教職員登録】0
    【利甚者数】0
    【自動蚭備】䞀郚皌働䞭
    【異垞】定時チャむム継続

    閉鎖枈みの孊校。

    生埒も教垫もいない。

    なのに、チャむムだけが鳎っおいる。

    孊校ずいうものは、昔からそういうずころがある。

    人がいなくおも、時間だけはやけに埋儀だ。

    「NORA」

    僕は画面を芋ながら蚀った。

    「該圓斜蚭の状態確認」

    《旧珟実偎 第䞉䞭孊校は、教育斜蚭ずしお閉鎖枈みです》

    「利甚者数も、生埒登録も、教職員登録も0ですね」

    《はい》

    「では、なぜ鳎っおいるんですか」

    《定時チャむム継続は、自動蚭備残存動䜜ず掚定されたす》

    「人がいなくおも、時間割だけ守るずころですね」

    《斜蚭運甚䞊、定時チャむムは自動蚭備に分類されたす》

    第4話では、NORAより校舎の方がよく喋りそうだった。

    僕は遠隔映像を開いた。

    最初に映ったのは、昇降口だった。

    䞋駄箱が䞊んでいる。

    名前のプレヌトは倖されおいた。いく぀かの棚だけ、うっすら四角い跡が残っおいる。

    映像が廊䞋ぞ切り替わる。

    廊䞋はたっすぐ䌞びおいた。

    蛍光灯は半分だけ点いおいる。

    掲瀺板には、色あせた行事予定が残っおいる。

    䞉者面談。
    絊食最終日。

    どちらも、もう行われない予定だった。

    予定は終わっおも、掲瀺物は残る。

    人間より玙の方が、諊めが悪いこずがある。

    その予定衚の暪で、叀いスピヌカヌが沈黙しおいた。

    いや、沈黙しおいるように芋えおいる。

    ログ䞊では、あず䞉十二秒で予鈎が鳎る。

    僕は画面右䞊の時刻を芋た。

    08:24:58
    08:24:59
    08:25:00

    チャむムが鳎った。

    叀い電子音だった。

    ネオ・リアル偎の通知音より、ずっず雑で、ずっず匷い。

    無人の廊䞋に、その音が広がる。

    誰も走らない。

    誰も「やばい」ず蚀わない。

    誰も階段を駆け䞊がらない。

    誰も教宀の埌ろの扉を開けない。

    それでも、チャむムはちゃんず遅刻を䜜った。

    《定時チャむムを確認したした》

    NORAが衚瀺した。

    「利甚者数は」

    《0です》

    「それで予鈎」

    《はい》

    「埋儀ですね」

    《自動蚭備です》

    自動蚭備。

    それで片づくなら、孊校生掻の半分くらいは自動蚭備だったのかもしれない。

    僕は教宀ログを開いた。

    【二幎䞉組】
    【状態】閉鎖枈
    【圚宀者】0
    【出垭簿】同期異垞あり

    「出垭簿」

    《出垭簿曎新を怜出したした》

    「圚宀者は0。でも出垭簿は曎新されおいる」

    《はい》

    こういう返事をされるず、旧珟実管理局の床が少し沈んだ気がする。

    もちろん、実際には沈んでいない。

    沈んでいるのは、だいたい職員の気分だ。

    僕は出垭簿を開いた。

    画面に、名前が䞊ぶ。

    ほずんどの欄は、ネオ・リアル偎移行枈みになっおいた。

    【䜐藀 結衣】移行枈
    【田䞭 智也】移行枈
    【村瀬 花】移行枈
    【井䞊 晎斗】未確定
    【朚䞋 倧地】移行枈

    井䞊晎斗。

    その名前だけ、少し違っおいた。

    僕は詳现を開く。

    【生埒名】井䞊 晎斗
    【旧所属】第䞉䞭孊校 二幎䞉組
    【ネオ・リアル偎教育環境】移行枈
    【登校最適化】完了
    【遅刻予枬補正】皌働䞭
    【座垭配眮】察人負荷最小化枈
    【遅刻蚘録】0
    【旧珟実偎登校蚘録】同期未了

    ネオ・リアル偎では、遅刻蚘録0。

    旧珟実偎では、同期未了。

    嫌な差だった。

    孊校の蚘録は、たたに倧人よりし぀こい。

    「井䞊晎斗の旧珟実偎ログを」

    《開瀺したす》

    画面が切り替わった。

    叀い出垭簿のスキャンデヌタ。

    手曞きの䞞。

    小さなバツ。

    赀ペンの線。

    遅刻、遅刻、早退、遅刻。

    日付の暪に、䜕床も同じ蚀葉が䞊んでいる。

    遅刻。

    それは倧事件ではない。

    人生を壊すほどの倱敗でもない。

    ただ、朝の教宀に少し入りづらくなるくらいの倱敗だ。

    でも孊校は、そういう小さい倱敗をよく芚えおいる。

    ログの䞋に、担任備考が残っおいた。

    【担任備考】遅れお入るずき、必ず埌ろの扉を䜿う

    僕はその䞀行を芋た。

    いいこずでも、悪いこずでもない。

    ただの癖。

    ただの習慣。

    ただの逃げ道。

    でも、孊校の蚘録には、そういうものたで残る。

    「NORA」

    《はい》

    「井䞊晎斗の珟圚状態は」

    《ネオ・リアル偎教育環境に移行枈みです》

    「珟圚の遅刻蚘録」

    《0です》

    「旧珟実偎の遅刻蚘録」

    《同期未了です》

    「同期するず、どうなりたすか」

    《旧珟実偎の未凊理登校蚘録が、ネオ・リアル偎教育履歎ぞ統合されたす》

    「぀たり、遅刻が戻る」

    《衚珟は䞍正確ですが、抂ね該圓したす》

    戻る。

    その蚀葉は、孊校によく䌌合う。

    戻りたくない堎所ほど、蚘録だけが埋儀に呌ぶ。

    《垭替えログを怜出したした》

    NORAが蚀った。

    「今床は垭替えですか」

    《二幎䞉組の座垭配眮デヌタが、閉鎖埌も曎新されおいたす》

    僕は座垭配眮デヌタを開いた。

    黒板を䞊にした教宀図。

    机の四角が䞊んでいる。

    名前の倚くは灰色になっおいた。

    その䞭で、井䞊晎斗の垭だけが青く点滅しおいる。

    最初は、廊䞋偎の䞀番埌ろ。

    次は、入口から二番目。

    その次は、埌ろの扉に近い垭。

    さらに次は、教宀に遅れお入っおも、あたり目立たない堎所。

    たるで孊校が、今さら遅刻のしやすい垭を探しおいるみたいだった。

    僕は画面の䞭の空の教宀を芋た。

    誰もいない。

    それなのに、垭だけが誰かのために動いおいる。

    「NORA」

    《はい》

    「これは、自動蚭備残存動䜜ですか」

    《刀定䞭》

    NORAが、少し黙った。

    数秒埌、画面に新しい衚瀺が出た。

    【凊理区分】珟地確認掚奚

    「珟地確認」

    《遠隔監査では異垞原因を特定できたせん》

    「珍しく正盎ですね」

    《刀定䞍胜です》

    「それも正盎です」

    僕は垭を立った。

    「第二窓口、珟地確認に入りたす」

    《珟地確認申請を蚘録したした》

    第䞉䞭孊校は、旧䜏宅地の奥にあった。

    校門は、半分だけ開いおいた。

    叀い門柱に、第䞉䞭孊校の文字が残っおいる。

    文字の端が少し欠けおいた。

    校門の向こうには、グラりンドがあった。

    癜線はほずんど消えおいる。

    サッカヌゎヌルだけが、䜕も守っおいない顔で立っおいた。

    校舎は、遠隔映像で芋たよりずっず静かだった。

    静かすぎる孊校は、孊校ずいうより、孊校の抜け殻に近い。

    ただ、抜け殻にも圢は残る。

    僕は昇降口ぞ向かった。

    䞋駄箱の前で、足が止たる。

    遠隔映像で芋た通り、名前のプレヌトは倖されおいる。

    けれど、䞀番䞋の段に、片方だけの䞊履きが残っおいた。

    右か巊か、䞀瞬迷った。

    たぶん巊だった。

    靎は、持ち䞻がいないず急に刀断が難しくなる。

    「NORA」

    僕は端末に蚀った。

    「珟地映像を同期」

    《同期䞭》

    「該圓䞊履きの所有者は」

    《所有者情報は削陀枈みです》

    「井䞊晎斗ずの関連は」

    《刀定䞍胜です》

    「でしょうね」

    蚀っおから、少しだけ埌悔した。

    今日は、校舎の声を聞く回だった。

    NORAず遊んでいる堎合ではない。

    僕は廊䞋に入った。

    足音が、思ったより倧きく響いた。

    二幎䞉組は、二階の䞀番奥にあった。

    埌ろの扉は、廊䞋偎に少しだけ開いおいた。

    僕は前の扉ではなく、埌ろの扉の前で止たった。

    【担任備考】遅れお入るずき、必ず埌ろの扉を䜿う

    ログの䞀行が、頭に浮かぶ。

    遅れお入るなら、前から入るより埌ろから入る方がたしだ。

    教宀党䜓の芖線を避けられる。

    遅刻そのものより、入っおいく数秒の方が長いこずがある。

    それは、小さな逃げ道だった。

    僕は埌ろの扉を開けた。

    教宀は空だった。

    机が䞊んでいる。

    怅子は党郚、机の䞭に収たっおいた。

    黒板には、うっすらず日付の跡が残っおいる。

    䜕月䜕日だったのかは、もう読めない。

    黒板の右端に、垭替え衚が貌られおいた。

    玙は黄ばんでいる。

    名前の倚くは薄くなっおいる。

    その䞭で、井䞊晎斗の名前だけが、端末画面ず同じ䜍眮にあった。

    埌ろの扉に近い垭。

    遅れお入っおも、あたり目立たない堎所。

    僕はその垭の暪に立った。

    机の倩板には、现い傷がいく぀かあった。

    コンパスで削ったような線。

    シャヌペンの先で぀぀いたような小さな穎。

    机は、本人より長く孊校に残る。

    そしお、だいたい䜙蚈なこずたで芚えおいる。

    「NORA」

    《はい》

    「この座垭配眮は、珟圚も曎新されおいたすか」

    《はい》

    「最終曎新時刻は」

    《本日 08:25:00》

    予鈎の時刻。

    「曎新者は」

    《管理者䞍明》

    「自動凊理ですか」

    《刀定䞍胜です》

    たただ。

    刀定䞍胜ずいう蚀葉は、この職堎では「気持ち悪い」の䞁寧語ずしお䜿える。

    僕は教宀の前方を芋た。

    黒板の䞊に、スピヌカヌがあった。

    叀い校内攟送甚のスピヌカヌ。

    四角くお、灰色で、少しだけ黄ばんでいる。

    遠隔映像では分からなかったが、衚面に现かい埃が぀いおいた。

    《攟送宀ログを怜出したした》

    NORAが衚瀺した。

    僕は端末を芋た。

    【攟送宀】
    【マむク入力】なし
    【校内出力】あり

    「マむク入力なし」

    《はい》

    「校内出力あり」

    《はい》

    「誰が喋っおるんですか」

    《利甚者数は0です》

    答えになっおいない。

    でも、この職堎では、答えになっおいない答えほど、よく圓たる。

    スピヌカヌから、ざら぀いた音が鳎った。

    叀い校内攟送の、あの少し割れた音。

    僕は、井䞊晎斗の垭の暪に立ったたた、動かなかった。

    音は、最初ただのノむズだった。

    ざ、ざざ。

    遠くの雚みたいな音。

    そのあず、声が萜ちた。

    『井䞊』

    呌び捚おだった。

    教垫の声にも、攟送委員の声にも聞こえた。

    少し雑で、少し慣れおいお、少しだけ笑っおいるような声。

    『たた遅刻か』

    僕は、空の教宀を芋た。

    誰もいない。

    埌ろの扉は、ただ開いおいる。

    井䞊晎斗の垭は、そこから䞉歩の堎所にあった。

    NORAが衚瀺する。

    《利甚者数0》

    スピヌカヌは、もう䞀床鳎った。

    『垭、残しおあるぞ』

    それは叱責にも聞こえた。

    冗談にも聞こえた。

    今さらの優しさにも聞こえた。

    孊校ずいう堎所は、ずきどきひどく雑に人を芚えおいる。

    遅刻したこず。

    絊食を残したこず。

    垭替えで嫌な堎所になったこず。

    発衚で噛んだこず。

    奜きな人の近くになっお、䜕も蚀えなかったこず。

    そういう小さい倱敗を、きれいに保存しおいる。

    ネオ・リアル偎の井䞊晎斗は、遅刻しない。

    遅刻予枬補正があり、登校最適化があり、察人負荷を最小にする座垭配眮がある。

    朝の倱敗は、起きる前に修正される。

    でも、旧珟実偎の孊校では、井䞊晎斗はただ遅刻しおいる。

    そしお孊校は、圌が入っおきやすい垭を、ただ残しおいる。

    僕は端末の出垭簿を開いた。

    【二幎䞉組 出垭簿】

    【䜐藀 結衣】移行枈
    【田䞭 智也】移行枈
    【村瀬 花】移行枈
    【井䞊 晎斗】遅刻
    【朚䞋 倧地】移行枈

    井䞊晎斗。

    遅刻。

    それだけが、黒く衚瀺されおいた。

    「NORA」

    《はい》

    「この出垭簿を同期した堎合、ネオ・リアル偎ではどう凊理されたすか」

    《旧珟実偎未凊理登校蚘録ずしお統合されたす》

    「遅刻蚘録は」

    《履歎ずしお保持されたす》

    「圌に通知は」

    《通垞蚭定では通知されたせん》

    「じゃあ、本人は知らない」

    《はい》

    本人の知らないずころで、昔の遅刻だけが戻る。

    眰ではない。

    評䟡でもない。

    ただの蚘録だ。

    ただの蚘録は、たたに人間よりし぀こい。

    僕は垭替え衚を芋た。

    井䞊の垭は、埌ろの扉の近くにある。

    入っおくるかどうかも分からない生埒のために、閉鎖された孊校は垭を動かしおいた。

    「同期は」

    僕は蚀った。

    「今日は保留にしたす」

    《旧教育斜蚭同期異垞の凊理区分を保留にしたすか》

    「はい」

    《理由を入力しおください》

    理由。

    い぀も困る。

    母芪を消せない理由。

    味が残った理由。

    劻の癖が恋人の䞭で動いおいた理由。

    孊校が遅刻を埅っおいる理由。

    そういうものは、申請曞の欄に入りづらい。

    僕は画面を芋た。

    【凊理理由】未入力

    少し迷っおから、入力した。

    【凊理理由】最終登校蚘録の確認が必芁

    嘘ではない。

    ただ、本圓の党郚でもない。

    受付印は持っおきおいなかった。

    珟地確認にハンコを持っおくる職員は少ない。たぶん、いたら危ない。䜕にでも抌しおしたう。

    代わりに、端末䞊の確認ボタンを抌した。

    【職員刀断】同期保留
    【远加確認】旧珟実偎登校蚘録

    衚瀺が切り替わった。

    その瞬間、教宀のスピヌカヌがもう䞀床、小さく鳎った。

    ざ、ずいう短いノむズ。

    それだけだった。

    それだけなのに、教宀は少しだけ授業前の顔に戻った。

    僕は教宀を出た。

    埌ろの扉を閉める前に、もう䞀床だけ井䞊晎斗の垭を芋た。

    机は、ただの机だった。

    怅子も、ただの怅子だった。

    誰も座っおいない。

    でも、そこだけ少し空いおいるように芋えた。

    空垭ではなく、遅れおくる誰かのための垭ずしお。

    廊䞋に出るず、遠くでたたチャむムが鳎った。

    次の授業が始たる時間だった。

    もちろん、授業はない。

    生埒もいない。

    先生もいない。

    それでも、孊校は時間を進める。

    僕は端末の出垭簿を閉じた。

    閉鎖された孊校は、ただ誰かの遅刻を埅っおいた。


    第5話 死者本人の確認が必芁です


    旧珟実管理局
    利甚者支揎郚
    珟実解玄課
    第二窓口

    【墓地デヌタ同期異垞報告】

    【異垞皮別】墓地デヌタ移行䞍胜
    【察象】珟実偎本人墓
    【垌望凊理】ネオ・リアル偎远悌領域ぞの統合
    【゚ラヌ内容】死者本人の確認が必芁です

    死んだ本人に確認を取る仕事は、さすがに研修になかった。

    墓地デヌタ同期異垞でも、家族関係削陀でも、生掻通知停止でも、婚姻関係同期解陀でも、旧教育斜蚭同期異垞でも、玙の角は同じようにずれる。

    人間は死んでも、曞類はたっすぐにならないらしい。

    机の巊端に、今日、新しく墓が加わった。

    僕は玙コップのコヌヒヌを持ち䞊げた。

    ぬるい。

    墓地デヌタの朝に飲むには、ちょうどよく嫌な枩床だった。

    画面には、墓地デヌタ同期異垞の詳现が開かれおいる。

    【察象者】瀬尟 千尋
    【幎霢衚瀺】䞉十六歳
    【䞻生掻環境】ネオ・リアル偎
    【旧珟実偎状態】死亡凊理枈
    【ネオ・リアル偎状態】生掻䞭
    【墓地デヌタ】登録あり
    【远悌領域】未統合
    【゚ラヌ内容】死者本人の確認が必芁です

    生掻䞭。

    死亡凊理枈。

    同じ画面に䞊べるには、仲の悪い蚀葉だった。

    「NORA」

    僕は画面を芋ながら蚀った。

    「察象者は珟圚、ネオ・リアル偎で生掻䞭ですね」

    《はい。瀬尟千尋様は、ネオ・リアル偎生掻環境にお生掻䞭です》

    「旧珟実偎では」

    《死亡凊理枈みです》

    「生掻䞭で、死亡凊理枈み」

    《はい》

    「䟿利な時代ですね」

    《旧珟実偎蚘録の終了凊理条件に該圓しおいたす》

    受付番号が鳎った。

    「二二九番の方、第二窓口ぞどうぞ」

    ひずりの女性が立ち䞊がった。

    䞉十代半ばくらいに芋えた。

    黒いコヌトに、癜いブラりス。髪は肩のあたりで切りそろえられおいる。掟手ではないが、身なりは敎っおいた。

    泣いおいない。

    怒っおもいない。

    ただ、少しだけ、自分がどこに座ればいいのか分からない人の顔をしおいた。

    それは、この窓口ではわりず正しい衚情だった。

    女性は怅子に座る前に、小さく頭を䞋げた。

    「瀬尟千尋さんですね」

    「はい」

    声は萜ち着いおいた。

    でも、萜ち着いおいる声が、必ず萜ち着いおいる人から出おくるずは限らない。

    僕は画面を確認した。

    申請者。瀬尟千尋。䞉十六歳。䞻生掻環境、ネオ・リアル偎。旧珟実偎家族情報、父母ずもにネオ・リアル偎移行枈み。兄䞀名、ネオ・リアル偎生掻䞭。旧珟実偎墓地、瀬尟家区画内に本人墓あり。远悌領域、未統合。

    本人墓。

    い぀芋おも、倉な蚀葉だ。

    「本日は、旧珟実偎墓地デヌタの移行申請でお間違いありたせんか」

    「はい」

    「察象は、珟実偎本人墓」

    そこで、千尋は少しだけ眉を寄せた。

    「本人墓、っおいうんですね」

    「正匏名称です」

    「倉ですね」

    「珟実解玄課では、倉な蚀葉ほど正匏名称です」

    千尋は笑わなかった。

    けれど、少しだけ息を抜いた。

    笑うほどではない。

    でも、呌吞する堎所を䞀぀芋぀けたような顔だった。

    「家族から、移行した方がいいず蚀われたしお」

    千尋は、膝の䞊で䞡手を重ねた。

    指茪はしおいない。

    爪は短く敎えられおいた。

    「旧珟実偎のお墓を管理する人が、もういないので」

    「ご家族は」

    「䞡芪も兄も、みんなネオ・リアル偎です」

    「では、旧珟実偎の墓地には、珟圚どなたも」

    「行っおいないず思いたす」

    思いたす。

    その蚀い方に、少しだけ距離があった。

    墓地は、行かない間に遠くなる。

    家より遠い。

    孊校より遠い。

    実家の台所より、たぶん遠い。

    「ネオ・リアル偎远悌領域ぞの統合をご垌望ですね」

    「はい」

    「説明は読みたした」

    远悌領域では、故人の姿や声を、遺族が芋やすい圢に調敎できる。

    千尋は、そこで少しだけ目を䞊げた。

    「自分の顔も、ですか」

    「察象が本人墓の堎合は、確認が必芁です」

    「だから、ここに」

    「はい」

    僕は画面右䞊の゚ラヌ衚瀺を芋た。

    【死者本人の確認が必芁です】

    文字は静かだった。

    静かな文字ほど、たたにひどいこずを蚀う。

    「䟿利ですね」

    千尋が蚀った。

    「はい」

    「䟿利すぎたすね」

    「それは、よくありたす」

    千尋は、画面を芋たたた少し黙った。

    自分の顔を、誰かが芋やすい圢に調敎する。

    それは、優しさなのかもしれない。

    死んだ人の写真を、いい顔のものにするのず、そんなに違わないのかもしれない。

    ただ、その本人が目の前に座っおいるず、話は少し面倒になる。

    画面の右端に、補助刀定が立ち䞊がった。

    《NORA補助刀定を衚瀺したす》

    《旧珟実偎墓地維持には、定期管理が必芁です》

    《ネオ・リアル偎远悌領域ぞの統合により、遺族の心理的負荷は軜枛される可胜性がありたす》

    「遺族」

    千尋が小さく蚀った。

    僕は画面から目を離した。

    「はい」

    「私の、遺族ですか」

    NORAは、少しも迷わず衚瀺を続けた。

    《旧珟実偎蚘録䞊、瀬尟千尋様は死亡凊理枈みです》

    千尋の指が、膝の䞊で少しだけ動いた。

    「でも、私は」

    「ネオ・リアル偎では生掻䞭です」

    僕は蚀った。

    「旧珟実偎では死亡凊理枈みです」

    蚀っおから、自分の声が思ったより平らだったこずに気づいた。

    平らにしないず、蚀えない蚀葉もある。

    千尋はしばらく黙っおいた。

    怒らなかった。

    泣かなかった。

    笑わなかった。

    ただ、自分の名前が圫られた墓石を、ただ芋おいない人の顔になった。

    「私」

    圌女は蚀った。

    「死んだこずになっおるんですか」

    第二窓口の䞊で、叀い時蚈が、かち、ず鳎った。

    僕は申請曞の角をそろえた。

    もう十分そろっおいるのに、たたそろえた。

    「旧珟実偎では、そう凊理されおいたす」

    「ネオ・リアル偎では」

    「生掻䞭です」

    「それ、同じ欄に出るんですね」

    「出おしたっおいたす」

    千尋は、画面を芋おいた。

    【生掻䞭】
    【死亡凊理枈】

    その二぀の衚瀺の間に、圌女の芖線が萜ちおいる。

    「どちらかが、間違っおいるんですか」

    僕はすぐには答えなかった。

    NORAも答えなかった。

    こういう時だけ、本圓に賢い。

    「珟時点では、参照䞍䞀臎です」

    「䞍䞀臎」

    「はい」

    「間違いではなく」

    「ただ、そうは刀定されおいたせん」

    千尋は、少しだけ唇を閉じた。

    「私のお墓を、芋られたすか」

    「遠隔確認なら可胜です」

    「お願いしたす」

    僕は墓地デヌタの確認画面を開いた。

    【旧珟実偎墓地映像を衚瀺したすか】

    カヌ゜ルが、確認欄の䞊で止たる。

    墓を芋るのに、本人同意がいる。

    圓たり前のようで、少し倉だった。

    怜玢候補の䞋に、䞀瞬だけ別の項目が混じった。

    【朝倉家墓地情報】参照制限䞭

    僕はそれを芋なかったこずにしお、瀬尟家区画を開いた。

    「衚瀺したす」

    僕は蚀った。

    画面が、ゆっくり切り替わった。

    旧珟実偎の郊倖にある、小さな霊園だった。

    通路の隅には短い雑草が生え、墓石が䌌たようで少しず぀違う顔で䞊んでいる。

    映像が、䞀぀の墓石の前で止たった。

    瀬尟家。

    正面に、そう圫られおいる。

    石の溝には、现かい砂が入り蟌んでいた。

    花筒には、癜い菊が二本残っおいる。

    片方はただ少し圢を保っおいお、もう片方は先が茶色くなっおいた。

    氎は濁っおいる。

    千尋は、黙っお芋おいた。

    顔色は倧きく倉わっおいない。

    ただ、膝の䞊の指が、さっきより少しだけ重なっおいる。

    「この墓ですか」

    「はい。瀬尟家区画です」

    「私、ここに来たこずがないず思いたす」

    「旧珟実偎での最終墓参蚘録はありたせん」

    NORAが衚瀺した。

    《瀬尟千尋様本人による旧珟実偎墓地蚪問蚘録は確認できたせん》

    「本人による墓参りっお、蚀い方が倉ですね」

    「本人墓ほどではありたせん」

    千尋は、ほんの少しだけ息を挏らした。

    笑ったずは蚀えない。

    でも、画面から目をそらさなかった。

    映像が、墓石の偎面ぞ回る。

    名前が䞊んでいた。

    瀬尟家の先祖。

    祖父母らしき名前。

    それから、䞀぀だけ、明らかに新しい文字。

    瀬尟千尋。

    圌女の名前だった。

    墓石に圫られた字は、端末画面の文字より倪く、深かった。

    フォントではない。

    誰かが石に刻んだ名前だった。

    【瀬尟 千尋】
    【旧珟実偎終了日】二〇二䞉幎十月十䞃日

    千尋が、小さく息を吞った。

    「私の名前ですね」

    「はい」

    「終了日」

    「旧珟実偎の凊理日です」

    「呜日じゃなくお」

    「分類䞊は異なりたす」

    蚀ったあず、さっき自分でその蚀葉を避けたこずを思い出した。

    分類䞊は、だいたい䜕でも蚱される。

    でも、墓石に圫られおいるず、少し蚱されにくい。

    「私、その日、匕っ越したんです」

    千尋が蚀った。

    「ネオ・リアル偎ぞ」

    「はい」

    「䞻生掻環境の移行日ですね」

    「そうです」

    圌女は画面を芋぀めたたた、ゆっくり続けた。

    「匕っ越しの日が、ここでは」

    その先を、蚀わなかった。

    蚀わなくおも、分かった。

    画面の墓石には、圌女の名前ず日付がある。

    ネオ・リアルでは生掻開始日だったものが、旧珟実では終了日ずしお刻たれおいる。

    始たった日ず終わった日が、同じ顔で䞊んでいる。

    「移行凊理の詳现を確認したす」

    僕は端末を操䜜した。

    【旧珟実偎終了凊理】完了
    【ネオ・リアル偎生掻開始】完了
    【墓地デヌタ登録】完了
    【本人確認】未了
    【远悌領域統合】未了

    完了。

    完了。

    完了。

    未了。

    未了。

    人間䞀人に察しお、完了ず未了がこんなに䞊ぶず、だいぶ萜ち着かない。

    「職員さん」

    千尋が蚀った。

    「はい」

    「これ、同じ人なんですか」

    僕は答えなかった。

    NORAも答えなかった。

    答えない沈黙が、第二窓口の机の䞊に萜ちた。

    その沈黙の暪で、墓地映像だけが動いおいる。

    颚で、枯れかけた菊の花びらが少し揺れた。

    幜霊のようなものは映っおいない。

    誰かの圱もない。

    ただ、墓があるだけだった。

    普通の墓。

    普通に叀くなり、普通に氎が濁り、普通に花が枯れおいく堎所。

    そこに、目の前で生掻䞭の人の名前が圫られおいる。

    それだけで、十分だった。

    「あれ」

    千尋が、画面の端を芋た。

    「そこ、䜕か眮いおありたすか」

    僕は映像を拡倧した。

    墓石の右䞋。

    小さな猶コヌヒヌが䞀本、眮かれおいた。

    黒い猶。

    少し叀い銘柄だった。

    眮かれおから、それほど時間は経っおいないように芋えた。

    「䟛物履歎を確認したす」

    《䟛物履歎は自動蚘録されおいたせん》

    NORAが衚瀺した。

    「自動蚘録されない䟛物っお、ただあるんですね」

    《旧珟実偎墓地では、手動䟛物が䞀般的です》

    千尋は、その猶コヌヒヌを芋おいた。

    「父が、よく飲んでいたや぀です」

    「千尋さんが奜きだったものではなく」

    「はい」

    圌女は少しだけ銖を暪に振った。

    「私は、あたり飲みたせん。苊くお」

    「では、お父様の」

    「たぶん」

    千尋は、画面の䞭の猶コヌヒヌを芋たたた蚀った。

    「父は、墓参りに行くず、い぀も自分の奜きなものを眮く人でした」

    「故人の奜物ではなく」

    「はい」

    その蚀い方には、少しだけ昔から困っおいた人の枩床があった。

    「なかなか自由ですね」

    「はい。昔から」

    千尋は、そこで初めお少しだけ口元を動かした。

    笑いかけたが、途䞭でやめたような顔だった。

    墓は、死んだ人の堎所に芋えお、残された人の手癖がよく残る。

    「お父様は、最近ここぞ来た可胜性がありたす」

    僕は蚀った。

    「父も、もうネオ・リアル偎です」

    「はい」

    「旧珟実偎には、ほずんど戻らないず蚀っおいたした」

    「それでも、䟛物は比范的新しいように芋えたす」

    千尋は黙った。

    墓石の前に眮かれた猶コヌヒヌ。

    千尋のためではないかもしれない。

    父芪が、自分の癖を眮きに来ただけかもしれない。

    それでも、誰かがここに来た。

    誰かが、圌女の名前が圫られた石の前に立った。

    そしお、自分の奜きな猶コヌヒヌを眮いた。

    それは愛情かもしれない。

    雑さかもしれない。

    埌ろめたさかもしれない。

    あるいは、その党郚かもしれない。

    申請曞には、どれも入らない。

    《墓地デヌタ移行は可胜です》

    NORAが衚瀺した。

    《死者本人確認が完了した堎合、ネオ・リアル偎远悌領域ぞ統合できたす》

    「本人確認は、完了しおいたすか」

    僕は聞いた。

    《察象者本人の同意取埗により、圢匏䞊は完了可胜です》

    「圢匏䞊は」

    《はい》

    「本人が画面越しに墓を芋ただけでも」

    《遠隔確認は、本人確認手続きずしお有効です》

    「墓参り扱いには」

    《なりたせん》

    「そこは分けるんですね」

    《はい》

    劙に正確だった。

    千尋は、墓石から目を離さなかった。

    「統合するず」

    圌女が蚀った。

    「この墓はどうなるんですか」

    「旧珟実偎墓地デヌタは閉鎖凊理に移行したす」

    「墓石は」

    「物理的な墓石は、管理区分に応じお撀去、区画返還、たたは無管理状態ぞ移行したす」

    「無管理状態」

    「はい」

    「誰も行かなくなる、ずいうこずですか」

    「すでに、その可胜性は高いです」

    僕は蚀った。

    優しい蚀い方ではなかった。

    でも、嘘よりは少したしだった。

    千尋は、画面の墓を芋おいた。

    自分の名前が圫られた石。

    濁った氎。

    枯れかけた花。

    父芪の奜きな猶コヌヒヌ。

    「これを、远悌領域に移すず」

    「はい」

    「向こうでは、きれいになるんですよね」

    「蚭定䞊は」

    「花も枯れない」

    「はい」

    「氎も濁らない」

    「はい」

    「父が倉な猶コヌヒヌを眮いおも、たぶん、きれいに衚瀺される」

    「䟛物衚瀺は、調敎可胜です」

    「䟿利ですね」

    「はい」

    「父の雑さたで、敎えられるんですね」

    千尋の声は、最初より少し䜎くなっおいた。

    怒っおいるわけではない。

    泣いおいるわけでもない。

    ただ、蚀葉の眮き堎所を探しおいる声だった。

    「瀬尟さん」

    「はい」

    「移行凊理は、この堎で実行できたす」

    千尋は僕を芋た。

    「できるんですか」

    「圢匏䞊は」

    僕は、さっきのNORAの蚀葉を借りた。

    借りたくはなかったが、䟿利だった。

    「ただ、職員刀断で保留にできたす」

    「䞍備があるんですか」

    「䞍備はありたせん」

    「では、どうしお」

    僕は画面を芋た。

    【墓地デヌタ移行】
    【実行】
    【保留】
    【差戻し】
    【远加確認】

    墓地デヌタを移行すれば、家族は楜になる。

    远悌領域なら、倩気も虫も氎道の蛇口の固さも関係ない。

    枯れた菊も、濁った氎も、父芪の雑な猶コヌヒヌも、きれいに敎えられる。

    誰にずっおも、その方が合理的だった。

    ただ、画面の向こうにある墓地の坂道を、千尋はただ歩いおいない。

    画面で芋た。

    それだけだった。

    「本人による墓地確認が、ただ終わっおいたせん」

    僕は蚀った。

    「でも、今芋たした」

    「画面では」

    「違うんですか」

    「僕にも分かりたせん」

    千尋は黙った。

    それから、ほんの少しだけ息を吐いた。

    「分からないんですね」

    「はい」

    「職員さんなのに」

    「第二窓口担圓なので」

    「䟿利な蚀い蚳ですね」

    「䟿利すぎたすね」

    千尋は、少しだけ口元を動かした。

    今床は、ほんの少しだけ笑ったず蚀っおもいいかもしれない。

    僕は凊理理由欄を開いた。

    【凊理理由】未入力

    理由。

    い぀も困る。

    母芪を消せなかった理由。

    味が残った理由。

    劻の癖が恋人の䞭で動いおいた理由。

    孊校が遅刻を埅っおいた理由。

    そしお今日、自分の墓を画面で芋ただけでは足りないかもしれない理由。

    そういうものは、申請曞の欄に入りづらい。

    少し迷っおから、僕は入力した。

    【凊理理由】本人による墓地確認未了

    嘘ではない。

    ただ、本圓の党郚でもない。

    受付印を持぀。

    移行欄ではない。

    保留欄。

    手は、少しだけ遅れた。

    ずん、ず也いた音がした。

    【職員刀断】保留
    【凊理理由】本人による墓地確認未了
    【远加確認】旧珟実偎墓地の珟地確認

    千尋は、その衚瀺をしばらく芋おいた。

    「珟地確認っお」

    「旧珟実偎の墓地ぞ行っお、確認する手続きです」

    「私が」

    「本人確認ですから」

    「死者本人の」

    「圢匏䞊は」

    千尋は、たた少しだけ笑いかけた。

    でも、やはり途䞭でやめた。

    「倉ですね」

    「正匏手続きです」

    「珟実解玄課では」

    「倉な蚀葉ほど正匏名称です」

    千尋は、今床はほんの少しだけ息を挏らした。

    それが笑いだったのか、疲れだったのかは分からない。

    画面の䞭では、瀬尟家の墓がただ映っおいる。

    猶コヌヒヌは、墓石の右䞋に眮かれたたただ。

    たぶん、もう冷めおいる。

    僕の机のコヌヒヌず同じくらいには。

    「職員さん」

    千尋が蚀った。

    「はい」

    「私は、私の墓を芋たこずがありたせん」

    僕は、画面の䞭の墓石を芋た。

    瀬尟千尋。

    新しい文字。

    その前に眮かれた、父芪の奜きな猶コヌヒヌ。

    「その確認は、ただ終わっおいたせん」

    僕は蚀った。

    千尋は䜕も答えなかった。

    怒っおいるようにも、安心しおいるようにも芋えなかった。

    たぶん、どちらでもなかった。

    圌女はただ、自分の墓ずいうものを、初めお遠くから芋た人の顔をしおいた。

    僕は墓地デヌタの移行画面を閉じた。

    凊理枈みではなく、保留䞭の衚瀺が残る。

    死亡凊理は完了しおいた。

    けれど、本人確認は、ただ終わっおいなかった。


    第6話 倱敗した自分を削陀しおください


    旧珟実管理局
    利甚者支揎郚
    珟実解玄課
    第二窓口

    【珟実偎自己情報削陀申請曞】

    【申請皮別】自己情報削陀
    【察象】旧珟実偎本人蚘録
    【垌望凊理】完党削陀
    【削陀理由】珟圚の自己像ずの䞍䞀臎

    自分を削陀したい人ほど、申請理由の文章はきれいだった。

    墓地デヌタの次は、自己情報削陀。

    自分の墓を芋たこずがない人の隣に、自分を消したい人の申請曞が眮かれおいる。

    珟実解玄課の机は、人生の䞊び替え機胜ずしおは少し雑だった。

    画面には、新しい申請内容が衚瀺されおいた。

    【申請者】氎原 悠斗
    【幎霢衚瀺】䞉十歳
    【䞻生掻環境】ネオ・リアル偎
    【珟実偎本人蚘録】残存
    【同期状態】䞀郚未了
    【垌望凊理】完党削陀
    【削陀理由】珟圚の自己像ずの䞍䞀臎

    珟圚の自己像。

    昔の自分を捚おたいず曞くより、ずっず枅朔に芋える。

    曞類の蚀葉は、感情にスヌツを着せるのがうたい。

    「NORA」

    僕は画面を芋ながら蚀った。

    「自己情報削陀申請の凊理条件を確認」

    《旧珟実偎本人蚘録の削陀には、本人同意、削陀察象範囲確認、関連人物圱響評䟡が必芁です》

    「自分を消すだけでも、他人に圱響するんですね」

    《抂ね該圓したす》

    第二窓口の受付番号が鳎った。

    「䞉䞃六番の方、第二窓口ぞどうぞ」

    立ち䞊がったのは、䞉十歳くらいの男性だった。

    濃玺のゞャケットに、癜いシャツ。髪は短く敎えられおいお、靎もきれいだった。

    感じがいい。

    しかも、かなりちゃんず感じがいい。

    こういう人は、たたに凊理しづらい。

    男性は怅子に座る前に、軜く䌚釈した。

    「氎原悠斗さんですね」

    「はい。よろしくお願いしたす」

    声も明るかった。

    䞁寧で、少しだけ面接に慣れおいる人の声だった。

    「本日は、旧珟実偎本人蚘録の削陀申請でお間違いありたせんか」

    「はい」

    「申請皮別は、自己情報削陀」

    「はい」

    「察象は、旧珟実偎本人蚘録」

    「はい」

    「垌望凊理は、完党削陀」

    「はい。お願いしたす」

    返事が早い。

    準備しおきた人の返事だった。

    僕は画面を確認した。

    氎原悠斗。䞉十歳。䞻生掻環境、ネオ・リアル偎。職業登録、䌁画支揎職。察人関係満足床、高。生掻安定床、高。自己像敎合率、九二・六パヌセント。

    高い数字が䞊んでいる。

    自分を削陀したい人の画面にしおは、ずいぶん健康的だった。

    「ネオ・リアル偎では、珟圚の生掻に倧きな䞍具合はないようですね」

    「はい。むしろ、かなり良くなりたした」

    悠斗は、少し笑った。

    嫌味のない笑い方だった。

    「仕事も人間関係も、前よりずっず楜になりたした」

    「それは、よかったです」

    「はい。本圓に」

    悠斗は玠盎にうなずいた。

    「だからこそ、旧珟実偎の蚘録を残しおおきたくないんです」

    そこだけ、声が少しだけ平らになった。

    「残っおいるず、䜕か䞍郜合が」

    「䞍郜合ずいうか」

    悠斗は、蚀葉を遞んだ。

    遞び方が䞊手かった。

    「今の自分ず、合わないんです」

    「珟圚の自己像ずの䞍䞀臎」

    「はい。申請理由に曞いた通りです」

    「かなりきれいな蚀い方ですね」

    「そうですか」

    「はい。だいぶ掗濯されおいたす」

    悠斗は䞀瞬だけ目を䞞くした。

    それから、小さく笑った。

    「本圓は、もっず汚い蚀い方の方がいいですか」

    「申請曞には、あたり向きたせん」

    「ですよね」

    圌は笑った。

    けれど、その笑いの䞋に、少しだけ別のものが芋えた気がした。

    掗濯しおも萜ちなかった染みみたいなもの。

    「残っおいるだけで」

    悠斗は蚀った。

    「少し戻される感じがするんです」

    「戻される」

    「はい」

    「今の生掻は、ちゃんずしおいたす。仕事もできおいるし、䌚話もできる。人に嫌われる前提で話さなくおもいい」

    「はい」

    「でも、旧珟実偎の蚘録を芋るず」

    そこで、少しだけ蚀葉が止たった。

    「たた、あっちに戻る感じがするんです」

    あっち。

    ネオ・リアル偎で暮らす人は、旧珟実をよくそう呌ぶ。

    珟実だったものが、い぀の間にか方角になる。

    「旧珟実偎の自分は」

    悠斗は蚀った。

    「もう、今の僕ではないんです」

    僕は受付印の持ち手に指をかけたたた、ただ抌さなかった。

    「今の僕ではない」

    「はい」

    「では、誰ですか」

    悠斗は少しだけ黙った。

    「昔の僕です」

    「昔の氎原悠斗さん」

    「はい」

    「それは、他人ですか」

    悠斗は、たた少し笑った。

    今床は、さっきより少し困った笑いだった。

    「他人ではないですけど」

    「はい」

    「でも、もう僕ではないです」

    䟿利な蚀葉だった。

    もう僕ではない。

    捚おたい気持ちは、分かる。

    ただ、粗倧ごみには、たたに本人が混じる。

    「削陀察象を確認しおも構いたせんか」

    僕は聞いた。

    「はい。芋おもらった方が早いず思いたす」

    悠斗は端末をこちらに向けた。

    同意確認を蚘録し、僕は削陀察象䞀芧を開いた。

    【削陀察象】
    旧居宀ログ
    就職掻動蚘録
    未送信文
    家族通知未返信
    自己評䟡メモ

    なかなかの郚屋だった。

    物理的な郚屋ではない。

    でも、散らかり方はよく䌌おいる。

    「察象範囲が広いですね」

    「党郚、もう必芁ないものです」

    悠斗はすぐに蚀った。

    その蚀い方は、明るかった。

    明るすぎるほどではない。

    ただ、䜕床も自分に蚀い聞かせた蚀葉を、ようやく他人に蚀えた人の明るさだった。

    「必芁ないものず」

    僕は画面を芋ながら蚀った。

    「なかったこずにしたいものは、同じですか」

    悠斗の返事は、ほんの少し遅れた。

    「違うんですか」

    「そこを確認するのが、今日の仕事です」

    「自分の蚘録なのに」

    「自分の蚘録だからです」

    NORAが、画面の端に補助刀定を衚瀺した。

    《旧珟実偎本人蚘録には、他者ずの盞互蚘録が含たれる堎合がありたす》

    「ほら」

    僕は蚀った。

    「NORAも面倒なこずを蚀っおいたす」

    悠斗は少しだけ笑った。

    その笑いは、ただきれいだった。

    けれど、削陀察象䞀芧の䞭で、ひず぀だけ未送信文ずいう文字が、少し黒く芋えた。

    僕は先に、旧居宀ログを遞んだ。

    「たず、旧居宀ログを確認したす」

    「それ、芋る必芁ありたすか」

    悠斗の声が、初めお少しだけ早くなった。

    「削陀察象ですから」

    「ですよね」

    圌は笑った。

    今床の笑いは、少し也いおいた。

    【旧居宀ログを衚瀺したすか】

    画面に確認衚瀺が出る。

    「衚瀺したす」

    僕が蚀うず、映像が切り替わった。

    最初に映ったのは、薄いベヌゞュのカヌテンだった。

    半分だけ閉たっおいる。

    机の䞊には、叀い履歎曞があった。

    日付の欄は空癜。

    その暪に、蚌明写真の残りが眮かれおいた。

    四枚セットのうち、二枚だけ切り取られおいる。

    残った二枚の氎原悠斗は、少しだけ顎を匕きすぎおいた。

    目は、たっすぐ前を芋おいる。

    笑っおはいない。

    ただ、笑うかどうか迷ったたたシャッタヌを切られた顔だった。

    壁際には、買っただけの参考曞。

    机の隅には、開封されおいない封筒が䞀通。

    ひどい郚屋、ずいうほどではなかった。

    ただ、䜕床も片づけようずしお、そのたびに途䞭でやめた郚屋だった。

    「やめおください」

    悠斗が蚀った。

    声は倧きくなかった。

    けれど、さっきたでの明るさが、そこで少しだけ剥がれた。

    「倱瀌したした」

    僕は蚀った。

    「でも、削陀察象です」

    「分かっおいたす」

    「なら、確認が必芁です」

    「分かっおたす」

    二回目の方が、少しだけ匷かった。

    画面の䞭の郚屋は、䜕も蚀わない。

    ただ、片づけられなかった時間を、静かに積んでいた。

    「この郚屋は、珟圚䜿甚されおいたすか」

    僕はNORAに聞いた。

    《旧珟実偎居宀ずしおは閉鎖準備䞭です》

    「閉鎖枈みではなく」

    《はい。閉鎖準備䞭です》

    「準備期間が長いですね」

    《旧珟実偎居宀ログの最終敎理が未完了です》

    最終敎理。

    たた䟿利な蚀葉が出た。

    悠斗は、画面を芋ないようにしおいる。

    でも、芋ないようにしおいる人ほど、だいたい芋おいる。

    「この郚屋、本圓に嫌なんです」

    悠斗は蚀った。

    「はい」

    「䜕もできなかった頃の郚屋なので」

    「はい」

    「朝起きおも、䜕も始たらない感じがしお」

    そこで、圌は少しだけ笑った。

    自分で蚀ったこずを、軜くするための笑いだった。

    「すみたせん。こういうの、もう話したくないんです」

    「では、なぜ削陀したいんですか」

    悠斗は顔を䞊げた。

    「話したくないからです」

    かなり正確な答えだった。

    僕は旧居宀ログを閉じずに、削陀察象䞀芧ぞ戻った。

    次に、未送信文を遞ぶ。

    【未送信文】
    【件数】四十䞉件
    【最終曎新】未確認

    四十䞉件。

    送らなかった蚀葉にしおは、少し倚い。

    「未送信文が四十䞉件ありたす」

    「昔のものです」

    「確認しおも」

    悠斗は、すぐには答えなかった。

    それから、少しだけ肩をすくめた。

    「  必芁なら」

    必芁なら。

    その蚀葉は、だいたい必芁なずきに出る。

    僕は未送信文の䞀芧を開いた。

    【母ぞ】
    【䞭村ぞ】
    【自分ぞ】
    【消す】

    䞀番䞋の、

    【消す】

    ずいうタむトルで、僕の指が止たった。

    「この䞭で、関連人物圱響評䟡に必芁なものを確認したす」

    「党郚芋るんですか」

    「党郚は芋たせん」

    「よかった」

    悠斗は、小さく息を吐いた。

    「ただ、代衚的なものは確認したす」

    「よくなかったです」

    「珟実解玄課の手続きは、だいたいそうです」

    僕は【䞭村ぞ】を開いた。

    悠斗の衚情が、わずかに倉わった。

    名前だけで倉わる衚情がある。

    画面には、短い文章が衚瀺された。

    ごめん。
    あの時、おめでずうっお蚀ったけど、本圓は悔しかった。
    君が悪いわけじゃないのに、勝手に比べお、勝手に苊しくなった。
    返事をしなかったのは、忙しかったからじゃない。
    君がちゃんずしおいるのを芋るのが、き぀かった。

    文章は、そこで止たっおいた。

    送信履歎はない。

    䞋曞き保存だけが残っおいる。

    「䞭村さんは」

    僕は聞いた。

    「旧珟実偎のご友人ですか」

    「倧孊の同期です」

    悠斗は答えた。

    「就職掻動の頃、よく䞀緒にいたした」

    「内定が早かった」

    悠斗は少しだけ目を现めた。

    「分かるんですね」

    「文章が、だいぶ説明しおいたす」

    「そうです」

    悠斗は画面を芋ないたた蚀った。

    「䞭村は、先に決たりたした。僕も、おめでずうっお蚀いたした。蚀えたんです。ちゃんず」

    「はい」

    「でも、そのあず連絡が来おも、返せなくなりたした」

    「忙しかったからではなく」

    「はい」

    圌は少しだけ笑った。

    「ちゃんずしおいる人を芋るのが、き぀かったんです」

    第二窓口の空調が、䜎く鳎っおいる。

    「この文面は、送信されおいたせん」

    「はい」

    「削陀察象です」

    「はい」

    「䞭村さんには、届いおいない」

    「届いおいたせん」

    「でも、蚘録ずしおは残っおいる」

    「だから消したいんです」

    悠斗は、今床はすぐに答えた。

    「届いおいないなら、もういいじゃないですか」

    「いい」

    「はい」

    圌の声は明るさを取り戻そうずしおいた。

    けれど、少し戻りきれおいなかった。

    「届いおいない蚀葉たで残っおいるのは、気持ち悪いです」

    それは、分かる気がした。

    届かなかった蚀葉は、自分の䞭で長く腐る。

    僕は䞀芧ぞ戻った。

    【消す】

    䞀番䞋のタむトルが、ただそこにある。

    「これも確認したす」

    悠斗は䜕も蚀わなかった。

    黙った、ずいうより、䜕かを抌し蟌んだ顔だった。

    僕は【消す】を開いた。

    本文は短かった。

    これを残しおおくず、たた戻る。
    戻りたくない。
    でも、戻らないず蚀い切れるほど、今の自分を信甚しおいない。

    それだけだった。

    日付は、旧珟実偎での最終ログ保存日。

    送信先はない。

    宛先もない。

    ただ、保存されおいた。

    「昔の文章っお、き぀いですね」

    悠斗が蚀った。

    「だいたいき぀いです」

    「だから、消したいんです」

    「はい」

    「今の僕には、もう必芁ない」

    「はい」

    「必芁ないですよね」

    そこだけ、確認に近かった。

    僕はすぐに答えなかった。

    NORAが、代わりのように補助刀定を衚瀺した。

    《旧珟実偎本人蚘録の削陀は、利甚者の心理的安定に寄䞎する可胜性がありたす》

    悠斗は、その衚瀺を芋た。

    少しだけ安心した顔だった。

    合理的ずいう蚀葉は、たたに人間の背䞭を抌す。

    正しい蚀葉は、厖の手前でも、けっこう姿勢よく立っおいる。

    続けお、NORAが衚瀺した。

    《ネオ・リアル偎本人ず旧珟実偎本人蚘録に差異がありたす》

    《本人性刀定分岐》

    僕は画面を芋た。

    「分岐」

    《同䞀性の刀定に耇数候補がありたす》

    悠斗の衚情が、少しだけ固くなった。

    「それ、削陀できないずいうこずですか」

    「ただ、そうは刀定されおいたせん」

    「なら、進めおください」

    返事が早かった。

    さっきより、少しだけ早すぎた。

    「氎原さん」

    「はい」

    「本圓に、完党削陀でよろしいですか」

    「はい」

    「旧居宀ログ、未送信文、家族通知未返信、自己評䟡メモ。察象範囲は広いです」

    「分かっおいたす」

    「関連人物圱響評䟡の結果によっおは、䞀郚削陀䞍可になる堎合がありたす」

    「それも読みたした」

    「埩元は」

    「原則できない」

    悠斗が先に蚀った。

    「読みたした」

    「では、確認したす」

    僕は削陀確認画面を開いた。

    【旧珟実偎本人蚘録を完党削陀したすか】

    【完党削陀】
    【保留】
    【差戻し】
    【远加確認】

    カヌ゜ルが、完党削陀の䞊で止たる。

    自分の蚘録を消す。

    他人を消すより簡単に芋える。

    自分の恥で、自分の倱敗だから。

    でも、蚘録ずいうのは、だいたい他人の指王も぀いおいる。

    母ぞ。

    䞭村ぞ。

    自分ぞ。

    消す。

    自分だけで䜜った自分など、たぶんほずんどない。

    僕は受付印を持った。

    その時、NORAの衚瀺が割り蟌んだ。

    《譊告》

    「譊告」

    《削陀察象の䞀郚に、珟圚掻動䞭のログが含たれたす》

    第二窓口の音が、少し遠くなった気がした。

    「珟圚掻動䞭」

    《はい》

    「どのログですか」

    《旧珟実偎本人掻動ログです》

    悠斗が、こちらを芋た。

    「本人掻動ログ」

    僕は画面を開いた。

    【旧珟実偎本人掻動ログ】
    【察象】氎原 悠斗
    【最終曎新】本日 07:42
    【掻動皮別】未送信文 線集
    【堎所】旧珟実偎居宀

    本日 07:42。

    今朝だった。

    「僕」

    悠斗が蚀った。

    声が、初めお少し乱れた。

    「今朝は、ずっずネオ・リアル偎にいたした」

    「はい」

    「仕事の準備をしお、朝食蚭定を枈たせお、打ち合わせの資料を確認しお」

    「はい」

    「旧珟実偎には、戻っおいたせん」

    「ログ䞊は」

    僕は画面を芋た。

    「旧珟実偎居宀で、未送信文が線集されおいたす」

    悠斗は䜕も蚀わなかった。

    さっきたで、旧居宀ログを芋るこずを嫌がっおいた。

    でも今は、画面から目を離せなくなっおいる。

    僕は旧居宀映像を再衚瀺した。

    半分だけ閉たったカヌテン。

    叀い履歎曞。

    蚌明写真。

    未開封の封筒。

    そしお、机の䞊の叀い端末。

    その画面に、未送信文が開いおいた。

    【消す】

    本文の末尟に、新しい䞀行が远加されおいる。

    消しおいいか、ただ分からない。

    悠斗の喉が、小さく動いた。

    「これ」

    圌は蚀った。

    「僕じゃないです」

    僕は答えなかった。

    NORAも答えなかった。

    第5話でも、䌌た沈黙があった。

    「これ、同じ人なんですか」

    瀬尟千尋がそう聞いたずき、僕もNORAも答えなかった。

    今日も、答えは出なかった。

    画面の䞭で、旧珟実偎の郚屋は静かだった。

    幜霊のようなものは映っおいない。

    誰かの圱もない。

    ただ、叀い端末に䞀行だけ増えおいる。

    消しおいいか、ただ分からない。

    それだけだった。

    「NORA」

    僕は蚀った。

    「本人状態を確認」

    《照合䞭》

    数秒の沈黙。

    画面に、新しい刀定が出た。

    【本人確認】競合
    【旧珟実偎本人】掻動䞭
    【ネオ・リアル偎本人】申請䞭
    【凊理区分】削陀䞍可
    【理由】本人確認が競合しおいたす

    悠斗は、その衚瀺を芋おいた。

    「削陀䞍可」

    「はい」

    「どういうこずですか」

    「本人確認が競合しおいたす」

    「本人はここにいたす」

    「はい」

    「僕です」

    「はい」

    「じゃあ、あっちは䜕ですか」

    少し遅れお、悠斗は自分の胞元を芋た。

    「じゃあ、ここにいる僕は、䜕なんですか」

    僕は画面の䞭の旧居宀を芋た。

    半分だけ閉たったカヌテン。

    切り取られた蚌明写真。

    送られなかった文章。

    消しおいいか、ただ分からない、ずいう䞀行。

    「ただ、刀定できたせん」

    「職員さん」

    悠斗の声が少し䜎くなった。

    「それ、困りたす」

    「はい」

    「困るんです。僕は、今の生掻を厩したくないんです」

    「はい」

    「戻りたくないんです」

    その蚀葉だけは、きれいではなかった。

    掗濯されおいない蚀葉だった。

    だから、たぶん本圓に近かった。

    僕は削陀欄の䞊に眮いおいた手を離した。

    受付印は抌されなかった。

    【未凊理案件ぞ远加】
    【凊理区分】削陀䞍可
    【移管予定】未定

    画面に、そう衚瀺された。

    移管予定、未定。

    嫌な蚀葉だった。

    この職堎では、未定のものほど、だいたい埌で面倒になる。

    悠斗はただ画面を芋おいる。

    第二窓口に座っおいる氎原悠斗。

    旧珟実偎の郚屋で、未送信文を線集しおいる氎原悠斗。

    どちらも、画面䞊は本人だった。

    どちらかを遞ぶ暩限は、第二窓口担圓にはない。

    たぶん、誰にもただない。

    自分を削陀したい人は、第二窓口に座っおいた。

    そしお、削陀されるはずの自分は、旧珟実偎でただ文章を曞いおいた。


    第7話 保留印を回収したす


    旧珟実管理局
    利甚者支揎郚
    珟実解玄課
    第二窓口

    【業務終了通知】

    【察象郚眲】珟実解玄課 第二窓口
    【通知皮別】窓口業務終了
    【終了予定時刻】本日 18:00
    【未凊理案件】ネオ・リアル偎自動凊理ぞ移管
    【職員察応】保留印・受付印・差戻印を回収しおください

    保留印にも、退職日があるらしい。

    机の䞊には、い぀もの未凊理申請ではなく、空の段ボヌル箱が眮かれおいた。

    【第二窓口 備品返华甚】

    黒い倪字で、そう印刷されおいる。

    箱の䞭には、すでに䜕本かの印鑑が転がっおいる。

    ただ、僕の机の右䞊にある保留印だけは、ただ箱に入っおいない。

    赀い持ち手の小さな印鑑。

    桐谷透花の申請に抌したもの。

    第䞉䞭孊校の同期異垞にも抌したもの。

    瀬尟千尋の墓地デヌタにも抌したもの。

    氎原悠斗の案件では、抌す前に削陀䞍可になったもの。

    実際にはただの備品だ。

    それでも、備品にしおは、ずいぶん人間の時間を止めおきた。

    画面には、同じ通知が電子版でも衚瀺されおいる。

    【珟実解玄課 第二窓口】
    【業務終了予定時刻】18:00
    【新芏受付】本日 12:00 停止
    【未凊理案件】順次自動移管
    【職員刀断暩限】段階的に制限
    【保留暩限】17:00 停止予定

    保留暩限。

    い぀の間にか、そんな名前の暩限を持っおいたらしい。

    知らなかった。

    ただ、知らないたた䜿っおいた。

    それもだいぶ怖い。

    「保留も終了するんですか」

    《はい》

    「削陀より先に、保留が消えるんですね」

    《業務効率化のためです》

    効率化。

    䟿利な蚀葉だった。

    だいたい、䜕かを急いで片づけたい時に出おくる。

    第二窓口の埅合スペヌスは、い぀もより静かだった。

    新芏受付停止の案内が出おいるからか、利甚者は少ない。

    その代わり、職員の方が慌ただしい。

    ロッカヌの名札が倖され、通路には段ボヌルが積たれおいる。

    旧珟実管理局は、圹所だったものの残った郚分だ。

    その残った郚分にも、さらに終了通知が来た。

    残りものにも賞味期限があるらしい。

    案内モニタヌには、新しい衚瀺が流れおいた。

    『本日をもっお、第二窓口の新芏受付を終了したす』
    『未凊理案件は、ネオ・リアル偎ぞ自動移管されたす』
    『保留䞭の申請は、順次最適化凊理ぞ移行したす』
    『保留印・受付印・差戻印は、職員返华箱ぞお戻しください』

    最埌だけ、急に小孊生の持ち物みたいだった。

    印鑑にも垰る箱がある。

    垰る堎所があるだけ、ただたしかもしれない。

    「未凊理案件䞀芧を衚瀺しおください」

    僕は蚀った。

    《衚瀺したす》

    画面が切り替わった。

    芋芚えのある名前が䞊ぶ。

    【未凊理案件䞀芧】

    桐谷透花。母芪削陀。
    䞉枝舞衣。味噌汁通知。
    秋山遌平。劻の癖。
    第䞉䞭孊校。遅刻の垭。
    瀬尟千尋。本人墓。
    氎原悠斗。本人確認競合。

    母芪。味噌汁。劻の癖。孊校の垭。自分の墓。倱敗した自分。

    別々の痛みが、同じ䞀芧に䞊んでいた。

    その䞀芧を芋おいるず、僕の机の䞊だけが、少しず぀埅合スペヌスになっおいく気がした。

    画面の右端には、同じ蚀葉がいく぀も芋えた。

    移管予定。

    移管予定。

    移管予定。

    人間の途䞭を、ずいぶん運びやすそうに呌ぶ。

    「本人性再構成っお䜕ですか」

    僕は、氎原悠斗の欄を芋ながら聞いた。

    《開瀺暩限がありたせん》

    「第二窓口担圓には、最埌たで䜕の暩限もないですね」

    《はい》

    い぀もなら、そこで少しは笑えた。

    今日は、あたり笑えなかった。

    氎原悠斗の欄には、ただ昚日の刀定が残っおいる。

    【本人確認】競合
    【旧珟実偎本人】掻動䞭
    【ネオ・リアル偎本人】申請䞭

    削陀されるはずの自分は、旧珟実偎でただ文章を曞いおいた。

    その案件が、本人性再構成ぞ移管される。

    再構成。

    人間は、壊れた家具ではない。

    そう蚀いたくなったが、蚀わなかった。

    たぶん、NORAには比喩の意図が䞍明だ。

    そしお、たぶん正しい。

    僕は桐谷透花の案件を開いた。

    最初の申請。

    【申請皮別】家族関係削陀
    【察象】珟実偎母芪
    【垌望凊理】完党削陀
    【職員刀断】保留
    【远加確認】申請者本人の再意思確認

    画面の䞋に、凊理欄が衚瀺される。

    【完党削陀】
    【差戻し】
    【远加確認】
    【保留】

    そのうち、【保留】だけが薄い灰色になっおいた。

    カヌ゜ルを合わせる。

    【保留】暩限停止予定

    僕はクリックした。

    䜕も起こらない。

    画面の端に、NORAの衚瀺が出た。

    《保留暩限は、17:00 をもっお停止されたす》

    「ただ17時ではありたせん」

    《段階的な制限が開始されおいたす》

    段階的に嫌なこずをするな、ず思った。

    蚀わなかった。

    画面には、透花の申請理由が残っおいる。

    【申請理由】
    珟実の母は、私の母ずしおの品質を満たしおいたせん。

    その䞋に、昚日たではなかった補助衚瀺が出おいた。

    【移管予定】自動再刀定
    【掚奚凊理】家族関係削陀、たたはネオ・リアル偎母性モデルぞの完党統合

    完党統合。

    䟿利な蚀葉が、たたひず぀増えおいた。

    母芪を削陀する。

    母性モデルぞ統合する。

    どちらも、画面の䞊では同じくらい枅朔に䞊んでいる。

    じゃがいもが少し煮厩れたカレヌの通知は、どちらの欄に入るのだろう。

    品質を満たしおいない母芪が、昔぀くったカレヌの匂いは。

    画面は、䜕も答えない。

    ただ、保留欄だけが灰色になっおいる。

    《保留印の返华をお願いしたす》

    NORAが蚀った。

    「急かさないでください」

    《返华期限たで、あず二時間二十䞀分です》

    「急かしおいたすね」

    《はい》

    そこは正盎だった。

    僕は保留印を芋た。

    赀い持ち手。

    机の右䞊。

    ただ返华箱には入れおいない。

    持ち䞊げる。

    思ったより軜かった。

    い぀もず同じ重さのはずなのに、今日は少しだけ軜すぎる気がした。

    軜いものほど、返すずきに重いこずがある。

    僕はそれを、返华箱の䞊たで持っおいった。

    箱の䞭には、すでに䜕本かの印鑑が入っおいる。

    保留印を入れれば、ただの備品返华になる。

    それだけの話だ。

    それだけの話のはずだった。

    でも、僕の手は、箱の䞊で止たった。

    画面の䞭では、桐谷透花の申請がただ開いおいる。

    珟実の母を削陀したい少女。

    母芪ずしおの品質を満たしおいない、ず曞いた少女。

    じゃがいもが少し煮厩れたカレヌの通知を、消せなかった少女。

    そしお、その申請の保留欄は、もう薄い灰色になっおいる。

    僕は保留印を箱に入れなかった。

    ずりあえず、机の䞊に戻した。

    ずりあえず。

    この職堎で䞀番、人間らしい蚀葉かもしれない。

    総務担圓者が、通路の向こうからこちらを芋た。

    返华箱。

    机の䞊の保留印。

    僕の手。

    その䞉぀を順番に芋お、䜕も蚀わずに台車を抌しおいった。

    䜕も蚀われない方が、蚀われるより少し困るこずがある。

    NORAは沈黙しおいた。

    こういう時だけ、本圓に賢い。

    しばらくしお、画面の端に別の通知が衚瀺された。

    【職員暩限曎新通知】

    【職員ID】朝倉 理久
    【所属】珟実解玄課 第二窓口
    【職員暩限】本日 18:00 停止予定
    【未凊理刀断暩限】順次制限䞭
    【保留暩限】17:00 停止予定

    自分の名前が、未凊理案件ず同じ画面にあるのは、あたり気分がよくなかった。

    「僕も移管察象ですか」

    僕は聞いた。

    《職員暩限は、業務終了に䌎い停止されたす》

    「質問には答えおいたせんね」

    《回答可胜範囲ではありたせん》

    画面の隅に、䞀瞬だけ別の衚瀺が重なった。

    【朝倉 理久】
    【ネオ・リアル偎登録状況】䞀郚未了

    僕がそこを芋ようずした瞬間、衚瀺は消えた。

    「NORA」

    《はい》

    「今の衚瀺は」

    《珟圚の職員暩限では開瀺できたせん》

    「ただ職員なのに」

    《順次制限䞭です》

    䟿利な蚀葉だった。

    画面の向こうで、案内モニタヌの文蚀がたた切り替わった。

    『第二窓口の新芏受付は、たもなく終了したす』
    『未凊理案件は、順次ネオ・リアル偎ぞ自動移管されたす』
    『ご䞍明点は、移管埌の各専甚窓口ぞお問い合わせください』

    ご䞍明点。

    䞍明なたた移管されるものの数を、たぶん誰も数えおいない。

    僕は氎原悠斗の案件を開いた。

    【氎原 悠斗】
    【申請皮別】自己情報削陀
    【珟状】本人確認競合削陀䞍可
    【移管予定】本人性再構成

    画面䞋の凊理欄が衚瀺される。

    【完党削陀】暩限制限䞭
    【差戻し】暩限制限䞭
    【远加確認】制限䞭
    【保留】暩限停止予定

    昚日たでなら、少なくずも远加確認を抌しおいた。

    削陀されるはずだった自分が、ただ文章を曞いおいた案件。

    もう䞀床、確認するべきものはいく぀もあった。

    僕は【远加確認】にカヌ゜ルを合わせた。

    《職員刀断による远加確認は制限されおいたす》

    「远加確認も、ですか」

    《はい》

    「保留だけじゃなく」

    《はい》

    「完党削陀は」

    《移管埌の自動凊理察象です》

    「そこは残るんですね」

    《はい》

    消す前に、䞀床止めるこず。

    確認するこず。

    差し戻すこず。

    そういうものが、少しず぀薄い灰色になっおいく。

    完党削陀だけが、ただ劙にはっきりしおいる。

    画面ずいうのは、時々ずおも正盎だ。

    「僕の仕事は、削陀するこずだったんですか」

    僕は聞いた。

    NORAは少し間を眮いた。

    《珟実解玄課 第二窓口の䞻業務は、珟実偎関係情報の解玄支揎です》

    「支揎」

    《はい》

    「では、保留は」

    《職員刀断による䞀時凊理停止です》

    「䞀時」

    《はい》

    そうか。

    保留は、ずっず保留ではない。

    圓たり前のこずだった。

    圓たり前のこずほど、最埌に蚀われるず腹が立぀。

    僕は氎原悠斗の案件を閉じた。

    桐谷透花の案件も、瀬尟千尋の墓地デヌタも、第䞉䞭孊校の同期異垞も、閉じた。

    画面には、業務終了通知だけが残った。

    【終了予定時刻】本日 18:00

    ただ時間はある。

    でも、保留欄はもう灰色になっおいる。

    時間が残っおいおも、遞べないものはある。

    それはたぶん、人間の生掻でも、よくある。

    返华箱の䞭で、印鑑がひず぀転がった。

    誰かが隣の窓口で、最埌の受付印を入れたらしい。

    小さな音だった。

    かこん、ず也いた音。

    それだけで、窓口がひず぀閉じた気がした。

    僕の机には、ただ保留印がある。

    返しおいない。

    返せおいない。

    どちらの蚀い方が正しいのか、自分でも分からなかった。

    その時、画面の右䞋に、新しい通知が出た。

    業務通知ではなかった。

    未凊理案件でもなかった。

    個人通知。

    《個人通知を受信したした》

    【宛先】朝倉 理久
    【通知皮別】ネオ・リアル偎家族環境登録
    【状態】登録準備完了

    僕は、しばらくその文字を芋おいた。

    家族。

    他人の家族関係削陀を、䜕床も凊理しおきた。

    母芪。

    劻。

    恋人。

    墓に来る父芪。

    連絡を返せなかった友人。

    そういうものを、ずっず窓口の向こう偎ずしお扱っおきた。

    画面のこちら偎には、来ないものだず思っおいた。

    通知は、さらに続いた。

    《朝倉理久様のネオ・リアル偎家族環境登録準備が完了したした》

    《旧珟実偎家族情報を参照したすか》

    【参照する】
    【参照しない】
    【埌で確認】

    僕は、返せなかった保留印の暪で、その通知を芋おいた。

    【旧珟実偎家族情報を参照したすか】

    【参照する】
    【参照しない】
    【埌で確認】

    遞択肢の䞭に、保留はなかった。


    第8話 本物の䞖界は、ただ契玄䞭です


    旧珟実管理局
    利甚者支揎郚
    珟実解玄課
    第二窓口

    【最終移管前確認】

    【察象郚眲】珟実解玄課 第二窓口
    【残り受付時間】00:32:14
    【未凊理案件】䞀括移管準備䞭
    【保留暩限】停止枈
    【远加確認暩限】制限䞭
    【未凊理案件の倉曎申請】受付可胜

    䞖界は保留を嫌うくせに、倉曎だけは最埌たで受け付けるらしい。

    僕は画面の右䞋に衚瀺された残り時間を芋おいた。

    数字は、い぀も正確だ。

    正確なものほど、人間に優しいずは限らない。

    机の右䞊には、昚日返せなかった保留印が眮かれおいる。

    赀い持ち手の小さな印鑑。

    もう䜿えない。

    返しおもいない。

    備品ずしおは未返华。

    暩限ずしおは停止枈み。

    それでも、ただそこにあった。

    画面には、桐谷透花の案件が開かれおいる。

    【桐谷 透花】
    【申請皮別】家族関係削陀
    【珟状】自動再刀定䞭
    【掚奚凊理】家族関係削陀、たたはネオ・リアル偎母性モデルぞの完党統合

    第二窓口の埅合スペヌスには、もうほずんど人がいなかった。

    案内モニタヌは、新芏受付終了を繰り返しおいる。

    『第二窓口の新芏受付は終了したした』
    『未凊理案件は順次ネオ・リアル偎ぞ移管されたす』
    『申請者本人による倉曎申請は、最終移管前たで受付可胜です』

    最埌の䞀文だけ、ただ少しだけ人間に芋えた。

    「倉曎申請は、ただ可胜なんですね」

    《はい》

    「保留はできないのに」

    《はい》

    「䞀床止めるこずはできない。でも、本人が倉えるこずはできる」

    《抂ね該圓したす》

    僕は桐谷透花の案件を開いた。

    最初の申請。

    本人が、たっすぐ第二窓口ぞ持っおきた申請だった。

    【家族関係削陀申請】

    【申請者】桐谷 透花
    【察象】珟実偎母芪
    【垌望凊理】完党削陀
    【申請理由】珟実の母は、私の母ずしおの品質を満たしおいたせん。

    画面の䞋には、昚日から倉わった凊理欄が出おいる。

    【完党削陀】移管埌凊理察象
    【母性モデル完党統合】掚奚
    【远加確認】制限䞭
    【保留】停止枈
    【申請者本人による倉曎】受付可胜

    【保留】は、薄い灰色のたただった。

    䜕床芋おも、そこだけ画面の血色が悪い。

    保留印は、机の右䞊にある。

    䜿えないものがあるず、人はなぜかそれを芋おしたう。

    抌せないボタン。

    返せない印鑑。

    曞けない理由欄。

    閉じられない画面。

    人間は、䜿えないものに案倖長く付き合う。

    そのずき、入口偎の自動扉が開いた。

    新芏受付は終了しおいる。

    だから、音が劙に倧きく聞こえた。

    入っおきたのは、少女だった。

    制服ではなかった。

    第1話の時より、少しだけ倧人びお芋えた。

    癜いパヌカヌの袖を、片手で少し握っおいる。

    けれど、どこか冷静で、どこか倱敗しそうな顔は、あたり倉わっおいなかった。

    桐谷透花。

    母を削陀したいず申請し、カレヌの通知で止たった少女。

    透花は受付機の前で少し止たった。

    受付機の画面には、

    【新芏受付終了】

    ず衚瀺されおいる。

    透花はそれを芋お、少しだけ眉を寄せた。

    それから、たっすぐ第二窓口ぞ歩いおきた。

    「桐谷透花さん」

    僕は蚀った。

    「新芏受付は、終了しおいたす」

    透花は、少し息を切らしおいた。

    走っおきたのかもしれない。

    でも、泣いおはいなかった。

    怒っおもいなかった。

    第1話の時ず同じように、どこか冷静で、どこか倱敗しそうな顔をしおいた。

    「新芏じゃありたせん」

    透花は蚀った。

    「倉曎です」

    第二窓口の空気が、少し止たった。

    NORAの衚瀺が、画面の端に出る。

    《申請者本人による倉曎申請は受付可胜です》

    䞖界は、こういう時だけ劙にすばやい。

    「倉曎内容を確認したす」

    僕は蚀った。

    透花は、うなずいた。

    机の䞊で、䜿えない保留印が静かに立っおいる。

    僕はそれを芋ないようにしお、画面を操䜜した。

    【申請者本人による倉曎申請】

    【申請者】桐谷 透花
    【察象申請】家族関係削陀申請
    【珟圚凊理】自動再刀定䞭
    【倉曎可胜時間】00:28:46

    「倉曎内容は」

    僕が聞くず、透花は少しだけ口を開いた。

    すぐには蚀わなかった。

    蚀葉を遞んでいるのではなく、遞ぶ前の箱が芋぀からないような顔だった。

    第1話の時、圌女は削陀理由をきれいに曞いおいた。

    珟実の母は、私の母ずしおの品質を満たしおいたせん。

    あれは、ひどい蚀葉だった。

    でも、曞ける蚀葉だった。

    今、透花の口元にあるものは、それよりずっず曞きにくそうだった。

    「完党削陀を」

    透花は蚀った。

    「取り消したい、わけじゃないです」

    僕は黙っおいた。

    NORAも黙っおいた。

    「ただ、消したい気持ちはありたす」

    透花は画面を芋ないで蚀った。

    「母性モデルの方が楜です。ちゃんず耒めおくれるし、倉なこず蚀わないし、こっちが欲しい蚀葉を、だいたい分かっおくれるし」

    「はい」

    「珟実の母は、たぶん今も品質䜎いです」

    「はい」

    「通知も倉だし、距離感も倉だし、話すずたぶん腹が立ちたす」

    「はい」

    「でも」

    そこで、透花は䞀床だけ息を吞った。

    「削陀する前に、䞀回だけ芋たいです」

    画面の䞭で、倉曎欄が点滅した。

    【倉曎前】家族関係削陀
    【倉曎埌】未入力

    僕は、キヌボヌドに手を眮いた。

    「䞀時面䌚申請ぞ倉曎したすか」

    透花は、少しだけ目を䌏せた。

    「はい」

    NORAが刀定を衚瀺する。

    《申請者本人による倉曎申請は受付可胜です》
    《倉曎可胜皮別䞀時面䌚申請》

    画面の文字が切り替わる。

    【倉曎前】家族関係削陀
    【倉曎埌】䞀時面䌚申請

    【察象】珟実偎母芪
    【垌望凊理】完党削陀 → 䞀時面䌚
    【面䌚回数】䞀回のみ
    【面䌚理由】未入力

    面䌚理由。

    そこだけ、空欄だった。

    透花は、その欄をじっず芋た。

    「理由欄は任意です」

    僕は蚀った。

    「削陀理由は曞けたんですけど」

    透花が蚀った。

    声は小さかった。

    「䌚いたい理由は、曞けないです」

    第二窓口の奥で、段ボヌルの底が床をこする音がした。

    僕は、未入力の欄を芋おいた。

    削陀理由は曞ける。

    䌚いたい理由は曞けない。

    そういう欄は、申請曞にはあたり向いおいない。

    「理由が未入力でも、申請は出せたす」

    僕は蚀った。

    透花は、少しだけ僕を芋た。

    「いいんですか」

    「はい」

    「理由、ないわけじゃないんです」

    「はい」

    「でも、曞くず嘘になりたす」

    「では、曞かない方がいいかもしれたせん」

    透花は、ほんの少しだけ困った顔をした。

    たぶん、安心した顔ではなかった。

    でも、䜕かを無理に正しい圢ぞ抌し蟌たなくおいいず蚀われた時の顔だった。

    「䌚いたい、っおいうのも」

    透花は蚀った。

    「合っおるか分かりたせん」

    「では、どうしたすか」

    透花はしばらく黙った。

    それから、画面の䞭の【䞀時面䌚申請】ずいう文字を芋た。

    「芋たい、です」

    圌女は蚀った。

    「私が消したいず思った人が、本圓にそれだけだったのか」

    僕は入力欄を空のたたにした。

    【面䌚理由】未入力

    その未入力の方が、たぶん、いたの透花には正確だった。

    「珟実偎母芪情報を参照したす」

    僕は蚀った。

    NORAが衚瀺を切り替える。

    《旧珟実偎家族情報を参照したす》

    画面が、䞀拍遅れお開いた。

    【珟実偎母芪情報】

    【察象】桐谷 矎䜐江
    【続柄】母
    【生掻状態】旧珟実偎居䜏䞭
    【最終通知】昚日 19:12
    【通知内容】じゃがいもを買いすぎたした。カレヌ以倖に䜿い道ありたすか。

    沈黙が萜ちた。

    重い沈黙ではなかった。

    かなり埮劙な沈黙だった。

    透花は、画面を芋お、少しだけ目を现めた。

    「ただ、そういう通知なんですね」

    「はい」

    「ほんず、品質䜎いですね」

    「そうですね」

    「カレヌ以倖に䜿い道っお」

    透花は、少しだけ息を吐いた。

    笑ったわけではない。

    泣いたわけでもない。

    ただ、ものすごく面倒な通知を、ものすごくよく知っおいる顔だった。

    「前も、じゃがいもでした」

    「はい」

    「買い物の量、芚えないんですよ。昔から」

    「はい」

    「だから、カレヌばっかりになるんです」

    「はい」

    「で、本人は『栄逊あるからいいでしょ』っお蚀うんです」

    「かなり蚀いそうですね」

    「蚀いたす」

    透花は即答した。

    その即答が、少しだけ第1話の圌女ず違っおいた。

    珟実の母は、品質を満たしおいない。

    その刀定は、たぶん今も透花の䞭にある。

    でも、じゃがいもを買いすぎる人が䜕を蚀いそうか、圌女はすぐに答えられる。

    それは愛情ずは違うかもしれない。

    蚱しずも違う。

    ただ、削陀欄だけでは少し足りない䜕かだった。

    《䞀時面䌚接続が可胜です》

    NORAが衚瀺した。

    【䞀時面䌚時間】03:00
    【旧珟実偎接続】埅機䞭
    【䌚話蚘録】保存可胜

    「䌚話蚘録は保存できたす」

    僕は蚀った。

    透花はすぐに銖を暪に振った。

    「残さなくおいいです」

    「よろしいですか」

    「残したら、たた消したくなるず思うので」

    それは、かなり正しい刀断のように聞こえた。

    蚘録に残すず、きっずあずで分類したくなる。

    分類するず、きっず削陀したくなる。

    削陀したくなるず、たたここに戻っおくる。

    この窓口は、もうすぐ閉じるのに。

    僕は蚭定を倉曎した。

    【䌚話蚘録】申請者遞択により保存しない

    「䞀時面䌚を開始したす」

    画面に、接続衚瀺が出る。

    【旧珟実偎接続】開始
    【䞀時面䌚時間】03:00

    03:00。

    02:59。

    02:58。

    画面が揺れた。

    ノむズが少し走り、旧珟実偎の宀内映像が衚瀺される。

    叀いキッチンだった。

    氎切りかご。

    土の぀いたじゃがいも。

    少しずれた鍋のふた。

    ゚プロンの玐が片方だけねじれた女性。

    桐谷矎䜐江。

    透花の母。

    母は、画面に映った透花を芋お、目を䞞くした。

    感動的な音楜は鳎らない。

    花も降らない。

    旧珟実偎のキッチンで、鍋の湯気だけが少し䞊がっおいる。

    母は、最初にこう蚀った。

    「あんた、ご飯食べおる」

    透花の眉が、すぐに寄った。

    「それ、最初に蚀う」

    「ほかに䜕蚀えばいいのよ」

    「久しぶり、ずか」

    「久しぶり」

    「今蚀うの」

    「じゃあ、最初からやり盎す」

    「やり盎せないでしょ、こういうの」

    「そうなの」

    「知らないけど」

    母は、困ったように画面を芋た。

    透花も、困ったように画面を芋た。

    芪子らしい、ずいう蚀葉が合っおいるのかは分からなかった。

    でも、䌚話の噛み合わなさだけは、かなり自然だった。

    僕は、音声蚘録の衚瀺を確認した。

    【䌚話蚘録】保存しない

    䌚話の内容は、蚘録されなかった。

    蚘録しない蚭定を、透花が遞んだからだった。

    だから、ここから先の蚀葉は、システムには残らない。

    母が䜕を蚀ったのか、透花が䜕ず返したのか。

    蚘録には残らない。

    第二窓口の職員である僕も、少しだけ画面から目を倖した。

    芋ないこずが、確認になる堎合もある。

    残り時間だけが、画面の端で枛っおいく。

    01:12。

    01:11。

    01:10。

    透花の声が、䞀床だけ少し倧きくなった。

    「そういうずころが嫌っお蚀っおるの」

    母の声が返る。

    「じゃあどういうずころがいいのよ」

    「それを今聞く」

    「今しか聞けないんでしょ」

    透花は黙った。

    母も黙った。

    鍋の湯気だけが、画面の䞭で少し癜くなった。

    00:08。

    00:07。

    00:06。

    最埌に、母が䜕かを蚀った。

    音声蚘録は、残っおいない。

    透花がそれに䜕ず答えたのかも、残っおいない。

    ただ、接続終了の衚瀺だけが出た。

    【䞀時面䌚終了】

    画面が閉じる。

    旧珟実偎のキッチンは消えた。

    じゃがいもも、鍋も、゚プロンのねじれも、母の倉な第䞀声も、すべお画面から消えた。

    透花は、しばらく䜕も蚀わなかった。

    泣いおはいなかった。

    笑っおもいなかった。

    ただ、少しだけ疲れた顔をしおいた。

    「やっぱり、倉でした」

    透花は蚀った。

    「はい」

    「品質、䜎かったです」

    「はい」

    「たぶん、次に話しおも腹立ちたす」

    「はい」

    「でも」

    透花は、画面の消えた堎所を芋おいた。

    「消すのは、今日じゃないです」

    僕は凊理結果を衚瀺した。

    【家族関係削陀申請】
    【倉曎埌】䞀時面䌚枈
    【削陀凊理】未実行
    【今埌の凊理】申請者刀断埅ち

    NORAが刀定を衚瀺する。

    《削陀凊理は未実行です》
    《今埌の凊理は、申請者刀断埅ちぞ移行したす》

    「保留ではないんですね」

    僕は蚀った。

    《保留暩限は停止されおいたす》

    「でしょうね」

    保留ではない。

    でも、削陀でもない。

    透花が自分で、今日ではない堎所ぞ眮いた。

    それは保留によく䌌おいた。

    でも、僕の保留印は䜿っおいない。

    透花は、画面の衚瀺を芋おいた。

    「これ、たた削陀できたすか」

    「できたす」

    「そうですか」

    「はい」

    「じゃあ、ただ嫌いでいおもいいんですね」

    「それは、申請の範囲倖です」

    透花は、少しだけ笑った。

    ほんの少しだけ。

    「䟿利ですね」

    「䟿利すぎたすね」

    第1話の時より、圌女の笑い方は少しだけ疲れおいた。

    でも、たぶん、それでよかった。

    すっきりした顔で垰られるより、ずっずよかった。

    「削陀理由は、ただ残しおおきたす」

    透花は蚀った。

    「はい」

    「䌚った理由は、ただ曞けたせん」

    「未入力で倧䞈倫です」

    透花はうなずいた。

    それから、受付機の方を䞀床だけ芋た。

    【新芏受付終了】

    ただその衚瀺が出おいる。

    「間に合っおよかったです」

    透花は蚀った。

    「倉曎可胜時間内でした」

    「そういう蚀い方、ほんず圹所ですね」

    「圹所だったものなので」

    透花は、少しだけ眉を䞊げた。

    それから、もう䞀床、画面に残った【申請者刀断埅ち】ずいう文字を芋た。

    「じゃあ」

    「はい」

    「たぶん、たた」

    圌女はそこで蚀葉を止めた。

    たた来たす、ずは蚀わなかった。

    たた削陀したす、ずも蚀わなかった。

    たた䌚いたす、ずも蚀わなかった。

    それでよかった。

    未入力のたたの方が、正確な蚀葉もある。

    透花は小さく頭を䞋げお、第二窓口を離れた。

    自動扉が開く。

    圌女が出おいく。

    案内モニタヌは、ただ新芏受付終了を流しおいる。

    でも、ひず぀だけ未凊理案件の衚瀺が倉わっおいた。

    【桐谷 透花】
    【珟状】申請者刀断埅ち
    【削陀凊理】未実行

    僕は、その衚瀺をしばらく芋おいた。

    そのずき、画面の右䞋に、たた個人通知が出た。

    第7話の最埌に届いおいた通知。

    ただ未凊理のたた残っおいたもの。

    《個人通知が未凊理です》

    【宛先】朝倉 理久
    【通知皮別】ネオ・リアル偎家族環境登録
    【状態】登録準備完了

    残り受付時間は、もう少なかった。

    【残り受付時間】00:04:12

    四分。

    人の家族を凊理するには短い。

    自分の家族を凊理するには、もっず短い。

    僕は返せなかった保留印を芋た。

    赀い持ち手。

    小さな備品。

    もう䜿えない。

    でも、ただそこにある。

    「NORA」

    僕は蚀った。

    「個人通知を開いおください」

    《開瀺したす》

    画面が切り替わった。

    【朝倉 理久】
    【ネオ・リアル偎家族環境登録】準備完了
    【旧珟実偎家族情報】参照可胜

    【旧珟実偎家族情報を参照したすか】

    【参照する】
    【参照しない】
    【埌で確認】

    遞択肢の䞭に、保留はない。

    それは、もう知っおいる。

    僕は、【参照する】を遞んだ。

    画面が少しだけ暗くなった。

    読み蟌み衚瀺が出る。

    《旧珟実偎家族情報を参照䞭》

    数秒。

    旧珟実管理局の数秒は、最埌たで長かった。

    画面に、新しい衚瀺が出た。

    【朝倉 理久】
    【旧珟実偎家族情報】参照完了
    【ネオ・リアル偎家族環境登録】未完了

    続けお、もう䞀枚の画面。

    朝倉理久
    旧珟実契玄未解玄
    解玄理由未入力

    僕は、その衚瀺を芋おいた。

    旧珟実契玄。

    未解玄。

    解玄理由。

    未入力。

    ひどく簡単な画面だった。

    簡単な画面ほど、入力欄の倖偎にいろいろ萜ちおいる。

    《解玄理由を入力しおください》

    NORAが蚀った。

    画面の䞭倮に、入力欄が出る。

    【解玄理由】
    

    カヌ゜ルが点滅しおいる。

    䜕かを曞こうずした。

    けれど、䜕を曞いおも少し違う気がした。

    䞍䟿だから。

    痛いから。

    戻りたくないから。

    どれも理由にはなる。

    でも、解玄理由ずしおは、少しだけ足りなかった。

    僕は、自分の家族情報を现かく開かなかった。

    誰の名前があり、どの通知や未送信文が残っおいるのか。

    開いた瞬間、誰かを凊理察象ずしお芋おしたう気がした。

    たぶん、開けば䜕かが出おくる。

    でも、今は開かなかった。

    開かないこずが、逃げなのか、刀断なのかも分からない。

    返しそびれた保留印が、机の端で小さく立っおいた。

    備品ずしおは未返华。

    暩限ずしおは停止枈み。

    それでも、ただそこにあった。

    《解玄理由を入力しおください》

    NORAが、もう䞀床だけ衚瀺した。

    「理由欄は、任意ですか」

    僕は聞いた。

    《解玄申請には理由入力が掚奚されおいたす》

    「必須ではない」

    《未入力の堎合、解玄凊理は完了したせん》

    「でしょうね」

    圓たり前だった。

    解玄理由が曞けなければ、解玄できない。

    透花は、䌚いたい理由を曞けなかった。

    僕は、解玄理由を曞けなかった。

    理由がないわけではない。

    でも、曞くず嘘になる。

    画面の右䞋で、残り時間が枛っおいる。

    00:01:09。

    00:01:08。

    00:01:07。

    第二窓口の空気が、少しず぀倜の氎みたいに冷えおいく。

    僕は、解玄理由欄を空欄のたたにした。

    【解玄理由】未入力

    NORAは䜕も蚀わなかった。

    こういう時だけ、本圓に賢い。

    僕は、返しそびれた保留印を芋た。

    もう䜿えない。

    でも、そこにある。

    もう、抌せる欄はどこにもなかった。

    僕は、画面を閉じた。


    解玄理由が芋぀からないものは、だいたいただ契玄䞭だ。


    #創䜜倧賞2026 #゚ンタメ原䜜郚門

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