
エルドリア戦記ー地図師のペンー12
エピローグ:騒がしい朝
王都エルドリアに、ちゃんとした朝が来た。
夜は冷え込み、数人が風邪をひいた。酔っぱらい同士の小競り合いもあった。どこかで屋根が崩れ、誰かが文句を言った。それでも太陽は昇った。今度は、ちゃんと動いている。
市場通り。
「高ぇんだよ、このパン! 昨日まで永遠に減らなかったくせに!」ガレスが焼きたての丸パンを掲げて吠える。
「昨日は『昨日』がなかったんだろうが」パン屋の女将が笑いながら粉まみれの布巾を投げつける。
人が笑う。誰かが値切る。子供が走る。誰かが転び、泣く。母親が駆け寄る。——泣き声は、ちゃんと続いた。
王宮のバルコニー。リアナは羽ペンを持っていない。羊皮紙も広げていない。ただ、街を見下ろしている。肩には、小さくなったアッシュ。
「きゅぅ」
「今日は描かないの?」とでも言いたげに首を傾げる。リアナは首を振る。
「ううん。今日は、誰かが描く日」
そのとき、ふっと風が吹く。市場の喧騒をすり抜けて、王宮まで届く。花の香り。ここにはないはずの、遠い草原の匂い。
リアナは目を閉じる。白い視界の奥で、誰かが微笑んだ気がした。
「……見てる?」
返事はない。けれど、杭として世界のどこかに息づく青い光が、ほんの一瞬だけ瞬いた。
遠くでガレスの怒鳴り声がまた響く。「だから高ぇって言ってんだろ!」笑い声が重なる。喧騒が広がる。
未完成で、騒がしくて、面倒で、愛おしい世界。
リアナは小さく息を吐く。そして背を向ける。王都の地図は、もう彼女の手の中にはない。それぞれの足音が、それぞれの線を引いていく。
太陽は昇った。それが、少しだけ騒がしかった。
——了
Eldria Senki エルドリア戦記
著:揺木凪(揺木凪フェイクスター制作スタジオ)
創作大賞2026 ファンタジー小説部門 応募作品
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