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短編小説|死ぬ予定ですが、母は今日も元気です|最終話

    【これまでのお話】
    第1話「同じ日に」 | 第4話「誠さんへ」


    最終話「いつもの家」


    白い天井だった。

    病院の天井は、家のより少し高い気がした。

    点滴の管が、シーツの上を伸びていた。

    誠さんが、着替えを棚にしまっていた。

    「誠さん」

    「ん?」

    「着替え、ありがとう」

    「いいってことよ」

    「そういえば……
     手紙、読んでくれた?」

    「……読んでねーよ」

    「……嘘」


    誠さんがため息をついた。

    「……言われなくても、
     孫が遊びに来たくなるくらいには片付ける」

    わたしは吹き出した。

    「やっぱり読んでるじゃん」

    誠さんが目をそらした。


    いつもの担当の先生が来てくれた。

    誠さんが、椅子から立ち上がった。

    先生は、ベッドの横まで来た。

    「気分はどうですか?」

    「お腹、空きました」

    先生は、静かに笑った。

    「霜月さん、貧血が進んでいます。
     栄養も足りていません。
     急に動くと、血圧が下がって倒れます。
     もう、無理はできません」

    「……すみません」

    誠さんが言った。

    先生が息をついた。

    「……無理だけは、本当にしないで下さい」

    わたしは、先生を見た。

    「先生……いつ家に帰れますか?」

    先生が間を置いた。

    「状態を見ながら判断しましょう。
     落ち着いたら、ご自宅に戻ることもできます」

    先生が、わたしを見た。

    「ゆっくり過ごすことが、
     今の霜月さんにとって一番大切です」

    「わかりました……」

    先生は黙った。


    「……お孫さん、
     もうすぐ生まれるんですよね」

    「……はい」

    先生が笑った。

    「楽しみですね」

    先生はドアへ向かった。


    そこで振り返った。

    「そのニット帽、よくお似合いですよ」

    「……ださいでしょ」

    「いいえ」

    先生は笑った。

    先生は出ていった。

    二人ともしばらく黙った。


    「……ダサいってなんだよ」

    「……でも、わたしの宝物だから。いいでしょ」

    「……だったら、許す」

    誠さんが笑った。


    「ねぇ、誠さん」

    「ん?」

    「外の空気が吸いたい」

    「だめだ。
     先生の話、なんにも聞いてなかったのか?」

    「そうだけど、
     ここにいてもよくなるわけでもないし。
     あー、ここにいたら、吐き気がしてきた」

    誠さんが黙った。

    「…………看護師さんに聞いてくる」


    誠さんは
    看護師さんを連れてきた。

    車椅子も借りてきた。

    中庭へ出た。

    病室にいるより、楽だった。

    それから毎日、
    誠さんは中庭まで連れて行ってくれた。


    今日も、中庭へ出た。

    風があった。

    「……気持ちいい」

    誠さんは何も言わなかった。

    いつものようにベンチの横で、車椅子を止めた。

    花壇には、茶色い茎だけが残っていた。


    すぐ向こうのロビーが、ガラス越しに見えた。

    「……誠さん」

    「ん?」

    「いた……」

    さくらだった。

    大きなお腹に手を当てて、笑っていた。

    隣に、拓也さん。

    さくらの歩幅に合わせて、ゆっくり歩いていた。

    「定期健診かな?」

    「だろうな」

    二人で、黙って見ていた。

    さくらが何か言って、拓也さんが笑った。


    「……二人とも……幸せそうだね」

    「ああ……」

    「拓也さん、ちゃんとやってるね」

    「だな……」

    その瞬間、さくらが、こっちを向いた。

    わたしは、顔を伏せた。

    そのまま、
    さくらと拓也さんは出口へ向かって行った。


    「……大きくなったね、お腹」

    わたしは、二人の背中を見ていた。



    11月になった。

    退院の朝が来た。

    さくらの出産予定日まで、あと1週間だった。

    荷物は、誠さんがまとめてくれた。

    車椅子に座った。

    誠さんが押した。

    ゆっくり廊下を進んだ。

    ナースステーションの前で、
    看護師さんたちが頭を下げた。

    「霜月さん、お大事に」

    「ありがとうございました」

    正面玄関を出ると、風が顔に当たった。

    「……やっと家に帰れる」


    誠さんが車を正面に回してくれた。

    車椅子から立ち上がって、助手席に座った。

    「ゆっくり」

    誠さんが言った。

    少し、息が切れた。

    二人で家路についた。


    わたしは、窓の外をずっと見ていた。

    息を吸うたび、右の脇腹が痛んだ。


    信号待ちで、車が止まった。

    見覚えのある交差点だった。

    あの日、赤信号で止まれなかった場所。


    スマホが鳴った。

    拓也さんからメッセージだった。

    『さくら、陣痛きました!!もうすぐ病院です!!』

    画面を見た。

    「……来た」

    誠さんが前を向いたまま言った。

    「もしかして……」

    わたしはうなずいた。

    「来たよ……」


    「行くぞ」

    誠さんはそれだけ言った。

    信号が、青に変わった。

    車は交差点を曲がった。



    産婦人科の廊下に、長椅子があった。

    わたしは、その端に座った。

    背もたれに、体を預けた。

    誠さんが立ったり座ったりしていた。

    「座ってなよ」

    「……落ち着かない」

    「見てるほうが落ち着かない」

    わたしは笑った。

    笑ったら咳が出た。

    誠さんが背中に手を当てた。

    「大丈夫……」

    咳はなかなか止まらなかった。

    誠さんの手は離れなかった。

    肩が、上下するたびに重かった。


    時計を見た。

    針が、ゆっくり動いていた。


    「誠さん」

    「うん」

    「さくらが生まれたとき、こんなに待った?」

    誠さんが考えた。

    「もっと待った」

    「そうだっけ」

    「12時間」

    「長かったね」

    「長かった」

    二人で黙っていた。


    「誠さん」

    「ん?」

    「麦茶飲みたい」

    誠さんが立ち上がった。

    廊下の突き当たりの自動販売機へ向かった。

    ペットボトルを2本持って戻ってきた。


    時計を何度見たか、わからなかった。

    麦茶は、とっくにぬるくなっていた。


    分娩室のドアが開いた。

    助産師さんだった。

    誠さんが立ち上がった。

    助産師さんが、わたしたちを見て笑った。


    「お孫さん……生まれましたよ」

    助産師さんは、ゆっくりうなずいた。

    「女の子ですよ、おめでとうございます!」

    誠さんが、目を閉じた。

    わたしも、目を閉じた。


    「ありがとうございます……よかった……」

    誠さんが言った。

    その場にへたり込むように、長椅子に座った。


    1時間半くらい経った。

    拓也さんが出てきた。

    目が赤かった。

    誠さんが立ち上がった。

    「拓也くん、おめでとう」

    わたしも座りながら言った。

    「本当、おめでとう」

    拓也さんが、うなずいた。

    「ありがとうございます」

    声が震えていた。

    「おかあさん。
     もうすぐ新生児室に移ります。
     一緒に行きましょう」

    誠さんが
    「誠ちゃんもいますけどー!?」
    と言った。

    拓也さんが、「す、すみません」と言った。


    看護師さんに案内されて、
    新生児室のガラスの前に立った。

    ガラスの向こうに、赤ちゃんたちが見えた。

    「どの子だろう」

    拓也さんが、一人を指さした。

    いた。

    小さくて、赤くて、しわしわで、
    大泣きしていた。

    わたしはガラスに顔を近づけた。

    もっと近づけた。

    鼻がついた。

    「拓也さんに似てるかな。
     誠さんにも、ちょっと似てる」

    「ん?どのへんが?」

    「しわしわなところ」

    「……ひどい」

    誠さんが笑った。

    いつまでも
    見ていられそうだった。


    しばらくして、

    「お部屋へ移動しますね」

    と看護師さんが言った。

    わたしたちも、さくらの病室へ向かった。

    誠さんが車椅子を押してくれた。

    拓也さんが先に歩いて、病室の扉を開けた。

    「おかあさん、おとうさん、どうぞ」

    と言った。


    部屋に入ると、

    さくらが、疲れた顔で笑っていた。

    「おかあさん……」

    「おめでとう……さくら……」


    さくらが、しばらくわたしを見ていた。


    「……おかあさん……痩せたね」

    「うん……頑張ってダイエットしたからね……」

    「……そっか」

    さくらが、下を向いた。


    しばらくして、顔を上げて笑った。

    「あと、ニット帽、めちゃ似合ってる」

    「……でしょ?」

    「……うん。来てくれてありがとう……」

    わたしは、車椅子のままベッドの横に寄った。


    さくらたちと話していると、

    看護師さんが赤ちゃんを連れてきた。

    「赤ちゃんをお連れしましたよ」

    「ありがとうございます」

    さくらが、わたしを見た。

    「おかあさん、抱っこしてあげて」

    「……え、わたしから?」

    さくらはうなずいた。


    腕に重みが来た。

    思ったより重くて、腕が震えた。

    落とさないように、抱え直した。

    誠さんが、すぐ横に立った。

    小さな手が袖を握った。

    しばらく、誰も何も言わなかった。


    さくらが、わたしを見た。

    「名前だけど……
     こはるっていうの」

    こはる……

    わたしは、こはるを見た。

    「……いい名前だね」

    「うん、響き。あと……
     わたしとおかあさんを、
     ちょっとずつ入れた感じ」

    さくらが、照れた顔をした。


    こはるが泣いた。

    「かわいい……わたしみたいね」

    拓也さんが、苦笑いした。

    「赤ちゃんって温かいね」

    「そうだよ、人形じゃないから」

    わたしは笑った。


    さくらが、こはるを抱くわたしを見ていた。

    「おかあさん…………もう……大丈夫だよ」


    目が、熱くなった。

    声が、なかなか出なかった。

    「こはる……やっと会えたね」

    声が、出た。


    「…………間に合った」


    涙が止まらなかった。

    こはるの顔が、ぼやけた。

    こはるを抱いたまま、泣いた。

    さくらが何か言った。

    聞こえなかった。

    誠さんの手が、わたしの肩に来た。

    しばらく、そのままだった。


    「ごめん……
     玉ねぎが目に染みちゃってね……」

    さくらが、
    「…………玉ねぎどこよ?」と笑った。


    「重いね……」

    「うん、これからどんどん大きくなるよ」

    さくらが、泣きそうな顔で笑った。

    誠さんは、何も言わなかった。

    ただ、こはるを見ていた。

    わたしは、小さく息を吐いた。

    「おばあちゃんですよー。よろしくね」

    こはるの頬を、そっとなぞった。


    わたしは、
    こはるを拓也さんの腕の中へ、ゆっくり戻した。

    拓也さんが、わたしを見た。

    小さくうなずいた。


    わたしと誠さんは、
    廊下の長椅子で休むことにした。

    しばらく、二人とも黙っていた。


    「誠さん、
     これから、こはるにお年玉あげないとね」

    「だな……」

    続きは、出てこなかった。



    「…………ちょっと、コーヒー、買ってくる」

    誠さんが立ち上がった。

    少し早足だった。


    自動販売機から缶が落ちる音がした。


    もう一本、缶が落ちる音がした。


    なかなか戻ってこなかった。

    後ろ姿しか見えなかった。

    でも、誠さんの肩が、揺れていた。

    しばらく見ていた。


    わたしは、また見ないふりをした。



    帰りの車。

    外は、もう暗くなっていた。

    誠さんが運転していた。

    「こはる、か」と誠さんが言った。

    「いい名前だね……」

    「どんな子になるんだろうな……」

    誠さんが、前を向いたまま言った。


    しばらくして、誠さんが言った。

    「さくらには、いつ言う?」

    わたしは返事をしなかった。

    それ以上は、どちらも言わなかった。



    家に着いた。

    わたしは「ただいまー!」と言った。

    誠さんが「おかえり!」と言ってくれた。

    いつもの家のにおいがした。

    靴を脱いで、そのまま椅子に座った。

    立っているのがつらくてしょうがなかった。


    誠さんが台所に立った。

    「直子はゼリーでいいか?」

    「ゼリーは食べ飽きたよ、誠さんは何食べるの?」

    「しょうが焼き!」

    「……じゃあ、わたしも食べようかな」

    「……おいおい、大丈夫かよ」

    「ちょっとだけだよ」


    冷蔵庫を開ける音がした。

    付箋が1枚、床に落ちた。

    誠さんは拾った。

    しばらく見ていた。


    「……忘れねーぞ」

    そのまま、冷蔵庫に貼り直した。


    フライパンの油が跳ねた。

    「熱っ」

    「だから火、強いって」

    煙が出た。

    「換気扇回して」

    「アイアイサー」


    しばらくして、皿が置かれた。

    「自信作。
     誠ちゃんのしょうが焼き。練習したぜ」

    おいしそうだった。

    たまねぎも、ちゃんと薄かった。

    しょうがも忘れていない。

    一口、口に運んだ。


    「…………おいしい。わたしが作ったのと同じ味」

    誠さんが照れた顔をした。

    「だろー?あとさ……」

    誠さんが、
    にやにやしながら、マヨネーズを持ってきた。

    わたしは吹き出した。

    「いらないよ」

    「1回つけてみな」

    誠さんが笑った。

    「じゃあ……
     1回かけてみようかな」

    誠さんが
    マヨネーズをドバドバとかけた。

    口に運んだ。


    「…………おいしい、案外。
     もっと早くやればよかった……かも」

    「だろー?」

    わたしは笑った。

    もう一口、持っていこうとして、止まった。

    箸を置いた。

    誠さんが見ていた。

    何も言わなかった。

    わたしも、何も言わなかった。


    「……もう食べられないかも」

    「……うん、無理すんな」

    わたしは、ゆっくり立ち上がった。

    「……横になるね」

    誠さんが立ち上がった。

    「肩、貸すよ」

    「大丈夫。1人で行ける」

    誠さんが、止まった。

    うなずいた。


    わたしは廊下に出た。

    振り返った。

    誠さんは、立っていた。

    マヨネーズを持ったまま、こっちを見ていた。


    「ねえ、誠さん…………」

    「ん?」

    台所の換気扇が、回っていた。


    「前に、浮気してんじゃないか?
     ってわたしに聞いたよね」

    「…………うん。すまん。
     なんか変だなーって、思ってたから」

    わたしは、声を落とした。

    「いいの。わたし、浮気してたから」

    誠さんが、止まった。


    しばらくして、口を開いた。

    「…………やっぱりな…………俺よりいい男か?」


    わたしは、笑わずに言った。

    「そんなのいるわけないでしょ」


    誠さんが、頭をかいた。


    先に吹き出したのが、
    どっちだったか、わからなかった。

    二人で、声を出して笑った。


    わたしは寝室に向かった。


    後ろで、誠さんが言った。


    「…………おやすみ、直子」


    今日も、いつもの家だった。




    最後まで読んでくださって、
    本当にありがとうございます。
    ※本作はフィクションです。


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