
「大丈夫です」の奥にあるもの。
「大丈夫です」
社会福祉士として働いていると、この言葉をよく耳にする。
体調のことを尋ねたとき。
暮らしの困りごとについて話したとき。
これから先の不安に触れたとき。
多くの人が言う言葉がある。
「大丈夫です」
不思議な言葉だと思う。
本当に大丈夫なときもある。
でも、そうではないこともある。
少し困っている。
少し不安がある。
本当は誰かに話を聞いてほしい。
それでも人は、「大丈夫です」と言う。
その言葉を聞くたびに、私は子どもの頃のことを思い出す。
幼い頃、私は大人に頼ることが苦手だった。
家の中には、それぞれの事情があった。
子どもながらに、それを敏感に感じ取っていたのだと思う。
寂しいと言わない。
不安だと言わない。
困ったとも言わない。
「大丈夫」
と言っている方が楽だった。
その方が誰かを困らせずに済む気がしていた。
今思えば、本当に大丈夫だったわけではない。
ただ、そう振る舞うことに慣れていただけだった。
あの言葉の奥には、優しさがある。
迷惑をかけたくない。
心配をかけたくない。
負担になりたくない。
そんな気持ちだ。
誰かを大切に思うからこそ、自分の困りごとを後回しにする。
それは決して悪いことではない。
むしろ、その優しさに支えられている人もいるのだと思う。
でも、その優しさが、ときに人を孤独にしてしまう。
相談の場面で感じるのは、本当に困っている人ほど「助けて」と言わないことがあるということだ。
まだ大丈夫だから。
迷惑をかけたくないし、自分で何とかできるから。そう言いながら、少しずつ抱え込んでいく。
もちろん、それは弱さではない。
むしろ責任感や優しさから生まれていることの方が多い。
だから難しい。
その優しさが自分の逃げ道を塞いでしまう。
実は、
大人になった今でも、私は人に頼ることがあまり得意ではない。
誰かに相談した方がいいと頭では分かっていても、
「もう少し頑張れるんじゃないか」
「これくらい、自分ひとりで片付けなきゃ」
と、つい身構える癖がある。
頑張れるかどうかではなく、誰かと半分ずつ分け合った方が、ずっと心が軽くなるのに。
人はひとりで生きられない。
きっと、その通りなのだろう。
でも本当に苦しいのは、
ひとりでいることより、誰にも頼れないことなのかもしれない。
そして、
頼れない理由の多くは、その人の弱さではなく優しさなのだと思う。
迷惑をかけたくない。
その優しさは尊い。
けれど私は、
誰にも迷惑をかけずに生きることより、
誰かと支え合いながら生きることの方が、
ずっと人間らしいと思っている。
人はひとりで生きられない。
そんな当たり前のことを、私はたくさんの人との出会いから教わってきた。
だから私は、
人と人をつなぐこの仕事が好きだ。