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声を失った私が、もう一度マイクの前に立った2ヶ月


    1. プロローグ 咳をこらえて、マイクの前に立った

    咳は、一度出ると止まらない。

    だから私は、本番中だけは絶対に咳をしてはいけなかった。

    マイクの前で、喉の奥にある咳の出そうな気配を押し殺した。

    喉が痛い。
    咳が、今にも出そう。
    暑い。
    手のひらの汗が止まらない。

    それでも、本番は始まる。

    マイクの前に立つ。
    原稿を見る。
    息を吸う。

    ここで咳き込んだら、すべてが止まる。
    でも、止まるわけにはいかない。

    会場には、緊張した硬い空気が流れていた。
    数名だけの小さな会場の日もあれば、100名を超える人が集まる会場の日もあった。

    どの会場でも、私に求められていたのは、明るく場を盛り上げる声ではなかった。
    そのイベントにふさわしい、厳かな雰囲気の声だった。

    軽すぎず、重すぎず。
    目立ちすぎず、でも確実に場を進める声。

    私は、手汗で湿った手でマイクを握った。

    「大丈夫」

    自分に言い聞かせるように、最初の一言を出した。

    かつて私は、声の仕事をしていた。
    そして、声が出なくなった。

    もう無理かもしれないと思って、そっと離れた仕事だった。

    その私が、2ヶ月だけ、もう一度「声」を使う場所に戻ってきた。

    これは、声を失った私が、もう一度マイクの前に立った2ヶ月の話だ。

    2. かつて私は、声の仕事をしていた

    自分ではない何かになりたかった。

    だから、声優になりたかった。

    「良い声だね」と言われるのが嬉しかった。
    自分の声を褒められると、自分の存在を少しだけ肯定してもらえたような気がした。

    小さい頃に憧れていたアニメの世界。
    そこに、思い描いていたような形でたくさん出られたわけではない。

    それでも、声を使う仕事は色々やった。

    MC。
    舞台。
    ラジオCM。
    実況。
    歌。
    ナレーション。

    声で何かを届けることは、私にとって仕事であり、夢であり、自分の居場所でもあった。

    マイクの前に立つこと。
    人前で話すこと。
    台本を読み、空気を読み、声で場を進めること。

    緊張はした。
    うまくいかなくて落ち込む日もあった。
    それでも私は、声の仕事が好きだった。

    声は、私の武器だった。

    自分にはこれがある。
    そう思えるものだった。

    だからこそ、それが機能しなくなった時の怖さは、今でもはっきり覚えている。

    3. 仕事中だけ、声が出なくなった

    声が出ない。

    普通に話そうとしているのに、喉が締まる。
    首を絞められている中で、必死に声を押し出しているような感じだった。

    「今日は調子が悪いだけ」

    最初はそう思っていた。

    でも、その「今日」が続いた。

    日常会話はできる。
    家で話すこともできる。
    何でもない時には、声が出る。

    けれど、仕事になると出なくなる。
    マイクの前に立つと、喉が固まる。
    必要な時に、必要な声が出ない。

    病院にも行った。
    検査の結果、声帯に異常はないと言われた。

    その時、私は少し安心した。
    声帯そのものが壊れているわけではない。
    それは確かに、よかった。

    でも同時に、別の絶望もあった。

    声帯に異常がない。
    それなのに、声が出ない。

    だったら、もうどうしたらいいのだろう。

    原因は「ストレス」だと判断された。

    心当たりはあった。

    小さい子どもを育てながらのワンオペ。
    職場の人間関係。
    休めない仕事への緊張。
    ちゃんとやらなければ、という圧。

    思い当たることは、たくさんあった。

    けれど、原因がわかったからといって、すぐに楽になるわけではなかった。

    次第に、クライアントや責任者、同業の人からも指摘が入るようになった。

    中でも一番つらかったのは、責任者の人に呼び出された時だった。

    声の管理について言われた。
    基礎訓練をした方がいいと勧められた。

    今なら、その人は仕事として必要なことを言ったのだとわかる。
    声を使う仕事なのだから、声が不安定なら指摘されるのは当然だ。

    それでも、その場にいる間、私はずっと苦しかった。

    声の業界は、当然のことながら、声が出なければ仕事にならない。
    当日の代わりは、簡単にはいない。
    だから私は、体調管理にはかなり気を遣っていた。

    それでも出ない。
    気をつけても出ない。
    努力しても、どうにもならない。

    そのうえで「声の管理」や「基礎訓練」と言われると、自分の努力も経験も、全部足りなかったと言われているように感じた。

    何年も声の仕事をしてきたのに。
    自分なりに積み重ねてきたのに。
    それでも基礎ができていないのだとしたら、私はもうこの仕事に向いていないのかもしれない。

    そう思った。

    声が出ないことそのものも怖かった。
    でもそれ以上に、自分が大事にしてきたものを、静かに否定されたように感じたことがつらかった。

    声は、私の武器だった。
    その武器が、仕事の場でだけ使えなくなる。

    足元が崩れていくようだった。

    「もう無理かもしれない」

    そう思った。

    私は、そっと声の仕事から離れた。

    辞めます、と大きく宣言したわけではない。
    夢を諦めます、と誰かに言ったわけでもない。

    ただ、少しずつ距離を取った。
    マイクの前に立たない自分を選んだ。

    それは、前向きな卒業ではなかった。
    やりきったから終わったのでもなかった。

    できなかった。
    続けられなかった。
    その感覚だけが、心の奥に残った。

    4. 声ではない道で、私は自分を立て直した

    ストレスとは何だろう。

    声が出なくなったことをきっかけに、私はメンタルヘルスに興味を持つようになった。

    心と身体はつながっている。
    それはよく聞く言葉だったけれど、自分の身に起きて初めて、その重さを知った。

    瞑想がいいと聞いて、マインドフルネス瞑想を学んだ。
    今の自分の状態に気づくこと。
    感情を押し込めず、ただ見つめること。
    呼吸に戻ること。

    最初からうまくできたわけではない。
    でも、何とか現状を変えたかった。

    その後、レイキを受けた。
    それが、私にとって大きな転機になった。

    それまで意識してこなかった感覚が開いたように感じた。
    自分の中にある疲れや傷、言葉にならない違和感に、少しずつ気づくようになった。

    そこから、アカシックリーディングやヒーリングも学んだ。

    スピリチュアルという言葉にすると、少し特別なもののように聞こえるかもしれない。
    けれど私にとってそれは、不思議な世界に逃げることではなかった。

    声が出なくなった自分を、もう一度理解し直すための道だった。
    見えないもののせいにするためではなく、見えていなかった自分の内側を見つめるための道だった。

    声の仕事から離れても、人の役に立つ道を探してきた。

    誰かの話を聞く。
    言葉にならない思いを受け取る。
    少しでも、その人が自分の人生に戻っていけるように関わる。

    そういうことをしていると、私はここにいていいのだと、再確認できる気がした。

    声の仕事をしていなくても、私にはできることがある。
    そう思える時間が増えていった。

    それでも、心の奥にはずっと残っていた。

    声の仕事をやりきれなかった私。
    不本意な形で離れてしまった私。
    本当は、もう一度確かめたかった私。

    私はもう、本当に声の仕事ができないのだろうか。

    その問いは、はっきりした言葉にならないまま、長い間、私の中にあった。

    5. 2ヶ月だけ、もう一度「声」を使うことになった

    その仕事を見つけたのは、本当に偶然だった。

    企業の繁忙期に伴う、2ヶ月限定のMCの仕事。

    見た瞬間、胸がドクンと鳴った。

    もし、また声を使った仕事ができたとしたら。

    そう思った。
    でも、すぐに別の声も聞こえた。

    また声が出なくなったらどうしよう。
    途中で体調を崩したらどうしよう。
    ちゃんと務まらなかったらどうしよう。

    しかも、平日5日のフルタイム。
    フリーランス歴20年の私にとって、それは未知の領域だった。

    毎朝決まった時間に起きる。
    通勤する。
    一日働く。
    帰って家のことをする。
    それを週5日続ける。

    声の不安だけではない。
    生活そのものが大きく変わる。

    きちんとこなすことができるだろうか。

    やってみたい気持ちと、無理だよという気持ち。
    その両方が、胸の中で何度もぶつかった。

    でも私は、「やってみよう」と決めた。

    睡眠と食事と、運動。
    ストレッチでもいいから身体を整えること。
    それをちゃんとしていれば、2ヶ月ならなんとかなるかもしれない。

    無理をしない。
    でも逃げない。

    そう決めた。

    そうして私は、人生初の平日フルタイムの仕事に飛び込んだ。

    初めての原稿読みの日。

    緊張していた。
    けれど、不思議と頭は冷静だった。

    あ、今の滑舌が少し甘かったな。
    今の間は、少し詰まったかもしれない。
    あまりうまくいかなかったかも。

    そう思った。

    けれど、現場の人は「良かったですよ」と言ってくれた。

    拍子抜けした。
    そして、少し泣きそうになった。

    私が信じられなかった私の声を、他の人は普通に受け取ってくれた。

    声が出る。
    仕事として成立する。
    誰かに届く。

    その事実が、静かに胸に入ってきた。

    私はもう、「絶対に声の仕事ができない人」ではないのかもしれない。

    そう思えた最初の瞬間だった。

    6. 現場は、夢のリハビリにしては過酷だった

    とはいえ、現場は「夢のリハビリ」と呼ぶには過酷だった。

    初めてのフルタイム勤務で、最初に大変だと感じたのは満員電車だった。

    満員電車に乗ったことがないわけではない。
    でも、毎日の通勤は確実に消耗した。

    スマートウォッチから、心拍の異常な上昇を知らせる通知が何度も来た。

    混んでいる車内でも、器用にスマホを持ってコンテンツを楽しんでいる人がたくさんいた。
    私は、それにも驚いた。

    私にはそんな余裕がなかった。
    立っているだけで精一杯だった。

    世の中の会社員の人たちはすごい。
    それが、最初の一週間の率直な感想だった。

    担当した会場は、毎回同じではなかった。

    数名の参加者だけの小さな会場もあった。
    100名を超える大きな会場もあった。

    人数が少なければ楽というわけではない。
    少人数だからこそ、一人ひとりの視線や空気が近く感じられることもあった。

    大きな会場には、大きな会場の緊張感があった。
    広い空間に声を届けるためには、ただ大きな声を出せばいいわけではない。
    落ち着いて、聞き取りやすく、場にふさわしい声を置いていく必要があった。

    どの会場にも、始まる前の硬い空気があった。

    参加者も、現場の人たちも、どこか緊張している。
    その空気の中で、私はイベントに合う厳かな声を出した。

    軽すぎてもいけない。
    重くなりすぎてもいけない。
    私の声が、その場の空気を乱さず、でも確実に進行を支えるものであるように意識した。

    昔、声の仕事をしていた時は、緊張すると手が冷たくなっていた。
    夏でもカイロを持っていた時期がある。

    けれど今回は、手汗が止まらなかった。

    マイクを握る前も、終わった後も、ずっとタオルを握りしめていた。
    手のひらだけが、自分の緊張を正直に知らせていた。

    一日2本の司会。
    残業がある日もあった。

    残業をした日は、帰ってからが本当に慌ただしかった。
    家のこともある。
    翌日の準備もある。
    体調を崩さないためには、睡眠時間を確保しなければならない。

    ハードな毎日をパフォーマンス高く乗り切るには、睡眠が必須だった。
    私は、なるべく7時間眠ることを目標にしていた。

    朝は4時30分起床。

    起きるたびに、自分に言い聞かせた。

    今日も大丈夫。
    今日も行ける。

    人間関係には恵まれていた。
    そう言いたいところだけれど、色々な人が集まる職場だから、もちろん色々あった。

    私と誰か、というより、誰かと誰かの諍いや不和を目撃することが何度もあった。

    相手によって態度を変える人もいる。
    場の空気が、少しだけ硬くなる瞬間もある。

    だからこそ、私は考えるようになった。

    相手にどんな態度でいてほしいのか。
    その前に、自分はどんな態度でいたいのか。

    感じよくいること。
    必要以上に巻き込まれないこと。
    目の前の仕事に集中すること。

    それは、自分を守るためでもあり、現場を守るためでもあった。

    良かったのは、みんな仕事に一生懸命取り組んでいたことだ。

    適当に時間を過ごせばいい。
    最低限でいい。
    そういう姿勢の人はいなかったように思う。

    みんな最善を目指していた。
    だからこそ、運用のズレが起こる。
    熱量があるから、ぶつかることもある。

    その中で私は、自分の役割を淡々と果たそうとした。

    ただ、問題はそれだけではなかった。

    季節外れの風邪が流行っていた。
    咳をしている人が、至る所で増えていた。

    声を使う仕事中は、マスクができない。
    気をつけてはいた。
    けれど、私は咳喘息になってしまった。

    咳は、一回出ると続けて出る。
    だから司会中は、一度たりとも咳をしてはならない。

    喉の奥に、咳の気配がある。
    その小さな違和感を押し殺すように、ひたすら水を飲んだ。

    1時間で500mlのペットボトルを飲み干す勢いだった。
    話している時以外は、ずっと飲んでいた。

    話している最中に、咳の発作が起きたらどうしよう。
    そんな不安を抱えながら、それでもマイクの前に立った。

    でも、私は「大丈夫」と言い聞かせた。
    そして、大丈夫なんだという姿勢で臨んだ。

    一週間以上、咳は続いた。
    けれど、司会をしている最中に咳き込むことなく終えることができた。

    それは、私にとって大きなことだった。

    ただでさえ、現場を回すには気を遣う。
    それに加えて、自分の体調にも気を張り続けなければならない。

    かなり消耗した。

    それでも、私は毎回マイクの前に立った。
    そして、毎回、最後まで声を届けた。

    7. 「来てくれてよかった」と言われた日

    現場には、少し気難しい社員の人がいた。

    挨拶はする。
    けれど、いまいち打ち解けた感じがしない。

    少し距離のある人だなと思っていた。

    その人も、咳が止まらなくてつらそうな日があった。
    イベントの前、私はそっと龍角散ダイレクトを渡した。

    「もしかしたら、少し楽になるかもしれないです」

    それくらいの気持ちだった。

    するとイベント終了後、その人がわざわざ来てくれた。

    「助かりました。ありがとうございました」

    その一言が嬉しかった。

    仕事の評価とはまた違う。
    何かが少しだけ通じたような気がした。

    別の日、ある先輩社員さんに、話の流れで一冊の本を紹介した。

    すると、その人はすぐに注文してくれたらしい。
    後日、こんなことを言ってくれた。

    「この本に出会うために、あなたが今回職場に来てくれたのかもと思った」

    私は、ただ仕事をしに来たと思っていた。

    でも、仕事だけではないつながりが、そこに生まれることもあるのかもしれない。
    そう思うと、胸の奥があたたかくなった。

    また別の社員さんには、こう言われた。

    「あなたが来てくれなかったら、この繁忙期は乗り切ることができなかった。来てくれて本当に良かった」

    その言葉を、私は素直に受け取った。

    昔の私は、褒められても信じきれなかったかもしれない。
    自分の中にある不安の方を、強く握りしめていたかもしれない。

    けれど今回は、ちゃんと嬉しかった。

    来てよかった。
    やってよかった。
    あの時、応募してよかった。

    そう思った。

    声を使って仕事をすること。
    その場に必要とされること。
    自分が役に立てたと感じること。

    それは、かつて私が欲しかったものでもあった。

    そして同時に、今の私だから受け取れたものでもあった。

    8. 私は何を取り戻し、何に戻らなかったのか

    この2ヶ月で、私はあの時の自分を迎えに行った。

    声が出なくなって、仕事を離れた私。
    不本意な形で、夢の途中から降りた私。
    「もう無理かもしれない」と思った私。

    その私に、もう一度会いに行った。

    全く同じ場所に戻ったわけではない。
    昔と同じ仕事を、同じ気持ちで再開したわけでもない。

    私はもう、昔の私ではなかった。

    声だけで自分の価値を証明しようとしていた頃とは違う。
    うまくできるかどうかだけで、自分を判断しようとしていた頃とも違う。

    声が出ること。
    仕事ができること。
    評価されること。

    それは、もちろん嬉しかった。

    でも私は、昔と同じ場所に戻りたいわけではなかった。

    声の仕事に戻れた。
    けれど、声の仕事だけに戻ったわけではない。

    この2ヶ月で取り戻したのは、「私はまたできるかもしれない」という感覚だった。

    一度離れたものに、もう一度触れていい。
    怖かった場所に、もう一度立っていい。
    完全に克服できていなくても、震えながらでも、戻ってみていい。

    それを、身体で知った。

    私はもう、声の仕事ができない人ではなかった。

    でも、昔の夢にそのまま戻る必要もなかった。

    この先、また同じように声の仕事をたまにしてみてもいい。
    毎日でなくてもいい。
    一生の仕事として背負い直さなくてもいい。

    できる時に、できる形で、声を使っていけばいい。

    そう思えるようになったことが、私を自由にした。

    そしてそれは、今の私がしている仕事にもつながっていく。

    スピリチュアルセッションの中で、声を使うこと。
    その人に合った誘導瞑想を届けること。
    言葉と声で、誰かが自分の内側に戻っていく時間をつくること。

    かつて失ったと思っていた声は、昔と同じ場所に戻るためだけのものではなかった。
    今の私の仕事の中で、新しい形で生かしていくこともできる。

    そう気づいた時、声の仕事を離れた過去も、少し違って見えた。

    何もかも無駄ではなかった。
    止まった時間も、遠回りした時間も、今の私につながっていた。

    9. エピローグ 不本意に止まった夢は、終わった夢とは限らない

    私はかつて、声を失った。
    そして、声の仕事を諦めた。

    少なくとも、自分ではそう思っていた。

    あの時は、それしかできなかった。
    離れることでしか、自分を守れなかった。

    でも、あの時諦めたと思っていたものは、終わったのではなかったのかもしれない。

    私が壊れないように、少し離れた場所で待っていてくれただけなのかもしれない。

    夢や仕事は、いつもきれいに終わるわけではない。

    納得して手放せるものばかりではない。
    実力不足だったのか、体調のせいだったのか、環境のせいだったのか、自分でもわからないまま止まってしまうことがある。

    もう無理だと思う。
    向いていなかったのだと思う。
    あれは終わったことだと、自分に言い聞かせる。

    そうしないと、前に進めない時もある。

    でも、不本意に止まった夢は、終わった夢とは限らない。

    時間が経ってから、もう一度触れてみてもいい。
    昔と同じ形でなくてもいい。
    期間限定でもいい。
    仕事としてでなくてもいい。
    誰かに証明するためでなくてもいい。

    ただ、自分の中に置き去りにしたものを、もう一度確かめに行ってもいい。

    私は2ヶ月だけ、声の仕事に戻った。

    咳をこらえて、手汗を拭きながら、マイクの前に立った。
    数名の前でも、100名を超える会場でも、緊張した空気の中で声を出した。
    怖かった。
    辛かった。
    何度も緊張した。

    それでも、最後までやった。

    そして私は知った。

    一度止まった場所にも、もう一度立てる。
    一度失ったと思ったものにも、もう一度触れられる。

    夢は、続けるか諦めるかの二択だけではない。

    離れる時期があってもいい。
    形を変えてもいい。
    短い期間だけ戻ってもいい。
    戻ったうえで、また別の道を選んでもいい。

    あの2ヶ月は、私にとって復帰ではなく、再会だった。

    声の仕事との再会。
    かつての夢との再会。
    そして、できなかった自分を責め続けていた私自身との再会だった。

    私はもう、あの頃の私を置き去りにしなくていい。

    不本意に止まった夢にも、もう一度触れていい。

    それを知るために、私はもう一度、マイクの前に立ったのだ。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    心が軽くなると、現実も軽くなる🌙 声も自信も失った元ナレーターが立て直した実録。迷い・自己否定・決められない気持ちを自分軸に戻す、整え方の言葉とすぐできるワークを発信。ヒーリング×アカシックで活動中。2児の母。読むと気持ちが整理されて、今日の一歩が軽くなる🕊️ゲームと手帳が好き📖

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