
「#母最高かよ」 ビジュアルに込めた意図と試行錯誤
一般社団法人母親アップデートの母親の新しい価値観を社会に発信する「#母最高かよ」キャンペーンのビジュアルを担当しました。
まずキャンペーンの背景からお話しさせてください。
2025年2月に日本大学の末冨芳教授らが行った調査によると、「子どもを育てたくない」と答えた15〜39歳の若者は52%にのぼるという結果が出ました。
「母親って、しんどい」そんな空気が、いまの社会には確かに存在しています。
「母親は家事も育児もすべてを両立したほうがいいのでは」「家族のために自分を犠牲にするべきでは」
そんな、理想の母親像に戸惑いを感じる人も、少なからずいるように思えます。
こうした状況に対して、「完璧な母親像」ではなく「ありのままの母親」でいられる社会の実現を目指し、母親アップデートコミュニティ(HUC)では、母の日に合わせたキャンペーン「#母最高かよ」を展開しています。
ビジュアル制作について
本キャンペーンのキービジュアル制作を担当しました。
どんなビジュアルがいいのだろう・・と考えた試行錯誤と意図を、このnoteに今回残したいです。制作にあたって大切にしたのは、「100人100通りの母親像」と「ありのままの感情」を、ひとつの画面の中でどう描き出すかという点です。
表現手法と意図
後ろ姿で描く構図
多様な母親像を表現したくて、複数人の母親を描くことはすぐ決めたのですが、正面向きで、直接的に表情を見えるのは何か違うと思いました。
喜びだけではなく、迷いや葛藤なども含んだ“様々な母親の表情”を想像してもらうため、登場人物はすべて後ろ向きにする方がビジュアルとして合うように感じました。顔の表情を見せないことで、見る人それぞれの物語を重ねてもらえる余白を持たせています。

境界が明確ではない、にじむ背景色
背景には、晴れ渡った単一の青空ではなく、様々な色が淡くにじむ空を描きました。一人の人間の中には、「母親である自分」「仕事をする自分」「パートナーである自分」など、いくつものアイデンティティが重なっています。それらはきっぱりと分かれるものではなく、日々のなかで混ざり合っています。
私自身はそうなのですが「働く自分」と「母親である自分」は、ときには相反したり、揺れながら共存しています。
同じように、感情も単純ではありません。うれしさの裏に迷いがあったり、楽しさのなかにどこか切なさがあったりする。
はっきりと分けられない感情や存在。そうした“境界線のない滲んだまま”のありのまま感情や存在を、そのまま肯定したいという思いを、この背景の色彩に込めました。

光と“アオハル感”
「#母最高かよ」というフレーズには、「アオハルかよ」といった青春を感じるニュアンスも込められています。一人の人間として、今この瞬間を謳歌するような雰囲気。それを視覚的に反映するために、絵全体に逆光の光やにじみを取り入れ、どこかノスタルジックで前向きな印象を意識しました。多様な母の姿の具体例
服装や立ち姿などのディテールでは、キャリアを重視する母、趣味を楽しむ母、仲間と支え合う母、育児に全力で向き合う母、など多様な生き方を表現しました。

自分の中にまだある“呪い”
「今日はお子さん、どなたがみているんですか?」
美容院や飲み会でよく聞かれるこの言葉は、悪気がないことは分かっています。
それでも、母親=子ども担当という前提があるからこそ出てくる言葉で、父親にはあまり向けられません。
こうした何気ない言葉や態度は「マイクロアグレッション」と呼ばれ、知らず知らず心に小さな棘を残し、個人の行動を少し萎縮させ、いつの間にか社会の空気を醸成することもあるかもしれません。
たとえば、夫に子どもを預けて出かけるとき、義実家に立ち寄る夫を思い浮かべ、「出かける私は、義両親からどう思われるだろう」と一人で勝手にモヤモヤしていた過去もあります。
誰かに何かを言われたわけではない。むしろ喜んでもらっているのに、「母親なのに子どもを置いて出かけるなんて」と自分に呪いをかけていたのです。
今は、「協力してもらえてありがたい」と素直に思えるようになりました。
もっと軽やかに、笑って生きていきたい。
そう思えるようになるまでには、きっと私だけでなく、誰もが自分なりの過程があるのだと思います。
このビジュアルとキャンペーンが目指す未来
日本のどこかにいる、母親であることに息苦しさを覚える人や、
これから母親になることに戸惑いを感じている人も、
ともに親となろうとする立場のパートナーや、
さまざまな母の姿を見る「子ども」にとって。
いろんな立場の人が、心のどこかで「もしかしたら、母親って最高かも」と思えるような、そんな社会を願って
このビジュアルとキャンペーンが、少しでも心をほぐすきっかけになったらうれしいです。