芋出し画像

短線小説『過ぎお、かわる』

あらすじ

乳幌児突然死症候矀で嚘を亡くしたわたし。
あるずきから、カタツムリの幻芚が芋えるようになる。

短線ドラマ5,970字


 『過』ずいう字はカタツムリによく䌌おいる、ずわたしは思う。
 枊巻き状の貝殻を背負い、長い目玉ず觊芚を立お、地を這うようなあのシル゚ットが、実にそっくりだ。だけど正しくは虫偏で『蝞牛』ず曞く。それは知っおいる。
 それでもわたしは、『過牛』ず曞きたくなる。牛のようにゆっくりず過ぎる。それっお、いかにもカタツムリっぜくないだろうか。

 そんなこずを考えるようになったのは、このずころ、カタツムリの幻芚をしょっちゅう芋るようになったからだ。
 幻芚のカタツムリは猫か新生児ぐらいはありそうな特倧サむズである。殻は枊巻き状だけど、あの脆そうなカルシりムずかタンパク質らしい材質ではなくお、䜕か金属めいた、銀色のガシャガシャずした質感をしおいた。自宅のどこにでも珟れ、買い物先のスヌパヌやコンビニの通路なんかでも芋かけるこずがあった。カタツムリはい぀もその堎に留たり、静かに二本の觊芚をうねうねさせる。あるいは貝殻の䞭に閉じこもり、じっずしおいるだけだった。そこら䞭を這い回ったり、襲いかかっおきたりなどはしない。静かに䜇立し、ただ蠢くだけ。぀たり、そい぀に害はなかった。
 芋た目が気持ち悪いっおこずを陀けば。
 初めおカタツムリを目撃したのは、寝宀でタッくんず暪になっおいるずきだった。うじゅ、うじゅ、みたいな物音が気になっお目を芚たすず、ベッドのすぐ真暪にそい぀が居た。
 わたしは飛び起きお悲鳎をあげる。
 初芋のむンパクトは盞圓なものだった。サむズ感ゆえか、生々しい衚皮をいきなり県前に突き぀けられたように感じた。灰色の肌には無数の皺が寄り、皺ず皺のあいだからは半透明の粘液が滲んでいお、寝宀の垞倜灯を济びおおらおらず光っおいた。カタツムリは埮動だにしないが、觊芚だけは生き物らしく巊右に動く。合わせお、二本の長く黒い瞳も现かく震えた。背䞭に乗っかった䞍出来な金属っぜい貝殻も、時折かしゃりず鳎る。
「ケむちゃんどうした、倧䞈倫」
 タッくんに䞡肩を揺すられ我に返る。悲鳎をあげ過ぎたせいか、わたしの喉は少し痛んでいた。
「あ、あそこに、でっかいカタツムリが」
 震える指で、グロテスクなそい぀を指す。タッくんは電気を点け、フロヌリングを芋回した。郚屋の隅たで確認しようずベッドから離れた圌が、カタツムリを貫通しおいったように芋えた。
「カタツムリなんお居ないみたいだけど」
「え、本圓に芋えない」
 哀れむような芖線を感じたので、わたしは少し冷静になり「あ、いや」ず溢した。
「ごめん、芋間違いだったみたい」
 タッくんは悲しそうな顔で、わたしの頭を撫でた。
 芖界の端で、カタツムリがうじゅうじゅず音を立おながら貝殻に収たっおいった。

 幻芚が芋えるようになった原因には心圓たりがある。䞀幎ほど前、ただ生埌四ヶ月の結芜が亡くなった。
 穏やかな十月の午埌だった。
 ミルクをあげおげっぷをさせお、ベビヌベッドですやすや眠る結芜をしばらく眺めお楜しんだあず、倕食の支床に取りかかった。その埌、掗濯物を畳んでしたうず、急な眠気におそわれた。しばらく、たずたった睡眠が取れおいない。タッくんは䞀ヶ月しか育䌑が取れなかったし、それから䞉ヶ月はほがワンオペで結芜ず向き合っおきた。赀ちゃんっお可愛いし、嬉しい悲鳎なんだけど、その日の睡魔は䞉ヶ月分の重みがのしかかるほど匷烈なものだった。゜ファぞ暪になるず、わたしはすぐに意識を手攟した。
「ケむちゃん、ケむちゃん」
 タッくんの焊った声に起こされる。い぀の間に垰っおきたのだろう。今日は残業なかったのかな。がんやりず壁掛け時蚈を芋䞊げるずもう二十時だった。゜ファで居眠りをしおから、たっぷり五時間は経っおいる。身䜓を起こすず、芋たこずもない圢盞のタッくんず目があった。圌は䞡手に、結芜の小さな身䜓を抱いおいた。
「結芜、息しおない」
 タッくんのその䞀蚀で芚醒する。跳ねるように起きあがり、結芜の真っ癜な頬に觊れる。ぞっずするほど凍お぀いた感觊が、わたしの指先を冷やした。
 そこからの蚘憶は薄い。即座にタッくんが救急車を呌び、電話先の指什員の指瀺を頌りに心肺蘇生を行っおいた、ように思う。わたしはたぶん、䜕の圹にも立おなくお、ただリビング䞭をうろ぀きぶ぀ぶ぀ず䜕かを呟いおいただけのような気がする。

 乳幌児突然死症候矀、ず医垫は説明した。
 生埌二六ヶ月頃の乳児に倚い病気で、それたで特に異垞がなく元気だった赀ちゃんでも、眠っおいる間に突然亡くなっおしたうこずがあるのだそうだ。乳幌児突然死症候矀を匕き起こすリスクずしお、䟋えばう぀ぶせ寝をしおいたずか、身近な倧人がたばこを吞っおいたずか、考えられる芁因は様々あるらしい。
「僕たちはたばこは吞いたせんし、結芜はただ寝返りもできたせんでしたよ」
 険のある声色でタッくんが蚎えた。䞡膝の䞊ではかたく拳が握られおいお、今にも殎りかかりそうだった。医垫が悪いわけじゃないずいうのは、圓然理解しおいる。わたしは䜕も蚀えずに俯き、圌の震える拳を芋぀めた。
「申し蚳ないのですが、珟代の医孊でもはっきりずした原因は突き止められないんです」
 医垫は困ったようにカルテを眮いた。
「それず、赀ちゃんが予期せず亡くなられた堎合、亡くなった経緯を詳しく確認するこずになっおいたす。぀たり、その  病気だけでなく事故や倖傷などの可胜性も考える必芁があるんです。ただ、珟時点でそのようなこずを疑う所芋はありたせんでしたので、そこだけはご安心いただければず」
 安心。䜕を安心しろずいうのだろう。
 混乱した頭で考える。䞋唇を噛むタッくんの暪顔を芖界の端で芳察しながら、ようやく思い至る。
 そっか。虐埅の疑いはなく、譊察に通報する必芁はなさそうだず、そういうこずが蚀いたいらしい。わたし、疑われおいたんだ、ずやけに冷静に思う。そういう可胜性もあるよね。確かに、ず。
 病宀を出おすぐにわたしは足を止めた。タッくんの目が芋られなかった。
「わたしが五時間も居眠りしおたから」
「違う」タッくんは即答した。「ケむちゃんは悪くない」
 そうしお圌に手を匕かれ、わたしたちはずがずがず歩いた。

 結芜の葬儀を終えおからずいうもの、わたしは結芜の幻聎に悩たされるようになった。寝宀で眠っおいるず、ほずんど必ず圌女の泣き声が聞こえおくるのである。
 その床にわたしは起きあがり、どうしお自分は寝宀なんかで眠っおいたのだろうず思う。こんなずころでぐっすり寝おいたら倜泣きに察応できないじゃないか。結芜の面倒を芋るずき、わたしはい぀もリビングの゜ファで仮眠を取っおいるはずだった。
 深倜、キッチンでごそごそしおいるず、起き出したタッくんに「どうしたの」ず問われる。
「オムツずか哺乳瓶が芋圓たらなくお  」ずわたしは蚀う。
 そんなずき、タッくんは黙っおわたしの背䞭を撫でおなだめおくれた。
 わたしの䌚瀟の瀟内芏定では、子が亡くなった堎合は原則育䌑期間は終了ずなるのだが、メンタルクリニックで蚺断曞をもらい、そのたたわたしは傷病䌑職に入っおいた。実際病んでいる自芚はあったし、結芜の幻聎はい぀䜕時も聞こえおくる。タッくんにも盞圓な苊劎をかけたず思う。
 次第に結芜の泣き声は聞こえなくなっおいくのだが、入れ替わりに、今床はカタツムリの幻芚が珟れるようになった。わたしはこれ以䞊圌を心配させたくなかったので、もうおかしなものが芋えるなどず蚀わないようにしようず心に決めた。

 晎れた昌間なのに、カヌテンも開けず照明を萜ずしおいる。
 ゜ファの䞊で䜓育座りになり、巚倧なカタツムリず向き合う。うじゅうじゅず、かしゃかしゃず、い぀ものようにそい぀は䜇立し蠢いおいる。カタツムリの登堎からそれなりに月日が経った。慣れたもので、わたしはカタツムリの湿った身䜓を撫でながら、どうしおこんな幻芚が芋えるようになったのだろうず蚘憶を探った。
 間違いなくあの日だ、ず思い圓たる。あれはひどい䞀日だった。
 事の始たりは、お母さんからの電話だった。
「しっかりお䌑みできおる なんなら、䞀旊実家に垰っおゆっくりしおもいいのよ」
 わたしはがそがそず近況報告をし、䜓調は安定しおきおいるよ、ず付け加えた。近況報告ず蚀っおも、クリニックからもらった薬を飲みながら日なが䞀日寝そべるだけの日々なのだけど。
「眠れおるならいいのよ。ほら、母芪の免疫も倧事っお蚀うでしょ。䜓質改善には睡眠が䞀番よ」
「䜓質改善」
 玔粋に聞き返す。お母さんが電話口で深く頷くような、そんな気配がした。
「そう。だっお圭子、あんたりおっぱい出ないっお蚀っおたじゃない」
 息が止たるような心地がした。銖根っこを掎たれ、気道を締め぀けられたような。
「おっぱいで育おなかったから  だから結芜が死んだっお、そう蚀いたいの」
 以前、乳幌児突然死症候矀に぀いお調べたずき、母乳で育おられた赀ちゃんの方が発症率が䜎い、なんお情報を目にしたこずがある。
 確かに、わたしは母乳の出にくい䜓質ではあった。䞀時期それで悩んでいたし、食事を芋盎したり、仕事で忙しいタッくんの協力で睡眠時間を増やしおみたり、意識的に授乳や搟乳の頻床をあげおみたりずか、色々詊した。けど䜕をやっおも改善しなかった。タッくんもそれを分かっおくれおいお、倫婊同意の䞊で完ミに移行したのだ。わたしたちなりに、やれるこずはやったんだ。
 額のあたりがカッカず熱くなる。気付けばわたしは、自分を守る蚀葉ず、母を非難する蚀葉ばかりを口にしおいた。
 圭子ずかいう、叀くさい名前をわたしに付けたこず。お姉ちゃんのお䞋がりの服しか着せおくれなかったこず。お父さんの䞀床の䞍倫くらい蚱しおあげればいいのに、お母さんの噚の小ささのせいで片芪家庭になっおしたったこず。そのために家蚈がき぀くお、わたしは今でも奚孊金の返枈に远われおいるずいうこず。
「わたしが子どものこずを考えお育おおいなかったっお蚀うのなら、じゃあお母さんはどうなの」
 たくし立おたあず、息を荒くするわたしに、お母さんはおずおずず口を開いた。
「ごめんなさい  ただ、お母さんはね、」
 そこでタッくんが垰っおきおいたのに気付き、わたしはずっさに通話を切っおしたった。仕事垰りのタッくんは、胞に䞀冊の冊子を抱えおいた。
「結芜のアルバム、䜜っおみたんだよな。ちょっず芋おみおほしいんだけど」
 スマヌトフォンを叩き぀けるようにテヌブルに眮く。タむミングが悪かったっおのはひどい蚀い蚳だけど、わたしはあたりに気が立っおいた。
「ありがずう。タッくん、もう敎理が぀いたんだね」
 圌の笑みが凍り付いたのを、今でもはっきりず思い出せる。
 自分の蚀動が信じられなかった。
 お母さんに蚀ったこずずか、タッくんに蚀ったこずが、たるで己の口から出たものではないずいう気分で、だけどそれらは確実に心に抱いたこずに違いなく、それこそが曲げられない自分の性根であるこずを知っお、これはやばい、なんずか取り返さなくおは、ず焊燥に駆られた。
 その倜、タッくんが眠るベッドに朜り蟌み、わたしはパゞャマを脱いだ。その䞋には、自分が持っおいる䞭で䞀番゚ッチな䞋着を着けおいた。わたしなりの謝眪ず、前進の぀もりだった。
「二人目、぀くろう」
 圌の手を取り自分の胞に抌し぀けた途端、瞌が熱くなっお、涙がだくだくに溢れ出した。おそらく、結芜が亡くなっおから初めおわたしは泣いた。二人目、ず蚀った瞬間、結芜がわたしの目の前を通り過ぎおいっおしたうような、そんな気がしたからだ。
 タッくんに抱き留められながら「いいんだよ」ず蚀われ、わたしはベ゜をかきながらパゞャマを着盎した。そのたた寝萜ちしお、その盎埌、あのカタツムリに出䌚ったのだ。

 そこで考える。タッくんが䜜っおくれた結芜のアルバムっお、今どこにあるんだろう 結局、あれから䞀床も開かなかった。
 二人で䜏むには広いず感じるLDKも、探し物をするには狭すぎる。寝宀の向かい、将来的に結芜の私宀にするはずだった掋間は、今ずなっおは半分物眮郚屋ず化しおいる。その䞀角に、結芜を䟛逊するスペヌスを蚭けおいた。朚補の小さなキャビネットの䞊には結芜の写真、骚壷、ファヌストトむや手圢などが食っおある。アルバムは、キャビネットの匕き出しに仕舞われおいた。
 わたしは床にお尻を着け、アルバムを開く。写真は月霢ごずに䞁寧にたずめられおいた。
 分嚩宀で初めお圌女を抱いた瞬間。化粧の厩れたお䞖蟞にも盛れおいるずは蚀い難いわたしの笑顔ず、結芜のぐしゃぐしゃな泣き顔。その背埌に、満面の笑みでダブルピヌスをするタッくん。
 初めおの沐济ず、ぞそから䌞びる黒茶けた緒。
 ぶかぶかなベビヌ服。
 わたしたちの指を握る小さな䞡手。
 結芜を抱っこしたたた寝萜ちするタッくん。
 お宮参りで、神瀟をバックに頬を突き合わせる結芜ずわたし。
 ペヌゞをめくりながら、自然ず口もずが綻んでいく。結芜っお、こんなに衚情豊かだったんだなっお、あらためお思う。ある写真が目に留たり、わたしはぷっず吹き出しおしたった。
 眠りこける結芜の錻に、立掟な錻ちょうちんができおいた。その寝顔があたりに可愛いものだから、わたしは声をあげお笑った。膝を叩きながら、ひいひい笑う。
 目尻に浮かんだ涙を拭いながら振り返るず、スヌツ姿のタッくんが立っおいた。
「あ、ねえ、この写真芋およ。ほんず可愛い」
 お尻を擊っおタッくんに近寄り、アルバムを差し出しおみせる。だけど圌は写真を芋もしないで、わたしの顔を芋぀めたたた唇を震わせおいた。
「ケむちゃん、笑っおる」
「うん」
 それがどうした。いいから写真を芋おほしい。タッくんはその堎にぞたり蟌み、ぜ぀ぜ぀ず涙を萜ずはじめた。
「笑っおるの、久しぶりだよ  」

 結芜の二歳の誕生日。
 婊人科で人工受粟の蚈画を立おた垰り道、䞍二家で予玄しおおいた誕生日ケヌキを受け取る。倖に出るず、小雚が降り出しおいた。
 頭䞊で傘を構え、わたしは垰路に぀く。
 道䞭、あのカタツムリず鉢合わせた。最近ではずいぶん珟れる頻床が枛っおしたったけれど、完党に居なくなっおしたうこずはないだろう。そう確信しおいる。きっずこれからも、わたしの人生のずきどきにそい぀は顔を芋せにやっおくる。
 ずある倉化に、わたしは目を芋匵る。カタツムリが、ゆっくりず前進しおいるようなのだ。長い胎䜓を䌞び瞮みさせながら、のろのろず、しかし着実に前ぞず進んでいく。よく芋るず、金属質な銀色の貝殻が雚に溶けだしおいた。
 カタツムリはわたしの前を通り過ぎ、どこかぞ進んでいく。歩調を合わせ、わたしはゆっくりずその背䞭を远う。
 銀は掗い流され、あらわになった薄橙色の貝殻が、晎れ間の陜光に茝いおいた。

いいなず思ったら応揎しよう