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シマリスに導かれて、私は獣医になった

     私は物心がついた頃から大の動物好きだった。
     犬や猫はもちろん、動物園でしか会えない動物も大好きだった。
     そんな私の愛読書は動物の写真図鑑、好きなテレビ番組はムツゴロウ動物王国。
     おかげさまで、ムツゴロウ動物王国で飼育されていた動物の名前はほぼ完璧に覚えてしまっていた。とりわけ大好きだったイヌについては、小学校に入るころには全犬種名を暗記していた。
     親からは「将来はムツゴロウさんになるんじゃないか」とよく言われていた。それくらい動物が大好きだった。
     読み込まれてボロボロになってしまった動物図鑑は、大人になった今でも大切な宝物だ。
     しかし、私が生まれ育ったのは大都会。
     自然はほとんどなく、高層ビルが立ち並び、アスファルトで覆われた道路しかなかった。野生動物もせいぜいハトかスズメ、カラスしかおらず、実際に動物と触れ合う機会はほとんどなかった。
     それでも動物に対する想いは薄れることはなかった。
     見たことがない、触れたことがないにもかかわらず、動物に関する知識の増加に比例して本や画像ではない生きた動物への想いはどんどん育っていった。

     ある日、転機が訪れた。
     あれは中学生になったときのことだ。
     自分で世話をするのならば小動物を飼っても良いと母から許しを得たのだ。
     私は踊りだしそうなくらい嬉しかった。
     許しを得た私は、さっそくペットショップに行った。
     ハムスター、ウサギ、インコ、文鳥。どの動物もとても愛らしく、なかなか決められなかった。
     たいして広くもない店内をぐるぐると回っていたところ、一匹のシマリスベビーと出会った。
     この1匹のシマリスが私の人生に大きな影響を与えることを当時の私は知る由もなかった。
     
     シマリスベビーは小さな身体を丸めて眠っていた。
     その姿が、私には少し不安そうで頼りなげな印象だった。
     しかし、なぜか私の心を惹きつけた。
     かわいいだけじゃない。
     シマリスに選ばれたような気がした。
     さんざん悩み、迷った結果、私はそのシマリスベビーを家族としてお迎えすることにした。
     家族となったシマリスはミルクをたっぷり飲み、すくすく成長していった。
     元気いっぱいで人懐っこく甘えん坊な子だった。
     部屋んぽのとき、シマリスは私の肩にのぼってきて、一つに束ねていた私の髪にじゃれて遊ぶことがよくあった。
     そんな小さな家族が私は大好きだった。
     ずっと元気でいてほしい。
     願いはただそれだけだった。
     しかしある日、シマリスは餌を食べなくなりうずくまるようになった。
     飼い始めてから7年経ったころのことだった。
     心配して動物病院に相談するも、「申し訳ありませんが、シマリスは診られません。他の病院を当たってください」とことごとく断られてしまった。
     弱っていく小さな命を、どうにかして守りたかった。
     めげずに何軒もの動物病院にアタックした。
     ようやく引き受けてくれる病院がみつかり、私は安堵した。
     このとき、私の中である想いが大きくなっていた。
     ━もし、自分が獣医になったら診察してくれる病院が見つからず困っている飼い主さんの力になれるんじゃないだろうか?
     ぼんやりと浮かんだだけだったのに、日に日にその気持ちは大きくなっていった。
     いつしか、私は将来獣医さんになる!と公言するようになっていた。

     獣医になるという夢を持ったはいいが、当時の私の家庭は裕福ではなかった。
     獣医学部のある大学は少ない。
     6年制であるため、授業料もその分必要となる。
     さらに、偏差値はどの大学も60以上は必要だった。
     当時、私は農業高校に通っていたため、偏差値は把握していなかった。
     しかし、普通科高校の生徒が数学や英語、国語などを学んでいる時に私は農業の勉強をしていたのだから、大学受験に関しては準備ゼロといえるだろう。
     高校卒業してすぐに獣医学部へ進学することは、断念せざるを得なかった。

     だが、私はしぶとかった。
     お金がないなら稼いでためればいい。
     成績が足りないなら勉強してから目指せばいい。
     足りない偏差値はむしろ伸びしろじゃないか、とどこまでもポジティブ思考だった。
     私はこのマインドから、まずはお金を稼ぐことからはじめた。
     ただ働くだけじゃない。
     働きながら隙間時間で大学受験勉強を進めるのだ。
     まず、普通科高校の生徒が履修している科目を学ぶ必要がある。
     働きながらかつ支出を押さえたかった私は、進研ゼミ高校講座を受講することにした。
     思うように時間を捻出できなかったり、仕事から帰るとへとへとだったりと隙間時間での勉強は大変だったが、時間管理のスキルを身につけることができた。
     カメのような遅い歩みだったが、4年間かけて進研ゼミ高校講座を完遂した。
     このときの私の偏差値は50~52だった。
     まだ足りない。
     でも、きっとまだ伸びるはず。
     そう信じていた。
     貯金もある程度たまっていたため、働いてお金を増やすステージから成績を上げるステージへと移行させる決心をした。

     大学受験に必要なのは、受験科目をマスターすることであり、高校で学ぶ教科のすべてをマスターすることではない。
     短期間で受験科目をマスターするには、専門家の力が必要だと考えた私は予備校への入学を決意した。
     私が選んだ予備校は、入学試験があった。
     科目は英語、数学、国語。
     私は英語がとんでもなく苦手だった。
     基礎も怪しい。
     実際、予備校入学試験での英語の成績は惨憺たるものだったとチューターから聞いている。
     しかし、得意の数学で底上げできたため予備校の入学は許可された。
     
     予備校とはいえ、久しぶりの学生生活。
     難関大学を志願している同士とともに勉強する時間はとても楽しかった。
     授業は難しかったが、講師に質問すると丁寧に教えてもらえる。
     受験仲間と一緒に悩んで正解を探す時間もかけがえのない時間だった。
     仲間がいるだけで勉強はこんなにも楽しいのだと予備校生活が教えてくれた。
     そんな素晴らしい生活だったが、成績は思うように伸びなかった。
     模擬試験の志望校は獣医学部のある大学を書けるだけ書いて受験したが、結果はいつもE判定だった。
     この結果を母に伝える時、私は「良い(E)判定やったよ。Eやったらこれ以上落ちないし、伸びしろしかないやん」と言っていた。
     内心は焦っていても、いつも笑顔でいた。
     1年間予備校へ通った結果、成績が伸びて勉強方法もマスターできたが、獣医学部の合格通知は手に入らなかった。

     そして、次の手を考えた。
     予備校でテキストは手に入った。
     勉強方法も学んだ。
     しかし、予備校の勉強は新しい内容が多すぎて授業についていくことで精いっぱいだった。
     内容は説明を見れば、なるほどと思えるが、モノにはできていない。
     ここまで分析した私は、予備校の勉強を自分のモノにするための時間として、自宅での浪人生活を決意した。
     目指すは国立大学獣医学部。
     科目数はセンター試験が5教科7科目と多いが、重要なのはミスをしないこと。難問は解けなくてもいいが、標準的な問題と易しい問題は取りこぼさないことが合格のカギを握ると信じていた。
     勉強は短期決戦ではない。長期戦だ。
     自分をいかにコントロールして受験生活を乗り切るかが肝心だった。
     朝7時に起きて、8時には勉強を開始する。絶対に徹夜はしない。
     予備校の時間割表を参考に、自宅での時間割表を作った。科目が偏らないように計画した。週末の時間割は戦略的に空けておくことにした。空白の曜日は苦手科目を克服したり模擬試験の日として活用した。
     夏季や冬季は予備校の講習を利用して、自習室もフル活用した。
     模擬試験は自身が通っていた予備校のものだけをすべて受験し、他者との比較ではなく、前回の自分の成績と比較して受験までの勉強計画を再構築していった。
     自宅での浪人生活は、ひとりで淡々と進めなければならない。
     サボっても叱られないため、自分を律して勉強できるかが重要だった。
     幸い私は、やればやった分、成果は成績や偏差値といった形で出てくるため、勉強がRPGのようで楽しかった。
     講習へ行ったり、模擬試験を受けたりしていたことも良い刺激だった。
     こうした努力が功を奏したのか、模擬試験でC判定が取れるところまで成績を上げることができた。
     
     そして迎えたセンター試験当日。
     国語と数学で盛大にやらかしてしまった。
     国立大学を目指すなら、最低でもセンター試験で80%の正答率は必要だった。
     しかし、私は70%しか取れなかった。
     この年のセンター試験は難しかったのだ。
     国語が難しい年で、浪人仲間も口をそろえて「国語にやられた…」と言っていた。
     惨敗したセンター試験だったが、すべてに惨敗したわけではなかった。
     一年間頑張った結果として、化学の成績に現れていた。
     なんと、センター試験の化学で満点を取ったのだ。
     これには自分でも驚き、冬期講習の際に予備校でお世話になっていた化学講師にも報告したが、講師の方が私より驚いていた。
     
     センター試験は痛い結果となったが、私立大学の獣医学部の受験では黒星をとった。
     なんと、合格通知を手に入れることができたのだ。
     国立大学前期試験を受験するまで、たとえお金がかかったとしても私立に入学して一日でも早く獣医師になろうと思っていた。                  
     しかし、やはり授業料の壁は厚かった。
     1年間におよそ200万円の授業料が必要だった。
     奨学金制度はあるとはいえ、それだけでは授業料と生活費は賄えない。
     ぎりぎりの状態で進学して、万が一留年でもしたら…、と不安がぬぐいきれなかった。
     母は「せっかく受かったんだから行きなさい」と言って資金を援助してくれた。
     だが、私は心のどこかで「本当にこれでええの?無理して進学して、本当に後悔せん?」と疑問を抱いた。
     結論を出せたのは、国立大学前期試験を受験した後だった。
     私は、合格した私大の入学を辞退した。
     お金がないことと、学力が足りなかったことの悔しさからか、はたまた合格したときの母の喜びを踏みにじってしまったからか、涙が止まらなかった。
     お金がないことははじめから分かっていた。
     だから、これまでは私大は受験しなかったのだ。
     しかし浪人生活が長くなり、本当に獣医学部に合格できるか不安になった。
     その不安が生んだ弱さが今回の問題を引き起こしたのだ。
     もう獣医になる夢を諦めるべきか?
     悶々とした状態のまま、3月が終わった。

     桜が満開になったころ、ようやく再出発のために立ち上がった。
     獣医にはなりたいがお金はない。
     狙うのは国立大学一択。
     滑り止めの私大は受験しない。
     不合格なら潔く獣医を諦めて就職する。
     これらを母と約束し、もう1年だけ浪人生活を送ることになった。

     勉強についてはすでに手ごたえを感じていたため、これまで通りの方法を維持することにした。
     当時の学習時間は一日10~11時間だった。
     睡眠時間だけは削ったことがなく、生活リズムは一定に保っていた。
     ときどき、煮詰まってそうな時に母が「カラオケ行ってきたら?」とか「ケーキ食べたいからちょっとデパ地下行って買ってきて」とささやいてくれた。
     私は、ささやかれるといつもその甘い誘惑に負けた。
     だが、甘い誘惑に負けた後はおしりに火が付いたように集中して勉強に励むことができた。
     あの甘い誘惑は、私には必要だったのだと思う。
     そして、なぜかその誘惑を欲している状態を母が見抜いた。
     母の力は大きかった。

     この年は、大きな変化があった。
     これまで第一志望校にしていた国立大学から、他の国立大学へと志望先を変更した。
     理由は受験科目だった。
     当初志望していた大学は、国立大学前期試験で英語が必須だった。
     しかし、私は英語は苦手だった。
     どれくらいのレベルかというと、高校在学中は英検3級を3回も挑んだにもかかわらず、3回すべて不合格だった。そのまま英検の受験をやめてしまった。鎖国すればいいのに…とぼやいていたこともあるくらい壊滅的な状態だった。
     予備校へ通ったり在宅浪人した結果、センター試験ならば対応できるようになったが、国立大学の入試レベルには達せなかった。
     代わりに数学、生物、化学が得意だったため、前期試験は理科と数学のみで受験できる大学を志望することにしたのだった。
     この選択が功を奏し、ようやく模擬試験でA判定をとることができた。

     中だるみしそうになっていた夏のこと。
     母の勧めで、本命大学のオープンキャンパスへ行くことになった。
     自宅がある関西から1000キロ離れた雪国にある大学へ飛行機で向かった。
     高校生でにぎわっていて少々気後れしそうになりつつ、大学構内を見学した。
     きれいなキャンパスだった。
     小動物用と産業動物用の2種類の動物病院があったこと、さらに産業動物用動物病院の看板に「馬も診ます」と書かれていたことには驚いた。
     学食でから揚げマヨ丼を食べたときの、あの味が今でも記憶に残っている。

     オープンキャンパスに行ってから、私の中で迷いがなくなった。
     私、絶対にあの大学で獣医の勉強がしたい。
     勉強に対する熱意がますますヒートアップしたのだ。

     11月になり、受験の足音が聞こえ始めたある日、私は夢を見た。
     志望校の近所に引っ越しする夢だった。
     夢で見たのは、オープンキャンパスの時に見たあの景色そのものだった。
     妙にリアルで、起きたときには不思議な感覚に陥った。
     これが正夢だったらどんなに良いだろうと思った。

     浪人生活を始めてから、年末年始は予備校の自習室で過ごすことが定番になっていた。
     この年の正月もお決まりのように予備校の自習室に自席を確保し、勉強をしていた。
     ところが午後になってふと、初詣に行ってお守りを買ってこようかと思った。
     神様にすがりたかったのか、気分転換がしたかったのかは分からない。
     ただ、これまでは家族に代わりにお守りを買いに行ってもらっていたが、なぜかこの年だけは自分で買いに行きたくなったという気持ちの変化だった。
     最後の受験。
     その言葉が重くのしかかっていたのかもしれない。
     しかし、できることは全部やっておきたかった私は、勉強を早めに切り上て神社へお参りに行った。
     私は神道ではあるが、熱心な信者ではない。それでも、こういう時にはなぜか神頼みしたくなる。
     日本人のサガだろうか。
     お目当てのお守りを手に入れ、これできっとなんとかなると思い込むようにした。

     そうして迎えたセンター試験当日。
     例年のことながら、センター試験の日は大寒波がやってきた。
     珍しく、雪も降っていた。
     エナジードリンクでパワーをチャージし、お守りとまとめノートを握りしめ、試験会場に入った。
     受験生たちの緊張がぴりぴりと感じられた。
     (落ち着け。私は私。これまで毎日10時間以上勉強してきたんだ。今日は模試の延長だと思え。落ち着いてやれば絶対にできる)
     心の中で、繰り返しつぶやいた。
     試験問題が配布され、はじめは社会だった。
     私は現代社会を選択していたが、さして難問もなかったため、平常心で受験することができた。
     現代社会で自信を持った私は、続く国語、英語、英語リスニング試験をできたと確信できるレベルで解くことができた。
     1日目は問題もなく無事に終わった。
     スタートで躓かなかったことが救いだった。
     2日目は理科と数学。
     理科は生物と化学を選択していた。
     いずれも得意科目だったため、おそらく8割はあるだろうと余裕をもって受験できた。
     順風満帆のように思っていたセンター試験だった。
     数学を受験するまでは。

     あらかじめ言っておくが、私は数学は苦手ではない。
     むしろ好きな科目である。
     記述式に限っては得意とも言えるだろう。
     しかし、センター試験の数学は問題の誘導に乗れなければ回答することができない。
     結末しか合わなければ、点数が稼げないのだ。
     なぜか独特の解き方で解いてしまう悪癖が、ここで暴走してしまった。
     この年のセンター試験数学でも、私は誘導に乗ることができなかったのだ。
     時間ギリギリまであがいたが、結果は惨敗だった。
     数学1Aが7割、2Bに至っては5割に届かないという悲惨さだった。
     他の教科で底上げして、センター試験5教科7科目総合で8割ジャストという結果だった。
     8割だと合格できる可能性がないわけでないが、国立大学前期試験で高得点を出さなければならない。
     つまり、余裕のない状態で挑まなければならないのだ。
     河合塾、駿台予備校のバンザイシステムで確認したがいずれもC判定だった。
     本命大学に合格するには、前期試験で85%の正答率が求められる。
     できるのか?
     不安で不安で押しつぶされそうだった。 
     あきらめた方がいいのか…という考えが何度も頭をよぎった。
     だが、ここまでやってきたのだ。やらずに後悔したくない。不合格になったとしても、やるだけやったならば納得して諦めることができるだろう。私はそう開き直り、本命大学へ出願した。

     出願後から前期試験当日までは、旅券やホテルの予約など勉強以外にもしなければならなことが山ほどあった。
     雑務をひとつずつ片付けながら、勉強を進めていった。
     受験科目は化学と数学。
     志望校の過去問題から推測すると、試験問題の難易度は高くない。
     標準的な問題を正確に解けば合格点に届くはずだと、10年分の過去問題を分析していた私は信じていた。
     時間は限られている。
     だからこそ、私はこのタイミングで公式や基礎問題を徹底的にマスターすることにした。
     各教科1冊の問題集しか使わなかった。
     確実に解けるまで何度も繰り返した。
     そのうち、どこのページにどんな問題が載っていたか、覚えてしまっていた。
     この時期が、センター試験直前期以上に苦しかった。
     
     2月25日。
     国立大学前期試験当日。
     何度も繰り返し解いた問題集とお守りを手に、試験会場にいた。
     緊張すると思っていたが、案外緊張はしていなかった。
     あとは野となれ山となれ、とでも思っていたのかもしれない。
     試験開始の合図とともに問題を開いた。
     その瞬間、もらった!と私は心の中で叫んだ。
     数学の問題が、なんと私が繰り返し解いていた問題とよく似ていたのだ。
     おかげさまですらすら解ける。
     どれほど嬉しかったか!
     センター試験惨敗で自信喪失していたあの数学に救われたと思った。
     数学に手ごたえを感じ、化学でもまあまあの手ごたえを感じることができた。
     これは継続して勉強した成果と言えるだろう。
     しかし、合格にはあと一歩届かないだろうと胸中では悔しがっていた。

     受験後、新居を仮押さえするために大学にとどまっていた受験生たちをうらやましく思いながら、大学を後にした。
     (帰ったら仕事探しか…)
     本当に悔しかった。
     まっすぐ帰宅する気分にはなれなかったので、旅先のグルメを楽しんでから帰ってやる、と目的をすり替えた。
     行ってみたいとチェックしていたステーキハウスの予約を勝ち取り、ウキウキしながらお店へ行った。
     ステーキのコースを注文した。
     そこでは、シェフが目の前の鉄板で料理してくれるスタイルだった。
     「旅行ですか?」
     シェフに問われ、私は苦笑いしながら「今日、大学受験だったんです」と答えた。
     そして続けた。
     「でも、点数が足りなくて、きっと落ちちゃうんだろうなって思ってるんです。それなら、美味しいもの食べて心機一転、頑張っていこうって思ったからここに来たんです」
     シェフは受かってるといいですね、と励ましてくれた。
     他にもいろんなお話をして楽しませてくれた。
     そして、極上のステーキを提供してくれた。
     あの日食べたお肉の柔らかさ、ジューシーさは今でも鮮明に覚えている。

     苦い思いを胸に、飛行機の窓から遠ざかっていく雪原を眺めていた。
     1時間半のフライト。
     早く自宅に帰って家族の顔が見たかった私にとっては、ものすごく長い時間に感じられた。
     帰宅した私を母は労ってくれた。
     私は、ようやく重荷をおろすことができたような気がした。

     国立大学前期試験の後、私は気持ちを切り替えて就職に向けて再出発の準備を進めていた。
     不合格だろう、としか思っていなかったのだ。

     3月6日。
     国立大学前期試験の合格発表の日だった。
     これですべてが終わる。
     そう思っていた。
     不安に押しつぶされそうになりながら、受験票を片手にパソコンを開いた。
     遠方の大学を受験したにもかかわらず、インターネットで家にいながら合格発表が見られるとは便利な世の中である。
     合格発表のページを開いて番号を探した。
     獣医学部の合格者は23名。
     それに対して受験生は100名以上。
     狭き門である。
     私の受験番号は25番だった。
     期待はゼロではないが、ほとんどしていなかった。
     (13、18、…25!)
     受験番号があった!
     なんと、合格していたのだ。
     自分でも信じられず、母を呼び、もう一度一緒に確認した。
     (13、18、…25!!)
     見間違いではなかった。
     私は思わず母に抱き着いた。
     「受かった!!」
     うれし泣きしながらそう叫んだ。
     このときはまだ合格したという実感がわかなかったが、のちに入学手続き関連の書類が届き、徐々に現実味を増していった。

     長い浪人生活から思えば、あまりにもあっけない終焉だった。
     しかし、これは終わりではない。
     獣医になるための道のりはこれからだ。
     これから受験生時代よりももっと勉強しなければならないし、もっと大変なことや辛いことがあるだろう。
     それでも私は、これから訪れる新生活に胸を高鳴らせていた。
     やっとスタートを切ることができる。
     この浪人生活を乗り切ったことで確実に強くなっていた。
     そして、諦めないで努力し続ければ必ず結果はついてくると学んだ。
     獣医になりたいと思い始めてから、回り道し、何度もくじけそうになったが、いつも心の中にはあのシマリスがいた。
     シマリスは病に斃れたが、無事に治療してくれる獣医と出会うことができ、病気に負けず8年間の寿命をまっとうした。
     大往生だった。
     夢と希望を与えてくれた小さなシマリスは、私の恩人だった。
     いつもそばにいてくれたシマリスの写真を手に、「私、合格したよ。獣医になれる道が開けたんだ。これからもっと頑張るよ」と誓った。
     
     
     
     
     

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     

    ゆう

     
     
    元養護教諭の獣医師が綴る、命と心の保健室。 人も動物も幸せに暮らせる社会のために。専門知識をただ伝えるだけでなく、動物と生きる日々の喜びや葛藤を物語として書き残しています。見た目や流行にとらわれず、彼らの命の背景にある真実を、一緒に紐解いていきませんか。

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