
ちなみにいまって人生の何ページ目?
昔からよく考えるのは、私の人生っていまどのぐらいの位置にいるのかってこと。
小学生の頃、大量の伝記を読んでいた。中でもお気に入りは南方熊楠。彼は生物学者であり、博物学者であり、民俗学者でもある。
おまけに若いころから世界を飛び回り語学堪能。まじリスペクト。
とくに粘菌の研究に熱心で、明治政府の神社合祀政策に反対して投獄された際には、獄中でキノコを採集しながら研究書を読みまくるという研究っぷり。

これだけ熱中してすべての知識を網羅しようとする探求心に、
幼いながら若干のドン引きと、絶大な尊敬の念を抱いていた。
数々の伝記を読んで思ったのは、モーツァルトみたいに若いときに才能が開花して見出されている場合と、安藤百福みたいに後年になって功績を残す遅咲きの偉人がいるってこと。
果たして自分はどうだろうか。
自分が死んだら、世界に名を残した人物として伝記が書かれるのだろうか?
もし書かれるとしたら、今の自分は何ページにいるのかな。
まだチャプター1だと思っているけど、実はもう中盤に差し掛かっているのかもしれない。何ページあるかさえ分からない。ページの終わりは、自分が死んだ時だから。

そう思いながらいつも過ごしている。
なにか生きた証を残さなくちゃいけない。
そう思うのは、昔自分をいじめてきた子たちを見返したいという気持ちがあるからなのかも。
とにかく、毎日を今日死んでも良いと思えるくらいがむしゃらに生きたい。そうやって突っ走ってきたけど、ここ最近、気持ちだけが空回りして疲れてしまった。
そんなときに出会ったのが、ビートたけしのこの言葉。
「人は何か一つくらい誇れるもの持っている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら、運動がある
両方駄目だったら、君には優しさがある
夢をもて、目的をもて、やれば出来る
こんな言葉に騙されるな。何も無くていいんだ
人は生まれて、生きて、死ぬ
これだけでたいしたもんだ」
引用:ビートたけし著「ビートたけし詩集 僕は馬鹿になった」祥伝社黄金文庫
あぁきっと、私はこの言葉を探し求めていたんだなと思った。
何もなくても、今を生きているだけで充分だってこと。
それにまだ20代だし、やりたいことはまだ山のように残っているから、
何もいま全部やって功績を残さなくてもいいんだ。
そう思ったら肩の力がふっと抜けた。
私、もうじき全く新しい環境に飛び込んでみるつもり。
そこで何が起きるかわからないけど、
ただ生きているだけでそれだけで充分だし、
何よりも楽しむことを忘れないでいようと思う。
次の投稿では何話すかわからないけど、
お楽しみに。ばいばい!