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【難病ず蚀われお これからのやるべきこずを考える】

    2024幎10月になり
    私が倧孊病院から難病の蚺断を蚀われおから
    1幎が経っおいたした。
    初めお自分が倉だず思っおから
    すでに 2幎が経っおいたした。

    ずころで
    私は 2021幎10月から
    ただ 病ではない時に
    ゎルフが䞊手くなりたい気持ちず 䜓力維持の目的で
    パヌ゜ナルトレヌニングに 通っおいたした。

    パヌ゜ナルトレヌニングは
    病になっおからも続けおいたので 3幎間以䞊やっおいたのですが
    ゞムの曎衣宀で トレヌニングりェアに着替えるこずも フラフラしおきたのです。
    私が 病になっおからも パヌ゜ナルトレヌニングだったからこそ
    私の病の進行に合わせお 内容を考えおくれお 
    ずおも良くしおもらっおいたけれど
    だんだん健垞者が通うトレヌニングゞムは無理かなず思い始めお
    2024幎12月で蟞めたした。


    でも病になっおからも
    トレヌニングを続けおいたおかげで
    幎霢より 足腰がしっかりしおいお
    難病で 頭はフラフラしながらも
    歩く事だけは しっかり できおいたした。

    パヌ゜ナルトレヌニングを蟞めおからは
    脳神経内科ず敎圢倖科がある
    個人病院のリハビリに通い始めたした。

    そこでは 理孊療法士の指導のもず
    自重でできる足腰の維持の方法などのリハビリがメむンになり
    自分の意志の匷さが詊されるこずになったのです。
    今たでのパヌ゜ナルトレヌニングでの指導者が付いおくれるこずが
    劂䜕にありがたいものだったかが よくわかりたした。
    自分で自䞻的にやるっおいうこずが、いかに倧倉かずいうこずを 
    改めお思い知らされたした。

    私は突然の難病に翻匄されながらも
    今たでの仕事も 
    自分の䌚瀟(䞀玚建築士蚭蚈事務所)を 
    これからどうするかを
    考えなければならない矜目になったのです。

    自分の䌚瀟は 幎10月に  1人で起業しお
    既に37幎経っおいたした。 スタッフも 倚いずきには 女性ばかり8人雇甚しおいたした。
    そしお 順調に軌道しおいたのです。
    たくさんのリピヌタヌのお客様も 確保しおいたした。
    その䞊 そこで 長幎働いおくれおいるスタッフたちの事を 
    考えなければいけたせん。
    たくさんの今たでのお客様たちを どうしよう
    スタッフたちのこれからを どうしよう
    私自身は 今の仕事をい぀たでしおいられるのだろうか

    自分が これから進行性の病ず
    戊っおいかなければならないず同時に
    呚りの人達のこずや
    やらなければならないこずが
    いっぱいあるこずに 気づいたのです。

    それは
    私の人生だけではなく
    私ず関わっおきた人たちみんなの人生も倉わっおしたうずいう事に
    気が぀いたのです。

    特に 䞀番の圱響を受けるのは 私の家族だろうず思い始めたした。

    母ずしお 劻ずしお 䞀家の䞭心であった私だったず思っおいたす
    仕事においおも 瀟長ずしお 䌚瀟の䞭心であった私だったず 思っおいたす。

    でも これからは どちらでも 私が䞭心には なれないのです。

    たずは䌚瀟をどうするか
    今たでのたくさんのお客様はどうするのか
    特にリピヌタヌが倚かったので 簡単には考えられない気持ちでした。

    ずりあえずは 仕事のこずは
    今いるスタッフたちに 今埌のこずは 党お任せよう
    仕事は充分できるはずだず思えたからです。

    しかし 思っおいたほど 簡単ではなかったのです。
    いわゆる䜜業ずしおの仕事はできたずしおも
    私の代わりずしお、瀟長業を勀めおくれる人は いなかったのです。
    䌚瀟の党おの責任を任せるこずは 難しかったのです。

    たた 私の䌚瀟を買っおくださるず、蚀っおくれる䌁業も出おきたした。
    ありがたいこずだず思ったけれども
    匊瀟の特城であった 子育お䞭の女性建築士でも働きやすい自由な瀟颚ず
    週䌑3日を継続しおくれる䌚瀟はなかったのです。

    長幎 ホワむト䌁業ずしお 働きやすさを倧切にしお
    時代の最先端をいっおいたわが瀟だったのですが
    反察に それがネックになっおしたったのです。

    䜕幎間もかけお 女性建築士が働きやすい䌚瀟にしようず思っおきたこずが
    男性の倚い建蚭業界では ただ受け入れおもらえなかったこずは 
    ずおも残念に思いたした。

    そんな事情で 䌚瀟を残すこずはあきらめよう、ず思いたした。
    今いるスタッフたちのこれからを考えたら 
    自分で自由に遞択できる人生の方が いいはずだから、ず思いたした。
    そう決心したら 迷いは党くありたせんでした。

    䌚瀟を閉めるには䜕からしたら良いのだろう
    たずはどのようなこずから 始めるかも 分かりたせんでした。
    そしお 長幎、お䞖話になっおきた䌚蚈事務所に これからやるべきこずを 盞談したした。

    たず、䌚瀟を閉めるには 
    長幎働いおくれた瀟員ぞの退職金を含めお  
    かなりのお金が必芁だずいうこずが分かりたした。

    そしお 今たで䌚瀟で䜿っおきたものを 凊分もしなければいけたせん。
    たくさんのお客様の個人情報もありたす。
    リヌスで借りおいたもの。サブスクでやっおいたこず。
    ネット䞊でやっおきたこずが いろいろあっお 
    䌚瀟を閉めお片付けるこずは 倧倉なこずだずいうこずが 
    次第にわかっお来たした。

    こんな小さな37幎間の築浅の䌚瀟でさえ倧倉なのだから 
    倧手の䌚瀟が閉める時は、本圓に倧倉だろうな、ず思いながら 
    䞀぀䞀぀の廃業䜜業をはじめたした。

    䌚瀟を閉めるにあたっお
    今埌の蚈画を立お 関係業者やお客様等
    皆様にお知らせしなければなりたせん。
    その準備を始めたのが。 2024幎 3月頃からでした。
    病が分かっおから、半幎経っおいたした。

    私自身は 既存の仕事をしながらも 
    病ず戊いながら 廃業䜜業を進めおいたしたが
    家族やスタッフたちの䞍安を考える䜙裕は 
    その頃の私には 党く無かったのです。

    自分のペヌスが 萜ち着いおきた頃 圌らの気持ちを考えるこずが やっず出来お来たした。

    自分のこずを考えるだけでも粟䞀杯でした。
    自分の病気を受け入れるたでにも時間が かかりたした。
    なんで 私が こんな目にあわなくちゃいけないのだろう。
    なんで 私が遞ばれおしたったのだろう。
    䜕も悪いこずなんかしおないのに。
    どうしお私がこんなふうにならなくちゃいけないのだろう。
    どうしおも玍埗ができなくお 蟛くお蟛くお、
    この気持ちを どうしたらいいのかわからなかった時期もありたした。

    しかし だんだん、私でよかったず 思うようになっおきたのです。
    奜きなこずをしお 自分が思っおきたこずができた。
    充分人生を楜しんできたず思えるようになっおきたのです。
    そしお、家族もいたす。孫もいたす。いろいろなこずを考えたら 
    今の私だからできるこずが他にもあるかもしれない。私だからできるこずをしなければいけない、ずいう気持ちにだんだんなっおきたした。

    瀟内で話し合った結果、
    倖郚ぞは 今たで定期的に出しおいた匊瀟からのおたよりを掻甚しお
    䌚瀟を廃業するお知らせを出すこずにしたした。
    ずりあえずは 今 䟝頌されおいる仕事を最埌たでしっかりず 
    やり終えなければいけないずいう気持ちでした。
    その反面、これが、私の最埌の仕事になるのだずいう
    淋しい気持ちもありたした。

    幎8月末日、私はずうずう 䌚瀟を閉めたした。
    自分でも意倖でしたが  悲しい淋しい気持ちより ほっずした安堵の気持ちが匷かったのです。

    ※今たでの私の自己玹介は
    プロフィヌルに曞かせおいただきたした。


     
     

    akiya

     
     
    女性䞀玚建築士ずしお理想の暮らしを考え 女性建築士が働きやすく子育おしやすい䌚瀟を䜜った。未来の人のためのこずをしようずしおいた37幎間経営しおきた䌚瀟を60代で 難病になり閉めた。充分幞せな人生だったず思っおいる。これからは珍しい難病でも楜しく暮らしおいる事を発信したい。