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25歳、春の夢にまどろむ | 2026.4.27


    25歳になった。

    24歳になる前までは、ひとつ上の友人に「もうアラサーやん笑」と言いつつ、自分もあと1年とすこしを前にして「アラサーなんて別になんも変わらんやろ」と思っていた。

    でも、この1年、わたしは無意識に準備をしていたと思う。今でもアラサーというものが何の分岐点として巷で言われているかはあまり理解はしていないけれど、25歳というものがひとつの人生の変わり目なのだと認識していた。

    (注:ちょいちょい私の22〜24歳のフィルム写真がとりとめもなく登場します)

    新しいアイデンティティにときめく


    「年齢を感じる」のは、どういうときだろう。

    洗面所の鏡で自分の顔を見て、目の輝きがどうも4年前とちがうとき。

    食べる量を調節してるのに全然体重が減らないとき。

    飲み会の〆にラーメンはキツいと思うようになったとき。

    目に入るものぜ〜んぶにぴょんぴょんと飛びつかなくなったとき。

    「まあそんなもんか」と、自分の理想と現実の狭間で何日も思い悩まなくなったとき。

    にじんだ視界を補正するために夜道を徘徊しなくなったとき。

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    大学生活が始まって以来、わたしの服はピンクだらけだった。実際淡くて明るい色が似合うので、正解ではあったと思う。
    けれど24歳になってから、長らくマイカラーだったピンクからの脱出を試みていた。服を買いに行く時、「今買うなら27歳くらいまで着れる服を」と思うと、自然とブルーやベージュなど落ち着いた色が目に入ってくる。

    これまでどちらかといえば子どもっぽい服を好んで着ていたので、初めてブルーで金ボタンのコートを羽織った時、「大人っぽめな服が似合う」という新しいアイデンティティの自分に出会ってルンルンとときめいていた。

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    顔の方は特段変わったわけではないと思っていたけれど、なんとなくピチピチじゃなくなっている。それが、前は表情がもっと生き生きしていたからなのか、シンプルに微小なたるみが出てきたのかは分からない。ふつうにふとっただけか。急にバン!とシワができるのではなくて、徐々に年齢を重ねていって出てくるのかもしれない。

    現時点では、自分の年齢を感じる反面、歳相応の雰囲気になって嬉しい!が勝っている。何歳になっても、やっぱり自分を好きなのは変わらないみたい。それに、25歳という節目だからかなおさら、歳を意識してるがゆえに誕生日付近はなんだかたのしかった。

    これが、歳をとっても「年齢相応のおばちゃんに慣れて嬉しい!」と思うのか、どこかで「イヤだ!歳取りたくない!」という転換点がくるのか、ちょっとこわいけどたのしみだ。

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    メイクなう


    生き生きとした、どうしようもなさ


    映画『ナミビアの砂漠』を見た時、主人公の行動に「なんでこんなに身勝手なんだ」と憤っていた。
    白Tに短パンで手足を大きく振り回して走る。
    平気で(なのかは分からないけど)嘘をつき、撫でるような声で態度を変え、外ではしっかりと愛想笑いをする。
    元カノの影にキレて物を投げる。

    最初はただ「全然分からない」と思っていたけれど、途中からなんだか懐かしさと寂しさを覚えた。

    うねるような感情の起伏、はじけるような感情の爆発。

    この自分ではコントロールできない感情、
    そしてその渦中では無我夢中で、
    後から見れば、傍から見れば「生きてたなあ」と感じる瞬間。

    この“生き生きとしたどうしようもなさ”を抱えていた自分を思い出した。
    そして、今ここには、自分を守る方法をすこしだけだけど身につけて、もう以前のようには戻れない自分がいた。

    『ナミビアの砂漠』を見たあと、感想を書いた日記の最後に走り書きでこう記してあった。

    「人に説明するために生きてるんじゃないな」

    なんでそうなったかは全然覚えていない。けれど、人目を気にして万人に認められようとするんじゃなくて、どうしようもなさを抱えて生き生きと、今ある生を全うしたいという根源を思い出したのかもしれない。

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    25歳、春の夢にまどろむ


    春の夢は儚いと言う。
    けれど、気温のいい春の夜は、ポワ〜ンと心地よい夢を見るにはうってつけの季節だ。

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    中学生の頃、母に買ってもらったたくさんの本から私が抱いた将来の夢は、『神様のカルテ』に出てくる医者と、世界の子どものために働く国連職員だった。
    英語がイマイチ伸びず、またコミュ力で言語を乗り越えられるほど外交的でなかった私は、医者を将来の夢に認定した。なりたいと思った職業はその2択くらいだったと思う。

    ところが大学生になり、ハタチになってから、将来の夢が末広がり的に増えてきた。

    大学生になって自由も増えたし色んな人に出会った中で、選択肢が増えたというよりも、元々なんとなくいいなと思っていたけれど自分でやろうと考えてもいなかったものが、どうやら実現可能らしいと認識するようになり、表出するようになったと言う方が近い気がする。

    「やりたいことは小さくてもやってみればいいし、なければ作ればいい」という考え方が醸成されてきた。

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    誰かが、「3年スパンで考える」と言っていた。3年間一つのことに集中し、その結果を検証して次のムーブを考える、という話だったと思う。
    そうなると、75歳まで元気に生きるとして、あと50年、16個の夢が叶えられるらしい。

    4月の誕生日、春の夢は儚いと言うけれど、夢にまどろむときは心地良い。25歳の春の夢を記録しておく。

    • 色んな境遇の子どもたちがのびのびと学べる場所を作りたい
      『若草物語』に出てくるプラムフィールド学園は、家族や愛に恵まれない子から裕福な家庭の子まで、色んな境遇の子どもたちが学ぶ児童養護施設兼学校のような場所だ。自分の農園で畑をしてみたり、ミニキッチンで料理をしてみたり、もちろん勉強もする。
      境遇のちがう個性豊かな子たちが、それぞれの道に進むのを手助けするような、見守るような場所ができらなあ。

    • なんでも対応できる救急医
      数ヶ月前にMERを初めて見てハマった身としては、ドラマのようとまではいかなくてもなんでも対応できる救急医かっこいい!

    • 『神様のカルテ』的内科医(総合診療医)
      神様のカルテでは内科医だけど、現代では総合診療医の方が合っているかもしれない。「医師である前に人間だ」という患者さんとの向き合い方。臓器別の病気ではなくその人に責任を持つこと。かっこいい。

    • とはいえ外科医もカッコいい
      手先の不器用さ(全科目の中で一番苦手なのが家庭科)で選択肢になかったけれど、やっと外科の「手術したら劇的に治る」を理解してきた。そして外科医も科によっては陽キャ&体育会系ばかりではないっぽい。手を動かして一つずつできるようになるというのも面白そうポイント。

    • ZINEを定期的に作りたい
      急に将来の夢っぽくなくなったけれど、人生の中で定期的にZINEを作りたい。できれば私が大好きだと思っている周りの人たちと。「今だからこそ」を残したくなるのはなぜだろう。社会に残したいとかはそんなにないんだけどなあ。脳裏に焼きつけようと思ってもすぐ忘れてしまうその瞬間の表情を、書き留めておきたい。

    • 理不尽な境遇にいる子どもたちの心身の健康をみる
      世の中には理不尽な境遇の子どもたちがたくさんいる。家族がいない、家族はいても十分な愛を受けられていない、余裕がないなど。自分ではどうにもできないどうしようもなさは誰でも秘めている。
      『若草物語』のプラムフィールド学園のような学校はできなかったとしても、そういう学校や、今バイトしているようなNPOに校医として協力することはできるかもしれない。身体の健診もだし、児童精神科医として心もサポートできるようになりたい。また取りたい専門医が増えてしまった。児童精神科医って専門医取らないと名乗っちゃダメかな。

    • カフェスペースやゲストハウスをする
      将来家を買ったら1階はレンタルカフェスペースにしてやりたい人がカフェできるようにしたいなあとか、ゲストハウスできたらと自分がそこにいるだけで色んな人に出会えそうだし楽しそうだなあとか、欲しいものがたくさんある。学生の時はお金がなかったし、借りてやる覚悟もなかったけれど、医者になったらできないかなあ。もちろんコーヒー豆焙煎機導入します。

    • 本屋やシェアアトリエ、セレクトショップ(?)
      誰かがものを作るのを見るのが好き。それは料理でも、スイーツでも、レザークラフトや編み物でも、写真とかでもいい。色んな人が自分の個性やこだわりを持って、その人の手で作られていくのを見るのがたのしい。
      作るのをサポートしたり、外に出すハードルを下げたり、みたいなことをしたい。みんなで作るZINEやカフェスペースと近いかも。

    う〜ん、もっとなんか色々あった気がするけど、頭の中にポっと浮かんではパッと消えているのですぐに思いつかない。まあ末広がり的に増えているので、今後増え続けるはずだしね。
    今書いた分だけでも、努力と能力と体力とお金が全然追いついていない。ぴえん。がんばれ自分。

    でも、やっぱり小さい時憧れていたものに近いことをすでに小さくやっているのだと自覚する。moonlitをやっているのだって、「それぞれの個性を生かして実践しながら学べる場所が欲しい」の一環だ。心の内にあった憧れが、知らないうちに行動として表出していたみたい。
    (↓moonlitについての補足)

    moonlit | Cafe&Books
    moonlit(ムーンリット)は、不定期にオープンするブックカフェ。間借りカフェや出張出店をしている。学生10数名ほどで運営していて、「やってみたいことを形にする」「一人のやりたいことを周りの人や地域とシェアする」「実践知を身につける」ことができる場所を目指している。

    これがほんとに、思うように自分が動けなくて、右往左往しているのだけれど。内情は周りを支えたいと思ったのに支えられている、典型例すぎる。

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    結局、「うんちしてえらい」


    なんにもない日の休日は、よく彼と一緒に田舎のオアシスであるショッピングモールに出かける。テスト期間に押しこめていた欲をある程度満たしたところで、お手洗いに行く。少し時間がかかって出てくると、ここで彼はわたしの頭を撫でながら言う。
    「うんちしてえらい。」

    これまで色々書いたけれど、結局わたしが必要以上に思い悩まなくなり、必要以上に自分の能力を疑わなくなり、心地よく夢にまどろんでいるのは、おそらくこの言葉をくれる彼の存在だ。
    わたしは「うんちしてえらい」のだ。オナラをしてもえらい。この生理的現象はどうしようもない。
    この世界に生まれてきて、このどうしようもなさと共に生きていることがえらいのだ。

    (↓前書いたnote『うまれてきてくれてありがと!』)


    ***

    誕生日を迎えるまでは、その日以降はちょっと憂うつになるのかドキドキだったけど、迎えてみれば全然たのしい誕生日だった。そしてこれを期に、これまで数行書いてきては消えてったnoteの内容をぎゅっと押しこめられた。

    25歳、20代まだまだあと半分、楽しむよ✌🏻️´-


     
     
    大阪うまれ、徳島の大学生。写真と日記。 moonlit | Cafe&Booksという屋号で不定期きまぐれブックカフェをしています🌙

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