きりきり舞いの毎日を
月々の支払いなんていうのは、1円でも安い方がいいに決まっている。物価が上がり、税金も上がり、社会保険料まで上がり、ついでに体重計の数字も上がっている。そのくせテンションと財布はついていけない。
そんなわけで、夏場の電気代が怖すぎる。この夏は随分と「涼」を金で買った。それ故に、関西電力から届く赤紙を、私はびくびくしながら待っている。
毎日食べる納豆でも、3パック99円と4パック118円が並んでいれば、結果的にどちらが安くなるのか、脳内でそろばんをはじいている。切り詰めるところは切り詰めて、手を抜くところは抜く。そうして浮いた時間やお金は、必要なときに使えばいい。
というより、使わざるを得ない「その時」が必ずやってくる。
さらに言えば「その時」というのは、大体こちらの都合などお構いなしだ。大抵、キリの悪いタイミング。飲み会が立て続けに続くとか、車検を終えた翌週に冷蔵庫の調子が悪くなるとか、そういった類のキリの悪さ。
ていうか、なんだよキリって。キリの良さってなんだよ。数字ひとつでこんなに一喜一憂してるのに、誰も教えてくれないのはなんでだよ。
世の中なんて、もっとグラデーションだろ。季節が変わる瞬間がわかるか?大人になる瞬間を自覚するか?
誰かとの関係が変わる瞬間も、涙が溢れだす瞬間も、ここだと指を差せる境目なんてほとんどない。それでも私たちは、誕生日を祝い、季節を感じ、「今日で一年」「ここまで十年」とキリをつける。流れ続ける毎日に、自分たちで線を引こうとする。
けれど、たぶん、そうでもしないと立ち止まれないのだ。私たちは歩いてきた道を確かめるために、線を引いている。
昔のインターネットに「キリ番」というローカルルールがあったことをご存じだろうか。誰かが作ったアクセスカウンターという機械的な数字の並びなのに、「10000人目の訪問者」を踏んだ当時はなぜか嬉しかった。
本来ならただの「1の積み重ね」にすぎない、その連続のグラデーションの中に勝手に見出した特別な意味が、祝いや交流の象徴になっていたのだ。
「ここまで来た」と振り返ったり、「ここからまた」と歩き出したりする。私たちを少しだけ生きやすくするのは、そういう境目なんだろな。
なんでも上がってばかりの世の中だが、体重計の数字だけは下げていきたい。せめて、一の位が「0」だとキリがいいか。
そう思って今日から納豆いっぱい食べてダイエットを、と思ったが、今日の日付は9月2日。キリ悪いから来月からにするわ。
あ、そうだ。怯えて開いたの電気代の請求額が7776円だった。もうあと1円分くらい使ったことにしておいてくれたらいいのに。キリ悪いじゃん、ねえ。
