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ピーナッツとわたし

    ピーナッツを食べてしまった。
    居酒屋で頼んだカレーに入っていたのだ。
    前に食べたことがあるからと油断をしていた。
    だが料理人は日々研究と改良を重ねるもの。
    いつ隠し味を変えていてもおかしくはない。

    しかしこれが私にとっては大事になってしまう。食べたと分かった瞬間「やってしまった…」とその場にしゃがみこんだ。



    私はピーナッツアレルギーだ。
    食べるとアナフィラキシーというショック症状を起こす可能性がある重度のもの。
    スーパーでは日々原材料表示を確認しながら食べ物を買うようにしている。
    お惣菜コーナーで海老反りをしながら裏の表示を覗き込んでいる人がいたらそれは私かもしれない。
    ここ最近はアレルギーも珍しくないからか、
    大きな表示のものが出てきて大変助かっている。



    それでも、ごくたまに誤って食べてしまうことがある。それは私が見落としたり、店員さんに聞き忘れたりと抜けているところもあるけれど、ピーナッツという食材が優秀すぎるからだと思う。


    そのままの形をしていれば私だって、のぞいたり避けたりできる。ケーキやパフェにパラパラと降りかかるナッツ類を見たら、「これはあやしいぞ」とメニューの小さな文字を改めて何度も見返したり、お店の人に聞いたりすれば済むのだ。

    しかしピーナッツは時に粉末に、時にバターやオイルになり、姿形を変え、甘いものから辛い物までありとあらゆる料理と溶け合う。
    まさかこれに?というものにも入っていて、
    変幻自在なのだ。
    以前チェーン店の餃子の餡にピーナッツバターが入っていて、知らずに食べてしまったこともある。隠し味や風味づけとして使われているのだろう。こうなると私も見た目では気がつかぬまま、うっかり口にしてしまうのである。

    しかし体内に入るとすぐに分かる。
    喉を通った瞬間、体が異物だと判断し違和感が残る。どんなに少なくても、必ず気がつく。
    そんな時私は自分の体をリトマス試験紙のようだなと思う。液体を吸いとってみるみるうちに色を変えて成分を明らかにするように、私の体も違和感が体を駆け抜け、じわじわと全身に危険を知らせるのだ。
    食べてしまった後は苦しみと闘いながら、体内から出ていくのを待つために体を丸めて静かにやり過ごす。幸い、これまでは微量なので大事には至っていない。


    本格的な中華や、初めて行くラーメン屋、バイキング、いただきもののオシャレなお菓子。
    ワクワクする新しいものと出会うたびに、自分の中のルールを思い出す。きちんと確かめてから食べること。分からない場合は食べない。もしくは選ぶ種類に気をつけること。
    例えばラーメンなら味噌ではなく醤油や塩を。
    麻婆豆腐じゃなくて餡かけ焼きそばを。
    そんな風に確認をしたり、折り合いをつけながら日々食べる事を楽しむようにしている。



    2月の節分の時期になるとたまに小学生の時の豆まきを思い出す。
    学校では毎年節分になると教室で豆まきをしていた。ピーナッツを投げて「鬼は外!福は内!」とみんなで叫ぶのだ。

    その時私は廊下に避難していた。
    「外に出ていようね。」と先生に言われ、静々と廊下に出る。
    教室では豆がものすごい勢いで飛び交う。
    子供たちは叫びながらピーナッツを投げ、走り回り、踏まれた殻から、実は飛び散った。
    みんなのきゃーという笑い声、豆の音、鬼は外。
    私はしんと静まった廊下で1人、教室から漏れる楽しげな声を聞いていた。
    寂しくはなかった。あの中に入ったら恐ろしい、と廊下でほっとしていた。
    私はおそらく世の中のどんな鬼よりも豆を恐れていたと思う。

    それに帰れば家の豆まきがある。
    母の「豆まきするよ〜」に合わせて妹と3人で大豆を持っていく。
    特に鬼役はいないので、誰もいない部屋に向かって「おには〜そとぉ」と言いながら大豆を小袋ごと投げる。
    シーンと静まり返った部屋に豆の袋が落ちるぽそっ言う音だけが響いて、私たちはそれを見つめ、少ししてからいそいそと回収する。
    投げては拾って、投げては拾って。
    これを静々と部屋ごとに繰り返した。
    寒い日の夜に見えぬ鬼に向かって投げる様子は、悪い気を沈めるような、厳かな儀式のようでもあった。
    この2つの豆まきを大人になった今でも思い出し、何ともシュールな行事だったなぁと笑ってしまう。


    ピーナッツとの思い出はたくさんある。食べても食べなくても色んな形で色んな思いをしてきた。
    人に迷惑をかけてしまったこともあるし、気まずい思いも、感謝することもあった。
    不便はあるし、食べてしまった瞬間は恨みたくもなる。

    でも私はピーナッツがこの世から無くなればいいとは実は思っていない。
    栄養があるのは知っているし、大好きな人もいるだろう。ピーナッツクリームのコッペパンを食べられない私に「人生半分は損してるね。」と言っていた人にも怒りというより、「そんなに美味しいのね。」という純粋なピーナッツへの賞賛の気持ちだった。確かにコッペパンの定番みたいな立ち位置だから人気なのだろう。
    SPY×FAMILYのアーニャだって大好物がなければきっとがっかりしてしまう。

    ピーナッツが悪いわけではない。
    単に私と合わないだけだ。
    そんなこと、食べ物じゃなくたって生きていればいくらだってある。
    交わらなければいいだけの話だ。


    そして何より私は基本的に好き嫌いがないので、
    ピーナッツじゃなければほとんど何でも食べられる。セロリやパクチーだって、レバーやハツのホルモン系やホヤなど少し癖のある海の幸も好んで食べる。おそらくアレルギーがない人より色んなものを美味しく食べられる。
    これは私のささやかな自慢だ。



    目の前に大皿料理がどんと置かれる。
    会社の飲み会は様子を見ながらつついている。
    「さて、これは食べられるのかしら。」
    困った時には本気で、どんな具材や成分が入っているか一目見て分かる道具があったらなぁと空想する。
    何だか分からないと、緊張してせっかくの料理も味がしなくなるのだ。なんとももったいない。

    隙をみて店員さんをつかまえ、成分を聞く。
    安心して口に物を入れられるというのは幸せなことだ、とつくづく思う。
    当たり前すぎて普段はなかなか気がつかないけれど、「美味しい」は安心が前提にないと成り立たない。

    大丈夫だと分かると、安心した私はそのまま目の前の香辛料がたっぷりかかった鶏肉にかぶりついた。心からの美味しいがそこにはあった。

     
     

    Yukimi

     
     
    夫と2人暮らしの30代。読書とお酒が好き。 本の感想/食べること/たまに旅行/日々のことを気ままに書いています。

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