9/19(到着まで)
リカコさんに誘われ、福島県(被災地)をリサーチすることになった。七月から話は聞いていたのだが、実際に話が進んだのは9/16頃。それまでは仮の予定で土日を空けていた。リカコさんはどこかの国から帰ってきたばかりだった。福島のリサーチを終えたらまた海外だ。彼女は現在、パートナーとのこれからのことも考えて、海外移住に向けて様々なことを模索している。海外でパートナーと共に暮らすための権利の取得、またパートナーシップのあり方を巡っても。どれも私にはある意味、手の届かない問題だった。それは例えば、私が”散歩”をテーマとして自分の足を使って自分の出せる範囲の資金(と周りからの大きな協力)によって活動を続けてきたことと、リカコさんが車を運転してリサーチし、世界を飛び回りながら現在活動していることにもどことなく表れているなと思う。
よく、車の免許を取らないのか、と質問されることもあるのだが、元々学生時代に免許を取らないことや成人式に出席せずに着物をレンタルしないことなどで大きなお金の出費をしないように努めていたり(散歩会自体も、活動を始めた当初から大きなお金が無くても作り続けられる様に設計した。それは資本主義へのささやかな抵抗でもあるし、自分自身が創作を長く続けたかったからだ)、その記憶は徐々に薄れてきたものの、車には実家を出るまでの苦しい記憶が父・母の運転共に付き物で、怪我はなくとも事故に数回遭遇したり、中・高校生時代から自律神経を病んでしまい、自分の判断力や体力では免許を取っても事故を起こしてしまうのではないかという不安が長らくあった。強烈な眠気や頭痛、疲労感、他にも様々な不調があってとにかく体調が悪かった。(ここ四年間はホルモンを調整する薬を飲むことで、恐らく一般的な人と同じくらいまで体力が回復してきている)散歩を続けることで、日に当たりながら運動を定期的にすることに繋がり、物理的にも自分の体調が良くなり、今に至る。
都市一極集中というものは大きな問題だが、田舎に暮らすには車が必要な様に、散歩会のリサーチもまた都市では行いやすくても、交通手段に車を要する場所では難易度が格段に上がる。そのため、福島(会津若松市に2019年・2020年に行ったことはあるのだが)に自分一人で行く機会は震災の後十五年経って初めてのこととなった。
前の電車が窓ガラスが破損したとかで、到着が遅れたものの、無いと思っていた運転見合わせがあり(インターネットの情報だと通常通り運航で、次の電車は二時間後だったので車内で絶望していた。)無事、殆ど予定通りの到着時刻だった。
本題に入るまでが長くなってしまっているのだが、もう一つ、列車に乗っている時、身なりは綺麗な同年代と思わしき隣の男性客がずっと鼻をほじったり指を噛んだりしていて(休むことなく)、トイレに立つタイミングが一緒だったのだが、そこでも彼は手を洗っていない様にも見え(かつ私の席の手すりに掴まって着席)、数時間の間中それが視界に入るのは気持ちの良いものではなく、列車の遅延に加えてストレスを感じる出来事であった。彼に限らず、公共交通機関にも関わらず家の中でする様な身振りをする若い人はどことなく増えている様な気がする。斜め後ろの乗客も隣に女性が座るまで、靴を脱いで大きく自分の席をはみ出しながら足を組んでいたし…。
小高駅でリカコさんと無事会うことができた。改札は無人だったため、帰りに精算することになった。大きな額なのに…とリカコさんが驚いていた。彼女はアイスを食べている。私もみかん入りのアイスクレープを購入した。到着直後からお腹が空いていたし、町には津波で流されて自販機が無いと聞いていたので、コンビニもあまり無さそうだと思ったからだ。店員さんが冷凍のままの方が美味しいと言っていた。駅には自販機があったため、他にも何か無いかと見たのだが食べたいものが見つからなかった。大きな鏡のある駅舎だった。リカコさんはハンバーガーショップで腹ごしらえをしたと言い、ナッツのシェイクはお気に入りだと言う。

駅には、チェスのポーンの様な石が並んでいた。
最初は、群青小高を目指す。所在地がわからなかったのだが、アオスバシという場所が検索で引っかかったため、そこへ向かう。駐車場のある駅からすぐの建物で、土産物が並ぶ奥に作業スペースがあり、利用者もいる。過去のレジデンスアーティストの冊子をリカコさんがめくっている。そういえば知り合いの田中さんも数年前にここにレジデンスしていた、と話していると噂をすれば影。田中さんが表れた。ここ、福島なのに、凄い偶然。こういうミラクルがリサーチ中に度々起こる。リカコさんと田中さんが話している内に、私は紫色の石のビーズ指輪を買った。土産物を買う時間が無さそうだったから序盤に買った。田中さんの前に、トーストセットが運ばれてきた。その辺りで私達は二階のシェアオフィス、3Dプリンターのあるアトリエ跡を見て次の場所を目指した。田中さんの話によると、群青小高は今は拠点を持たず、散り散りに活動しているということだった。「植民地主義からは解放されている状況ということなんだね」と私は呟いた。リカコさんに、ケアセンターの構想の一つのイメージの根底に、ソンタグの「他者の苦痛へのまなざし」の中に、土地を所有するという生活の営みに必要なことさえも争いを生むという様な意味の一節があることを話したばかりだった。
