
海から出た魚
創作することに憧れながら、創作らしいことをあまりしてこなかった人生だったけれど、そんな僕にも、おそらく人生で最も念を込めた創作というものが一つある。
2011年の春、僕は地方大学の美術部に入部した。アクティブな(=幽霊でない)部員は80人ほどで、作品をつくる人間もつくらない人間も擁する、懐の深い美術部だった。つくらない人間というのは、授業の空きコマや放課後になると部室にやってきて、マンガを読んだり、ボードゲームをしたり、だらだらおしゃべりしたりしている人のことだが、別に居心地の悪さを感じることもなく、基本的にはみんな仲良く過ごしていた。
そして僕は、つくらない側の部員だった。入部当初は、自分もこれを機に本格的に絵を描きはじめようと意気込んでいた。それまで美術部にこそ所属してこなかったけれど、小さい頃から絵を描くことは好きで、絵心も人よりあるほうだと思って生きてきた。しかし、周りを見回すとすでに自分とは比べものにならないほど絵の上手い人たちがたくさんいた。いつの間にやら部室にはイーゼルが立ち並び、同期の数人は先輩たちに混じって慣れた手つきで下書きを始めていた。当初の意気込みはポキリと折れてしまった。「つくっている人はかっこいいなあ」と羨望と劣等感を抱えたまま、最初の一歩が踏み出せないまま一年が過ぎていった。
それでも2年次になると、副部長を買って出た。もちろん部長はつくる人だったけれど、部の運営にはさまざまな雑務が伴う。その一端を担うことで、自分がここにいる意義をすこしでも確保しようとした。
2年次の夏、好きな人ができた。1年次として入部してきた、どこか儚げな印象の女の子だった。数人の部員で何度か遊びに行って、その夏の終わりに告白した。そして丁寧に断られた。けれど僕は諦めが悪かった。
その年のクリスマス、食事に誘った。自分でも行き慣れていない、ちょっと敷居の高いレストランだった。二度目の告白をした。返答は変わらなかった。帰り際、彼女は申し訳なさそうに教えてくれた。部長からも想いを寄せられていると。そして、その想いを受け取ろうと思うと。
帰りの電車の中で僕は――作品の構想を練りはじめていた。そのとき自分の内側に込み上げてきたものを、どこかに残さなければならないという焦燥感に駆り立てられていた。何かをつくらないわけにはいかなかった。
自分の内側を作品にするということは、自分のさまざまな面に向き合うということだった。自己否定、劣等感、憧れ、妬み、怒り、安堵、祈り……。
絵はいいなと思った。言葉にすれば矛盾しているような感情も、画面の上では一枚に表せる。そのときの心象と、それまで自分が見てきたさまざまなイメージを重ね合わせて、筆を、色を乗せていく。
タイトルは、映画の脚本で用いられるストーリーテリングの用語と、当時よく聴いていたチャットモンチーの曲のタイトルから、《海から出た魚》にした。

作品について言葉であれこれ補足するのは野暮なので説明は省くけれど、作品ができたことで、すこし救われた気がした。渦巻いていたさまざまな感情が昇華され、浄化された。それはいわば行き場のない魂を解放する弔いの儀式であり、作品は墓標だった。
作品はときに作者の分身だ。自分の体の一部をえぐり取って画面に塗りつけるようなものなので、相応の痛みは伴う。けれど、たとえ今日僕が死んだとしても、作品は残る。ここにいて、何かを感じたのだという証を、僕は物理世界に刻み込みたいのだった。自分という存在だけでは、あまりに頼りないから。なかったことになってしまいそうだから。
そして僕は――晴れて作品をつくる美術部員になった。