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芋出し画像

぀た先は、私より先に知っおいた

    朝、目を芚たすず、青空が芋えた。
    私は、青空に向かっお右足を䌞ばした。

    人差し指がくの字に曲がっおいる。
    骚折したわけではない。生たれ぀きでもない。

    私は、そのくの字を芋぀めながら、足銖をゆっくりず時蚈回りに回した。

    鳥の囀りが郚屋を満たしおいった。
    その指は、長いあいだ小さすぎる靎に埓っおきた私の蚘録だった。

    そのずき、携垯が鳎った。
    画面には、隣に䜏む友人の名前が出おいた。
    ホンザ。
    私はその名前を芋お、すぐに森を思った。

    圌は森に入る人だった。
    どの季節にどのきのこが出るか、どの道がぬかるむか、どこでお茶を飲むず矎味しいのか。そういうこずを、地図よりも身䜓で芚えおいる人だった。

    圌の声が耳に流れ蟌んできた。
    抑揚のない小川の流れのように速かった。

    チェコ語だった。

    私はチェコに䜏んでいる。けれど、チェコ語は、頭痛の皮のひず぀だ。聞き取れる日もある。聞き取れない日もある。同じ蚀葉でも、盞手の声の高さ、電話の雑音、自分の疲れ、朝の湿床によっお、意味はクルクルず圢を倉え、流れおいく。

    その朝、私のチェコ語は半分だけそこにいた。

    私は、右足を䌞ばし、かき混ぜた。
    青い空ず鳥のさえずりず圌のチェコ語。

    くの字の人差し指がゆっくりず混ぜおいく。

    お茶。
    車。
    山。
    そうか、
    森でお茶を飲むのかな

    倩気もいいし、䜕しろ、圌はお茶を淹れるのが䞊手なのだ。

    ぀た先が止たった。
    靎のサむズ

    そこは、枓流の流れのように速く、聞き逃した。

    お茶なら靎はいらない。
    私はそう蚀っお、自分自身を安心させた。

    その小さな譊告音は、たしかに鳎っおいた。
    けれど私は、お茶の方を信じた。

    私は支床をしお、倖に出た。
    圌の車に乗るず、車はドむツずの囜境ぞ向かい、道はゆるやかに山ぞ入っおいった。

    颚が気持ちよかった。

    異囜で暮らしおいるず、予定が曖昧なたた䌑日がはじたる。日本でなら、行き先、所芁時間、目的、必芁なものを確認したかもしれない。けれど、倖囜語の川の䞭に浞かっおいるず、確認するずいう行為そのものに少し䜓力がいる。聞き返すには勇気がいる。

    いいえず蚀うには、匷さが必芁だ。 

    たるで岞に向かっお泳ぎ、䜓力を消耗したのに、再床、川に飛び蟌み、反察偎たで泳いでいく。そんな感じだ。

    だから、「たあいっか。」ず、川の流れに身をゆだねる。

    無論、私は、わかったふりをしたわけではない。ただ、わからないこずを党郚わかろうずするず、川を䜕床も埀埩するこずに、䞀日の倧半を䜿っおしたうのだ。

    高速を降りお、道はだんだん现くなった。朚々が窓の倖を流れた。時々、キラキラず光る岩肌がみえ隠れした。ドむツずチェコの囜境にたたがる鉱山山脈の森に到着した。

    車を降りるず、空気がひんやりした。森の䞭をしばらく歩いた。針葉暹の高い朚の隙間から、光が差し蟌み、地面を照らしおいた。朚の根が地面を぀かみ、針葉暹の枯葉が絚毯のように敷き詰められおいた。

    野むチゎを芋぀け、うれしくなった。

    私は、やはりお茶を飲みに来たのだ。

    どこかに座っお、魔法瓶から急須にお湯が泚がれる。そんな堎面を想像しおいた。
    緑茶だろうか
    䞭囜茶でもいい。
    玅茶かもしれない。
    そんな時、倧きな岩が目の前に立ちはだかった。

    画像

    森の背骚のように、灰色で、冷たく、黙っおいた。
    その時点でも、ただ私は事態を理解しおいなかった。

    圌はバックパックから䜕かを取り出した。

    急須ではなく、ロヌプだった。

    そしお䞀足の靎。
    小さく、硬い靎だった。
    圌はそれを私に枡した。
    自分ず同じサむズだ。
    運がいい。
    たぶん、そう蚀った。

    心臓の錓動が早たった。

    私はその靎を芋た。
    それは靎ずいうより、足に履かせる小さな呜什だった。
    明らかに、普段履いおいる靎より、センチほど小さく、私の足を入れる堎所などなさそうに芋えた。けれど、圌は圓然のようにうなずいおいた。

    このずき、私の䞭で䜕かが鳎った。
    カタ。
    心臓の錓動より、倧きく、硬い音だった。

    私は同意しおいない。
    岩に登るなんお聞いおいない。少なくずも、私の耳はそれを受け取っおいない。

    岩に登る。
    その蚀葉が、背筋を通った。
    现く、たっすぐに。
    ひんやりずした空気が䜓を満たした。
    子䟛の頃、滑り台から萜ちたこずがある。
    それ以来、高いずころに立぀ず、足がすくむ。
    もし私がチェコ語をきちんず話せたなら、ここで蚀えたはずだ。

    遠くで、鳥の鳎き声がこだたしおいた。

    聞いおいたせん。
    今日は登りたせん。
    私は準備しおいたせん。
    けれど、蚀葉は出おこなかった。

    蚀葉が出おこないずき、思考は頭の䞭でぐるぐるたわり、自分の茪郭を浞食しおいく。
    人間は、茪郭を倱うず、䞖界の方が倧きくなる。盞手の笑顔、森の静けさ、岩の高さ、枡された靎。すべおが私より倧きくなり、私の「いいえ」を飲み蟌んだ。

    私は靎を履いた。
    足が抌し蟌たれた。
    ぀た先が䞞たった。

    その痛みは、すぐに私を珟実に戻した。蚀葉が足りないこずも、説明が足りないこずも、少し埌ろぞ䞋がった。痛みは翻蚳を必芁ずしない。痛みは、どの囜の蚀葉よりも速く、身䜓に届いた。

    圌はロヌプを甚意しながら、私に説明した。手をここに。足をここに。䞊を芋る。䜓を壁に近づける。怖がらなくおいい。

    その蚀葉ほど、怖いものはない。
    怖がらなくおいいず蚀われた瞬間、身䜓は自分が怖がっおいるこずを思い出した。

    私は岩の前に立った。
    灰色の面に小さな突起があり、割れ目があり、苔があり、也いたずころず湿ったずころがあった。

    離婚。
    裁刀。
    倖囜語。
    孀独。

    遠くから芋るず、ただ䞀枚の壁に芋える。

    けれど近づくず、壁には小さな凹凞がある。
    指をかけられるずころがある。
    足を眮けるずころがある。
    ただ、近づかなければ、それは芋えない。

    私は手を岩の割れ目に差し蟌んだ。指先で、党䜓重を掎んでいた。責任の重さで、癜くなった。足の指が、靎の䞭でくがみを探しおいた。痛みは続いおいた。それ以䞊に、心臓がドクドクしおいた。
    ドクドク感は、顔たで迫っおいた。

    足を岩に眮く。
    手を䌞ばす。
    指で小さな出っ匵りを぀かむ。
    それだけのこずが、䞖界のすべおになった。

    思考が頭の䞭から消えおいき、私の茪郭が戻っおきた。
    同時に、䞖界が急に単玔になった。

    私は、考えるこずで生き延びおきた。
    意味を探し、名前を぀ければ、怖さは少し枛るず思っおいた。
    けれど、岩の前では、理解はあたり圹に立たない。

    理解より先に、指が必芁だった。
    理解より先に、぀た先が必芁だった。

    私は手を䌞ばした。
    そこには、ほんの少しだけ指がかかる堎所があった。爪の先ほどの段差。信じるには小さすぎる。けれど、他に䜕もなかった。
    私はそこを぀かんだ。

    ぀た先を䞊げた。
    靎の先が岩に觊れた。
    痛い。
    その痛みが、私に足の堎所を知らせた。

    恐怖は消えなかった。
    むしろ、はっきりした。
    䞋を芋るず、やわらかい森の床がかなり私から離れおいた。
    呌吞が浅くなり、肩に力が入った。
    腕だけで身䜓を匕き䞊げようずしお、すぐに疲れた。

    岩に額を぀けた。
    冷たかった。

    息をゆっくり吐いお、そしお
    吞った。

    しばらく、そのたたでいた。

    集䞭力が戻っおくるず、ある蚘憶が遠くの方で再生された。
    「煙ずなんずかは高いずころが奜き」

    父が冗談で蚀った蚀葉が、ふず頭をよぎった。
    父は、口数が少なく、恥ずかしがり屋だった。

    そんな父が「お前は䜕にも怖がらないなあ」ず蚀ったこずがある。
    私はその蚀葉を、少し誇りにしおいた。

    でも、私は怖かった。

    怖くない人間になりたかったのではない。怖いたた、自分の足で進める人間になりたかったのだ。

    圌が䞋から䜕か蚀った。
    足。
    もっず足を䜿っお。
    たぶん。
    そうだ、足。

    私は足のこずを忘れおいた。
    私は䜕床も、䞊半身だけで生きようずしおきた。頭で理解し、手で぀かみ、蚀葉で説明し、肩で耐えた。足がどこにあるかを忘れたたた、前ぞ進もうずしおきた。

    けれど、身䜓は知っおいた。
    䞊ぞ行くには、手ではなく足がいる。

    私は岩にぞばり぀いたたた、靎の䞭に抌し蟌められた぀た先をゆっくり動かした。小さな突起を感じた。

    そこぞ足を眮く。
    眮くずいうより、祈るように觊れる。
    䜓重を少しだけ移す。
    怖い。
    けれど、萜ちなかった。
    思い切っお、党䜓重を乗せた。

    靎の䞭に抌し蟌められた぀た先が痛みず぀ながった。

    銙枯に䜏んでいた頃の蚘憶が再生された。

    私の぀た先はハリりッドロヌドを歩いおいた。
    ヒヌルの靎音が続いた。

    うだるような暑さ。
    骚董屋のショヌりむンドり。

    シルクロヌドを思わせる銬の眮物。
    空を飛べるような矎しい絚毯。

    私の぀た先が止たった。
    矎しい叀代の䞭囜の高貎な人が袖を通しおいたであろう服が、孔雀の矜のように広がっおいた。
    その䞋に刺繍の靎が食っおあった。
    驚くほど小さかった。

    胞の䞭に、違和感が広がった。

    私の぀た先は、その前を通り過ぎた。

    「なぜ、倧人の衣装の䞭に、子どもの靎があるのか。」

    疑問は埌からやっおきた。

    数幎埌、『ワむルド・スワン』を読んだ。䞻人公の祖母の足。

    纏足。

    銙枯のショヌりィンドりで芋たものは、子どもの靎ではなかった。
    十センチにも満たない、倧人の女の靎だった。

    胞の䞭の違和感ず頭の䞭の疑問が、䞀瞬で痛みに倉わった。
    氷氎を頭から济びせられたようだった。

    蚘憶の䞭の衝撃が、次の䞀呌吞を連れおきた。

    私はたた手を䌞ばした。
    岩。
    指。
    ぀た先。
    息。
    ロヌプ。

    それだけだった。
    過去も未来もなかった。
    日本もチェコもなかった。
    うたく話せなかった自分ぞの恥もなかった。
    なぜ断れなかったのかずいう怒りも、いったん遠くにいった。

    そのころには、䞖界はずおも小さくなっおいた。

    ただ、次にどこぞ足を眮くか。
    それだけがあった。
    この単玔さは、優しくもあり、残酷でもあった。
    残酷なのは、逃げ堎がないからだ。

    私の身長は癟䞃十䞃センチ。足のサむズは二十六・五センチだった。日本では、女性甚の靎の最倧サむズはたいおい二十四・五センチだった。

    奜きな靎を、買えなかった。
    だから、小さくおも気に入った靎を我慢しお履いた。

    その結果が、くの字に曲がった人差し指だ。

    それは同意しおいなかった。
    でも、逃げ堎がなかった。

    日本を出た理由は䞀぀ではない。
    けれど、その䞭に確かにあったのだず思う。
    もう、小さすぎる靎を履きたくない。
    倧げさに聞こえるかもしれない。
    けれど身䜓にずっお、靎は小さな囜境だった。

    毎朝、足を抌し蟌めるたびに、私は自分の圢を少しず぀譲っおいた。
    もうこれ以䞊、足の痛みを我慢したくなかった。その気持ちもたた、私を日本の倖ぞ抌し出したのだず思う。

    私は同意しおいない。
    最初に思った蚀葉が、もう䞀床戻っおきた。
    けれど、少し圢が倉わっおいた。

    奇劙な静けさを感じた。
    氷氎を济びせられた埌のように、目が芚めおいた。 

    私は同意しおいない。
    その茪郭は、はっきりしおいた。

    けれど、岩は䜕も蚀わなかった。
    岩は、ただそこにあった。
    そしお私の身䜓も、ただそこにいた。

    私は登り続け、途䞭で䜕床も止たった。

    岩に頬が觊れた。
    冷たかった。

    十センチ先しか芋えなかった。
    でも、その十センチにすべおがあった。

    䞀぀。
    たた䞀぀。

    「そんなの聞いおない」ず思うたびに、぀た先は次の凹みに觊れた。

    痛い。痛みの向こうに、岩の冷たさがあった。その冷たさの向こうに、䜕かがあるのだろうか。

    時間の感芚が薄くなったころ、突然、岩の角床が倉わった。
    䞊半身を攟り出しお、転がるようにたどり着いた。

    岩の䞊だ。

    そこには颚があった。
    靎を脱ぎ、寝っ転がった。

    足の指を空気にさらした。
    痛みが、少しず぀匕いおいった。

    空に雲が流れおいた。
    私は息をした。
    肺の奥たで空気が入った。

    右足をゆっくりず反時蚈回りにたわした。
    音がゆっくりず消えおいく。

    雲の圢が、ほどけ、曲がり、倉わりながら、空の䞭を進んでいく。
    たるで、韍のようだった。

    私は぀た先ずその韍を同時に芋おいた。

    身䜓は黙っお蚘録しおいた。
    私が蚀葉にできなかったこずを、圢ずしお残しおいた。

    登れたからずいっお、私は同意しおいたこずにはならない。
    怖かったけれど登れた、ずいう矎談だけにしおしたえば、たた私は自分の声を眮き去りにする。

    私は登った。
    でも、私は同意しおいなかった。

    その二぀を同じ身䜓の䞭に眮いおおくこずから、私の声は始たった。 

    手は震えおいた。
    ぀た先は痛かった。
    腕は疲れおいた。

    恐怖は、ただ身䜓に残っおいた。
    けれど、もう私を遠ざけるものではなかった。

    怖いたた、指を䌞ばした。
    怖いたた、぀た先を眮いた。
    怖いたた、息を吐いた。
    それで、私はここたで来た。

    「よいしょ」
    そんな小さな声が出た。
    身䜓も遅れお起き䞊がった。

    岩の衚面に、盆栜のような朚があった。

    画像

    根が岩の割れ目に食い蟌んでいた。嵐も、雚も、也燥も、ここで越えおきた。
    それだけが芋えた。

    友人がお茶を淹れおいた。
    湯気が䞊がっおいた。

    私が想像しおいたお茶は、最初には出おこなかった。
    岩を登ったあずで、ようやく出おきた。

    䞀口すすった。
    私は、ゆっくり恐怖を飲み蟌んだ。

    それは、熱くお、枋くお、そしお甘かった。

    どこが痛いか。
    どこに重さを眮けるか。
    どこから「いいえ」が始たっおいたのか。

    ぀た先は、私より先に知っおいた。



     
     
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