
鬼滅の刃から学ぶ、グローバルビジネス・サバイバル英語学習法 〜なぜ私たちは傷つきながらも、英語という無限城で戦い続けるのか〜
「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ 堪らなく愛おしく、尊いのだ。」
この言葉を、あなたはただのアニメのセリフとして聞き流していないだろうか。もしあなたが、これからのビジネスという戦場で、本当に英語を使えるようになりたいと切望しているのなら、覚えておいて欲しい。
あなたはただのビジネスパーソンではない。英語という強大な敵に立ち向かう鬼殺隊の一員なのだと。
過酷な修行に耐え、血を吐くような努力を重ね、いつかあなたは柱になっている。私が長年温めてきた「英語学習と鬼滅の刃の共通点」、そしてビジネスの最前線で非ネイティブが生き残るための生存戦略を、とうとう公開する時が訪れた。
まずは、私自身の背景から始めよう。
私は現在47歳、日本生まれの日本育ちである。留学経験など一切ない。海外生活の経験もないし、帰国子女でもない。大学では理系を選び、英語とは無縁の生活を送っていた。
しかし、30代も半ばに差し掛かった頃、キャリアを変えたいという焦燥感に駆られ、本気でゼロから英語の学習を始めた。
大人になってからの学習の進みはゆっくりだった。それでも歩みを止めず、40歳で英検一級を取得した。さらにその7年後である47歳の今年、IELTSで7.0というスコアを手にすることが出来た。
英語を実際の仕事で使ってみたかった私は、転職したことがある。当時のTOEICスコアは780点。転職エージェントからの「留学でもされていたんですか?」というリップサービスに喜んだことを覚えている。結果、グローバル企業の日本支社勤務を達成することができた。
しかし、そこで私を待っていたのは、厳しい現実だった。

絶望の会議室
グローバル企業の日本支社。私の想像では、そこは世界を相手に流暢な英語でバチバチに渡り合う日本人エリートたちがゴロゴロしている場所だと思っていた。
しかし、現場に入ってすぐに気づいた。そんな部署であっても、本当に実用レベルで英語を使える人は、ほんの一握りしかいなかったのである。オンライン英会話などで日常会話の練習はしていても、ビジネスの現場で通用するレベルには到底達していない人が大半だった。
そこで何が起きていたか。ある日、グローバルチームとの重要な案件を決める会議でのことだ。画面の向こうから、矢継ぎ早に投げかけられるネイティブスピーカーたちの英語。それは重大な決断を迫る質問だった。しかし、こちらの日本人上層部は、その内容を正確に理解できていないにもかかわらず、質問を返すことが恥ずかしいという理由だけで、適当に相槌を打ってしまったのだ。
「Yes.」
「That sounds great.」
その結果、何が起きたか。 翌年に課せられる売上目標が上乗せされ、さらには絶対にあってはならない人員削減の受け入れまでもが、グローバル側の認識として決定事項になってしまったのだ。
鬼舞辻無惨=ネイティブスピーカー説
私はこの絶望的な状況を観察するうちに、ある明確なメタファーに行き着いた。私の目には、ネイティブスピーカーたちが鬼舞辻無惨に見えるのだ。
なぜか。鬼舞辻無惨は、どれだけ戦っても疲れを知らない。そして、どれだけ斬られても瞬時に肉体を再生させる異常な回復能力を持っている。
これはまさに、ネイティブスピーカーが持つ引き出しの多さと無尽蔵の言語的スタミナに完全に重なる。彼らにとって、英語は母国語である。そもそも外国語を話しているという感覚すら存在しない。だからこそ、5〜6時間ぶっ通しで話し続けても全く疲労を感じないのが当たり前なのだ。
一方で、我々日本人のような非ネイティブの英語学習者はどうだろうか。 私たちこそが、まさに煉獄さんをはじめとする柱であり、鬼殺隊の隊士たちなのだ。人間である私たちは、鬼舞のように傷が瞬時に塞がることはないし、もげた首が即座に生え変わるような能力なんて持っていない。圧倒的な肉体的・脳科学的な限界が存在するのだ。

それぞれの柱たちに、「壱ノ型」「弐ノ型」といった型が存在するように、私たち非ネイティブにも、実戦で使える英語表現の型は存在する。
例を一つ挙げよう。意見を求められたとき、私たちがとっさに繰り出せる型は、せいぜいこの程度ではないだろうか。
壱ノ型:“I think…”
弐ノ型:“In my opinion…”
参ノ型:“I believe…”
肆ノ型:“The way I see it is…”
これらは確かに有効な型だが、事前に必死に覚え、体に染み込ませておかなければ、いざという戦場でとっさに出すことはできない。そして、私たちの「呼吸法=言い回しの数」は、ネイティブに比べて圧倒的に少ないのことを忘れてはいけない。
さらに残酷なのは、非ネイティブが英語を話す・聞くという行為は、尋常ではない精神的スタミナを消費するということだ。
思い出してほしい。TOEICの試験を受けたことがある人なら分かるだろう。午前中いっぱい、たかだか2〜3時間程度の英語の試験を受けただけで、脳髄を絞り取られたようなあの凄まじい疲労感を。
我々はあの疲労感を抱えながら、疲れを知らず無限に再生を繰り返す鬼舞辻無惨を相手にしなければならないのだ。非常に不利な戦いである。
結果として何が起こるか。非ネイティブが必死に柱として立ち向かっても、同じ型を繰り返しているうちに、会話の流れがだんだんと、圧倒的な語彙力とスタミナを持つ鬼舞辻無惨側に押し込まれ、持っていかれてしまうのだ。
これが、日本各地で行われているビジネス会議という名の戦場で繰り返されている惨劇の現実である。
Web会議=上弦との闘い
もう少し解像度を上げてみよう。私たちが戦うグローバルチームといっても、当然ながらアメリカ人だけではない。グローバル本社の中には、ヨーロッパ、南米、アフリカ、アジアなど、世界中から集まった多種多様な背景を持つ社員たちが存在する。彼らはそれぞれの訛りや独自の価値観を武器に、米国本社を舞台に戦っている。しかし彼らの英語力は鬼舞辻には劣る。非常に流暢な英語を喋るが、ネイティブではない。差し詰め、上限の鬼レベルといったところだ。
私が過去に目にし、そして今でも目撃するのは、日本の優秀な社員たちが、これらグローバル本社の社員たち(上弦の鬼たち)と、ZoomやTeamsというWeb会議システムの中で死闘を繰り広げる姿だ。
日本の社員たちは非常に優秀で、意識も高く、目標も高く掲げている。だからこそ、彼らは柱稽古編のように、毎日必死に英語の勉強をしているのだ。通勤電車の中で単語帳を開き、帰宅後もオンライン英会話で牙を研いでいる。
その努力の甲斐あって、会議が始まって最初の10分間は、なんとか冷静に対応し、見事に太刀打ちできる。しかし、魔の10分を過ぎたあたりから異変が起きる。限界が来るのだ。 徐々に表現の型が尽きてきて、脳のスタミナが切れ始める。するとどうなるか。
“That’s a good point.”
“I can't agree more.”
“Thank you for your feedback.”
気がつけば、この数パターンのセリフを繰り返すだけのマシーンと化していく。勢いが目に見えて落ちていくのだ。そして徐々に、上弦の鬼たちに会議の主導権を完全に握られてしまう。
このような防戦一方の状態に陥った会議が、果たして我々の望むような結果で終わるはずがあるだろうか。説明するまでもなく、不幸な結末を迎える。

中でも、最もリスクが高く、キャリアに大ダメージを与える可能性があるのが、ビジネスプランのレビュー会議である。アメリカ、ヨーロッパ、南米、アフリカ、アジアの代表たちが画面に並ぶ中でのプレゼンテーション。そこでの受け答えやディスカッションのパフォーマンスは、極めてシビアに評価される。語学のハンデなど考慮されない。その英語での受け答え一つで、「あいつは使えない」と烙印を押され、その社員のキャリアが完全に閉ざされてしまうことは、この世界では本当に起こり得るのだ。
私は、この会議という無限城で退場していった人を何人も見てきた。最も衝撃的で、今でも忘れない出来事がある。 当時、私の上司だった優秀な女性リーダーの話だ。私が主要なチームメンバーとたまたま海外出張に出ていたその期間に、グローバルのチームが日本支社を訪問してきた。彼女は私不在の中、たった一人でグローバルチームとの重要な会議に臨まなければならなかった。
後から聞いた話だが、そこでの彼女の受け答えがグローバル側の逆鱗に触れ、会議は大炎上したらしい。グローバルチームはそのまま日本支社の社長に訴え、彼女は、そのわずか2ヶ月後に会社を去ることになった。
これはまさに、煉獄さん vs 猗窩座の死闘そのものではないか。彼女はたった一人で上弦の鬼に立ち向かった。結果として彼女は倒れ、会社を去ることになったが、彼女がそこで矢面に立ち、時間を稼いでくれたおかげで、私を含めた日本チームは守られたのだ。彼女は自ら散りながらも、次の柱へ、次世代へと希望を託してくれたのである。
前の世代は、戦い、傷ついた名もなき柱たち
私たちが絶対に忘れてはならないことがある。いま、こうして英語を使って今の仕事に就けているのは、決して能力が優れているからではない。かつて、グローバル本社と戦い、ダメージを受け、時には降格させられ、時には退社に追い込まれた先輩たちが確実に存在したからだ。
彼らがいなければ、私たちは今、ここにいることすらできなかった。ある勇敢な先輩は、「グローバル本社の連中の言っていることは、おかしい!」と真っ向から挑みかかった。しかし、言語と政治力によってボコボコにされ、梯子を外され、引っ込みがつかなくなり、結果的に別の会社へと去っていった。
彼らの物語は作品化されることはないかもしれない。しかし、私たちのために防波堤となってくれた、非常に重要な役割を果たした過去の柱のような存在なのだ。私は彼らに対する感謝の念を、決して忘れない。そして、彼らが命懸けで守り抜いたこの場所を、次の世代へと伝えていくことこそが、今残されている自分の責務だと信じている。

有限だから美しい。不完全だから物語になる。
そろそろ、結論に向かおうと思う。 最後に煉獄杏寿郎の言葉を、もう一度ここに記させてほしい。
「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ 堪らなく愛おしく、尊いのだ。」
英語学習も、全く同じなのである。私たち非ネイティブの英語学習者には、残酷なほどの限界がある。絶対にネイティブスピーカーのように、疲れ知らずで流暢に話すことはできない。無限にある英単語や言い回しを、ゼロからすべて覚えることなんて不可能だ。
会議で自分の言いたいことの半分も伝えられず、悔しさを抱える夜もあるだろう。帰りの通勤電車の中で、自分の不甲斐なさに涙が出るくらい落ち込む日もあるはずだ。でも、それでも次の日が来れば、また私たちはその口を開く。「日本語訛りだな」「文法が間違っている」と冷ややかな目で見られようとも、自分の内なる思いを伝えるために、心を燃やして言葉を紡ぎ出すことができる。
その足掻き。その儚さ。その傷だらけの不完全さの中にこそ、圧倒的に戦う価値があるのだと、鬼滅の刃は私たちに教えてくれた気がするのだ。ここにこそ、ネイティブではない私たちが、英語を学ぶ本当の意味がある。
不完全であることは、決して恥ではない。むしろ、美しいのだ。 制限や限界があるからこそ、それを乗り越えようとする姿が、最高の物語になる。
考えてみてほしい。あなたが本当に心から惹かれるのはどんな人だろうか。生まれつきの環境で流暢に話せるようになった人を見て、「羨ましい」と思うことはあっても、魂の底から尊敬したり、己の人生を変えるほどインスパイアされたりすることは意外とないはずだ。
私たちが本当に心を動かされるのは、限界を抱えながらも、誰かのために、何かのために、泥臭く立ち向かい続ける人間の姿なのだ。
自分自身のキャリアを切り拓くため。 キャリアのその先にある、自分の人生や生活をさらに豊かにするため。 そして何より、あなたの周りにいる人たちや、まだ見ぬ次の世代のために。
あなたは今、過酷なビジネスという戦場に身を置く鬼殺隊の一員だ。 今はまだ最下級の隊士かもしれない。何度も打ちのめされるかもしれない。だが、それでも心を燃やし、己の型を磨き続ければ、いつか必ずあなたは柱となる日が来る。そして、かつて先輩たちが私たちにしてくれたように、次の世代へと希望のバトンを渡すことができるのだ。
さあ、刀(英語)を抜け。 あなたも一緒に、この尊くも美しい、英語という果てしない旅に出てみないか?