
【ミステリー小説】シュークリームの空洞 -最終話-
終章「空洞」
事件から一週間後、朱里は凪に連絡した。
理由は特にない。ただ、話したかった。そういう気持ちになったのは、この仕事を始めて初めてだった。
待ち合わせたのは、セルテック・ジャパンの近くの喫茶店だった。凪が指定した。朱里には、なぜここを選んだのか、最初はわからなかった。
凪はすでに来ていた。コーヒーの前に座って、窓の外を見ていた。
「お待たせしました」
「いえ」
注文を終えて、少し沈黙があった。凪はコーヒーカップを両手で持って、また窓の外を見ていた。
「凪さんは、田村さんのことをどのくらい知っていたんですか」
「研究室が同じだったので、学生のころからは知っています」
「仲が良かったですか」
凪は少し考えた。
「おかしいな、といつも思っていた」
「田村さんのことが、ですか」
「田村さんが、なぜ桐島さんと一緒にいるのか、ということです。あの二人は、何かが違った。田村さんは実験の話をするとき目が輝いていたけど、桐島さんはそういうことがなかった。ずっと、一度も」
「でも学生時代から知り合いで」
「そうです。だからおかしかった」
朱里はコーヒーを一口飲んだ。
「桐島さんは、田村さんのことが怖かったと言っていました」
「知っています」
「凪さんはどう思いましたか」
凪は窓の外から目を離した。朱里の方を見た。それが少し珍しかった。
「田村さんは、桐島さんのことが好きだったんだと思います」
朱里は少し黙った。
「友人として。学生のころの桐島さんを、田村さんはずっと覚えていたんだと思う。研究を始めたばかりのころの桐島さんを」
「桐島さんは変わってしまった」
「変わったというより」凪はゆっくり言った。「外側だけが積み上がっていった。田村さんはたぶん、その外側の向こうにまだ何かあると思っていた。だから待っていたんじゃないか」
朱里はその言葉を、しばらく頭の中で転がした。
「だから告発できなかった」
「告発すれば、桐島さんの外側が全部剥がれる。田村さんはそれを、したくなかったんだと思う」
「でも結果的に、田村さんは殺された」
「そうです」凪はまたコーヒーカップを見た。「おかしいな、と思うのはそこで。田村さんは最後まで、誰かを傷つけることを選ばなかった。でも田村さん自身は、傷つけられた」
喫茶店の中が、静かだった。
窓の外に、セルテック・ジャパンのビルが見えた。凪がここを選んだ理由が、朱里にはわかった気がした。
しばらくして、朱里は聞いた。
「凪さんは、桐島さんのことをどう思いますか」
凪は少し間を置いた。
「おかしいな、と思っていたことがあります」
「何がですか」
「桐島さんは、田村さんのことを怖いと言った。でも田村さんは、桐島さんを傷つけようとしなかった。怖い相手が、自分を傷つけようとしていなかった。それがわからなかった」
凪はそこで止まった。
「桐島さんには、それを確かめる方法がなかったんだと思います」
喫茶店を出て、朱里は駅までの道を歩いた。
途中、コンビニに寄った。シュークリームを一つ買った。しなっとした皮のやつ。学生のころから好きだった、クリームに馴染むやつ。久しぶりに、味を確かめたくなった。
歩きながら、袋を開けた。一口食べた。
しなっとしていた。クリームが、皮に馴染んでいた。外側と中身の境目が、どこかわからなかった。
悪くなかった。
その夜、朱里は朔に連絡した。
「凪さんと話しました」
「そうか」
「田村さんは、桐島さんの外側の下に何かあると思っていたみたいです」
「あったのか」
「わからない。でも田村さんはそう思っていた」
朔は少し黙った。
「それは論理じゃない」
「そうですね」
「でも」朔はまた少し黙った。「田村が三ヶ月動かなかった理由は、それで説明できる。論理的に筋が通る」
朱里は少し笑った。朔なりの、認め方だった。
「久我さんは、次のバイトは決まりましたか」
「明日から引越し業者だ」
「また何か起きそうですね」
「論理的に考えれば、引越し業者で事件が起きる確率は低い」
「でも起きたら、連絡してください」
少し間があった。
「わかった」
電話が切れた。
朱里は夜の街を歩いた。
この一週間で、変な人たちが二人増えた。
一人は、論理しか見ない。人の心がないのか、しまってあるのか、まだわからない。
もう一人は、感情を見せない。でもその目は、誰の感情も見逃さない。
ふたりとも、変わってる。でも嫌いじゃない。
今回の事件は、この二人がいなければ解けなかった。
朱里はコートのポケットに手を入れた。
また変な朝が来る気がした。