
残留光
場所は、人が去ったあとも、何かを続けている。
光の遅れ、温度の凹み、紙の湿度。
誰のものでもなくなった速度が、通路に残っている。
三十首。
天文台
閉館の ドーム戻れる 夜更けには
望遠鏡だけ 星図を曇らす
無響室
扉閉づ 音なき壁の 奥にして
靴裏だけが 空気を沈む
集光
閉館後 レンズ外され 卓上に
光の厚みだけ 遅れて残る
地下貯水槽
点検の 灯り過ぎたる 水面には
梯子の錆の 深さの向き
検疫所
消毒の 済みたる柵の 午後にして
長靴だけが 風向を履く
渡し場
始発前 ロープ解かれぬ 水際に
ベンチの脚の 朝靄の幅
造船所
昼休み 溶接止まりし 船腹に
鉄粉の銀 波音を待つ
検印
返送の 済みたる箱の 底面に
朱肉の赤が 指先を待つ
消磁室
録音の 消されてゆく テープより
磁気の薄さが 指へ戻れる
製紙棟
抄紙機 止まりしあとの 湿りには
繊維の白が 指先を待つ
保育室
降園の 終わりし机 寄せられて
折紙の角 まだ昼を向く
図工室
切紙の 散りたる床の 水際へ
絵具の青が 靴裏を待つ
標本箱
収蔵の 済みたる昆虫 並ぶ夜
羽根の厚みへ 静電気寄る
標本棚
ラベル貼る 指離れたる 夕刻に
昆虫の脚 まだ影を持つ
産室
消灯後 カーテン揺れぬ 窓際に
保温灯だけ 呼吸を低める
更衣室
夜勤明け ロッカー半ば 開きいて
名札の裏の 体温の跡
観察窓
深夜帯 ナースステーション 越しにして
モニタの波が 点滴を曲ぐ
配湯室
病棟の 夜勤交代 過ぎしころ
紙コップへと 白湯の膜張る
橋脚
水鳥の 抜けたるあとの 橋桁に
夕刻すこし 引っ掛かりおり
発着
改札を 抜けゆく傘の 水滴に
夜の高さが 触れかけている
保冷車
荷下ろしの 終わりし路地の 明け方に
断熱扉の 白さの遅れ
記名欄
宿泊者 去りたるあとの 受付台
ボールペンだけ インクを傾ぐ
宿直鈴
警備室 仮眠のあとの 窓際に
呼鈴ひとつ 低温を吊る
培養室
恒温の 切り替わりたる 明け方に
シャーレの蓋へ 結露の速度
乾板室
現像の 済みたる硝子 重ねれば
指紋の奥を 朝靄が過ぐ
放送庫
昼休み 校内放送 止みたるのち
拡声器へと 母音の余熱
通話室
終話後の 受話器戻れる 卓上に
声の湿度が 指紋を曇らす
録音廊
吹込みの 終わりし扉 半開き
返答だけが 廊下を遅れる
観測室
閉館後 通路に残る 星座には
まだ低きままの 角度ありけり
呼出灯
ナースコール 消えたるあとの 深夜には
カーテン越しの 名前の温度