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つい先日まで、店先からは桜にカメラを向ける人たちの姿がみえた。
ひとりで、ふたりで、みんなで。そんな様子を眺めながら、誰もいない店内で、ホコリをはたく。本屋さんといえば、ホコリはたきでパタパタとお掃除する姿を思い浮かべる。そんなイメージは、いったいどこで刷り込まれたんだろう。思い返してみてもわからない。地元にあった小さな本屋さんの仕事姿を見かけたんだろうか。ドラマや映画の影響だろうか。サンタクロースがふくよかでやさしそうなおじいさんだということ。大人はみんな正しいということ。そういうことと同じように、どこかで不意に染みついた何かが、ずっと拭えずにいるだけなのかも。
桜は綺麗だ。だからといって、春は綺麗だ、というわけでもない。
この時期になると、強制的になにかがはじまってしまう気がする。そんな気配にずっと怯えている。何者にもなりたくなくて、なにも変わってほしくなくて。気づかないうちに変わってしまうことが怖くて、けっきょく変わりながら生きている。
明日は本当にやってきますか。
あなたは明日も隣にいてくれますか。
地元で暮らす友人たちは元気にしていますか。
おばあちゃんはどこも痛くないですか。
天国にいるおじいちゃん、
大好きなインスタントラーメンを飽きるまで食べていますか。
本当に知りたいことは、誰も教えてくれないし、わからない。
この店で誰かに本を手渡すとき、それはあなたがほんとうに欲していたものなのか、それがあなたを救ってくれるのか、ほんとうのことは私にはきっとわからない。でもそういう、奇跡のように差し伸べられる偶然を掴める(かもしれない)場所でありたい。そういう場所を、私がいちばん欲している。なにかにすがることで、どうにかこうにか生きていける日があることを、私は知っているから。
声を聞くだけで、家に帰ろうと思えた日。
朝まで点滴を受けて、誰もいないホームで眺めた朝焼け。
言われた通りにやればいいと言われて、泣きながら飲んだエナジードリンクの味。
綺麗でもなくて、やわらかくもなくて、いい匂いもしない春を、これまでも生きてきたし、いまもまだ生きている。そんな世界で、だれかの言葉を、だれかに届けてゆくのが私の仕事。そうだとしたら、それはちょっぴり、いやかなり格好いいかも。だってもしかしたら、あの日の私を救うこともできるかもしれない。
世界は変わる。今日よりも明日、一年後より五年後。わたしたちは、そういう激しい流れのなかにいる。ここのところずっと、鋭い刃が喉元に突き付けられている。ひとつのミスをしたところで、ゲームオーバーになりそうな緊迫感がある。「お前はいつまでやれる?」と。ずっと問いかけられている気がする。
そんなことわからない。
わからないからここにいて、ただ明日を願っている。
穏やかな明日が続いてくれますようにと。
終わりがくるならせめて、あたたかい終わりでありますようにと。
散り際の桜を眺めながら、私は今日も店をあけるのです。
まつさかゆう/文
うさぎとカメラ/写真