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第章 独孊者たちの物語その

    野口悠玀雄

    倖囜語を独孊でマスタヌした人たち
    倖囜語を独孊で習埗したシュリヌマン

    この章では、独孊によっお成功した人たちに぀いお述べよう。ここで取り䞊げるのは、有名な人たちだ。独孊で成功した人は、これ以倖にはるかに倧勢いるはずだ。

    倖囜語を独孊で習埗した人は、倧倉倚い。
    有名なのは、ドむツ人の考叀孊者ハむンリッヒ・シュリヌマン幎幎だ。ギリシャ神話に登堎する䌝説の郜垂トロむアの話を幌いずきに聞き、それが実圚するず信じお、実際に発掘しお蚌明した。
    13歳でギムナゞりムペヌロッパにおける幎制の䞭等教育機関に入孊したが、貧しかったので幎に退孊。食品䌚瀟の埒匟になった。その埌、ロシアなどに商瀟を蚭立しお、クリミア戊争䞭に莫倧な利益を埗た。
    シュリヌマンは、倚くの倖囜語に粟通しおいたこずで有名だ。英語、フランス語、オランダ語、スペむン語、むタリア語など、18カ囜語に堪胜だったず蚀われる。
    英語は、わずか半幎間でマスタヌした。

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    党文䞞暗蚘法
    その方法を、圌は、『叀代ぞの情熱―シュリヌマン自䌝―』新朮文庫、幎で述べおいる。
    圌は「どんな蚀語でもその習埗を著しく容易にする方法を線み出した」ず蚀い、「その方法は簡単なもの」だず蚀っおいる。それは、具䜓的には、぀ぎのようなものだ。

    倧きな声でたくさん音読するこず、ちょっずした翻蚳をするこず、毎日䞀回は授業を受けるこず、興味のある察象に぀いお垞に䜜文を曞くこず、そしおそれを先生の指導で蚂正するこず、前の日に盎した文章を暗蚘しお、次回の授業で暗誊するこず、である。

    よい発音を身に぀けるために、「日曜には定期的に二回、むギリス教䌚の瀌拝匏に行き、説教を聞きながらその䞀語䞀語を小さな声で真䌌おみた」ずも蚀っおいる。

    重芁なのは、長い文章を䞞暗蚘したこずだ。オリノァヌ・ゎヌルドスミスの『りェむクフィヌルドの牧垫』ずりォルタヌ・スコットの『アむノァンホヌ』を党文暗蚘した。

    同じ方法を、フランス語の勉匷にも適甚し、フラン゜ワ・ド・フェヌロンの『テレマコスの冒険』ず、ベルナルダン・ド・サンピ゚ヌルの『ポヌルずノィルゞニヌ』を暗蚘した。そしお、フランス語も六カ月でマスタヌした。
    ロシア語に぀いおは、曞物も教垫も芋぀けるこずができなかったので苊劎したが、「文法曞によっおロシア文字ずその発音を頭の䞭に叩き蟌んだ。それからたた以前のやりかたを螏襲しお、短い䜜文や物語を曞いおはそれを暗蚘した」ず蚀っおいる。

    そしお、週間埌には、初めおのロシア語の手玙をロンドンのロシア人商人に出すほどに䞊達した。たた、ロシア語で流暢に語り合うこずもできた。
    この手玙がきっかけで、のちにロシアに移䜏し、貿易商を営んだのだ。

    この圓時は、倖囜語の音源を埗るのは倧倉だったに違いない。
    ただ、倖囜語を話せる人は非垞に少なかったから、勉匷すれば、需絊面で非垞に有利な立堎に立぀こずができた。シュリヌマンがビゞネスで成功を収めたのは、その語孊力に負うずころが倧きい。実際、圌がのちにロシアに移䜏しお貿易商を営めたのは、最初にロシア語で曞いた手玙がきっかけだった。
    誰かに聞かせる

    ずころで、圌は、぀ぎのようにも蚀っおいる。

    だれかにそばにいおもらっお、その人に『テレマコスの冒険』を話しお聞かせるこずができれば、進歩が早くなるず思ったので、私は貧しいナダダ人を䞀人、週四フランで雇い、ロシア語はひずこずもわからないその男に、毎晩二時間私のずころぞこさせおロシア語の朗読を聞かせた。

    ぀たり、自分人でやるよりは、人に聞かせれば励みになるず蚀うのだ。そのため、金を払っお「教えを乞う」のでなく「教えた」のである。これは、勉匷を継続するための重芁なポむントだ。これに぀いおは、第章で述べる。
    なお、圌は考叀孊に぀いおも正芏の教育を受けたわけでなく、「玠人孊者」だった。

    フォン・ノむマンも䞞暗蚘法
    以䞊で芋たように、シュリヌマンの勉匷法の基本は、「倖囜語の本を冊すべお暗蚘する」ずいう方法だ。ハンガリヌ生たれの数孊者ゞョン・フォン・ノむマン幎幎も同じ方法だった。圌は、「20䞖玀最高の数孊者」ず蚀われる倩才である。珟代のコンピュヌタの基本原理プログラム内蔵方匏を考え出した。

    ノヌマン・マクレむ『フォン・ノむマンの生涯』朝日遞曞、幎によるず、歳で、叀兞ギリシャ語で父芪ずゞョヌクを蚀えた。ドむツ語も自分で孊習した。りィルヘルム・オンケンの44巻本の歎史曞『䞖界史』を読了した。チャヌルズ・ディケンズの『二郜物語』の冒頭十数ペヌゞは、䞀蚀も間違えずに暗誊できた。

    幎代に、ナチス政暩を避けおアメリカ合衆囜に移䜏したのだが、英語は、『ブリタニカ癟科事兞』のいく぀かの項目を䞞暗蚘するこずで勉匷したそうだ。

    独孊ずは関係ない話だが、ブダペストのルヌテル・ギムナゞりムにおける圌の同窓生りィリアム・フェルナヌ経枈孊者、むェヌル倧孊教授は、私の先生である。

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    ずころが、むェヌル倧孊の数理経枈孊の時間に先生ハヌバヌト・スカヌフ教授が説明しおくれたずころによるず、フォン・ノむマンは、同曞に満足しおいなかった。そしお、い぀かは曞き盎そうず思っおいた。しかし、結局それは実珟できなかった。なぜならば、圌はあたりに倚くの仕事を抱えおいたからだ。原爆の開発があったし、量子力孊の数孊的基瀎を䜜る必芁があった。そしお、コンピュヌタの基本抂念を䜜る必芁もあった。

    独孊での語孊孊習者をもう人挙げれば、小説の登堎人物だが、スタンダヌルの小説『赀ず黒』の䞻人公、ゞュリアン・゜レルがいる。貧しい材朚屋の䞉男坊ずしお生たれ、家の仕事の合間にラテン語を勉匷した。
    レナヌル倫人ずの出䌚いの最初の堎面で、旧玄聖曞ず新玄聖曞のラテン語版のどこでもすらすら蚀えたずいうのだから、聖曞党郚をそっくり暗蚘しおいたわけだ。

    「䞞暗蚘方匏」ずいうのは、ナダダ人の䌝統であるようだ。熱心なナダダ教埒は、旧玄聖曞を自由自圚にそらんじるこずができるず蚀う。䞀般にナダダ人に知胜の高い人が倚いのは、本の䞞暗蚘ずいう教育方法が䌝統的にあるからだず蚀われる。フォン・ノむマンの䞡芪も、ナダダ系ドむツ人だ。

    良き時代のアメリカの独孊者たち
    印刷物を読みあさるフランクリン
    18䞖玀から19䞖玀のアメリカには、独孊で成功した人が倚い。アメリカ匏サクセス・ストヌリヌだ。

    たずは、ベンゞャミン・フランクリン幎幎。圌は、幎にアメリカ独立宣蚀の起草委員ずなった。トヌマス・ゞェファヌ゜ンらずずもに、独立宣蚀に最初に眲名した人の政治家のうちの人だ。
    政治家であるだけでなく、物理孊者、気象孊者でもあった。凧を甚いた実隓で、雷が電気であるこずを明らかにしたのは有名だ。

    圌の独孊ぶりは、『フランクリン自䌝』岩波文庫、幎などで知るこずができる。
    孊校の成瞟は優秀だったが、孊費の負担が重いので、10歳で退孊し、印刷業者の埒匟になった。

    仕事堎にある本や新聞などの印刷物を、仕事の合間に読みあさった。それによっお、数孊や科孊の初歩を孊ぶこずができた。

    昌䌑みになるず、フランクリンは人職堎に残っお、匁圓をさっさず食べおしたう。あずは本を読んで過ごした。匁圓なら、お金が節玄できるし、勉匷の時間もずれる。䞀石二鳥だったず、圌は述べおいる。

    あるずき、掻字を組んでいた哲孊曞の内容に根本的な誀りがあるず感じ、それを論文にたずめ、掻字に組んで、小冊子ずしおわずかな郚数印刷した。
    冊子を読んだラむオンズずいう人物が蚪ねおきお、バヌナヌド・デ・マンデノィル幎幎。『蜂の寓話』ずいう著曞で有名な思想家を玹介しおくれた

    フランクリンが印刷物を読みあさったずいう話は、面癜い。私が倧蔵省珟・財務省に入省した頃のこずを思い出した。その頃、コピヌ機が登堎した。新入職員の仕事は、コピヌをずるこずだった。枚䜙蚈にコピヌをずっお自分自身の資料にしおいる同僚がいた。圌は、それを読んで、圹所の仕事を「独孊」しおいたわけだ。

    独孊人生のリンカヌン
    ゚むブラハム・リンカヌン幎幎は、「歎代アメリカ合衆囜倧統領のランキング」においお、しばしば、「最も偉倧な倧統領」に挙げられおいる。

    ケンタッキヌ州の宀しかない䞞倪小屋の貧しい家に生たれた。正匏な教育は、巡回教垫からの18カ月間の授業だけで、あずはたったくの独孊。借りるこずのできたすべおの本から孊んだ。

    青幎時代にむリノむ州に移䜏し、船乗り、店員、民兵などずしお働き、枬量術を独孊しお、枬量技垫の仕事に぀いた。むリノむ州の䞋院議員遞挙に立候補し、25歳で初圓遞を果たした。
    その埌、独孊で法埋を孊んだリンカヌンは、28歳で詊隓に合栌し、匁護士の資栌を取埗した。

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    その孊習方法に぀いお、「私は誰にも぀かずに孊んだ」ず語っおいたそうだ。たさに、自助努力の人の兞型だ。

    匁護士になっおから埌も、独孊で腕を磚いた。毎晩、最高裁刀所の図曞通に行き、担圓しおいる蚎蚟に関係のある刀䟋を研究した。圌の曞いた匁論趣意曞は、むギリスのコモン・ロヌにたで遡っお、现郚たで詳现に準備されおいた。最高裁刀所に出廷する機䌚も倚くなり、「法埋家の䞭の法埋家」ずいう評刀をずった。

    鉄鋌王カヌネギヌの恩返し
    鉄鋌王アンドリュヌ・カヌネギヌ幎幎はスコットランドで生たれ、幎に䞡芪ずずもにアメリカに移䜏した。最初は、工堎で䜜業員ずしお働いおいた。その埌、電信䌚瀟で電報配達の仕事に぀いた。

    圌は働き者で、仕事熱心だった。圓時の普通のやり方は、受信したモヌルス信号を玙テヌプに刻み、そのテヌプを解読するずいうこずだったのだが、カヌネギヌはモヌルス信号を盎接に耳で聞き分ける特技を習埗し、電信技士に昇栌した。

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    本を買うこずもできず、図曞通も普及しおいなかった。ずころが、近くに䜏んでいた節志家が、働く少幎たちのために毎週土曜の倜に玄冊の個人蔵曞を開攟しおくれた。カヌネギヌはそこに通っお読曞奜きになった。
    幎代にピッツバヌグでカヌネギヌ鉄鋌䌚瀟を創業。この事業は倧成功し、幎代には、同瀟が䞖界最倧で最高収益の䌚瀟ずなった。
    カヌネギヌは、匕退埌の人生を慈善掻動に捧げ、教育、科孊研究などに倚額の寄付をした。䞭でも、公共図曞通の蚭眮に力を入れた。党郚でもの図曞通を建蚭したが、それは、少幎時代に利甚できた個人図曞通ぞの恩返しだったのかもしれない。


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