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徒歩通勤で歩きながら泣いていた頃に舞い降りた、私たち親子を助けてくれた人

    叶井ゆき

    パートを終えた帰り道。老若男女が行き交う。

    私はスマホを見て、驚きのあまり、立ち止まった。

    子どもが病気になり、まわりに同じような境遇の人がいなくて、孤独で苦しい日々の中、思い切ってブログを始めた。

    そのブログにコメントがついている。

    それは、たまたま見た新聞記事の青年の病状が息子と似ていることを書いた記事。

    その新聞記事の青年のお母様からのコメント。孤軍奮闘の日々だったので、溢れ出る涙が止まらなくなった。

    今でも、あの時のことを、ドラマのワンシーンのように思い出す。

    後で聞いたのは、自分と同じように悩む人を放っておけなくて、ブログへのコメント投稿方法を調べて、必死に投稿してくださったということ。

    その出逢いのおかげで、子どもは元気になり、目標に向かって、今は歩んでいる。

    この経験があるから、私は書くことの可能性を信じているし、月日を経て、書く場所が変わっても、細々と書き続けている。

    孤独感からブログを書こうと思ったことも、
    診断された病気の症状があわないから、他の可能性を考えたことも、
    今となると、目には見えない何かに引き寄せられたのではないかと思う。

    そういったことを、信じるタイプではないのに(笑)。

    ブログで繋がった病気の子どものお母さん方は、母数が少ないからか、同じような立場の人を助けたいという気持ちの強い人が多かった。

    そういう方々と交流できたからこそ、まわりの雑音に流されず、子どもの状態と状況を見て、対応することができるようになり、一番大切なことを見失わずにすんだ。

    病気とはいえ、不登校になると「親が学校に行かせるようにしないと」みたいなことを言う人が複数いて、私自身、気持ちがしんどい時もあった。

    でも、今は無理をさせる時じゃないと思ったから、流されやすいタイプの私が、その言葉には耳を貸さなかった。

    だからこそ、今があるのだと思う。

    ブログにコメントをくださった方を含め、たくさんの方々にお世話になり、私たち親子の今がある。

    溢れる感謝の気持ちを、直接お返しすることはできないけれど……。

    同じような方々のお力になれることがあればと思い、細々とでも書き続けているのかもしれない。

    私の子どもの今は、小さな善意の集まりで存在すると思うと、私も小さな善意のリレーを繋げていきたいと思い、自分にできる範囲で少しずつ行動している。

    人って、漢字の如く、支え合って生きているから人なんだよね、きっと。




     
     
     
    日常とひとり時間を、心のままに綴る人。 テーマ:不登校・通信制高校・ソロ活・HSP・人間関係、読書や映画の記録など。 2026年は小説やシナリオ、マンガ原作の公募にチャレンジ中。

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