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Photo byhana_cokoro

繊細さは弱さなのか

    人より気にしすぎる子どもだった

    小さい頃から、私は人の言葉や空気を気にしすぎる子どもでした。

    相手の表情が少し曇っただけで「今の言い方まずかったかな」と考えたり、何気ない一言をずっと頭の中で繰り返してしまったりすることがよくありました。

    友達と話していても、「変なこと言ってないかな」「周りと同じようにできてるかな」と考えてしまい、楽しいはずの時間なのにどこか緊張しているような感覚がありました。

    そのため、家に帰るとどっと疲れていることも多く、「ただ普通に過ごしているだけなのに、なんでこんなに疲れるんだろう」と思っていました。

    また家の中にいても、会社から帰ってきて機嫌の悪い父の様子をうかがっていることがありました。

    今思うと、それも無意識のうちに空気を読み続けていた時間だったのかもしれません。

    当時はそれが自分にとっての普通だったので深く気にしていませんでしたが、振り返るとすでにこの頃から「人よりも多く気を使ってしまう性質」があったのだと思います。

    「気にしすぎ」と言われ続けてきた

    成長していく中で、その性格は周りから少しずつ目立つようになっていきました。

    何かを深く考えて行動したり、慎重に言葉を選んだりすると、「気にしすぎだよ」「もっと適当に考えればいいのに」と言われることが増えました。

    自分では普通に考えているつもりでも、周りから見ると「必要以上に考えている人」に見えていたのだと思います。

    その言葉を聞くたびに、「自分の感じ方は間違っているのかな」と思うようになりました。

    本当は少し気になっていることがあっても、「気にしすぎだと思われたくない」という気持ちが先に立って、言えなくなることも増えました。

    そうやって少しずつ、自分の感覚に自信が持てなくなっていったように思います。

    繊細さを欠点だと思っていた頃

    その頃の私は、「繊細であること」は直した方がいいことだと思っていました。

    もっと気にしない性格だったら楽なのに。
    もっと適当に受け流せる人だったら生きやすいのに。

    そんなふうに考えることがよくありました。

    特に不登校になってからは、その気持ちがさらに強くなりました。

    「自分が気にしすぎだから学校に行けないのではないか」
    「もっと楽に考えられたら、こんなふうにはならなかったのではないか」

    そんなふうに、自分の性格そのものを原因として考えてしまうこともありました。

    周りと比べるほど、「自分はうまくやれない側の人間なんだ」と思ってしまい、繊細さは自分の欠点だと強く感じていた時期でした。

    自分を責めることが減るまで

    少しずつ時間が経つ中で、考え方にも変化が出てきました。

    繊細さは「悪いもの」というより、それ自体が自分らしさの一部なのだと思うようになりました。

    人の表情の変化に気づいたり、場の空気を読みすぎて疲れてしまったりすることは確かにしんどい部分もあります。

    でもその一方で、誰かのちょっとした変化に気づけたり、細かい違和感を感じ取れたりすることもあります。

    そして私は、自分の物事への感じ方や見え方を、誰かに伝えたり形にしたりしたいと思うようになり、noteや創作活動をするようになりました。

    繊細さは「弱さ」というより、見方によって短所にも長所にもなり得るものだと思います。

    というより、そういうふうに捉え直していくしかないのかもしれません。

    結局のところ、生まれ持った性質そのものを完全に変えることはできないからです。

    だからこそ私は、自分の繊細さを通して、人に優しくしたり、誰かの痛みに気づけたりする自分でありたいと思うようになりました。

    その中で、以前のように「欠点だから直さなければいけないもの」とは思わなくなっていきました。

    もちろん、生きづらさを感じる瞬間は今でもありますし、苦しくなることもあります。

    それでも、自分のこの性質にも意味や価値があるのだと思いたいです。

    今はまだ、その繊細さとの距離感をうまく探している途中です。

     
     
    不登校歴6年、通信制高校2年生のユリです。 これまでの経験や、その中で気づいたこと・考えたことを記録として書いています。

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