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無名の天才たちの旅行記 | 旅に、珈琲か










    ”旅も人生も、深めるのでればひとりがいい”






    沢木耕太郎







    無名の天才たちの旅行記

    旅に、珈琲か







    Ⅰ.序文



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    40代も後半に差し掛かると、やれやれ、さすがに身体のあちらこちらにガタがきはじめて、例えば老眼鏡が必要になったり、腰に痛みが走ったりする

    ひとは老いるということに一体全体、どのような感想を持っているのだろう

    久し振りに読み返した”アメリカ文学の狂犬”、ジェイムズ・エルロイの数少ないエッセイには、自身が45歳の時にLAで書いた一節にはこう書いてある







    "I felt like I was standing at the bedrock center of my life.”


    ”人生という岩盤の、ちょうど真ん中に立っているような気がする”





    「Hollywood Nocturnes」(1994)
    ”Out from the Past” / 過去から
    James Ellroy

    この一節を読んで、わたしには微妙な違和感を感じられた。人生を「岩盤」に例えることに一切の不思議はないが、45歳という年齢は果たして、「真ん中」なのか。わたしの中の感覚では、「真ん中」よりもいくらか後方へ進んでいるのではないかという、わたし固有の疑惑を抱いてしまっていたのだ

    しかし、だからといってわたしが自分の死期を見定めているというわけではない。現在、大病を患っているわけでもないし、自裁するような予定もない

    だからこのとき感じた違和感とは、おそらくはわたしの父親が関係している

    わたしの父は2017年に72歳で死去したから、「72歳」というのが自分の寿命のひとつのメルクマール、指標のような数字と捉えてしまっていたのだ。もちろん根拠はない。わたしには長命な一族でもある母親の血が流れているし、父親が死去した年齢が、息子の寿命であるということは一切ない

    ないがしかし、やはり感覚としては自分の父親の享年とはどうしてもひとつの目安になってしまうのだ・・・。もしもわたしの寿命が父と同じ72歳だと仮定したら、今年46歳のわたしには残り26年しか残っていない・・・

    まだいくらか猶予があるかのようにも思えるが、46歳のわたしには例えば
    「二十年前」などは、割と最近・・・というような拭い難い感覚があるのだ

    しかも、「次の二十年」までには確実に今よりも視力は落ち、腰はさらに痛んで体力は落ち込み、さらに身体のあちこちが悲鳴を上げているに違いない



    だとしたらもうあまり時間はない・・・どうしよう・・・



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    およそ使い古されたエッセイのテーマのひとつに、「死ぬまでにしたい〇〇のこと」がある。いや、だから普遍的なテーマと言い換えるべきなのだろうか。まさかわたしがこのテーマに沿って何かを書くとは思えなかったがよくよく考えてみると、もちろんわたしにも「死ぬまでにしたいこと」はあった

    それを箇条書きでざっと書き出すと、おおよそ以下に分類されることになる


    1. シルクロードの単独踏破

    2. スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(巡礼の旅)の単独踏破

    3. 四国のお遍路の単独踏破


    ここに共通するのは「旅」と、しかも「徒歩」であるということだ。しかし改めて書き出してみるとその無謀さに我ながら目の前が真っ暗になってくる

    この書いた順番が、それがそのまま優先順位とはなるが、まず最初のシルクロードの踏破・・・これは・・・もはや事実上無理であることがよくわかる

    いや、その前になぜシルクロードなのか。わたしは別に日本画壇の大家、平山郁夫の、いわゆる古代のシルクロードのキャラバンを描き出したシリーズ
    はそれほど高く評価はしていないし、作家の大御所、井上靖の「敦煌」にも
    さほど心は動かされなかった。しかしながら、異国の「陸路」をあくまで徒歩で旅すると考えたときに、やはり自然と浮かび上がってくるのがこのシルクロードの踏破で、要するに世界の最長ルートの一つとして憧憬を抱き、これならばわたしの「あてのない旅」の幼い幻想を満たしてくれるに違いない

    だから——

    いや、この話はこのくらいにしておいてまた別の機会にしよう。また話が膨れ上がって趣旨から外れていき、どんどん長大になっていってしまう・・・


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    そして、上記に掲げた三つの「死ぬまでにやりたいこと」は、もちろん少なからず費用と時間がかかってしまい、そこに体力や体調が加わってくると実現の可能性が、歳と共にそれこそ紙のように薄い確率になっていってしまう

    だが、四国のお遍路に関してはまだ諦めていない。88か所の霊場巡りの全長は約1,400kmあり、一般的に巡礼者は約三か月で巡るという。春か秋か、あるいはその両方の期間を合わせて巡礼できれば決して不可能ではない

    それにしても悔しいのが、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(巡礼の旅)だった。わたしはかつてスペインの北東部、パンプローナという古都に仕事で二年程赴任していたのだ。その小さな街の、これまた小さな旧市街で初めてそこがその巡礼路のひとつの要所であり、多くの巡礼者たちと日々すれ違うなかで、この巡礼路がキリスト教のひとつの聖地を巡る、フランスのアルルを起点とし(諸説あり)、ピレネー山脈を越えて、スペインのサンティアゴを終点とする長大な徒歩での旅のルートであることに気がついたのだ

    悔しいと思うのは、そうした歴史的な巡礼路があると現地で知りつつも休暇中はほとんど毎週のようにスペイン人の同僚たちや、個人的に知り合った現地人たちと誘われるがままにバル巡りに繰り出しては、深夜に帰宅することを繰り返してしまい、巡礼路を歩く大事な機会をほとんど逸してしまったことにこそあった。もちろん、この巡礼路は短期間で廻れるような安易なルートではなく、広大な国土をもつスペインをほとんど縦断する壮大なスケールな旅となるが、それでも当時の状況を鑑みれば、断片的であれ、休暇を繋ぎ合わせて旅することは不可能ではなかったのだ。その旅には、間違いなくわたしが見てきたスペインの光景とは異なった風景が広がっているに違いない



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    Pamplona, Spain



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    Pamplona, Spain



    そうしたこのやり残した思いが、今になって「死ぬまでにやりたいこと」にリストアップされたのだが、実現の可能性は決して高くはなかった。費用と時間はもちろんかかるが、それよりもまずスペインに入ることがわたしには難しいのだ。かつて赴任していた者としての感想は、例えば空路でパンプローナに着くまでに片道で実に二十四時間・・・多くの場合はまず中国の北京
    を経由してそれからドイツかオランダに入り、次にスペインのマドリードを経てローカル・エアでパンプローナへ。飛行機が大の苦手で、人生でできる限り飛行機に乗りたくないわたしにとっては、苦痛を通り超えた拷問の世界で、個人的な体感としては、まるで「世界の果て」まで行くことになるのだ


    いや、だから、逆説的にはこういうこともできる
    「世界の果て」で、いつか巡礼の旅をするのだ






    Ⅱ. note



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    わたしはこれまでここnoteの街において、いわば「スペイン時代」に体験した印象的な出来事や、心象に残った風景を基軸に何本かのエッセイを書いた

    その数は全体を見てもかなり少ないが、そうした記事を上梓し公開前にその記事に関連するハッシュタグをつけていたら、いつからかわたしのホーム画面にはそのタグに付随した他者の記事が羅列されるようになっていた。それがどのようなメカニズムになっているのかにはほとんど興味はないが、しかし機能としては面白く、同じテーマを材にとった他者がいったいどのような記事を書かれているのかに対しては「視点」という面で興味が尽きなかった

    ある日、わたしは当時書き上げたスペインの記事に、 #パンプローナ というタグをつけたことがあった。その記事はもちろん、わたしがかつて滞在していた小さな街での出来事で、公開直後にホーム画面にそのタグが表示されたのだが、それを見てまず驚いたのが、実に多くの日本人が決して高い知名度があるわけでもないパンプローナを訪れているということだった。この街は
    普段は人口二十万人に満たないスペイン北東部の小さな田舎町に過ぎないが
    毎年夏に開催される”San Fermin”、つまり「牛追い祭り」のシーズンになると、世界中から観光客が押し寄せ人口が一気に百万人に達する、世界的に見ても珍しい「観光都市」の側面を合わせ持つのだ。その当時に観た他者の記事では、やはり圧倒的にこの祭りに関する記事が多く、そのシーズンが過ぎると、今度は逆に潮が引いていくかのように減少していったが、そのあとに残った僅かな記事の中に、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(巡礼の旅)に関する記事を見つけたのだ。そしていつもながら前置きが随分長くなってしまったが、わたしが個人的に強い興味を抱いている、主に「紀行文」を書かれる親しいnoterさんを不定期に取り上げる、「無名の天才たちの旅行記」に取り上げたい人物、Mons Mare_Akariさんと巡り合うことができたのだった









    このAkariさんと巡り合った頃、わたしはこのnoteにおける書き方について悩みとは言えない悩みを二つ抱え込んでいた時期でもあった。ひとつはそれは常々、できればこのnoteではジャンルレスで記事を執筆していきたいと思いながらも、まるで磁力のように紀行文へ引き寄せられる、ひとつの習性に対するもので、この頃はそれについては良い意味で諦め、不定期ではあれ記事を何本か書いて公開してみて、それでも紀行文へと緩やかに流れていくのであれば、それがわたし自身の「創作」なのだろうと割り切り初めていたのだ

    そしてもう一つはその「紀行文」に関する方法論の問題だった。これがやっかいだった。その当時、いやそれ以前からわたしは主に休暇を利用して様々な土地へ旅行に出かけてはいたが、そうして訪れた土地での滞在を、ほとんど間を置かずに記事にして公開することに、この頃一種の自己嫌悪のようなものを感じ始めていたのだ。目的地をひとつの「点」として書く方法論ではまるで「書くためだけに」旅行を繰り返すように思えたのだ。少なくともわたしの旅行ではそうだった。「書く」というのはあくまで最終的な判断の一つであって、その前にその土地を好奇心の赴くままに十全に味わい尽くしたその後で、印象あるいは心象に残った出来事と風景だけを追って文章で切り取ればいいのではないか。もしもその条件を満たすことができなかった旅行など無理に書く必要などないのだ。私は、何をそんなに焦っているのだろう

    当時わたしはインドネシアに居て、首都ジャカルタや古都ジョグジャカルタへ旅行に出かけていたが、夜にはビンタン・ビールを買い込んで空調を効かせたホテルの一室で、ライティング・デスクの上にラップトップを立ち上げて早速筆を取り、「創作」、と称して中身のない軽薄な、ぺらっぺらな紀行文もどきを、誰に請われるでもなくせっせと書き散らしていたように思える

    そもそも自分で意識している「紀行文」とは何なのだろう。何を指して紀行文というのか。何が書きたいのか。そしてわたしは自分で何にこだわっているのだろう。「紀行文」の定義が揺らぎ始め、暗闇の中に思考だけがあった

    しかしいくら考えても答えは出ず、事態はさらに悪化した。当時noteを始めて丸二年が経過したわたしが経験してきた限りでは、自分の中での「大作」とは、あくまで自身の中だけで他者の視点では決してそうではないのだ。自分で考えている以上に、他者から求められていないのが現実であることを当時痛感させられ、このnoteからの完全な「撤退」あるいは「凍結」を意識し始めた矢先に、偶然にも巡り合えたのがこの、Mons Mare_Akariさんだった


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    そして、今現在わたしが書きたい紀行文、いや、記事全体に関しては大きく軌道修正を図ることができた。それは仮に紀行文の場合は「点」で捉えるのではなく「面」に切り替え、それは随分抽象的な考えに思われるのかも知れないが、時間と空間を交差させるような重層的な構造にすることで、つまり過去の出来事を現在の視点で振り返ることで、本当に表現したいことのみを浮かび上がらせることが可能となる、「内省」という視点で全体を俯瞰できるようになったのだ。この視点をもつ最初の「気づき」を与えてくれたのがAkariさんの作品だった。この方法論がどこまで有効なのかはわからない。しかし以前のように苦しまなくなったことだけは間違いのない事実でもあった





    Ⅲ. エッセイ



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    #パンプローナ で偶然にも巡り合えたAkariさんは、もちろん彼女も同様のタグをつけて作品を公開されていたからだった。そしてその記事は「牛追い祭り」で訪れたからではなく、カミ―ノ、つまり巡礼の旅の途中で、そのひとつの順路でもあるパンプローナに立ち寄られた際に書かれた記事が基だった







    わたしはほとんど偶然にこの記事を読んで、懐かしいなぁと思った。それは無論、かつてこの風景の中に確かにわたしも存在していたからであり、挿入された旧市街の写真には見慣れた光景も存在していて、時を経た今では、すでに通り過ぎてしまった、懐かしいがただ優しい気持ちを想起させるだけの記憶の風景と重なり合うからだった。そしてそれはこのパンプローナという中世から続く石畳の旧市街がもつ「場の力」だけでは決してなかった。いやそうした力もいくらかは作用しているのだろうが、何よりこのAkariさんの記事がもつ不思議な輝きに瞬く間に魅了されてしまったからに他ならなかった

    この記事を読んで、まず改めてカミーノに対する強い憧れをもち、次に気がつくと他のAkariさんの記事にも、まるで吸い込まれるようにして目を通し夜は更け、それでもまだ読み続けていたように思い返すことができる。Akariさんの書かれる紀行文は、少なくともわたしが好んで書くそれとは大きく成り立ちから異なり、「旅」という行為を、おそらくは最も純化された形で体現されているということに大きな相違点を感じ取ったのだ。すなわちAkariさんの旅は、歩き、食べ、呑み、眠るといった、「旅」にカテゴライズされる以前に、人間の最も根源的でシンプルな生活様式を、おそらくご本人は意識しないままに、結果的に旅に落とし込まれているようにわたしの眼に映ったのだ。余分なものを削ぎ落としたようにも読めた彼女のエッセイには、それはもう凛とした美しささえ感じさせるAkariさん独自の世界観でもあり、私にはまず書くことができない種類の極めて豊かな紀行文のように感じられたのだ



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    エッセイとは、いうまでもなく読み手個人の好みに左右されるということは間違いない。それは例えば、音楽や映画、ファッションの好みと等しく本人の、理由はどうであれやはり「好み」に拠り、そこに優劣は一切存在しない

    わたしの書くエッセイも同様で、好意的に受け取って読んで下さる方もいれば、逆に、敬遠して遠ざかって行く方もいて、わたしも読み手のひとりとしては、やはり同様に、好き嫌いの「好み」はもっており、年をとる毎に良くも悪くもその傾向は年々、より深まってきているようにも思えるときがある

    わたしはAkariさんのカミーノの記事を連続的に数作拝読させて頂き、コメントを書きフォローさせて頂いたのはほとんど同時で、ほどなくAkariさんからもフォローバックがあってホッとしたことを覚えているが、もしもそれがなければわたしは久しぶりに伝家の宝刀を抜いていたはずだった。それはコメント欄から「正面突破」で相手のドアを蹴破る禁じ手、”わたしのことをフォローして頂けないでしょうか?”で、正々堂々と、しかし図々しいお願いの手法で、もしもそれが実現していればこのとき実に「二人目」でもあった






    Ⅳ. 巡礼の果てに



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    こうしてAkariさんとはnote内において緩やかな交流が始まった。当時は彼女はまだカミーノの旅の途上で、わたしは不定期に公開される彼女の作品を心待ちにするようになっていた。わたしにはなまじスペインの国土の広さとエリアによっては土地鑑があったこともあり、あぁ、Akariさんは今はログローニョなのか、じゃあレオンに入るのはいつ頃なのだろうかなどと想像を楽しんだり、彼女固有の、一切の装飾を排したシンプルな文体を心ゆくまで堪能させてもらうことになった。実際、彼女の作品のタイトルをひとつ取っても極めてシンプルで、良い意味でそこに自己表白が一切存在しないのだ。それは逆に、作品のタイトルに毎回頭を捻らせて、すでに記事は完成しているのにも関わらず「タイトル待ち」の状態で停滞しているわたしとは正反対のスタイルでもあった。文章であれ何であれ、「表現」をするときには、時に自分の持っていない感性を求める傾向が強くなると高名な誰かが言っていたが、わたしはだからこのAkariさんのスタイルに惹かれるのかも知れなかった

    そして、連作として続いていくAkariさんのカミーノの旅には本心から憧れた

    毎朝、陽が昇ると同時にアルベルゲ(巡礼宿)で目覚め、次の目的地へ向かって雨が降っても歩き、お腹が空いたら食べ、夕食と共に一杯のワインを呑む

    そしてこの旅行記には繰り返し現れる登場人物がいて、それは韓国人の若い女性の「サニーさん」だ。カミーノの巡礼路とは、見方を変えればそれは一本道で、その必然が予期せぬ旅の「同行者」を生み出すのだ。つまり同時期に巡礼を開始すれば、高い確率で道中のアルベルゲで同宿となり、だからどうしても旅の途上でお互いのルートが重なり合うのだ。このAkariさんのいわば「相棒」ともいうべきサニーさんは繰り返し登場し、Akariさんとつかず離れずの旅を歩み、その偶然がまた旅行記の中に緩やかな起伏を生み出すのだ

    ある日、先行して早朝にアルベルゲを出発したサニーさんに遅れて出発したAkariさんは、その道中にサニーさんがうっかり落としてしまった折り畳み傘を拾いあげ、その日の夜にアルベルゲで再会し彼女に手渡す「奇跡」にふたりで舞い上がって乾杯したり、語学が不得手であるらしいAkariさんの即席の通訳をサニーさんが務めて同宿の他の外国人たちと交流を深めたりと、このように小さくも素敵な出来事が彼女の旅行記の全体と細部に満ち溢れ、それがそのまま、まるで鏡のようにAkariさんの人柄を写し出しているのだ・・・








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    この世界のあらゆる事象に「終わり」が在るように、Akariさんのカミーノの旅にももちろんそれは在った。ガリシア州もだいぶ奥まで進むと、やはりゴールであるサンティアゴ・デ・コンポステーラという歴史ある大都市が見えてくる。そのゴールが近づいてくるにつれて、ひとりの熱心な読者であるわたしは一抹の寂しさのようなものを感じたのだ。もう、終わってしまうのか

    Akariさんにはこのまま永遠に旅に出て紀行文を書き続けて欲しい。彼女の作品にはそう思わせる、一切のストレスがなくただただ前へと旅を続けて欲しいと願える、わたしがこれまで読んできたプロアマ問わない紀行文の中でもごく個人的には稀な「傑作」だったのだ。そしてAkariさんはやがてゴールを迎え、カミーノのエピローグとも呼べる地の果て、フィステーラで再びサニーさんと再会し、これで大団円で旅が終わるのかと思いきや、そのまま南下して「ポルトガル縦断編」に入った頃には、わたしは歓喜しつつも、同時にこのMons Mare_Akariさんとはいったいどのような人物なのだろうと深く思いを巡らせることになったのだ。Akariさん、Mons Mare_Akariさん・・・



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    Ⅴ. Mons(山) Mare(海)_Akari
    (ラテン語)



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    Akariさんの記事より、ご本人の許可を得て転載
    写真も一枚一枚を丁寧に撮られていることがよくわかる






    Akariさんがオンライン上に公開しているご自身のプロフィールでは、「動く山小屋と旅する珈琲屋」、”Coffee Mons Mare”をおひとりで運営されている移動販売式のワゴン車で全国を旅しながら巡る、いわば本物の旅人だった

    彼女の旅行記のひとつのハイライトとなる、ご自身で丁寧に淹れた「珈琲」は作品全体にその芳醇な香りが満ちているようにも錯覚されられることがあり、わたしがインドネシアに赴任していたときは、一時期、毎晩彼女の旅行記を読みながら、近所のマーケットで購入してきたインドネシア産の豆を自分で挽いてそれをゆっくり飲みながら読むということが定着されつつあった

    そのときわたしはこう思ったのだ。Akariさんのように旅先で飲む一杯の珈琲
    とは間違いなく格別なものに違いない。それも自分の好きな豆を自分で丁寧に淹れる珈琲ほど贅沢なものはないはずだ。だとすれば旅には、珈琲なのか

    彼女がnote上に公開した旅行記は、ポルトガルを経て海路でアフリカ大陸に入り、モロッコで迷宮のようなフェズや砂漠のメルズーガ、街並みが全て青く染め上げられたシャウシャウフェンを経ても終わることはなく、イタリアのローマを経て、最終的にサニーさんに会いに韓国へ寄り、帰国してからも彼女の旅は続いた。そして、そのそれぞれの作品の間には、もちろん彼女が抱える葛藤や実際的な問題も間違いなくあったに違いない。この頃のAkariさんの作品にはそう読み取れる記述が薄っすらと滲んでみえるからだ。しかし
    彼女は、おそらくは大部分をご自身で制作されたと思える珈琲の移動販売車
    通称、「モンマレ号」に乗り込みエンジンをかけて日本列島を北上し始めた









    彼女が向かったのは、当時、大震災が発生したほとんど直後の能登だった

    現地で珈琲を淹れることができる環境があるかどうかはわからない。でも寒さが厳しい日本海に面した土地では、一杯の熱い珈琲とは身体を温めるだけでなく、傷ついてしまった人々の心を、たとえ束の間だけでも癒す効果があるということに、Akariさんは誰よりも詳しかった。行けば何とかなるのかも知れない。いや、何とかなるだろう。彼女はそうした自信を、すでにこれまでの「旅」から充分に獲得していたに違いない。入ってくる情報はどのように類推しても、現地が混乱を極めているということはわかりきっている。歓迎はされないのかも知れない。望まれないのかも知れない。迷惑に思われるのかも知れない。でもそれを自覚した上でも行きたい。何かを恐れて躊躇してしまえばきっと後悔が残る。やらないよりかはやったほうがいい。行かないよりも行ったほうがいい。この勇気は逆に「旅」が彼女に与えてくれたギフトのひとつに違いない。行かなきゃ。行けばきっと、何とかなるのだから



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    画面右側の林檎を渡そうとしている女性がAkariさん
    ご本人の許可を得て掲載



    そして彼女のこの資質とは思い立ったことはすぐに行動に移せる、いわば直線的な行動力を差し、旅から帰国した後でほとんど休む間もなくすぐにそれを発揮したのだ。この稀な資質をもつ人物には少なくとも私の半生では、女性に多く、しかし、なかなか出会うことができないタイプのひとでもあった













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    Akariさんの記事より、ご本人の許可を得て転載
    香り立つような一枚


    Akariさんが、Akariさん自身について言及した文章はほとんど見当たらない

    いずれも旅先で感じた柔らかな感想の中に、ときおり、ご自身の内面を薄っすらと表白させる程度で、本来、とても控えめな方なのだろうと推察できる

    しかしながら彼女の固定記事の「私の描いていること。」には、珍しくご自身の過去について、やはり一切の装飾を排した柔らかな筆致で”少し 私の話をします。”で始まる短い文章にはおおよそ次のようなことが描かれている

    それに拠ると、彼女は中学生の頃に、重度の精神的な病の影響でいわゆる引きこもりを経験された過去があるという。それについての原因は言及されてはいないが、多感な時期だ。それは誰にでも可能性を秘めた長い人生の中でも、最も心身のバランスが不安定に揺れ動く時期なのかも知れない。彼女はそれを「暗闇」と表し、おそらくはその闇が明けきれない十代の最期に、今度は火事で自室が全焼し、九死に一生を得た経験を持たれている。それらの事象が十代の彼女にどのような影響を与えたのかまでは、わたしには読み取ることができない。しかし推察するに、それは彼女本人以外は決して立ち入ることができない深い領域内での影響であるに違いないということはわかる

    そうした経験を経て、彼女はまるで彷徨うように国内外の多くの土地を渡り歩くことになるが、それらの事象が直接的に、「だから旅に出た」と解釈するには、あまりにも情報が欠如していて、あまりにも乱暴なようにも思えるが、しかし、その遠因であったことは可能性のひとつとしては考えられる。

    いずれにせよ彼女は、人生のどこかの時点で「旅」を中心とした人生を生きることを決断したのだ。そしてその決断には、何より「珈琲」が必要だった

    わたしはこうして、今、Akariさんに踏み込んだ文章を書いてはいるが、それは彼女のことを分析したいからでは決してなく、結果的にこのnoteを通じて巡り合い、あれほど豊かな紀行文を書く人物とはいったいどのような方なのかと気になって仕方がないだけなのだ。そして、もしも可能であればわたしも彼女のように「旅」を軸とした自由な人生を生きてみたいと願う、純化された願望を、何より自分自身に認識させるためだけに書いているに過ぎない








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    Akariさんの記事より、ご本人の許可を得て転載
    一杯注文したくなるような一枚



    そしてこの短くも豊かな内容のエッセイには
    彼女の今後の展望のひとつが以下のように記され、それはもはや
    ひとつのマニュフェストと見做すことができる







    コーヒーを中心にした小さな村のような場所を作りたいです。




    「私の描いていること。」
    Mons Mare_Akari





    そこには面白い大人たちや居場所のない人 不登校の子 旅人さん 沢山の人の交わる場所を作りたいなと思っています。

    そこを、広い土地や森で、自給自足ベースで小屋を建てるところから、作りたいのです。



    「私の描いていること。」
    Mons Mare_Akari


    直線的な行動力をもつAkariさんは、すでにその土地を探し始めているという


    それはおそらくは、あの素敵な珈琲色の「モンマレ号」に乗り込んで日本列島のどこかを駆け回っているのだろう。もしも叶うのであれば、一度お目にかかり、彼女が淹れてくれた珈琲を味わいながら、わたしに何かお手伝いできることはないかと直談判したい誘惑にかられる。もちろん大した事ができるとは到底思えないが、肉体作業や広報の真似事程度であれば少しは役に立てることがあるのかも知れないと、勝手な願望を、勝手に抱いている始末だ


    しかし、この、真の旅人でもあるAkariさんを捕まえることは
    恐らくは「ツチノコ」を捕まえるよりも、考えようによっては難しいはずだ
    ・・・


    だからわたしは今日もこうして、まるで彼女の旅を追走するかのように
    眠る前に、彼女の作品のページを開くだけなのだ



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    いつか、一杯飲んでみたい・・・








    無名の天才たちの旅行記

    旅に、珈琲か


    (10,000字)









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    ”Coffee Mons Mare”







    あとがき


    今作においてフォーカスさせて頂いた、Mons Mare_Akariさんには事前にこちらからコンタクトを取り、記事の紹介、引用、写真の転用の許可を快くご了承頂いたうえで書き上げております。一切の注文もなく、わたしを信頼し自由に書くことをご了承して頂いたAkariさんには改めて感謝の念をお伝えさせて頂きます。そして、そのコンタクト自体はすでに一年以上前の出来事で作中でご紹介させて頂いたAkariさんの固定記事、「私が描いていること。」を拝読して焦点が結ばれ、すぐにでも執筆に取り掛かろうと考えていたのですが、なかなかその時間が取れず今回それが解消されたこともありほとんど一筆書きに近い早さで書き上げることができました。それはおそらく機が熟していたからなのかも知れません。Akariさん本当にありがとうございました



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    「もうすぐ今日が終わる。」 Mons Mare_Akari
    抜粋 : 氷見の海、月が昇った









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    2025年5月14日(水) 追記
    Akariさんから下記のお礼の記事を掲載して頂きました。






    おしまい




     
     
     
    第21回「文芸思潮」エッセイ部門 佳作受賞(2026) 『怒りは、どこまで正義たりうるか』 季節を問わず、眠れない夜に、じっくり読んでもらえるようなエッセイを。 もっと言えば、何度も読み返してもらえるような。 仕事と執筆の両立が難しく 不定期に凍結期間を設けています。

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