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生き続ける意味はまだわからないけれど

    ある年の暮冬、父が首を吊って死んだ。

    家までやってきた警官から父の死を聞き、母は文字通り腰を抜かした。訳もわからないまま、私たちは車に乗せられ、警察署へ向かう。何も悪さをしていないのに警察の車に乗るなんて、なんか変なの、と思ったような気がする。

    霊安室に入ると、確かに父は死んでいた。目の前にあるのは父の遺体だった。私は悲しくなんてならなかった。むしろ、清々しい、しがらみから解き放たれたような爽やかな心地になった。

    酒ばかり飲み、キャバクラで散財して借金をこさえ、生活苦を強いられた挙句に、酷いモラハラ。こんな父と生活をともにするのが苦痛で仕方がなかった私にとって、父の死はむしろ福音だったのだ。ああ、死んでくれてよかった。これで穏やかに生きていける。
    それと同時に、自分ひとりだけ楽になった父を恨みもした。

    それなのに、どうしてかな。私はあの日に体の半分を置いてきてしまったらしい。父の死が嬉しいはずなのに、体はふわふわして食欲がなくなった。葬儀が終わって何年か経っても、自分が今どこにいるのか、なにをしているのかがよくわからないまま毎日が過ぎていく。
    仕事をしても、遊んでいても、今、どうして自分はこんなことをしているんだろう?と、私を観察している私がいる。
    半分の私がずっとあの日にとどまったまま。あの日の前と、あの日の後の自分とは、別の人間になってしまった。そして、もう二度と元に戻ることはないのだと、なんとなく気づいている。

    楽しい、とか、嬉しい、とか、よくわからなくなってしまった。
    確かに、一瞬喜びを感じることはある。けれど、それもすぐに過ぎ去って、風化し流れて行ってしまう。
    理由もなくずしん、とした苦痛が続いて、私の心はいつの間にか死への欲望に囚われていた。いつしか、首を絞められ続けているような苦しみから解放されたいと願うようになった。苦痛からの救済、後に訪れるシアワセ、すなわち死である。

    ここで言っておきたいのは、私の苦しみが理由のないものだということである。人間関係や、仕事を苦にしたものではない。もっと、自分の中の根原的な何かが、肉体からの解放を求めているのだ。
    体の中から湧き上がる強烈な衝動。
    狭い、苦しい、飛び出したい、早く、早く、今すぐに!!!

    死への欲望は刹那ではない。胸の奥底にあり、いつもマグマのように燻っている。幸い、と言ったら良いのか、意気地なし、と言ったら良いのか、まだ噴火したことはない。

    死への欲望以外にも、色々なことが重なり心療内科を受診するに至る。そこで、双極性障害と診断された。なるほど、今まで私にあった死の欲望は病気の症状だったのだろうか。
    父の自殺の影響か、症状が出ているのか、どちらなのかはわからない。多分、どっちもなんだと思う。どちらであれ、私の背中に死がべっとりと張り付いていることに変わりはない。

    世間では、死の欲望を持つことは『悪いこと』だとされている。自殺は防がなければならないことだと。

    死の欲望を持つ私からしたら、随分と自分勝手な押し付けだな、と思う。自分の死に時を自分で決めて何が悪いのだろう。
    死にたいのは病気の症状だとか、生きていれば良いことがあるとか、あなたが死んだら悲しむ人がいるだとか、色々なことを言う人がいる。それは死の欲望を持たない第三者が、持つ者たちをなんとか生きながらえさせようとする詭弁にすぎない。身体の奥底から湧き上がってくる衝動は、一度体感した者でないと理解ができないのだ。私の死への欲望は『本物』だ。紛い物なんかじゃないし、例えこの先に良いことが起ころうとも変わらないであろう。
    だって、たらふくご飯を食べてもお腹が空けばまた食欲が湧いてくる。死への欲望も同じで、いっとき弱まっても、また強くなって帰ってくるのだ。

    こんなにも望んでいるのに、痛みや失敗したときの後遺症への恐怖から死に踏み出せない自分は、中途半端で意気地なしだと感じてしまう。

    恵まれていることと、幸せはイコールではない。私の今の生活は、側から見ればきっと恵まれているものだ。父は自殺したけれど、母や妹とは仲が良く、夫は優しい。でも、自分の心からの望みは叶えられていない。
    家族と過ごして、表面上落ち着いたように感じても、気がつくとまた死=シアワセがこちらを見つめている。

    死というものは、どうして、どうしようもなく私を惹きつけてやまないのだろう。その先には何もなく、ただ焼かれて骨になるだけだというのに。私の存在は無になってしまうというのに。
    いや、もしかしたら、それが理由なのかもしれない。

    死というのは、きっと、すごく暖かく優しいものなんだ。

    『彼』はどんな人間でも包み込んでくれる。私が願っていれば、いや、願っていなかったとしても、必ず来てくれる。必ずこの苦しみから連れ出してくれる。それは、とてつもなく大きくて柔らかな温もりではないだろうか。
    だとすれば、私がその温もりに惹かれてしまうのも無理はない。先に述べたように、まさしく救済なのである。そう、死とはシアワセであり、救世主なのだ。それを求めて何が悪い。

    それなのに、それなのに……。
    私はまだ生きている。こんなにも死を欲しているのに。死の衝動が強くて強くてたまらないのに、生きたい理由が見つからないのに、なぜか真逆なことをしている。脳みその奥深く、中心が焼き切れそうだ。望んでやまないのに、死に飛び込まないのは、やはり恐怖からなのだろうか。それとも、私の心の奥底に、まだ生への執着があるのだろうか。

    今朝もまた、目が覚めて朝陽を浴びた。ああ、そうか。死だけではない。太陽もまた私を包み込んでくれるのか。ぼんやりとした頭で、そんなことを思う。

    ある年の暮冬、父が首を吊って死んだ。
    私は私の半分を、その日に置いてきてしまった。

    私もまた、父のように死に誘惑されている。死は、強烈に魅力的だ。それなのに、どうして私は生を選ぶのか。答えは出そうにもない。

    生き続ける意味はまだわからないけれど、きっと私には、また明日が訪れるのだろう。


    #創作大賞2026
    #エッセイ部門

     
     
    双極性障害II型当事者。30代女性。病気と向き合いながらの暮らし。ゴソゴソと色々なことを考えます。趣味はアロマ、ハーブ、中医学、小説を書くこと。倉木麻衣ちゃんが好きです。

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