メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bytacosutacosu

カメリア、その余熱

     
    カメリア、その余熱
                          
    カメリア木綿子
     
    目次
    カメリアの影に灯るもの
    前章
    後章
    言葉になる前の場所で
     
    カメリアの影に灯るもの
     
    見えているものは、ほとんど、見られていません。
    日常は既視感によって画一化され、感情は名づけられた瞬間に、こぼれ落ちていきます。
    そしてその取りこぼしの中にこそ、世界の息遣いは潜んでいるのです。
     
    本句集は、出来事を詠んだものではありません。
    出来事になるずっとずっと前のこと――
    まだ言葉を持たない気配の層に、触れようとした記録です。
     
    椿は、語りません。
    ただ在る。その在り方の密度だけに、視線をとどめています。
    すると、見過ごされていた光が、わずかに角度を変えます。
    気づくとは、発見ではないのです。
    すでに在ったものと、関係を結び直す行為のように思われます。
     
    ここにあるのは、劇的な何かではなく、むしろ、どこにでもある瞬間が、見方ひとつで深度を持ちはじめる、その臨界点です。
    最小の言葉で、最大の感受へ。
    その試みの全てを、この一冊に置きました。
     
    前章
     
    生きていく少しの余白初明かり
    初空の青が背中を突き抜ける
    口紅を拭き取る夜の冬椿
    ふるさとのない者同士冬すみれ
    粛々と必死に咲きて野水仙
     
    透きとほる頬に含羞む椿東風
    鳴きどきの頃合いはかる春の猫
    椿餅惚気話の甘過ぎて
    あたたかや言葉の棘をそっと抜き
    冬つばき全感情にきみ宿る
     
    さよならの苦手な子かな残り雪
    藪椿やがてそのうちわかること
    雛祭女の残り時間抱く
    白木蓮ひらいて青き空を吸ふ
    古書店の帯無き本や春愁ひ
     
    ふらここやあの子の後に乗りたくて
    朝寝の日自由といふ字を宙に書く
    それでいい告げるかのよに椿落つ
    このままでいいとも思ふ花の雨
    初蝶や空をからかいながら飛ぶ
     
    夏シャツや覗く鎖骨の凛として
    青年の首筋あおき聖五月
    花水木二行でやめた私小説
    春の海少女のひとりもいない海
     
    梅雨寒やきみの言葉で暖をとる
    さみだれてまだ決めかねて午前四時
    六月の待合室のしづかかな
    心中と聞こゆ海猫の啼く声
     
    後章
     
    夜に咲く勇気はなくて沙羅の花
    ため息を浴び過ぎたよな夏つばき
    住所なら波打ち際よ夏つばめ
    かの人の窓辺にも寄る星月夜
    夏枯れや縁切れぬひとを見送って
    発つよりも見送りたくて夜の秋
     
    貴男には負けて構はぬ酔芙蓉
    檸檬噛み彼の甘さを和らげる
    心臓はここ狙うなら月今宵
    秋めくや外すか迷ふ本の帯
    濁り酒夜が明ける匂ひがした
     
    さやけしや命の音のしてをりし
    このときを切り取ってゐる秋夜かな
    旧友の絵文字が泣いてゐる十月
    秋惜しむ切子の猪口をこつと置き
    冬の蜂終の棲家は星の裏
    古書店や霧の匂ひの裏表紙
    吾亦紅善きも悪しきも独りっ子
     
    野良猫も歓迎します神の留守
    火の恋し背中に響く鎮魂歌
    冬ざれの駅カオナシに会へさうな
    片恋は雨天決行十二月
    母と居る病室にも来る聖夜かな
    行間の雄弁さかな日記果つ
     
    言葉になる前の場所で
     
    この句集を書き終えても、何かが完結したという感覚はありません。
    むしろ、見えていなかったものに、ようやく触れはじめた――
    そんな、かすかな手応えだけが残っています。
     
    日々のなかで、名づけられずに過ぎていくもの。
    見過ごされたまま、どこにも置かれなかった感情。
    それらは消えていくのではなく、ただ、静かに在り続けているのだと思います。
    本書に収めた句は、その気配に触れようとして、何度も立ち止まった記録です。
    うまく言葉にならなかったものも、言葉になりすぎてしまったものも、
    その時々の私のまなざしとして、そのまま置きました。
     
    椿は、最後まで多くを語りませんでした。
    けれど、その沈黙のなかにこそ、確かな温度がありました。
    もしこの句集のどこかに、あなた自身のまだ言葉にならない何かが、ふと触れる瞬間があったなら、それ以上の嬉しさはありません。
    ここまで読んでくださったことに、深く感謝いたします。
                      
    2026年 7月吉日  木綿子

    #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門

     
     
    生活と人生の質を上げる記事を各媒体で執筆するライター(売文婦)。時々俳人&踊り子。「ハッピー・ラッキー美人の秘密2」「快体新書 」(以上ユウコ名義)「椿東風」のほか、新刊句集「カメリア手帳」など著書7冊。趣味はライブ&映画鑑賞、アフリカンダンス、推し活。

    あなたへのおすすめ