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母が壊れて行くのを止められなかった私が、今大切にしてること

    幼い頃から
    母は普通とは少し違っていました。

    いつもは、優しくて笑顔が素敵なお母さん。

    でも、いつの頃からか、何かに取り憑かれたような行動をとっていました。

    大人になって改めて気付いたんですが、
    それには理由があったんです。

    私が4歳くらいの頃、当時6歳だった姉が
    自宅の掘りごたつで一酸化炭素中毒になるという事故がありました。

    一度は回復して、ヤクルトまで飲めていたのに、、

    その後、容態が急変して帰らぬ人となってしまいました。

    太陽のように朗らかで、優しかった
    お姉ちゃん。

    幼くてぼんやりとしか覚えていませんが、
    つないでもらった小さな手の温かさは
    今も覚えています。

    母にとってそれがどれほどの痛みだったか、
    今の自分には想像することしかできません。

    結婚をして、わたしにも子どもが生まれて
    そして離婚して両親と共に暮らし始めた頃、、

    少しずつ母の異変に気がつきました。

    聞こえないはずの音が聞こえる。

    だから仕返しをする。

    何度もお引越しを繰り返し、どうやって
    やり繰りしてたか今はもう覚えていない程、
    お引越しをしました。

    その後、父が倒れ3人になった時。

    とうとう限界が訪れました。

    自分もWワークで体はボロボロ。

    働いてもすぐに消えて行くお給料。

    母に精神病棟に入ったもらう選択をしたのは
    その時でした。

    逃げるように病院を後にして、それからたくさんの月日が流れ、、

    今思い出しても、心がギュッとなる記憶が
    あります。

    施設からの外出許可が出たある日、幼い息子とドーナツショップに入った時のこと、、

    「帰りたい、、」

    「息子と一緒に住みたい」

    きっと勇気を振り絞って話したその言葉を
    私は遮って怒ってしまった。

    きっとこの日を心待ちに楽しみにしていたのに、、

    ほんの少しの希望を持って話してくれたのに、、

    ごめんなさい、、あれから何度心の中でそう言ったか分かりません。

    だけどあの時、優しくできる心の余裕も
    物理的な余裕も無かった。

    そして、何ヶ所かの施設や病院を経て
    母はお空に帰っていきました。

    もっと優しくできていたら、、

    もっと生活にゆとりがあったなら、、

    もっと自分に知識があったなら、、

    何かが違っていたのかも知れない。

    その後悔は、今も消えることはありません。

    だからこそ、いま自分にできることを実践
    しています。

    健康でいること、食事に気をつけて病気に
    ならないようにすること。

    自分自身のために、

    そして大切な家族のために、、

    いつの頃からか、

    お母さんにも

    お父さんにも

    そして、早くに天国に行ってしまった

    お姉さんにも

    感謝の気持ちしかありません。

    優しくしてくれてありがとう。

    守ってくれてありがとう。

    生んでくれてありがとう。

    いまこの時に、生きることができて幸せです。

    美しい景色を眺め、

    大切な人と共に人生を生きてる。

    おいしいものを食べて、

    楽しく笑っていられる。

    生まれ変わりを信じているから

    きっとまた会えるよね。

    その日まで、薄青い空にうかぶ

    折れそうな三日月を眺めながら、

    今日も私は一生懸命に生きていきます。

























































     
     
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