
藻ですから
――ゆらゆらと揺れ、ただ見ているだけの人生について
私は藻である。
名前は、まだない。
というより、名前を必要としたことがない。
川底の石にくっついて、日が差せば少し明るくなり、水が濁れば少し暗くなる。流れが強い日は体を横に倒し、流れが弱い日はまっすぐに伸びる。といっても、伸びているのか、ただ流されているのか、自分でもよく分からない。
けれど、それでよかった。
藻ですから。
私の一日は、人間から見れば何も起きていないに等しい。
朝、川面に光が落ちる。
水がきらきらと揺れる。
小さな魚が、私の間をすり抜けていく。
砂が少し舞う。
遠くで子どもの声がする。
午後になると水温が上がり、夕方にはまた少し冷える。
私はそれらを、ただ見ている。
正確には、目はない。
耳もない。
考えるための脳もない。
それでも、分かることはある。
水の流れが変わったこと。
季節が少しずつ進んでいること。
昨日より日差しが柔らかいこと。
誰かが川辺にしゃがみ込んで、長い時間、何かを考えていたこと。
人間はよく動く。
朝から急いで橋を渡り、昼には電話をしながら歩き、夕方には疲れた顔で戻ってくる。ときどき川をのぞき込む人もいるが、たいていは私たちのことを見ていない。
見えていたとしても、ただの緑色のかたまりだと思っている。
それでいい。
私も人間のことを、全部分かっているわけではない。
ただ、忙しそうだな、と思う。
ある春の日、ひとりの男が川辺に座った。
仕事帰りなのか、鞄を横に置き、しばらく何もせず水面を見ていた。スマートフォンを取り出しては戻し、また取り出しては戻す。何かをしなければならないのに、何もする気になれない。そんなふうに見えた。
男は小さくため息をついた。
「何やってるんやろな」
その声は、水に落ち、細かく砕けて、私のところまで届いた。
私は揺れていた。
励ますことも、慰めることもできない。
ましてや、人生の助言などできない。
ただ、揺れていた。
男はしばらくして、ふっと笑った。
「藻みたいに生きられたら楽なんかな」
私は少しだけ、流れに逆らわず身を倒した。
楽かどうかは分からない。
藻にも藻なりの事情はある。
強い雨が降れば、根元から剥がされる仲間もいる。
日が当たりすぎれば乾き、濁りが続けば弱る。
誰かに踏まれることもあるし、気づかれないまま削られていくこともある。
ただ、私たちは急がない。
昨日より少し伸びる。
流れに合わせて揺れる。
来たものを受け、去るものを追わない。
それを悟りと呼ぶなら、ずいぶん静かな悟りだと思う。
怠惰と呼ぶなら、それでも構わない。
藻ですから。
夏になると、水は重くなる。
太陽は容赦なく川面を照らし、人間たちは日陰を探す。子どもたちは裸足で浅瀬に入り、私たちの上を踏んでいく。ぬるり、と足を滑らせて笑う子もいれば、気持ち悪いと言って飛びのく子もいる。
気持ち悪い。
その言葉には、もう慣れている。
人間は、自分と違う速度で生きているものを不気味に感じるのかもしれない。速すぎるものを恐れ、遅すぎるものを嫌う。虫も、苔も、藻も、沈黙しているものはだいたい誤解される。
けれど私は、人間の足裏の温度も知っている。
冷たい水に入ってきたばかりの足。
遊び疲れて重くなった足。
親に呼ばれて名残惜しそうに岸へ戻る足。
誰も私に謝らない。
誰も私に礼を言わない。
それでいい。
私はそこにいるために、そこにいる。
秋になると、水が澄んでくる。
川底の石の輪郭がはっきりして、私たちの緑も少し落ち着いた色になる。落ち葉が流れてきて、私の体に引っかかることがある。しばらく一緒に揺れて、やがてまた流れていく。
私は、去っていくものを引き止めない。
引き止める力がないから、というのもある。
でも、それだけではない気がする。
ここにいると、すべてのものが通り過ぎるのだと分かる。
晴れの日も。
雨の日も。
怒った声も。
泣き声も。
笑い声も。
誰かの決心も。
誰かの諦めも。
水に触れたものは、少し形を変えて流れていく。
それを毎日見ていると、ひとつひとつに大騒ぎしなくてもいいのではないか、と思えてくる。
もちろん、これは藻の考えである。
人間には人間の暮らしがある。
家賃があり、仕事があり、約束があり、将来がある。
誰かを大切に思えば、そのぶん不安も増えるのだろう。
私は誰かと結婚しない。
給料もない。
通帳もない。
休日の予定もない。
だから人間の悩みに対して、偉そうなことは言えない。
ただ、ひとつだけ言えるとすれば。
ずっと揺れていても、生きてはいける。
まっすぐ立っていなくてもいい。
何かを成し遂げていなくてもいい。
ただ周りを見て、季節の変化に気づき、流れの強い日は身を任せ、弱い日は少し伸びる。
そういう時間も、人生の中にあっていい。
冬の川は静かだ。
水は冷たく、光は低い。私の体もあまり伸びない。魚たちの動きも鈍くなり、人間たちも川辺に長居しなくなる。
あの春の男は、それから何度か川辺に来た。
来るたびに表情が違った。
疲れている日もあれば、少し晴れやかな日もあった。誰かと電話をしている日もあったし、ただ黙って弁当を食べている日もあった。
ある日、男は川を見ながら言った。
「まあ、今日はこれでええか」
私は揺れていた。
それは、諦めの言葉にも聞こえたし、許しの言葉にも聞こえた。
今日を完璧にできなかった。
でも、今日を終えてもいい。
そんな響きだった。
人間は、毎日を何かに変えようとする。
成果に。
成長に。
思い出に。
意味に。
けれど、何にも変わらない日があってもいいのではないか。
ただ過ぎた日。
ただ揺れていた日。
ただ周りを見ていただけの日。
そういう日が積もって、気づけば川底の石に薄く緑が広がっている。
誰も見ていなくても、そこに静かな時間の層ができている。
私の人生に、大きな事件はない。
旅にも出ない。
夢を叶えたりもしない。
何者かになろうともしない。
それでも、私はここで生きている。
朝の光を受け、昼の流れに揺れ、夕方の影に沈む。
魚を見送り、落ち葉を見送り、人間のため息を見送る。
何かを変えることはできない。
けれど、見ていることはできる。
見ているだけで、分かることがある。
見ているだけで、少しやさしくなれることがある。
見ているだけで、通り過ぎていくものを責めずに済むことがある。
だから今日も、私は揺れている。
川の流れに合わせて。
風の気配に合わせて。
誰かの忙しさから、少しだけ離れた場所で。
ゆらゆらと。
ゆらゆらと。
急がず、逆らわず、しかし消えてしまうわけでもなく。
藻ですから。