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真夏の甘露ー50年ぶりに心の実る場所で

    今でもうっすら覚えている、あの頃の景色。
    確か4つか5つくらいだった。
    今と違って、近所の子たちが、路地や空き地で
    ワーワーやって遊んでいた、昭和50年代。
    みんなであそこで遊んでみたいよねといっていた場所。
    でも、ネットがかかっていて、じいちゃんやばあちゃんに
    「あそこは入っちゃだめだかんね」
    と言われていた場所。
    いろんなきれいな花が咲いていて、広くて、
    あそこで走り回ったら楽しいだろうな。
    でもこっそり入ったら、怒られちゃうだろうな。
    そう思いながら毎日通り過ぎていた場所。

    1回だけ、入ることができた日の思い出。
    私と同じくらいの男の子と、3つくらい上のその子のお兄ちゃん。
    2人が来た時はその「禁断の場所」に入れた。
    彼らは毎日、その畑のそばに住んでいるわけではなくて、たまにどこかからやってきた。

    ああ、いつもこの兄弟が来てくれれば、
    この広い、畑のような林のようなこの「禁断の場所」で
    みんなで遊べるのに・・・。毎日ここに入ってみたい!
    幼いころ、そんなことを願っていた。

    そして私は約50年後、この兄弟の兄とこの「禁断の場所」で会うのだった。

    50年。半世紀。
    その間に、地元を離れて、東京で暮らした10年。
    男尊女卑の色合いが強い地元が嫌いで、早く都会に行きたかった。
    そんな私は高校から上京し、10年間東京で暮らした。
    バブル崩壊後の就職氷河期真っただ中。なんとか就職できたものの、心身をボロボロにして田舎に戻った。運よく地元で就職でき、結婚、出産を経てなんとか共働きをしてきたものの、いろいろあって、多くの人が定年まで勤めあげる職場を50過ぎに退職した。辞めたらのんびりするつもりだった。職場のすでに定年退職を迎えた先輩には、「ジムとかヨガとか何かやれば?」と進められていたが、収入がなくなるのに、余計な支出を増やすより、同じ体を動かすなら、体を動かして、少しでも稼げる方がいいだろうと思って、農家のパートを始めることにしたのだった。

    「お茶だよ~」

    奥さんが10時前のアラームで大きな声で梨畑いっぱいに響くような声でみんなに声をかける。ここは北関東の都会とも田舎ともいえない街のはじっこの方にある梨畑。朝は8時半から作業が始まり、午前中の休憩が1回。10時から始まる。

    この梨園は、4代目の社長と奥さん、そしてこのご夫婦の親戚のおばさん、ベテランパートさん2名、そして私のように最近パートを始めた人3~4名で作業をしている。時々、5代目予定の息子君や、他県にいて帰省した娘さんが作業に入ったりする。

    作業の合間の休憩タイム。みんなで梨畑に折り畳みの椅子を並べて、梨や作業資材を入れるために使うコンテナをひっくり返して、簡易テーブルを準備。その上には、奥さんが準備してくれたお菓子や、パートさんが持ち寄ったお菓子が並ぶ。最近できたパン屋さんの話や、今朝の芸能ニュースでやっていたアイドルの結婚のこと、自分たちが育った昭和の子どもの頃の思い出等、わいわいがちゃがちゃ話をしながら、30分の休憩タイムを過ごす。
    オバちゃんたちで話が盛り上がっている中、はじっこの方でずずーっとコーヒーをすすりながら、たまに話の中身に
    「え、そうなの?」とか
    「へぇ」と相槌をうっているのが、4代目社長。

    そうこの人が50年ぶりに会ったあの「禁断の場所」にたまにしか来てくれなかった兄弟のにいちゃんの方だった。

    パートを始めて2年目。
    東京で約2年、その後は四半世紀以上事務職だった。30年近くデスクワークばかりだった私が農家の仕事ができるか疑問だったけれど、農家のパート、しかも近所の梨園のパートをやろうと思ったのは、この本がきっかけだったのかもしれない。そして、この本は私がNoteを始めるきっかけともなった本だった。

    舞台は、近所の梨園。今働いているところではないけれど。

    順風満帆な学生時代を送っていた青年が、社会人1年目にうつ病発症による休職、退職、無職のどん底。そして社会復帰を兼ねての田舎の農家で無給のインターン開始から正規雇用され、自分を取り戻していく。そして自分の働く農家の経営改善のノウハウをWEBで公開して話題になり、ついには農家や業界あいてに講演を行うコンサル的な会社を起業して現在大活躍中の佐川さんのリアルストーリー。

    この本を読んで、なぜか感動して、いきなりNoteを始めることにした6年前。でもその頃、自分が梨園で働く人になるとは思いもしなかった。

    北関東の都会とも田舎ともどっちつかずな感じのこの土地。生まれも育ちもここなのに、地元があまり好きではなかった。早く遠くへ、できれば都会へ行ってみたいと思いながら子供の頃を過ごした。そして、念願叶い、東京で学生生活を送ることになった。田舎には帰らないと思っていたが、社会人になり、なかなか会社の仕事についていくことができなかった私は、早々に辞めて地元に戻った。

    学校の勉強は、自分が努力すればなんとかなる。でも、社会に出て、仕事となると、自分の努力だけではいかんともしがたいことはたくさんある。不運も大きく影響する場合もある。親と、環境によって「キャリアアップ」を目指さなければと思って20代から仕事をしてきたものの、うまくいかずにUターン転職、そして結婚。幸運にも2人の子どもに恵まれ、共働きになった私だったが、若いころ目指していた「バリキャリ路線」とは全く違う路線をたどった。心身の不調、自分の能力のこと、これから先の残された「健康寿命」のそう長くないこと、諸々を考えてきた。逡巡した末に、52で早期退職したのだ。

    それまで家庭菜園も、ほとんどやったことがなかった私。退職後の予定は白紙だったのだけれど、近所を散歩していて、「梨園で働くのはどうだろうか?」という思いが浮かんだ。それで、早期退職してから1週間後に、自宅から徒歩3分、実家からも近い今の梨園に電話をかけた。ここの奥さんとは、子どもの小学校のPTAや育成会の関係で立ち話をしたりしたことがある顔見知りだったこともあり、話はすぐに決まった。そして、4月10日から梨園でのパートがスタートしたのだった。

    まず最初にやったのが、花摘み。桜のシーズンが終わった頃から、梨は桜より一回り大きな白い花をつける。


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    桜よりもきれいかも?


    まだつぼみが膨らんだくらいの状態の花をかご一杯に摘むのだ。
    上の画像のように完全に開ききった状態だとだめなのである。
    つぼみが風船のように膨らんで、付け根がピンクにかわいく膨らんだのを中心に摘んでいき、そこから授粉用の花粉をとる。

    1週間~10日くらいの作業で25キロ分の花粉をとり、それを「ぼんてん」といわれる耳かきの後ろのふわふわのちょっと大きなやつ版で、開花している花にポンポン授粉していく。


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    耳かきの後ろについてるみたいなやつでポンポンしていく

    梨の木の高さは、だいたい160センチ~190センチくらい。油断すると頭をぶつける。ずっと上を向いての授粉作業。首から上が痛くなる。挙句の果てに、緊張性頭痛なのか、頭が痛くなってくる。決して楽な作業ではない。

    ぽんぽんと単純作業をやっていく。時々、違う種類の木の枝にポンポンしそうになり、社長に「それじゃねーよ」と怒られながら、黙々と作業していく。遠くに聞こえる地元FMラジオの音。作業しながら頭の中を流れるのは、これまでの人生について。

    「ああ、いい学校にいって、就職活動を頑張って、氷河期で、女子でコネなしで、浪人していて、超不利な中なんとか勝ち取った内定も、就職したら辛くて1年半で辞めて、もどってきてなんとか再就職できた。でも、安定していて、最後まで期間満了して定年退職するはずの職場も、いろいろあって、途中で辞めた。これからの時代は女の人もキャリアアップしてなんて言われたけれど、管理職になれなかった。じゃあ子育てをがんばったかといえば、育児も中途半端で、なんだかこれまでどれも中途半端。気がついたら50を過ぎ、もうどんなにがんばっても、たぶん今まで生きてきたのと同じ時間、生きられる可能性は少ない。仮にあと50年あったとしても、今が一番若くて、これからどんどん老いていく。今介護している両親のように。寝たきりになり、ほかの誰かに手伝ってもらわないと、下の処理もできないような体になる。ああ、人生ってこんなものなのか」

    なんて、ちょっとモヤモヤした気分が持ち上がったりしながら、ポンポンとぼんてんをたたいていると、突然、FMラジオの音を遮って、

    ホーホケキョ ケキョケキョケキョ

    ととてつもなくいい声で鶯が鳴くのだ。そうかと思えば、もっと遠くでは、まだまだ若く、新米?とおぼしき鶯その2がヘッタクソに

    ホー ホー ホー ケキョ

    と短く鳴いていたりする。ああ、鶯の声をこんな昼間、青空の下で聞くなんて、いつぶりなんだろう。なんとなく心の奥がほっこりしていく。モヤモヤした気分が、鶯のさえずりによって、晴れていくのだ。だんだん痛くなってきた首と頭の上に広がる、すっきりとした青空のように。

    パートを始めて1か月後、GW明けくらいに次の作業、摘果が始まった。
    摘果は、1枝に複数個ついた小さな実を1つか2つ残して、全部摘み取るこれまた地味で単調な作業。

    ひたすら、チョンチョンとハサミで切っていく。この作業もずっと上を向いてやるので、とてつもなく首から上が凝りまくる。おかげで、いろんな肩こり、片頭痛対策のyoutubeを見ることになった。ストレッチをよくやるようになり、だんだん、肩こりや頭痛も減っていった。

    そして、この時期になると、梨園には珍客もやってくる。

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    鳩が巣作りします
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    梨園はネットが張ってるし、猫とかこないから安心な場所なのか?


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    もうすぐ独り立ちだ!


    こんな珍客に心を癒された。ここに巣を作っている鳩ほど一生懸命じゃなかったかもしれないけれど、私もまがりなりにも子育て、頑張ったじゃない?もうすぐこのヒナと同じように独り立ちするのよ。あの人たちも。そんなことを思いながら、ああ自然ってなんていいんだろうとしみじみする。

    そして作業はどんどん進む。摘果が終わるのがだいたい5月末頃。それから収穫までは何もしないのか?と思っていたが、摘果の作業が終わると、この枝の剪定の作業が始まる。枝と枝が重なって、光合成がうまくできなくなり、実に栄養が回っていかなくなるを防ぐために、余分な枝を切り落とす「ピンチ」と呼ばれる作業。そして、真上にぐんぐん伸びて行ってしまう枝に角度をつけて、来年度以降ちゃんと果実が実りやすく棚状にしていくための枝縛りの作業。

    20数年事務処理をやってきて、PCを打ったり、Excelで集計させたりする作業は得意な私だけれど、ひもを縛ってというのは、結構苦手で、社長に「そーじゃねーよ。特訓だ!」といって何回も練習につきあってもらったが、最後にこんがらがって、「どーしてもできなかったら、最終手段は団子結びでもいいから、結んどけ!」と言われたりしながら、ぶきっちょな手で枝縛りの作業をなんとかこなしていく私。

    そして作業をしながら、余計な枝を切っていくことも、枝を縛っていく作業も、人生のどこかで体験した何かと似ていることに気がついた。あれもこれもできないから、あきらめたり、これだけ!と思って残したのは、美味しい梨を作る作業と同じなのだということ。


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    これは、横にぺたんと寝てしまった枝を起こすために縛ってます。縛りまくり

    そして、8月頭からの収穫作業が始まる。6月の終わりになると、GWの摘果が始まるころ、さくらんぼ大だった梨も、ピンポン玉より一回り大きいくらいに育っている。


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    なんか食べられそうじゃない?

    作業中、ぼたっとおちてくるピンポン玉大の梨があって、試しに拾って持って帰って、切って試食。全然熟していないので、甘くなくて渋かった。ここから、梅雨の終わりの雨を受け、梅雨明け後のカンカンに照りつける真夏の太陽を受けて、だんだんだんだん美味しくなっていく。決して、温暖な気候の中、ほわわんと過ごして熟して美味しくなるわけではないのだ。

    前職の最後の頃、ほぼ1日中思っていたのは、
    「ああ、この仕事が、この先も定年までずっと続くのか。」
    「ああ、これで私の生活はよかったのか。」
    そんなマイナスな感情ばかりだった。
    うまくいかなかったこと、悔しかったこと、哀しかったこと、そういうことばかり思い出しながら過ごしていた最後の頃。
    日曜日の夜からの憂鬱。
    月曜日の朝のあの重たい体を引きずって始まる1週間。

    そういうものが退職して、パートをして体を使って仕事をしていくうちに、気がつくとなくなっていた。

    月曜日の朝、「今日も作業がんばるか~」と思って気持ちよく5時半に起きる。体重は増えたが、心身なんか健康になってきたように感じる。
    体重がなぜ増えたかといえば・・・。お盆前くらいから始まる収穫作業で、毎回、パート代とは別に「日当だよ!」といって、皮に傷がついて集荷には回せないけれど、味には全く問題がない梨を3~5個いただき、1日1個以上梨を食べ続ける日が2か月くらい続いたことも原因の一つ。よく身体を動かすので、よく食べる。食べすぎだったのは反省。

    収穫の時期は、だいたい最高気温が35度以上になる猛暑日が多い。
    午後になると危険な暑さなので、午前中のうちに収穫作業を行う。熟した梨の色は黄金色で、皮の表面のざらつきが少ないのだけれど、それを見分けるのが難しい。

    真夏の太陽の元、セミがジージーとなく中、汗をだらだらかきながら、「これだったら熟している!」と思う梨を狙って、表皮をきずつけないようにハサミでチョッキンしていく。収穫用のハサミは先がまるまっていて、専用のはさみなのだけれど、最初のうちは、ハサミの使い方が下手で、せっかくいい梨を収穫しても、軸の近くの表皮を傷つけてしまい、集荷にまわせない梨をいくつか収穫してしまった。地味で簡単そうな作業にも、小さな工夫と丁寧な仕事が求められる世界。

    ああ暑すぎる、のどが渇いた~という頃に、奥さんの「お茶だよ~」の声がかかる。収穫時期のお茶のお供は、いつものお菓子やゼリーだけでなく、「良く冷えた梨」が出される。これが信じられないくらい美味しく、幸せなのだ。

    一番最初に、主にお盆の贈答用として購入されることが多い「幸水」という梨がある。甘みが強くて、私は一番好きな梨なのだけれど、作業の合間に食べる冷えた幸水は、本当に本当に「幸せの水」なのだ。しゃりっとした触感のあと、じゅわっとひろがるさらっとした甘みの冷たい果汁が、乾いた喉を伝っていく。ああ、なんて美味しいんだろう。子供のころから食べてきたはずなのに、梨の収穫の作業の時に味わう幸水の味は別格。

    それはまさに「真夏の甘露」なのだ。


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    身体に染みわたる瑞々しさ

    いろんな夢は叶わずに終わったとおもっていたのだけれど、すっかり忘れていた、ずっとずっと幼いころに願っていた夢は叶っていたのだった。

    「あの禁断の場所に毎日入って遊んでみたい。」

    遊んでいたら、兄ちゃんの方に「おい、収穫はすすんでんのか?」と怒られるのだけれど。あの頃一緒に遊んだ時は、おっかなくなかったけどなぁ社長!と内心つぶやきながら、私は禁断の場所だった梨園に50年ぶりに立てたのだった。

    お盆前の幸水からはじまり、豊水、秋月、にっこりと時期を追うごとに収穫する種類がかわってくる。最後に収穫する「にっこり」は、県の農業試験場が開発した梨で、あかちゃんの頭くらいの大きさになる超大玉。名前の由来は、地元の「日光」と梨の「り」を組み合わせて、食べた人が笑顔になるようにという願いが込められているそうだ。収穫する時も重くて大変。


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    にっこり。卵と比べるとこんなにでっかい。

    フルタイムの仕事を辞めて、その後どうなるかなあと心配していたのだけれど、収入は減ったが、近所の梨園でのパートを始めてから、小さな幸せがたくさん増えた。お金には換えられない、辞める前には想像がつかなかった時間が流れている。


    それまでスーパーに売っている時に、「ああ、梨は高いなあ」と思っていたが、どれだけの細かい作業の積み重ねの果てに、スーパーに陳列されているのかを身をもって知った。本当は1個1万円くらいで売りたい、そう思いたくなるくらい、手間暇がかかっている。

    若い頃、地元から離れて、都会に行って、ビルがたくさん並ぶオフィス街で、スーツを着てかっこよく歩きながら、1日中バリバリ仕事をする自分を夢見ていた。その夢はちょっとだけ実現しかけたけれど、結局続くことはなく、戻りたくないなあと思っていた自分のふるさとに戻ってきた。若いころの私は、はっきりいって、自分の地元が嫌いだった。正直なところ、農業なんて見向きもしなかった。

    50過ぎまでデスクワークで1日中座りっぱなしでPCに向かっていた私が、パートで農家で働くことになるなんて思っていなかったが、生まれ育った場所で、たくさんの新鮮な発見があった。

    もう50歳、あーあと思っていたそれまでの生活が一転した。
    「まだ50代、若い人に比べたらなんでも覚えるのは遅いし、ぶきっちょで『農家の右腕』どころか『農家の左腕にぶらさがりまくり』な状態でなんとか作業を覚えながらついていっている状態だけれど、働くって楽しい」ということを思い出したのだった。そして、地元は、とても愛すべきところなんだと心から思う。

    大事なものは身近にあるのに、案外気がつかない。
    遠回りして初めて、その大切さに気がつくのかもしれない。
    禁断の場所に50年ぶりに入れるようになって、そのことを知った。

    昨日は七夕だった。
    天気が悪くて、残念ながら織姫と彦星は会えなかっただろう。
    心の中の短冊にこう書いてみた。

    ふるさととちぎが開発した梨「にっこり」の名前のように、たくさんの人が私が収穫した梨ではじける笑顔で「真夏の甘露」を味わえますように。


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