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野生を酒精でなだめる夜

    フランス料理、という言葉の響きの上品さと、こぢんまりと端正な店構えに、すっかり油断させられていた。まさか、エアーズロックみたいな鴨がでてくるなんて。

    分厚い鴨のローストを煽りの構図で撮った写真。手前に焦げ目のついたトウモロコシと玉ねぎが添えられている
    ズン……
    (興奮のあまりトウモロコシにピントが合っている)

    土曜日の梅田は、人が多い。食事の予約時間までにいろいろ買い物してやろうと、人でごった返した阪急や阪神、ヨドバシカメラマルチメディア梅田(語呂が良すぎてついフルスペックで呼びたくなる店名)までぐるぐる歩いてすっかりおなかを空かせた私たち。たどり着いたビストロでは、そんな哀れな民草を、うれしくなるくらい気前よく盛ったおいしいものたちで迎えてくれた。

    まずパテドカンパーニュの厚みが2センチくらいあるんですよ。華奢なナイフでぎこぎこと切り分ける作業まで、その分厚さを実感させるようでなんだかわくわく。優しく火を通されて淡いピンク色になったレバーと、存在感のある白い脂身が口の中で合わさって、きりりと冷えたスパークリングワインと一緒にしゅわしゅわとほどける。
    前菜のもう一品として頼んだスモークサーモンも、たっぷりとしたオレンジ色の身が、青いハーブやきれいに剥かれたアーティチョーク、セロリのピクルスにうずもれていて宝探しのよう。レモンの効いたソースや茸の香りのするペースト、バジルのソースが添えられていて、ひとくちごとにそれらを試すのが楽しかった。

    白い丸皿にパテ・ド・カンパーニュと葉野菜、ピクルス、マスタードが盛られている
    パテカンが分厚いとなんでこんなにうれしいんだろう
    グレーの皿の上にスモークサーモンが盛られ、ハーブやキャロットラペ、白や緑のソースが添えられている
    思ったよりもデカい鮭

    そのあとは、満を持して鴨!

    グレーの皿に鴨のロースト、グリルしたトウモロコシ、玉ねぎ、ジャガイモが盛られている

    目の離せなくなるような存在感を伴って皿の上にずどんと鎮座する鴨のローストは、薔薇色の断面からてらてらと肉汁を染み出させている。ナイフを入れるたびにそれが滴って、もったいないようなうれしいような。
    カリッと焼かれて塩気の強い脂身のところと、力強い風味が滲む赤身のところをぎゅむぎゅむと噛み締めながら、そういえば鴨ってジビエだったな、と思いだした。一筋縄でいかない、野生の味。鴨に合うものはどれですか、と訊いておすすめしてもらった軽めの赤ワインがそれをなだめて、こっくりとした旨味が最後に舌に残る。添えられた野菜もとてもおいしかった。ねっとりとした小粒のじゃがいもや、甘い果汁が口のなかではじけるとうもろこしや。

    そして、野生!! と再び感じたのが、食後のチーズ。
    ナチュラルチーズと聞いてよく思い浮かべるもののほかに、千葉の「千」という工房で作っている少し変わったチーズがあると聞いて、せっかくなのでそちらをお願いした。

    木目が目立つカットボードに、カットされる前のチーズが3種並んでいる
    これが
    楕円形の皿に、薄く切ったバゲットと、小さくカットされた3種のチーズが盛られている
    こうなる

    「うぶすな」と名前の付いた、ほろほろと崩れる固いチーズ(噛み応えがあるのに、味はクリームチーズのような酸味のあるまろやかさで不思議)や、カマンベールのようでいて、後に意外なほど塩味が残る柔らかなチーズもおいしかったけれど、白眉は「鼓動」というウォッシュタイプのチーズ。

    日本酒で磨かれ、杉の経木で巻いて熟成させたというそれは、カットされて皿の上に乗せられたはしからまるで熱を加えられたかのようにみるみるとろけ、溶けかけたソフトクリームみたいに滑らかな肌が、照明を映してつやつやと光っている。
    いかにも優しそうなみかけなのに、口に入れた瞬間押し寄せてくる、どっしりとした旨味。そして強い匂い! 嫌な匂いではないんだけど、なんというか、とても「牛のいのち」を感じる、そんな匂いだ。そういえば牛乳とは牛の血液から作られているのだった、と、思い出してしまうような。とろとろと蕩けたチーズが味蕾や粘膜に染み入ってしまったかのように、飲み込んだ後もふとした瞬間、身体の奥にその香りを感じる。許されるならフォークなどではなく、楊枝の先にちょびっと掬って、少しずつ少しずつ舐めていたい。そうでないと力負けしてしまいそうな、個性的なチーズだ。

    おいしい。とてもおいしいが、果たして最後までおいしく頂けるだろうか……という心配が頭をかすめたけれど、お酒をひとくち含んだ瞬間、その心配は霧散した。
    そのとき私は食後酒として甘口のマデラ酒を飲んでいて、それが本当に、この癖のあるチーズとぴったり合ったのだ。野性味のある匂いがマデラ酒のキャラメルのような甘さと合わさると、どこか上等の焼き菓子のような、それでいて奥に不穏な何かを隠しているような、奥深い芳香に変わる。酒池肉林で出されたお酒って、こんなような味だったのかしら。今の私はきっと、だらしないくらいのえびす顔をしているだろうなあ、と思いながら、酒とチーズとをちびちびと舐めた。

    チーズ好きを標榜しつつ、なんだかんだ手が伸びるのは大手メーカーのプロセスチーズ……というタイプの人間だが、こういう楽しみ方はなるほど、本格的なチーズでしかできないのかもしれない。
    それに普段お酒を飲むときは自分の好みで好き勝手に選ぶことが多いけれど、鴨に合わせた赤ワインも、チーズと一緒にお願いしたマデラ酒も、今日はお店の方に選んでいただいたもの。外食って楽しいなあ、プロってすごいなあと、小学生のようなことを思いながら、雨の夜を歩いた。喉の奥に野生の気配を感じながら。



    ▼ビストロで感動してエッセイを書きがちな人間です






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