
薬剤部は今日も静かにおかしい|第12話 名札が会社を動かした日
第12話 名札が会社を動かした日
昼の配薬カートが戻ってきた頃、薬剤部に来客があった。
某製薬会社MRの西紫(にし・ゆかり)だった。
新薬の勉強会の日程調整を終えると、奈胡が尋ねた。
「西ちゃん、あれからどう?」
西は嬉しそうに笑った。
「先生に言われた通り推しを分散させたら、先週のライブの機材開放席が当たりまして!」
「それは良かった!」
しばらく推し活の話で盛り上がった後、奈胡の表情が少し曇った。
「……西ちゃん、何かあった?」
「え?」
真白も振り返る。
その時、医事課から藤澤が戻ってきた。
「あ、西さん。お久しぶりです。……あれ、名札が。」
西の胸元には「西」ではなく「山下」と書かれていた。
「ああ、これですか。」
西は苦笑した。
「実は名札が見つからなくて。車の中かなと思って探したのですがなくて。病院に入るには名札が必要なので、とりあえずまだ鞄に入っていた旧姓のものを持ってきました。」
奈胡はほっと胸を撫で下ろした。
「びっくりした。新婚さんなのに違う名前だったから。何があったのかと。」
「すみません。昨日まであったので、絶対どこかにあると思うんです。」
「せめて仮のネームプレート作れば良かったのに。ほら、文具屋さんとかにある首からぶら下げるやつとか。」
「なるほど!」
西は目を輝かせた。
お礼を言い、西は帰っていった。
その数分後。
別の製薬会社のMRが訪れた。
「お世話になります。〇〇製薬の尾上です。本日は上司同行で参りました。」
後ろから二人の男性が続く。
「鈴木です。」
「山野です。」
名刺交換をしながら、山野が尾上の営業成績を紹介した。
「尾上は昨年度、全国三位の成績を収めまして。」
「すごいですね。」
奈胡が感心して言う。
「尾上さん、いつもよく来てくださいますもんね。」
尾上が照れたように頭を下げた。
そして奈胡は、ふと思い出したように言った。
「でも。」
「はい?」
「名札、新しいものに替えてあげてください。」
その場が静かになった。
「せっかく全国三位なのに、社名のところがハゲて読めなくなってますよ。前から気になってたんです。こういうところって意外と見られてますから。」
尾上の名札を見る。
確かに社名部分がかなり剥げていた。
真白のメモには以前からこう書かれている。
『半分ハゲの尾上さん(名札が)』
ハゲだけでは失礼だと思い、後から「名札が」が付け加えられた。
しかし以前よりさらに進行していた。
あくまで名札が。
鈴木は真剣な顔でメモを取った。
「ご指摘ありがとうございます。」
そして力強く続けた。
「すぐに全社員、対応します。」
奈胡は慌てた。
「いや、尾上さんだけで十分ですから。」
鈴木は少し首を傾げた。
「実は私、執行役員を務めておりまして。」
薬剤部の空気が止まった。
「執行役員!?」
奈胡の顔色が変わる。
「そんな偉い方とは知らず……余計なことを言ってしまって……。」
「いえ。」
鈴木は笑った。
「むしろ助かりました。」
尾上たちも口を揃える。
「ありがとうございました。」
鈴木が立ち去り際、ふと立ち止まった。
「そういえば。」
胸ポケットから一枚のカードを取り出す。
「先ほど、病院の駐車場でこれを拾いまして。」
差し出されたのは――
「西」と書かれた名札だった。
三人を見送った後。
柑本部長がしみじみ言った。
「今日は名札の日だったねぇ。」
「とりあえず西ちゃんに連絡しなきゃですね。」
奈胡が苦笑する。
「いやぁ、変な汗かきました。」
真白はノートを開き、一行書き足した。
『名札の情報量は侮れない。』
薬剤部は今日も静かに――
いや、今日は少しだけ賑やかに、おかしかった。