
「スコーラ・ダモイ」 あとがき
あとがき
復員してから55年が経った。
ソ連に抑留された当時、ソ連はスターリンが統治し、社会主義建設に努めていた。「社会発展の法則」として、資本主義から帝国主義、社会主義、そして共産主義へと至る道を主張していたが、現実の発展は遅い。理論上の欠陥があるのか、あるいは政治上の問題なのか。ソ連の体制がどうなっていくのか、当時の私には知る由もなかった。
21世紀になったというのに、地球上の紛争は絶えない。これは避けられない宿命なのであろうか。
日本は平和のために武力を持たず、戦争はしないと憲法に明記している。それにもかかわらず、小泉総理は国民の多くが反対する中、自衛隊のイラク派遣を決定した。軍隊ではない自衛隊を、戦争状態にない地域の「安全な場所」へ派遣し、人道支援を行うのだと。しかし、アメリカのイラク政策自体が現地で批判を浴びている中で、それに協調することが本当に安全と言えるのか。
かつて日本は、満州事変から盧溝橋事件、支那事変、そして太平洋戦争へと突き進んだ歴史がある。「いつか来た道」――この道へ再び足を踏み入れているのではないか。政府の決定に呼応して「派遣ありき」の既成事実が積み上げられているような気がしてならない。
この記録を書きながら、私は自問する。「戦争とは何なのか」と。死を覚悟して戦った兵士、抑留された人々、そして家族を犠牲にしたあの悲惨な戦争。今、国民一人ひとりが真剣に考えなければならないことだと思う。人を殺し合う戦争は、たとえそれが「事件」や「紛争」という名で呼ばれていても、決して起こしてはならない。そう言い続けて生きたい。
表紙に記した「スコーラ・ダモイ(もうすぐ帰国)」は、入ソしてすぐに耳にした言葉だ。
強制労働の現場で、監視兵たちは口癖のようにこう言った。「パイ、ダバイ(さあ、やれ)」「ビストレ、ビストレ(速く、速く)」「ヤポンスキー、スコーラ、ダモイ(日本人よ、もうすぐ帰れる)」。
しかし、入ソから2ヶ月も経たぬうちに「すぐ帰れる」と言われても、到底信じられなかった。10年刑のソ連人が5年経った頃に「スコーラ・ダモイ(もうすぐ帰れる)」と喜んでいるのを見て、日本人の感覚との違いに驚いた。私の「スコーラ」は、結局4年近くにも及んだのだから。
なお、文中のロシア語は、当時の記憶に基づいているため、正確な表記ではない可能性があることをお断りしておきたい。
2004年12月8日
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