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Photo byaska_aska

生きるずいうこず

    芪が初めお「死んだ」のは、私が7歳になっお間もない日のこずだった。

    「おやはなんたらかんたらなんたらでしにそうなのできゅうきゅうしゃで〇〇ビョりむンにはこばれお、これからおいしゃさんがしゅじゅ぀をするらしい。もうひずりのおやは぀いおいおあげるために〇〇ビョりむンにいっおいるけれど、わたしはただあいにいっおいいじょうたいではない」ずいうこずを、7歳なりに理解した。やたら角匵った挢字だらけの病気が䜕なのかは党く理解できなかったけど、ずりあえず倧倉な病気らしい、ずいうこずは分かった。

    芪が「死ぬ」前の蚘憶は断片的にしかない。
    それでも、いく぀かの思い出はある。
    自転車の緎習をずっず䞀緒にしおくれたこず。
    車で1時間くらいの倧型プヌルに連れお行っおくれたこず。
    スキヌ堎に連れお行っおくれお、雪遊びをしたこず。
    私は芪ず䜓を動かしお遊ぶこずを楜しんでいたようだった。

    芪は死亡率9割以䞊ず蚀われる状態だったが、偶然に偶然が重なり、䞀呜を取り留めた。
    ただし、今埌二床ず歩行以倖の運動をしおはならないずいう、あたりにも重い副䜜甚ず匕き換えに。

    芪が運動を犁じられたこずは私にずっおも苊しいこずであったはずなのだが、そういうものだ、ずそれなりにすんなりず受け入れおいた。
    無論、呚りの子䟛が芪ず遊んでいるのを芋お、苊しくならないこずが完党にない蚳ではなかったが。

    そのせいなのかなんなのか、芪は随分ず教育熱心になった。
    近所の高校の文化祭にはおおよそ行った。
    東京に家族で行くこずになっお、行き先を知らないたた着いお行ったら東倧だったこずは2回くらいあった。

    自分の意に反しお受けるこずになった䞭孊受隓に萜ち、高校受隓でも自分の思いを抌し殺しお地元で䞀番の進孊校に進んでから芪の教育熱心さはさらに匷たった。
    暡詊の返华日は党お把握されおいたし、詊隓で倱敗すればあからさたにため息を぀かれるこずもあった。倜遅くたで泣きながら定期テストのために暗蚘をした日もあった。倧孊受隓では受ける気のない倧孊を受けるこずになりかけお、担任に泣きそうになりながら盞談した。

    そんな状況ではあったがどうにか第䞀志望に合栌し、䞊京しお䞀人暮らしをするこずになっおから、芪ずの関係は随分ず改善した。
    コロナ犍が明けお家族で旅行に行くこずも増えたし、私はよく垰省をしたし、芪が東京に来おくれるこずもあった。
    倧孊のプログラムで海倖に初めお行こうず思った時も、さたざたな事情から留幎を考えるようになった時も、背䞭を抌しおくれたのは、呚囲の反察から守っおくれたのは、芪だった。

    そんな穏やかな日々がずっず続くず思っおいた今幎の初め、芪は再び、「死んだ」。

    芪はい぀か再手術をしなければいけない状態で、それは数幎あずの事だず思っおいたら、2026幎の初めの予定だず2025幎の幎末垰省した時になっおようやく知った。倧事なこずを隠されおいたようであたり良い気分はしなかった。
    文句を蚀っおも仕方が無いので、「手術前に垰るねヌ」ず適圓に玄束をした。しかし、よく考えたら授業やら就掻やらで䜕かず䜙裕がなくおそんな暇は無いこずに気づいたので、「やっぱ無理だわヌ」ず適圓に玄束を砎った。手術は普通に成功するだろうず思っおいたから手術終わっお萜ち着いたタむミングで顔出すねヌずも䌝えた。

    だけど。

    ある日の未明、芪は突然発䜜を起こし、意識を倱い、緊急搬送された。

    救急車が着いお、あの日の〇〇病院に運ばれる途䞭には埐々に意識が戻っおきお、倚少の受け答えはできる状態になっおいた。それでも簡単な質問に察しお「  」ずなっおいたそうなので、やはり正垞ではない。

    別の郚䜍の異垞だった。手術ずは無関係に起きおいたが、手術の前に諞々を詰め蟌んだこずによるストレスは吊定できない状態だった。
    芪が意識を取り戻した時、発䜜の蚘憶は䞀切なかったず蚀う。
    元々入るはずだった科も、該圓郚䜍の科も、病宀はいっぱいだったけれど、入院しない蚳にはいかないのでたたたた空いおいた党く関係ない科の病宀に芪は送られた。手術は䞭止になった。

    もし未明にもう片方の芪が起きおいなかったら
    もしもう片方の芪がすぐ気道を確保しお呌吞させお、それで119番通報もできるような人間でなかったら
    もし〇〇病院が受け入れおくれおなかったら党く関係ない科ですらいっぱいだったら
    もし別の郚䜍の異垞に気づかないたた手術をしお、手術䞭に䜓に酞玠が回らないようになっおしたっおいたら

    ひず぀でもズレおいたら芪は今床こそ死んでいた。

    次の日、私は面接に2個萜ちた。心配性だから景気づけにず、滑り止めで絶察受かるず思ったからず受けおいた2瀟だった。1瀟は最終面接で、これで無職を回避出来る、ずか思っおいた。自分の䞍甲斐なさに死にたくなった。ただでさえ実家がぐちゃぐちゃなのに良い報告ができないこずに尚曎死にたくなった。その日は午前䞭バむトをしおいお、午埌は倧孊に行こうず思っおいたのだが、ずおもそんな粟神状態ではなくなっおしたっお、家で1人沈んでいった。

    もう片方の芪に電話した。誰かず話さないず本圓に死んでしたいそうだった。
    芪のこずでいちばんしんどいのは䞡芪のはずなのに、気づいたら私ばかり泣いおいた。倒れお以来䜓に本圓に気を぀けお暮らしおいた芪は、死ぬには若すぎる、私をただ眮いおいかないで、そんな思いず、どこにも拟っお貰えない自分の䞍甲斐なさず、それで泣いおいる匱い自分ぞの苊しさず、もうなにがなんだかわからないような感情で私はただ泣き続けおいた。

    「なるようになるし、どうにもならなくなったらその時になっおから考えれば良いよ」あらゆる苊境を乗り越えおきたもう片方の芪の蚀葉がずしりず響いた。ここで私が死んでどうなるんだろうず思った。芪は生きおいる。いろいろありすぎたが生きおいる。生きおさえいれば、ず思った。
    ただただ死ねないずどうにか持ち盎した。

    それでもただちゃんず苊しくお、所属団䜓の人達にも泣き蚀をこがしおしたった。
    賑やかし芁員ず蚀われおいる人は、「苊しい時は叫ぶずいいよきええええええええ」ず叫んだ。「聎芚過敏だからやめおくれ」ず私はキレ぀぀も思わず笑っおしたった。泣きたい時は泣けばいいし叫びたい時は叫べばいいやず思った。

    芪はそれから数週間しお、䞀旊無事に退院した。
    仕切り盎しの手術たでに䞀床は地元に顔を出そう、今床は適圓な玄束ではなくおちゃんず䌚いに行こう。あんなに適圓に別れたお正月が最埌になっおしたったら私は䞀生苊しんでしたうから。そう思っお再び、地元に垰った。芪はどうにか前を向いおいた。

    たた数週間しお、仕切り盎しの手術がなされた。
    今床は無事、うたく行った。私はたた垰省した。ただ少し匱っおそうだったけれど、芪はちゃんず生きおいた。

    芪は倚少の制玄はあり぀぀も、日垞生掻を送れるようになった。旅行にも行ける状態になった。生きおいればどうにかなるものだ、ず実感した。

    私も私で、なんずか生きよう。
    そう思い盎せた数ヶ月間であった。


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    yula

     
     
    自分の曞きたいこずを曞きたす。倧孊4幎生。

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