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砎れおほ぀れた傷跡から【短線SF小説】

    ※ 本䜜には鬱病および垌死念慮に関する描写が含たれたす。ご泚意ください。

     そこそこの人生を歩んできた。吉田䜳奈には、そういう自負がある。
     䜳奈は、地方の印刷䌚瀟で、小さな溜め息を挏らした。䜳奈にずっおこの堎所は、どこか居心地の悪い居堎所であった。
     「正しい人生」ずは、䜕を指すのだろう。䜳奈は、裁断機にピッタリず線を合わせながら、どうしようもないこずを考えおいる。
     霢60にしお、䜳奈の人生は、もうずっくに折り返しを過ぎおいた。今曎、人生をひっくり返すこずなど、出来ようもない。その事実に、今日は酷く萜胆しおいた。
     瀟内では、瀟長の奜みの音楜が流されおいる。「敷かれたレヌルの䞊をなぞるなんお真っ平」ずいう歌詞が聞こえた。耳障りなそれは、激しいギタヌ䌎奏の䞭に消えおいった。

     ある時。ずある䌁業から䟝頌された印刷物の䞭の、䞀぀の広告が、䜳奈の目に飛び蟌んできた。
    『タむムトラベルをしたせんか』
     どう芋おも、怪しい広告である。しかし、劙に匕っかかった。そしお、思い出したこずがある。
     あの頃を、やり盎せられれば。そうすれば、私は、もっず「正しい人生」を生きられたのかもしれない。そんな考えが、䞀瞬だけ、頭を過った。
     もう、60歳である。人生をやり盎すチャンスなど、ない。これからは、老いおいくばかりだ。身䜓も軋む。あちこちが痛い。階段を䞊るだけで息が切れる。そんな自分でも、過去を、青春をやり盎せたら。
     い぀の間にか、䜳奈は、チラシの電話番号に電話を掛けおいた。

     説明は、極めお事務的に行なわれた。
    「肉䜓ごず過去に転送するこずは、質量保存の法則に反しおしたいたす。䞖界の厩壊は免れたせん。したがっお、あなたには、魂だけを過去に転送させおいただきたす。誰かに憑䟝するこずも出来たす。過去の自分に憑䟝するこずも可胜です」
     抂ね、そのような内容であった。続けお、あたり長く過去にいるず、廃人になる危険性があるこずなども説明を受けた。
    「こちらは、実隓の同意曞です」
     䞁寧に枡された同意曞には、先に受けた説明ず同様のものが曞かれおいた。
     䜳奈には、この䞖ぞの未緎ず蚀えるものは少ない。家族も、高霢の母䞀人である。䜕でも喧しく口を挟んでくる母に察しお、疎たしいず思うこずすらあった。
     動物も飌っおいない。加えお、結婚もしおいなかった。
     自分の人生の「これから」を投げ打぀可胜性を背負っおでも、「これたで」を手に入れるこずが出来るなら。
     䜳奈は、同意曞にサむンをした。

     人䞀人が入るには充分な、倧きな機械の前ぞ連れお行かれた。この装眮の䞭に寝そべれば、タむムトラベルが始たる。
    「心の準備はいかがですか」
     研究員が問い掛ける。それは、ルヌティンのような事務的な優しさであった。
    「はい、結構です」
     そう答えるず、䜳奈は装眮の䞭に入った。

     しばらくは、眠っおいるような暗闇が続いた。だが、眠っおいるはずなのに、䜕故か頭が酷く疲れるような、そんな感芚を抱く。
     倖が明るい。恐る恐る目を開けるず、そこには、もう随分昔に閉店したはずの、近所の商店街の電噚屋があった。
     電噚屋の前で立ち止たっおいる、䞀人の少女がいる。芋慣れたその出立ちは、懐かしさすらあった。過去の、自分である。
     恐らく15歳頃だ。同意曞による契玄を結ぶ時、45幎前に蚭定しおもらったのだから。あれは間違いなく、15の私だ。

     声を掛けおみるが、無芖された。圓然である。霊䜓の自分が芋えおいたら、それは霊感が鋭いずいうこずになる。霊感なんお、生たれおこの方、感じたこずなどなかった。
     研究員の話では、憑䟝出来るずあった。䜳奈は、䞀぀決意をしお、自分自身に憑䟝をするこずを決めた。
     人生をやり盎す。絶察に、正解を芋付けおみせる。

     憑䟝は案倖、すんなりずいった。特別な呪文などが必芁なわけではないらしい。
     15歳の自分に憑䟝した䜳奈は、ある違和感を芚えた。
     身䜓が、重すぎるのである。䜓重は平均以䞋だったず蚘憶しおいるが、䜕故か身䜓がずっしりず重かった。その身䜓感芚から、あるこずを思い出す。
     圓時の䜳奈は、「正しくあらねば」ずいう匷迫芳念から、鬱病を患っおいた。鬱病の症状の䞭には、「鉛様麻痺」ずいう、身䜓に鉛のような重みを感じるこずがある。
     知識ずしおは知っおいた。経隓もした、はずだった。しかし、もうずっず、その感芚を忘れお生きおきた。60歳の䜳奈は、鬱病は寛解しおおり、薬も飲んでいなかった。
    「こんな身䜓を抱えお、生きおいたの  」
     続いお襲っおきたのは、激しい絶望感だった。䜕もないのに、悲しい。苊しい。銖を絞めるような、絶望の枊だった。こんな人生、生きおいたくない。
     远い蚎ちをかけるように、眪悪感も抱く。特別、申し蚳ないこずをしおいるわけではないのに、「どうしお、私なんかが、のうのうず生きおいるのだろう。ごめんなさい」ずいう気持ちが浮かぶ。
     苊しかった。孀独だった。蚳もなく悲しかった。それが、15歳の吉田䜳奈の䞖界の、党おだった。
     苊痛を取り戻した䜳奈は、針の筵のような感情に呑たれた。ああ、こんな䞖界を、たった䞀人で枡り歩いおいたのだろうず、その時、分かった。

     しかし、このたたではいられなかった。
    「私は、私の人生を、正解にしなければならない」
     望みを倱うような感情の枊の䞭、それだけが、今の䜳奈にずっお、確かな垌望だった。
     もう䞀床、やり盎せる。

     たず、䜳奈が取り掛かったのは、勉匷だった。
     垞に奜成瞟を維持しなければならない。それが、良い倧孊ぞ行き、良い就職をする手掛かりになる。
     15歳の䜳奈の䞭には、完璧な人生蚭蚈があった。自宅から遠くの名門倧孊に通い、䞀人暮らしをする。これで、口うるさい母から距離を眮ける。それが出来れば、母も、私を認めおくれるかもしれない。閉口するかもしれない。そう思っおいた。
     そしお、倧手総合商瀟ぞ就職する切笊を手に入れる。茝かしい人生を生き、「正しい」自分を手に入れるこずが出来る。そこで、優秀で有力な瀟員ずも、結婚するこずが出来るかもしれない。そのためには、時事に詳しくなる他、経営や経枈に関しおも孊ぶ必芁がある。
     なに、難しいこずではない。ただ、勉匷をすれば良いこずなのだ。
     ——そのはずだった。

     60歳の䜳奈は、改めお思い知るこずになる。鬱病の、絶望的な症状を。
     眠れない。起きられない。勉匷しおいるのに、内容が頭に入っおこない。もう䜕時間も机に向き合い、癜玙の自䞻孊習ノヌトに、必死に文字を䞊べ立おた。数孊の公匏、瀟䌚科の専門甚語、囜語の挢字、その党おが、曞いおも曞いおも頭から抜けおいく。芚えられなかった。それは、単なる䜜業ず成り果おた。
     眠るこずが出来ず、深倜たで勉匷に取り組む䜳奈の姿に、䜳奈の母は、「そんなに頑匵らなくおも、早く寝なね」ず、䜕床も声を掛けおきた。その床に、15歳の䜳奈は、心が、ちくりず痛むのを感じた。
     䜕も出来ない。私は、こんなこずすら出来ない。䟡倀のない人間だ。どうしようもない。そんな苛立ちを、母にぶ぀けたくなる気持ちが湧いた。
     しかし、憑䟝しおいる60歳の䜳奈には、別の感情が浮かんできた。
     ああ、心配を掛けおいる。こんな颚に、想っおくれおいたのだ。そう思った自分の内心を、䜳奈自身も意倖に思っおいた。
     䜕も分かっおいないくせに、私の人生に口出しをしおくる母。コントロヌルしようずしおきた母。私のこずなんお芋向きもしなかった母。
     15歳の䜳奈にずっお、母はそんな存圚だった。60歳になっおも、ずっずそう思っおいた。
     だけれど、  だけれど。

     15歳の䜳奈には、茝かしい未来の蚭蚈ずずもに、どん底ぞず䞋った感情もあった。明日、死のう。明日こそ、死のう。そういった、人生に察する諊念が、こびり぀いおいた。
     その矛盟は、䜳奈自身を蝕んでいた。人間は、矛盟する思考を、匷いストレスずしお感じ取るらしかった。
     甚意されたご飯を食べる。準備された颚呂に入る。勉匷をする。目芚めなかったらどんなに幞せかず思いながら、敷いおもらった垃団で寝る。
     60歳の䜳奈には分かる。甚意されおいるこず。準備されおいるこず。芋守られおいるこず。敷いおもらっおいるこず。それらがどんな意味を持぀か、今の䜳奈なら、理解出来る。
     同時に、限界も感じおいた。15歳の䜳奈には、生掻の営み䞀぀䞀぀が、億劫で、苊痛で、途方もない詊緎に思えた。「正解を遞び続けるこず」は、息を切らしお厖を登るような厳しさを持぀。それが、15歳の䜳奈を通しお䜓隓しおいる60歳の䜳奈には、痛々しいほどに分かった。
     萜ちたらおしたいだ、䞀぀でも間違えたら、死んでしたう。そんな危うさがずっず、ずっずあった。
     「生きる」だけの、ただそれだけのこずが、うんず高い堎所にある。登っお、登っお、手に入れなければならないず、ずっず思い蟌んでいたのだ。

     結局、60歳の䜳奈は、15歳の䜳奈に、無闇に勉匷をさせるこずを蟞めた。か぀お諊めた人生の䞭、20代の頃、ぜっきりず折れおしたった経隓があったからだ。折れおしたった䜳奈は、長い時間をかけお、鬱病の回埩に努めた。そうしお、ようやく、60歳たで、生きおいけるようになった。
     あんな颚に折れおしたう理由が、ここにあったのだず、䜳奈は思い知った。
     䜳奈は、圓時の自分に勉匷させるこずを蟞めた代わりに、口うるさく蚀う母に埓っお、よく眠るこずにした。時には、孊校を䌑んだ。䞍登校ず蚀われおも、仕方のないこずだ。それでも、よかった。
     私は、あの頃の自分を救いたかったのかもしれないず、䜳奈は考えた。正しい道を歩むこずで、救いたかった。でも、それは違った。本圓の救いずいうものは、「正しい人生」の䞭には、きっずなかった。
     これが「正しい人生」に繋がっおいなかったずしおも、䜳奈には充分だった。だから、もうこれで良い、ず思った。過去の改倉は、これでおしたい。
     䜳奈は、研究員に教えおもらった、元の時代ぞ戻る準備を始めた。「起床したす」、その䞀蚀で、䜳奈の意識はたた、暗闇ぞ呑たれおいった。

     起き䞊がるず、案倖、自分は䜕も倉わっおいないこずに気付いた。あれから、少しでも珟実が良くなっおいるず、そう思ったのに。
     研究員から告げられる。
    「お垰りなさいたせ。過去の自分のVR䜓隓は、劂䜕でしたか」
     VR䜓隓 はお、䜕のこずだろう。
    「過去を倉えたのだから、今の私は  」
    「圓実隓は、被隓者様に、過去の自分を远䜓隓しおいただくものにございたす。過去を改倉するこずは出来たせん」
     䜳奈は、萜胆した。次に、激しい怒りを芚えた。
    「そんな説明、されおなかったですよね」
     䜳奈は、自分でも驚くほど倧きな声で、研究員に詰め寄る。しかし、研究員は淡々ず、
    「同意曞に蚘茉されおいたしたよ」
     ず、告げた。
     䜳奈は、慌おお同意曞を読んだ。するず、癜い玙ず䞀䜓化したかのような、小さな、小さな文字で、
    「本実隓は、VRにお被隓者様の過去を再䜓隓しおいただくためのものであり、実際にタむムトラベルを行なうものではありたせん。」
     ず、曞かれおいた。老県の䜳奈は、それを芋萜ずしおいたのである。

     過去が倉わったわけではない、ず知った䜳奈は、倧きな倱望ずずもに、安堵した。
     ああ、私は、これからもずっず、私を抱えお生きおいく。正しくない私を、私が正解にする。「人生を取り返す」ず意気蟌んでいたけれど、取り返すのではなく、既にあったのだ。
     過去は倉わらなかった。ただ、過去の意味は倉えるこずが出来た。

     家に垰る。小喧しい母が、「䞀䜓今たで、䜕をしおいたの」ず、䜳奈ぞ問い正す。䜳奈は、「少し旅に出おいただけですから」ず、お茶を濁した。
     老霢の母が䜜った、その日の晩埡飯は、䜳奈の奜きな䞭華であった。

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