『スキなものよりキライが私を表してゆく』
『スキなものより
キライが私を表してゆく』
これは私の楽曲「Yes!」の一節である。
私はどんな人でありたいか
どんな風に生きたいか。
今の答えを詰め込んだ歌だ。
自分をみつめた時、
もちろんスキなものはたくさんあるけれど
穏やかに毎日を過ごすために
キライを遠ざけることばかり考えていることに気づいた。
これは小さい頃の話。
ぶどうはとっても好きだけど
ぶどう味のお菓子がきらい。
パプリカや紫キャベツがきらい。
だって、
ピーマンもキャベツも緑って思っていたのに
いきなり色を変えられてもどうにも食欲がわかない。
少し潔癖症だったのかもしれない。
電車の椅子にも座りたくないし、
つり革も持ちたくない。
こんなに、きらい!って言っていたのは
いつまでだったかな。
気がつけば苦手、とか言葉を選んだり、
はじめっから目につかないように工夫したり、
なかったように自分の中で咀嚼したりしていた。
パプリカは今でもまだ食べたくないけど、
ぶどう味のお菓子も紫キャベツも
取り除いて残す方が面倒になって
いつのまにか食べられるように なっていた。
高校生になって電車通学になると、
疲れ切った身体が
いやだとか言う暇もなく座席に吸い込まれていく。
キライなものが少なくなって嬉しいはずなのに、スキなものが増えたわけでもなく、
なんだか自分の意見をはっきり言えないだけになった気がした。
自分の輪郭が曖昧になったような、
いやなものはいやとはっきり言えていた方が
きらきらしているような気がしてきて、
いやなものをしっかりと排除するような生活をしていた時に、
ふと浮かんだ言葉が
『スキなものよりキライが私を表してゆく』。
これじゃだめだ。
スキもキライも善悪などなく、
どちらもまぎれもなく私を作り上げる要素である。
どんな感情もせっかく抱いたのだから大事にしたいと思う。
しかし、キライを避けていたいわけではなかった。
きらいだと感じてしまうことは
この先たくさんあるだろう。
大人になると、キライは食べ物だけではなくなった。
人間関係や仕事へと、
どんどんかたちを変えて、
生活の中にはいりこんでくる。
しかしその中でも輝きを見つけて
笑っていられるような人でありたい。
できることならば
例えば、投げ出してしまいたいことも
私がいるから楽しくなるようなパワーを持つ人でありたい。
そうすればいつしか
スキなものが私を表すようになる。
この歌は、私がこんな人でありたいということを忘れないためのおまもりである。