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隣の席のゆるふわ女子は仕事ができない。13

    13. ゆるゆると、ただよいながら

    13-1

    「この後、私の家に来ませんか? いや……来てください。泊まりで」
    「えっ……?」

     山本さんの言葉に、ついついびっくりしてしまう。いや、確かにわたしも、山本さんをお持ち帰りできたらいいなあと思っていたのだけれど。

     ……いや、この場合はわたしがお持ち帰りされる側なのか。

     でも、そんなの、どっちでもいい。

    「……行きます」

     わたしの手を包む山本さんの手を、さらに強くぎゅっと握りしめた。

     *

     山本さんの家に行くのは、なんだかんだ、これが三回目だ。

     一度目は酔っ払っていて記憶があやふやで、二回目のときは体調不良の山本さんのお見舞いだったから、今日みたいにお互いにしっかりした状態で、一緒に部屋に入るのは初めてだった。

     だからというわけじゃないけど、決して変なことを期待しているわけじゃないけど、いや、ちょっとだけは期待してしまっているけど、だから、その。

     ……やっぱり、無駄にドキドキしてしまう。

     せっかくだから、山本さんの家でゆっくり夕食を食べようということになって、途中でスーパーに寄って食材を買った。

     何を食べるか迷ったけど、とりあえずワインとチーズは外せないよね、っていうのは、もうお互いの共通認識だ。初めて二人で一緒に飲んだ時もそうだったな、と思うと、なんだか不思議な気持ちだった。

     家に着くと、山本さんは早速キッチンで支度を始める。

    「円城寺さん、もしよかったら、先にお風呂でも入っちゃってください。私、準備しておくので」

     改めてそう言われると変に意識してしまうけど。

    「……前みたいに、お酒飲んで寝落ちしちゃうと面倒なので、先に入っちゃったほうがいいでしょう?」

     そんなことを言われてしまった。

     ……そっか、これからお泊まりだもんね。

    「じゃあ、お借りしますね」

     そう言ってお風呂を借りることにした。

     お風呂から上がる頃には、キッチンからはすでにいい匂いがしていて、ついついテンションが上がってしまう。

    「わああ、美味しそう」

     山本さんがかき混ぜている鍋の中をそうっと覗くと、さっき買った塊のお肉が煮込まれていた。今日のメイン、牛ヒレ肉の赤ワイン煮込み。

     山本さんも普段はこんなの作らないって言ってたけど、一緒にお鍋に入れた野菜たちがすごくいい香りを出していて、なんだかプロっぽいなって思ってしまった。

    「じゃあ、今度は私がお風呂入ってくるんで、あとはよろしくお願いします。……あ、火加減は弱火のままで、ときどき混ぜるようにして、焦がさないでくださいね?」
    「え? あ、はい!」

     気づけばとっても重要な役割を任されてしまっている気がするけど、まあいいや。

     こっそり冷蔵庫の中を覗いてみると、さっき準備したらしい付け合わせの野菜料理なんかも冷やされていた。……あっ、ボウルの中にマッシュポテトまである!

     まるで実家に帰ったみたいに、充実したご馳走のラインナップだった。

     言われた通りにときどき煮込みのお鍋をかき混ぜていたら、山本さんもお風呂から上がったので、一旦火を止めてワインで乾杯することにした。

     なんでも、煮込みは一旦冷やしたほうが美味しくなるということだったから、いい感じになるまで軽く飲んでいようということなのだった。

    「乾杯!」
    「かんぱーい! お疲れ様です~」

     こういうとき、ついお疲れ様って言っちゃうのは社会人あるあるだよね。

    「さて、お疲れの円城寺さんに、見せたいものがあるんだけど……」

     乾杯するやいなや、山本さんはそんなことを言う。

    「じゃーん!」

     キッチンの奥から山本さんが見せてきたのは、なんと。

     生ハムの、原木だった。

    「ちょ、ちょっと、なんですかそれ! 反則ですよ!」
    「ふふふ、円城寺さんが食べると思って、買っちゃいました」
    「えええ~~~」

     なに、この、嬉しすぎる展開。

     きゃあきゃあ言いながら、ナイフで生ハムをちょっとずつ削ぎ落として、ワインと一緒にいただく。塩気と旨みがほんとうにバランスよくて、ひと口食べただけでもう、ニコニコしてしまう。

     でも、そんなことよりもなにより、山本さんがわたしのことを思って準備してくれたということが、何よりも嬉しくてたまらないのだった。


    13-2

    「あの、円城寺さん。……宴もたけなわのところ、なんなんですけど」
    「あ、はい」

     ご機嫌で飲んでいると、山本さんはそんな会社の飲み会のようなノリで話し出す。

    「ちょっと、酔っ払う前に、お話ししたいことがありまして」

     山本さんは少し頬を赤らめてそう言うけど。それがお酒のせいなのか、なんのせいなのか、わからなかった。だけど、見れば山本さんのワインはほとんど減っていなくて。

     だからこのお話のために、セーブしてくれていたんだなってことがわかった。

     山本さんは、真面目な顔でわたしのほうを見つめてきた。

     だから、わたしも。

     山本さんの目を、まっすぐに見つめ返す。

    「円城寺さん……その、この間の、お話、なんですけど」

     ひとつひとつ、ぽつり、ぽつりと、話し出す。

    「私を、好きだと言ってくれたお話は、まだ、有効ですか……?」

     山本さんの目は、こころなしか、潤んでいて。

    「……はい」

     だから、わたしの視界も、ついつられて、ぼやけてしまう。

    「円城寺さん。私も……円城寺さんのことが好きです。好きに、なっちゃいました」

     すごく苦しそうに、しぼりだすようにそう言う。

    「円城寺さん……私の恋人になってくれませんか?」

     愛しくて、たまらなくて。だから、わたしは、はっきりと答える。

    「はい。喜んで!」

     その先の言葉なんて、もう、蛇足だった。

     *

    「……円城寺さん」
    「はい」

     山本さんがもぞもぞ、と動く。

    「いい加減、苦しいです」

     わたしの腕の中で。

    「……そろそろ、離してください」
    「いやです。あとちょっとだけ」
    「……もう」

     山本さんはため息をつきながら、わたしを身体をむりやり引き剥がす。
     告白のお返事に感極まってしまったわたしは、ついその流れで山本さんに抱きついてしまっていたのだった。

    「このままじゃ……できないでしょ」

     え、何が。とか、思っていると、すべすべの柔らかい手が、頬に触れる。

    「キス、してもいいですか」

     はい、って。言う前に。

     ちょん、と、蝶が止まったかのように優しく、わたしの頬に触れるものがあった。

    「えっ……」

     どうしよう、すごく、恥ずかしいんだけど。

    「……こっちじゃ、ないんですか」

     今度はわたしが、山本さんの頬に触れて。

     ふわふわの唇に、口づけた。

     顔が、すごく熱くて。

     山本さんの顔も真っ赤で。

     ワインとチーズのまりあーじゅ、みたいに。

     頭の中は、とろけてしまいそうで。

     だからもう、これ以上この夜に、お酒はいらないのだった。


    13-3

     目が覚めるとそこは、知らない天井……なんかではなくて、いつものよく知っている天井だった。
     だけどよく知っている、でもこの家ではまだ聞き慣れない声が、耳元でささやいてくる。

    「おはようございます、朝ですよ」

     驚いてそちらを見れば、円城寺がいた。
     いつものぱっちりおめめに、くるんとしたカールの髪。お化粧もばっちりで。

    「朝ごはん、できてますよ」
    「え、朝ごはん……?」
    「えへへ……勝手に作っちゃいました」

     飛び起きてリビングに向かうと、しっかり和風の朝ご飯が用意されている。

    「山本さん、勝手にごはん派かと思ったんですけど、合ってました?」
    「うん。私はどっちでもいい派……」

     寝ぼけながらそんなやりとりをする。
     なんだこれは、まるで夢みたいだと思っていると、隙あり、と、頬にキスされた。

    「ちょ、円城寺さんっ」
    「ふふふふ」

     円城寺は完全に楽しんでいる。

    「ねえ、山本さん」

     円城寺はわたしの目を見て、言う。

    「わたしのこと、名前で呼んでみない?」

     子犬のような愛くるしい瞳で。

    「え、ちょっと円城寺さん……それは……まだ……」
    「莉乃、って呼んでくださいね? 明美さん?」
    「……っっ……!」

     ああ、もう、顔が熱くてたまらない。

    「わたしはもう、明美さん専属、ですからね?」

     円城寺がそう言って、にっこり笑うものだから。

     私は耳元で、ささやく。お望みの言葉を。

     そして驚いて真っ赤に染まった顔をつかまえて。

     その唇に、そっと触れてやる。

     すると円城寺は、ふにゃふにゃとその場に座り込んでしまった。

     ……本当にまったく、仕方ない、この女は。

     子犬のような目をした、つい昨日、私の恋人に就任したばかりの、この女は。

     この可愛いゆるふわ女子は、まだまだちっとも、仕事ができないのだった。



    #創作大賞2026
    #お仕事小説部門

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